第三章 人攫いの鯨

孤高の魔王-1

 マグが病に倒れた。

 酷く汗をかいており、熱が高い。


「げほっ、ごほごほっ……ごほっ!」


 それよりも問題だったのは噎せ返るほどの咳。肩を上下させて呼吸をするぐらいに衰弱していた。マグの奮闘により、エルフの里は救われたと言っても過言ではない。マグ曰く、その代償が疲れや発熱となって表れたのだそう。


「大丈夫だ、二人共。これならすぐに治るだろう」


 ──しかし体調は元に戻らず、既に二日が経過していた。

 エルフの里に身を寄せてはいるシーナ達三人。マグが病に倒れたことにより、里の者たちはマグの身を案じた。


「ねぇシーナ。マグは大丈夫なの?」

「分からない……ずっと咳が続いてるんだもの」


 フィーロとアーレが見舞いに姿を見せる。どのようにマグの支えになれば良いのか分からない

 自ずと涙が出てしまった。


「ぐすっ」

「シーナ!? な、泣いてるの?」

「……ううん、もう大丈夫。アーレ……私、頑張ってみようと思うの」

「マグのこと、助ける気なんだね?」

「ええ」


 シーナは頷く。シーナは最近、常々実感していることがある。自分をしっかりと見てくれたマグに対して、何も返すことができていないのだ。

 マグが風邪で苦しんでいる時こそ、シーナの出番である。そう、己を奮い立たせた。

 頬に涙の跡を残しながら、顔を上げる。


「……私は、薬を探さなきゃ」

「そっか。手伝うよ、シーナ」


 シーナの決意に、アーレが手を挙げた。刹那、シーナの目元が潤む。ほんのりと垣間見えた弱さを隠して、シーナは薬草の在処ありかを尋ねる。


「確かミカンの木の近くにシャノゲが生えていなかったかしら?」

「うん。あの丘の近くに生えてたと思うよ~」


 そう答えたのはフィーロだ。

 しかし、シャノゲが薬草だなんて話をフィーロは聞いた覚えがなかった。


「それがそうでもないのよ。シニカさん曰く、いくつかの薬草と混ぜ合わせると咳止めになるらしいの」


 シーナは「実際に作る機会はなかったけれどね」と言葉を続ける。身近に青色の実をつけていた雑草も同然の植物。まさか薬草だったとはつゆ知らず、二人は口をあんぐりと開けていた。


「やっぱり二人もそんな反応になるわよね」

「「うん、それはもうそうだよ!」」


 エルフ少女二人は興奮した面持ちだ。声高に話す二人の双眸は輝いていた。二人の反応をよそに、シーナは淡々と口を開く。


「あと集めるのがウラレの葉とジンセの根、ビシャクの茎、ジュジュの実、イネの穀果が必要なの。でも、最後のイネは恐らくここに無いわよね」


 水源は豊富であるが、少なくとも稲作を行っていた形跡はなし。シーナの表情が曇る。しかし、目元にあった涙の跡は乾き去っていた。 


「まずは集められるものを集めるわ!! 二人共、協力して欲しいの」

「「勿論!」」

「合点、承知ぃー!!」


 エルフ少女二人のものではない、誰かの低い声。フィーロとアーレのちょうど間から声は聞こえた。


「っ⁉ 貴方誰なの⁉ 一体いつから……」

「最初から、だぁーよ」


 仙人服を身に纏った色黒の優男。髪色はマグに似た白髪で、口調はどこか幼さを感じさせる。


「君ぃ、このボクが協力してあげよーじゃないか。この孤高の魔王ジン=パナクスがねーぇ」


 男の前髪の奥で、桃のような瞳がギラリと輝く。

 フィーロとアーレの背筋がビクリと跳ねた。悪寒のようなものが全身を駆け巡る。


「なっ……!」


 ──孤高の魔王が提案をしてきた。

 この事実にシーナは絶句するほかない。『孤高の魔王』はおとぎ話にも登場する名の知られた魔王。

 親が子を躾けるために怖い話をする。そんな物語の代名詞が『孤高の魔王』ジン=パナクスであった。

 別名、人攫いの鯨。

 まさかこれほどイメージと声がかけ離れているのかと、恐怖心に困惑が入り混じる。


「私たちの里にどうやって入ったの!?」

「魔王にとってぇ、不可視の結界など無意味だぁーよ」


 フィーロの質問に答えを返す。しかしながら孤高の魔王が協力する理由が見当たらない。


「ちょっと手に入れたいものがあってー、ねぇ。具体的に言うなら今風邪をひいている彼、かなぁ」


 シーナの思考を読み取ってなのか、猫のように目を細め、ジンは視線を飛ばした。


「なっ……!」


 ジンの言葉にシーナが硬直する。


「だから彼を手に入れるためにも、協力してあげよーじゃなぁいか」

「っ!?」


 このままではマグが攫われてしまう。シーナはどうにかして、言葉を紡がねばならなかった。しかし言葉が出てくるどころか、何を話せば良いのか分からなくなってしまう。


「おーや、そこまで怯えなくてもいいのにーねぇ。そんなにボクが怖いのかなぁー?」


 怖いですと正直に伝えればどうにかなるのだろうか。シーナの隠せていない恐怖心を盗み見るようにジンは瞳孔を覗き込む。


「まあ、いーよ。とりあえず、薬の生えてる場所へ案内を頼むよーぉ」


 あまりの怖さに鳥肌立つ両腕を隠し、エルフ少女二人はシーナの背中を眺める。

 額を伝う冷や汗が気持ち悪い。ピリピリと緊張感漂う中、シーナは言葉ひとつ発さずに首を縦に振ったのだった。

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