第4話 教室


 「よっと」

  絵里は俺の隣で、当たり前のように机に鞄を下げた後、当たり前のように席に座る。

  そうして、まるでここが自分の定位置だと言わんばかりに、当たり前のように机に頬杖を付いてラフな体勢へと移った。

  もし、また新しくこの学校に転入生が入り込んで来るとしたら、そいつは多分絵里の事を自分と同じ身の上である生徒だとは認識出来ないだろう。

  それくらい彼女の動作は気兼ね無かった。この教室の人間にとってしてみたら、逆に不自然に写るのでは無いだろうかというぐらいに。

  そんな絵里の演出する不気味な自然さだが、それが慣れない環境でも気にしないという傲慢さとも取れる絵里の強さなのか、単なる上辺だけの強がりであるのか、一番近しい人間であるはずの俺にも分からなかった。

  いや、そもそも俺は今の絵里の事、何にも知らなかったか。

  俺たちの時間は、5年前あの手紙を送った時から止まっていたのだから。

  まぁ、真実がどちらであったとしても、俺の感じている教室に絵里がいるという異質さを取り除く要素にはなら無い。

  それに、その異質さというのは絵理だけによるものじゃ無い。

  

  ヒソヒソ

  

  「……」

  数人の女子、普段から仲の良さそうなグループなど、それぞれが集まって、俺たちの方をチラチラ見ながら何かを話している様子が確認できる。

  それは、きっと俺たち二人が出会って早々、みんなの前であんなド派手な退場の仕方を披露したからだろう。

  冷静になって思い返すと、俺みたいな人間が起こすアクションにしては流石にインパクト抜群すぎたからな…。

  それを裏付けるように、教室に入るまではいつものように騒がしかったはずの教室が、俺たちが姿を現すと一気に鳴りを潜めた。

  そう、”俺たち”は二人で教室に入った。

  「なぁ絵里」

  俺は、絵里にひょいひょいとジェスチャーを送った後、周りに気づかれないように教科書類を整理しながら、そのまま目線を変えず絵里に話しかけた。

  「お前は、この状況なんとも思わないのか?俺は割と気まずいというか、ものすごく落ち着かないんだけど」

  良くも悪くもこうやって周りから注目される事は高校に入ってからはほぼ無かったため、あまり馴染みのない感覚に襲われる。

  「まぁ、別に良いんじゃない?減るものでも無いし」

  「そりゃ、減るものでは無いかも知れないけど…」

  だからと言って、それだけで解決するものでも無いと思うんだが…。

  「これぐらいで気にしてるようじゃ、この先やってけないよ?」

  「いや、また何かやらかすつもりなのかよ」

  「フフッ、どうかね?」

  絵里は笑った。

  少し経つと、教室の扉を開ける音が鳴り、うちの担任が姿を現した。

  「みんな席に着けー、朝のホームルーム始めるぞ」

  その一言で、グループで集まって居た生徒達は散り散りとなり、ガラガラと音を立てて各々の席に着いていく。

  ようやく、居心地の悪かった教室にいつもの空気感が流れてきた。

  『おはようございます』

  挨拶を済ませると、先生は今日の予定や、今後の行事などについての報告をし始める。

  でも、俺は大体の事は話半分に聞き流して、いつもの退屈な時間を紛らわす為に窓の方を見つめた。

  窓からは、柔らかで呑気な春風が教室に舞い込んで、ゆらゆらとカーテンを揺らしながら、やがて俺の頬や額をなぞる。

  俺の席は一番後ろの窓際という最上級の場所に位置しているので、こうやってふとくつろぎながら、その時々の季節感を感じられるのが特権だ。

  2年生の教室は上階にあるため、俺たちが通ってきた道も、ここからなら見える。

  ゆったりと流れる時間を感じながら。遠目にボッーとその景色を眺める。

  いつも通り、綺麗に整備された道だ。

  いつもと何ら変わりない。

  まぁ、当たり前だ。そう簡単に景色が変わるはずも無い。

  そうだ。

  絵里が現れたからといって、何もかも変わるわけじゃ無い。

  焦る必要は無いんだ。

  例え、これが予期せぬ出会いでも。

  その裏に大きな思い出と、大きな気持ちと、少し苦くて、癒えること無くヒリヒリと痛む傷が残っていたとしても。

  俺の生活の全てが変わるわけじゃ無いんだから。

  焦りすぎちゃダメだ。

  「それと、織原絵里」

  その名称が耳に入ると、俺は教壇へと振り返った。

  「まぁ、先週も一応登校はしていたが、滞在時間は少なかったし、学校内の説明もまだ済んでない。つまり、お前はこの学校に来てからほぼ初日みたいなもんだ、分からない事だらけだろう」

  そこまで言い終えると、先生の視線がこちらに切り替わる。

  「先週のお前ら二人の振る舞いを見る限り、丁度良く知り合いだったみたいだし、岸本、お前が織原を連れて色々廻って教えてやれ」

  「え…」

  突然の転入生案内の要望に、俺は当然ながら困惑する。

  「大丈夫、大丈夫!ざっくりで良いから、放課後なんかに頼めないか?な?」

  先生はこちらに近付きはしなかったが、かなりグイグイと言葉で俺に圧を掛ける。

  流石に投げやりすぎるだろ!

  俺はそんな先生の強引すぎる要望に呆れ混じりに戦慄していたが、絵里はこちらを向くと、小さくウィンクした。

  そんなのどこで覚えたんだよ。

  というか、こんな話簡単に乗るな。

  あの教師、絶対自分の仕事増やすの面倒だからそのまま俺に投げたぞ。

  お前だって、それぐらいは分かるはずだろ?

  「わ、分かりました…」

  まぁ、今の俺には拒否する度胸も、その理由も無いんだが。

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