第5話 教室②

 『起立、礼、着席』

 その号令が掛かってからクラスのみんなは、それぞれが授業の準備をしたり、友達の所へと駆け寄って他愛も無い話を繰り広げたりなど、あえて俺たちの事を気にするような素振りを辞めてくれた。

 つまり、この教室がやっと通常運行を開始したと言う事だ。

 「はぁ…」

 そうは言っても、やはり先程までの一連のやり取りで多少疲労を感じていた俺は一人溜息を吐く。

 『絵里が現れたからといって、何もかも変わるわけじゃ無い』

 そう考え付いたばっかりだったのにな。

 こんなんじゃ先が思いやられる。

 「こら、せっかく私と過ごせる時間を作れたんだから、溜息なんて吐かないの」

絵里は、特に変わった様子は無いようだ。

「お前なぁ…」

 だからと言って、そんな彼女の軽はずみな言葉にどうやって返事すれば良いのか分からない。

 それは、確かに絵里とのコミュニケーションを取る上で諦めにも似た感情が入っているからというのはあるが、そんな絵里の軽はずみで恥ずかしい冗談が、実は俺からすると的を得ている発言だったからという理由があった。

 もちろん、多少の気まずさや、話しづらさはまだまだある。

 しかし、やはり俺は絵里と過ごす時間が嫌だとは感じていなかった。

 今回は想定外の出来事だったし、俺たちがどういう扱いを受けていたのか知らない先生が、クラスのみんながいる前でいきなり空気を読まない頼み事を言い付けるものだから困惑したが、別に学校案内というイベントが生まれ無かったとしても、絵里とは同じ学年同じクラスなんだからこれからも色んな所で行動を共にする事だって多くあるはずだろう。

 一応俺たちは幼馴染同士なんだし…。

 「とりあえず、学校案内の予定についてだが、今日は移動教室無いから放課後が良いかなと思ったんだが、この学校は広いから何か予定があるなら周り切れないかも知れない」

 「いや、私も特に予定無かったから、放課後でオッケーだよ」

 「そうか、なら良かった。放課後で決まりで良いか?」

 「うん」

 捉え方が変わると、思ったよりもトントン拍子に話が進んで行ってくれているように思える。

 「………かな」

 とりあえず、まずどこから周るかとか色々考えておこう。

 「…くん……良いかな」

 何度も言うが、この学校の敷地面積は中々なものだから、ちゃんと考えておかないとかなりの時間が掛かってしまうはずだ。

 俺は良いとしても、絵里に迷惑が掛かるのは嫌だからな。

 「今良いかな?岸本くん」

 最初はクラスの騒音の一部だと思っていたが、それが誰かに自分の名前を呼ばれている声だという事に気付く。

 声の主を確認するため、絵里に向けていた視線を横にずらした。

 そこに立っていたのは、一人の男子生徒。

 その人物を認識した瞬間、俺はとてつもなく嫌な予感が走った。

 「…何かな」

 恐る恐るその問いに応答し、質問を投げかける。

 彼の瞳からは不思議と力強さを感じたが、決して心地良いものではない。

 「僕も一緒に、織原さんの学校案内を手伝わせて貰えないかな?」

 「え、えぇ!?」

 そして、嫌な予感とやらは見事に的中した。

 彼の名前は【蒼井あおい 春人はると

 容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能…と彼は、そんな文武両道を兼ね備えた完璧すぎる人間。

 そんな、クラスのみならず学年の中でも主要な人物として挙げられるであろう彼が、なぜ俺たちに声を掛けて来たのか。

 …まぁ、わざわざ問題提起せずとも心当たりはあるんだが。

 「えっと、あなたは…」

 そんな彼の突発的すぎる発言に、流石の絵里も困惑している様子だった。

 「もー!そんなに突然聞いたらビックリしちゃうでしょ?」

 すると、今度は女子生徒が姿を表す。

 彼女の名前は【佐々木ささき 莉子りこ

 彼女は蒼井をフォローするかのような、それでいて俺たちに救いの手を差し伸べるかのような物言いで登場した。

 俺は彼女にもしっかりと心当たりがあった

 もちろん、良い意味では無い。

 絵里と再会してから俺の最も恐れていた事態が、今まさしくこの二人が揃って登場した事で確かな形にされつつある。

 結局、俺に安らぎの時間は与えられないって事か…。

 「ごめんね、岸本君、織原さん」

 佐々木は、申し訳なさそうに浮かべた顔の前に両手を合わせて謝罪して来た。

 「い、いや、大丈夫。ちょっと驚いただけだから…」

 俺は宥めるようにその謝罪を受け入れ、それに同調して絵里も頷いた。

「それで、どうかな?案内と言うなら人数多い方が良いだろうし、僕も手伝わせて貰えないかな」

 佐々木は謝罪を申し入れたが、それでも蒼井は自分の主張を変えることは無く、真っ直ぐ俺たちに問いかけ続ける。

 俺から見える彼の姿は、キラキラと輝いて少し眩しいほどだ。

 「だから、そうやってすぐ結論に持っていこうとしないの!」

 佐々木はそんな蒼井の態度に腹を立てたのか腕や肩をポンポンと叩いているが、当の本人は気にした素振りを見せず、なかなかにシュールな絵面を演出する。

 「と、とりあえず、答えを出す前にその理由と、自己紹介から始めても良いかな…?」

 絵里はこの二人の勢いと世界観に多少圧倒されながらも、とりあえず話を進めることにしたらしい。

 「あぁ、すまなかった、普通初対面なら自己紹介から始めるのが普通だよな。俺の名前は蒼井春人、今はクラス委員長をやっている」

 「も〜春人ったら、織原さん、ほんとに失礼な事しちゃってごめんね?私の名前は佐々木莉子、クラス副委員長やってるよ」

 「蒼井君に佐々木さん、よろしくね。私の名前は織原絵里、みんな知ってるとは思うけど、ここに越して来たばかりの転入生」

 「織原さん、よろしく」

 自己紹介を終えると蒼井は右手を差し出し握手を求め、絵里はそれに応えて同じく右手を差し出した。

 「織原さん、よろしくね」

 すると、次は佐々木がニコッとした笑顔で挨拶し、絵里の左手を両手でガシっと掴んだ。

 両手を二人に拘束された絵里は、口元の歪んだ笑顔で俺を見る。

 その姿はまるで、いや、確実に助けを求めているように思えた。

 すまない絵里。その二人は、その二人だけは、例え誰であっても目を付けられたら最後、もうどうする事も出来ないんだ…。

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