見えてきた狙い
「散らかっていて申し訳ありませんね」
「いやいや、何かとお忙しいでしょう。お気遣いなく」
事件から2日後。ハウエヴァー伯爵がイタリー新聞社を訪れていた。
「しかし、随分と大事になりましたね」
「男爵令嬢と言えど、命を狙われたとあれば話題にもなりましょう」
ユリアーナが何者かに襲われたという一報は、翌日には大手の新聞各紙の大見出しとなっていた。
「貴社は記事にしなかったね」
「ウチは事件を真面目に報道すると、『お前らにそんなものは求めてない!』って、読者から叱られるんですよ。だからそういうのはお固い大手に任せてるんです」
「なるほど。棲み分けか」
もっともらしいことを言っているが、イタリー新聞だって事件事故の報道はやっている。ただ、今回に関してはアンツォがどうにも乗り気ではなかった。
『男爵令嬢が暗殺未遂』
『被害者は王太子殿下のご友人』
『交友関係を妬んだ者の犯行か!?』
被害者本人が未だに意識を取り戻しておらず真相は定かでない。にもかかわらず、各紙ともあれこれ類推に及んだ記事を掲載しているのを見て、『まるで、どこかの新聞社がお得意とするネタ記事だな』と感じたから。
出処の怪しい記事を書かせたら、イタリー社に比肩する者はいない。その第一人者たるアンツォから見て、各紙の論調は事件を煽るようしか思えなかった。
もっとも、表に出ていない情報を誰かがリークしたのであれば辻褄は合う。故に余計に食指が動かなかったというところだ。
「他社には追随しない。貴社のポリシーかね?」
「そんな大層なものじゃありません」
「いや、馬鹿にする気も、苦情を言う気でもない。気を悪くせんでくれ。だからこそ、君に頼みたいことがある」
そう言うと伯爵は居住まいを正してアンツォに改めて話があると問いかけてきた。
「さて、イタリー卿。あの日、ユリアーナを襲った加害者、相手は侍女の姿をしていたと聞いたが?」
「それをどうしてご存知で」
「シュパーン卿に伺った」
どうやらアンツォが受けた聴取内容を、伯爵は既に聞いているらしい。
それが身分差による権力の濫用と言えばそれまでだが、この前の様子から子爵は伯爵に媚を売っている様子だったので、捜査情報を軽々と話したのだと思われる。
その軽率さに、だから出世出来ないんだよと思わずにはいられなかった。
「残念ながら侍女の姿だということだけで、どこの家の者かまでは」
「いや、その証言で十分。おそらくはヘンリク侯爵家の者だろう」
伯爵が明確にリーゼの家の名を出した。巷間ですでにユリアーナと王太子の関わりは報じられているので、そういう見方があることは否定しないが、一歩間違えれば伯爵の立場を危うくする発言でもある。
「心配するな。表立って言うようなマネはせん」
アンツォが怪訝そうな顔をしたのを見て、伯爵が内々の話だと断りを入れる。そうやってあちこちで侯爵家の関与を仄めかしていると考えれば、各紙の情報源も自ずとそこなのだろうと思えた。
「閣下は我らにも他紙に追随してそれを報じろと? さっきも申したとおり、ウチが報じても誰も信じませんよ。むしろ、眉唾物と他紙の情報まで信憑性を疑われる」
「いや、貴社には別の角度からこれを論じてほしい」
別の角度とはどういうことかというアンツォの問いに、伯爵はこの問題の根本がどこにあるかを考えてほしいと言う。
「王太子殿下におかれては、市井の暮らしをその目で見てみたいと仰せでな。それ故、市中で暮らしていたユリアーナを案内役に紹介したのだ」
「それが思いがけず懇ろな間柄になったと?」
「否定はせぬ。顔と名を覚えていただき、将来彼女が何処かと縁作り出来る手助けになればとは思ったさ」
さらに言えば、王となった後に側にお仕えするようになれれば重畳だと伯爵は話す。ただし、それはあくまで愛妾としてであり、現時点ではそれを勧める気など毛頭ないとも。
「殿下がユリアーナをお気に召したこと自体は悪いことではないが、ご結婚前であるからな。醜聞となってはいけないから、何度もお諌めはした。だが聞き入れてもらえず、いささか苦慮している」
「つまり、王太子の軽率な行動が今回の事件の根本にあると論じろと?」
アンツォは伯爵の企みが何処にあるのか、だんだんと見えてきた気がした。
自身の息のかかった娘を妃に送り込んで権力を強化するという単純な話ではなく、ユリアーナを利用して、政敵ヘンリク侯爵家だけではなく、王太子、さらには王室の権威を失墜させる狙いもあるのだろう。
普通に考えれば、そんなことをして何の得があるのかと思うところだが、その背後に隣国の関与が疑われる今、やり方次第で国内では伯爵の一人勝ちになることも可能である。その代償として、王国の力は弱められることになるのは間違いないが……
「言い方は悪いが貴社はそういう綱渡りなことも得意だろう。なに、法の網にかからぬ程度に匂わせてくれればよい」
表立ってはヘンリク侯爵家の関与を想起させる記事を書かせて火を起こし、そこへゴシップ誌が書いた王太子の責任論を火薬として放り込めばどうなるか。
噂というのは無責任なもので、広がり方によってはあらぬ方向へ事態が動くこともあり得る。伯爵はそれを狙っているのだろう。
「危ない橋を渡らせてくれますね」
「こんなことが出来るのは貴紙だけだと見込んでおる。だからこそここに来たのだ。出来る範囲で構わぬ、引き受けてくれるであろうな」
頼みと言いつつ、その口ぶりは断ればどうなるか分かるよねという雰囲気しか感じない。ここで断っても、アンツォは痛くも痒くもないのだが、あまり角が立って警戒されては面倒なので、かなりぼかした書き方であればと了承するのであった。
◆
「シュパーンのだ〜んな」
「あ〜ら〜、こーれはシ〜ルヴィアちゅわ〜ん」
伯爵が新聞社を訪れた翌日、エッサンの診療所に現れたのはシルヴィア。
ユリアーナの病室を警護する子爵に蕩けるような声色で近づくと、案の定厳つい顔がデレデレに変わり、どうかしたのー? とすり寄ってきた。
「なんだか男爵家の皆様は忙しいみたいで、代わりに着替えとか必要な物を持ってきたの」
「あ〜それはご苦労様〜」
「ねえ旦那、ユリアーナちゃんの容態はどうなの?」
「おーん、毒に冒されたみたいでね、まーだ意識が戻らないんだよねー」
シルヴィアは少女の容態が変わらないことを子爵があっさりと話したことに、相変わらず気持ち悪いなーと思いつつも「そうなのですね……」と鎮痛な表情を見せる。
「どうしたの?」
「いえ、シュパーン様も何だかお疲れの様子だから。もしかして寝ずの番でしたか?」
「いやいやいや、さすがに交代はしてるよ」
「ならよかった。シュパーン様に何かあったら心配ですもの」
「シルヴィアちゃんはいつも優しいね〜。
「うふふ、ありがと。ほら、私がお茶淹れてあげるから、少し休みましょ」
「おーん、君がそう言うなら」
……しばらく後
「どうだ?」
「グッスリよ。さすがエッサン先生特製の睡眠薬ね」
「んじゃ、邪魔が入らないうちに」
子爵が眠ったのを確認すると、隠れていたアンツォが病室に入る。
「先生、気付けは」
「おう、これよ」
実はユリアーナ、毒の影響はとうに治まっていた。それでも目を覚まさないのは、エッサンが意図的に薬で眠らせていたからだ。
「目を覚ませば、間違いなく事件のことを話さざるを得ないからな」
そう。当事者とはいえ、アンツォは後から現場にやって来たから、聞かれても分からないで誤魔化すことが出来たが、被害者本人であるユリアーナは相手の顔や特徴を全部分かっていた。
伯爵がアンツォに会いに来たときに相手の素性を聞き出そうとしていたことからも、ヘンリク侯爵家の名前をどうにかして表立たせようとする意図は明確であり、ユリアーナの意識が戻ればそのように証言させようとするだろう。だから、それを避けるための処置を施した。
「これを飲ませて……と。お、気がついたかな」
眠るユリアーナの口に気付け薬を含ませると、しばらくして彼女の目が開き意識が戻る。
「……ここは?」
「ヤブ医者の診療所」
「誰がヤブだコラ」
「貴方は……」
「俺はアンツォ。可愛い子が大好きなただの新聞記者さ」
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