腹に一物ある伯爵
「きゃあああっ!!!」
「嬢ちゃん!」
侍女に気を取られすぎた隙に、遠くから放たれた矢が、無防備だったユリアーナの腕に刺さった。
(油断した!)
これに関しては言い訳のしようもない。しかしいくら後悔しようとも、射られた事実が変わるわけでもない。すぐさま拘束を解き、離れ際に痛烈な蹴りを一発お見舞いすると、侍女はもんどり打って地面に叩き付けられ、その間にアンツォはユリアーナに駆け寄ろうとした。
(ヒュン!)
「……っと!」
しかしそれを阻むかのような二の矢。すんでのところで避けたそれは、甲高い音を立てて木の幹に突き刺さった。
見れば遙か先の木の上からこちらを狙う影。避けねば間違いなくアンツォが射抜かれていただろう。
先程のユリアーナへの攻撃といい、違わず狙いを定めるにはあまりにも遠い距離からの狙撃。だが、相手も
(仕方ない……)
「お嬢ちゃん、ちょっと我慢しろよ」
「うううっ……」
状況を瞬時に悟ると、狙撃手の照準に入らぬよう、アンツォは痛がるユリアーナを強引に抱きかかえて木の陰に隠れる。
(いかん、矢じりに毒が仕込まれてやがる……)
彼女の顔からみるみる血の気が引いていく。本当ならすぐにでも治療してやりたいが、この場で何の毒かまで判別のしようがないから応急処置しか出来ないし、なにより……
(下手に動けねえ)
遠く背後からは狙撃手が狙いを定めている。見える範囲に出れば、また矢が飛んでくるのは明らか。アンツォ1人ならいくらでも対処出来るが、手負いのユリアーナを抱えたままではそれもむずかしいだろう。
そして、蹴りを受けて倒れていた侍女も、ヨロヨロとではあるが起き上がり、再びこちらに攻撃の姿勢を見せている。
(さて、どうするかな……)
「編集長!」
(おお、こりゃいいところに来てくれた)
どうしたものかと思案していたところへ、サスークが一目散に駆けつけて来るのが見えた。
「気をつけろ! 弓兵がいる!」
「承知!」
弓兵の隠れた木まで一足飛びに駆け寄るサスーク。向こうも狙いを定めて矢を放つが、的を定めさせないよう、その大きな身体を右へ左へと瞬時に動かしながら近づいていく。
「ぐおらあぁぁ!」
「うわああ!」
そのまま飛び込むと体当たりを敢行。大木が大きく揺れ、弓兵が足を滑らせて木から落ちてきた。さすがはサスーク。要塞で鍛えられたパワーと瞬発力は伊達では無かった。
「誰に頼まれた」
「チッ……退け」
木から振り落とされた弓兵が身を翻してサッと体勢を立て直したところにサスークがにじり寄る。
あちらもそれなりの心得はあるようだが、地上戦では分が悪いと見たのか、侍女役の女に指示を飛ばすと、それぞれ違う方向に逃走を図った。
「あ! 待ちやがれ!」
「サスーク、構わん!」
侍女はアンツォたちが弓兵の方に気を取られているうちに、上手く逃げおおせたと思っていただろうが、黙って見逃したわけではない。
実はサスークと共にシルヴィアもこの場に着いており、周囲に気付かれぬよう様子を覗い、侍女が逃走したのを見て、しっかりとその後を追っていた。
去り際に遠くから首肯し合ったので、そちらは彼女に任せれば大丈夫だとサスークを止めたのである。
「サスーク、お嬢ちゃんを担いで医者に」
「エッサン先生のところだな」
「急げ。毒に冒されている」
「承知」
◆
「先生、どうだ」
「ああ、お前さんの毒抜きがちゃんとしていたから、命に別状はなさそうだ」
ユリアーナを担いで飛び込んだのは町医者エッサンの診療所。
この男、酒好きで口も悪いため受診者の評判はあまりよろしくないが、その知識と腕前でこれまで数多くの難病患者、重傷者を救っていることから、王宮の医師にも一目置かれ、ときに教えを請われることもある人物。
もちろん、その正体はイタリー組の一員である。
「で、相手の正体は分かったのかい?」
「シルヴィアが追っているから詳細はこれからだが、あの弓使いの腕を見るに、ブルート族が絡んでいるかもしれん」
「おいおい、国内だけの問題じゃなくなってくるじゃねえか」
ブルート族。それは隣国に住む少数民族であり、古くから狩猟によって生計を立てていた者たち。
その弓の腕前は、空を翔る鳥、大地を疾走する獣をはじめ、あらゆるものを遙か彼方から一撃で捉えると言われ、その実力を見込まれた部族の一部の者が王家に仕えて、イタリー組のような影の仕事――とは言っても暗殺や襲撃、破壊工作など武力的なものが多いが……を担っているという。
「お嬢ちゃんを妃にするのが目的ではなかったんだ……」
アンツォたちの間に何とも言えない空気が漂う。
もし見立てが間違いでなければ、敵の背後には隣国との関与があるということであり、それはこの一件が単なる政争という枠に留まる話ではないことを意味する。
ユリアーナは、この一件を契機に隣国が介入出来そうな何かを生み出すための道具だったということだ。
「この嬢ちゃんが襲われたのも仕込みってことかい」
「だろうな。本来はその死をもって何かするつもりだったんだろうが、生きていると知れば、現場を見た俺たちに早晩接触があるかもしれない」
「お頭、噂をすればだぜ」
サイゾが病室に入り、来客を伝える。アンツォとエッサンは、その言い方から誰が来たのかは聞くまでもないだろうと感じた。
「アンツォ! お前何やらかした!」
……と思ったら、最初に姿を見せたのは想定外だったシュパーン子爵。事件の一報は警備隊にも伝わっているから調べに来るとは思ったが、まさか長官自らお出ましとは。しかも自分が何かしたかのような言い方に、アンツォが苦笑いを浮かべる。
「勘弁してよ旦那。俺はたまたま通りかかっただけだって」
「あんなところをたまたま通りかかるか!」
「シュパーン卿、病室ですぞ」
「……失礼した」
アンツォに食ってかかる子爵を宥めるように諭す人物。ハウエヴァー伯爵であった。
「イタリー卿、このたびは彼女を救っていただき感謝に堪えぬ」
「私が貴族だとご存知で?」
「当然だ。アンツォ・イタリー男爵殿」
実はアンツォ、男爵位を持つれっきとした貴族の一員。
もっとも……こんなナリをして平民に混じって自由気ままに暮らしているから、彼をよく知る者でも貴族であることを普段から認識している者は少ない。
吹けば飛ぶような末端の貴族であろうと、いつどこで関わりになるか分からないから、頭に入れているのかと、アンツォは伯爵の抜け目の無さに内心舌を巻いた。
「伯爵閣下にそのように言っていただくとは恐縮です。しかし、どうして閣下がここに?」
「男爵は我が寄子。寄子の子であれば私にとっても娘のようなもの。命を狙われたと聞き、急ぎ駆けつけたのだ」
温厚そうな伯爵の言葉。アンツォが何も知らないただの貴族の端くれであれば、相当の人格者だと錯覚しそうなところであるが、実態を知っているから「娘を物のように扱い、手籠めにして、命まで奪おうとする親ってなんなんだろうね」と冷めた目でしか見ることが出来ないものだから、やや反応に困り「左様で」と短く返すことしか出来なかった。
「さて、ユリアーナの無事も確認出来たことだし、私は所用があるのでこれで失礼するよ」
「お引き取りに来られたのではないのですか?」
「意識も戻らぬようだし、この怪我の様子では、邸よりこちらで治療に専念したほうが良いだろう」
身内とも思っているのなら、命を狙われた娘を目の届くところに置いて守ろうと考えるのが筋だから、何も知らない者から見れば、伯爵の依頼は意外なものだと思うだろう。
だが彼にとってユリアーナが価値を持つのは死んでからであり、そのためには彼女が何者かによって危険に晒される環境に居てもらう方がいい。男爵家や伯爵家の中に居て何かが起こるのは都合が悪いのだ。
故にここに置いていき、機を見て何かしら仕掛ける可能性があるのではと考えたアンツォは、その部分には触れず、診療所では防犯に懸念があると、もっともらしいことを伯爵に尋ねた。
「懸念はごもっとも。そのために子爵殿にお出ましいただいたのだ」
「その通り。この私が来たからにはユリアーナ嬢には指一本触れさせはせぬ」
「ちょっと待て。シュパーンの旦那が見張りをすんのか?」
エッサンが驚いたように声を上げる。
事件の被害者が入院し今のところ犯人が不明となれば、警護が付くのも理解できるが、それが子爵自らとなると迷惑でしかないからだ。
「なんだ? 俺が居ては困ることでもあるってのか」
「旦那が怖い顔して睨みを効かせてたら、患者が怯えて来やしねえよ」
「元から閑古鳥だろ」
「なんだと!」
「先生、落ち着けって」
売り言葉に買い言葉。食ってかかるエッサンをアンツォが止める。
「先生、物々しくなって申し訳ないね。彼女が動けるようになるまで、しばらく面倒をかける」
「……伯爵様にそう頼まれたら断りようがねえな」
「ありがとう。それとイタリー卿、今日はこれで失礼するが、改めてお礼に伺わせていただく」
「畏まりました……」
穏やかな笑みを湛えてそう語る伯爵の表情。しかしその裏で何を企んでいるのかと思うと、アンツォはわざわざ来なくてもいいのになと、喉まで出かかるのであった。
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