疑惑の男爵令嬢
ーー時はその日の昼に遡る。
「はいフランツ、あーんして」
「あーん」
「どう、美味しい?」
「ユリアーナが食べさせてくれるものなら何でも美味しいよ」
洒落たカフェで見せつけるようにイチャつく1組の若い男女。
(堂々と見せびらかしちゃって……)
そしてそれを見る、この場に似つかわしくない風体のおっさんが1人。
「ユリアーナ、今度……」
「いけませんわ。貴方様には……」
見た感じは王太子の方がかなり乗り気。そして女の方は気があるように見せて、ギリギリの一線は越えさせないよう上手くかわしていた。
(あれが計算ずくなら悪女の素質十分だな)
「ネタとしては最上級なんだけどな」
「だったら書けばいい。ブタ箱送りにされてもいいんならな」
ボソッと呟いたアンツォの背後から、ドスの効いた声がする。
「こりゃシュパーンの旦那」
シュパーン子爵。王都警備隊の分隊長であり、アンツォとは学生時代からの腐れ縁。
今も取材する側される側として、時々顔を合わせる関係だが、アンツォを三流ゴシップ誌の記者と見ている子爵は、行き過ぎた報道をしないかと警戒しており、今日も王太子が滞在するカフェに似つかわしくない男がいるなと、釘を差しに来たようだ。
「とうとうネタに困って王太子殿下の醜聞でも捏造しようって気か。ゴシップ野郎」
「じゃあ俺の目の前に映るあれは何だ?」
「見ての通り仲の良いご友人との談笑だ。それ以上でもそれ以下でもない。俺様が警護しているんだから間違いない」
たしかに王太子が市中に赴いたときは警備隊が護衛に就くだろうから、子爵の目の届く範囲なら事実かもしれない。
だが、実際はそうではない時間の方が圧倒的に長い。アンツォの裏の顔を知らない子爵にしてみれば、市中での行動を抑えておけば、記者に嗅ぎ回られる心配はないと思っているんだろうな。そう考えていると思うと、豪語するその言葉にアンツォは苦笑せざるを得なかった。
「旦那、心配しなさんな。今日はカフェの取材に来ただけだ」
「ほう……そういうのはシルヴィアちゃんの担当だと思ったが。今日は来て……ないのか?」
急にキョロキョロし始めた子爵。この男、妻帯者なのにシルヴィアに気があるらしく、アンツォやサイゾが取材に行くと敵意むき出しなのに、彼女のときだけはデレデレしていつもの強面は何処へやらで、シルヴィアもそれを分かっているから、気のあるフリをして、他所がどこも入手出来ない捜査情報なんかを聞き出している。
子爵もいい加減、目の前にぶら下がったエサは永遠に食べることは出来ないと気付けばいいのに、今度こそ今度こそと毎回同じ轍を踏んで今に至る。ギャンブル中毒者と同じ症状だ。
そこはシルヴィアの手練手管の為せる業と言うべきか、今日も別件の取材中だとアンツォが言うと、あからさまにつまらなさそうな顔をしている。
「旦那、ウチの記者に変なチョッカイ出さないでくれよ。さすがに自分のとこの醜聞は記事に出来ないから、直接奥さんに報告することになるぜ」
「よ……嫁は関係ねえだろ。と、とにかく、殿下の周りを嗅ぎ回っても何もないからな」
「へいへい。こっちも身の危険を犯してまで嗅ぎ回るほど馬鹿じゃねえっすよ」
「ならとっとと帰れ」
まるで汚い物を除けるかのように、シッシッと手で払われてしまったので、アンツォはここにいても収穫は無さそうだと判断して、店を出ることにした。
(これは家に帰ってからの動きを見張るべきかな。ただ、あの子の表情は……)
店を出たアンツォは、王太子に侍っていた男爵の養女という少女の顔を思い返していた。
誰が見てもフランツの寵を得るべく側に侍っているように映っていた。しかし、一線を超えないところでサラリとかわしたときに一瞬だけ見せた表情を、アンツォは見逃さなかった。
逡巡するような、そして悲しそうな顔。自身の意思とは無関係のところで、そうせざるを得ない事情でもありそうな諦念にも似た感情の発露にも感じられた。
「さて、男爵邸にその答えはあるだろうか」
それまでヘラヘラとしていたアンツォの目が鋭さを帯びると、その足は一目散に男爵邸へと向かった。
◆
「ただいま戻りました……」
「お帰りユリアーナ。今日はどうだった」
「はい。フランツ様はとても……」
(パシン!!)
「薄汚い雌犬が……王太子殿下の名を呼ぶなど不敬千万!」
「申し訳……ございません」
「まあまあ男爵。そう呼ぶよう仕込んで、あの小僧を骨抜きにするよう命じたのは我々だ。あまりカリカリするな」
少女よりも早く男爵邸に着き、中へと潜入したアンツォは、なんだか良く分からないものを見た気分だった。
養女を雌犬と罵り暴力を振るう男爵。それに反抗することなく力なく謝るしかない少女。そして、それを宥める仮面姿の中年紳士。
(どうやら道具として使われてるってことで間違いなさそうだな……)
おそらくフランツに近づいて寵を得るよう命じられたのだろう。そう思わせるに十分なやり取りである。
「ユリアーナ、大丈夫かい。男爵、大事な娘に傷でも付いたらどうする」
「よろしいではございませんか。痣が出来たのを見れば、殿下に何があったのかと聞かれましょう。そのときに、
「おお、それは面白い考えだ」
(クズだな……)
自身の息のかかった者を送り込み、王太子の側に侍らすことで権力を握ろうという算段をして、その道具として、ユリアーナをわざわざ養女に取り込んだのだろう。
そして、それを傷つけても良心の呵責すら無いような態度、さらにはそれをヘンリク侯爵令嬢の仕業に見せかけて貶めようと笑う悪辣な顔。幾度も修羅場をくぐり抜けたアンツォであるが、こういう輩を見る度に反吐が出そうな気分になるのは昔から変わらない。
(だが、男爵ごときが抱く野望にしては規模が大きすぎる)
これだけの企みである。もし上手くいっても男爵クラスではその後の権力維持は難しい。そうなればこれによって大きなメリットを得られる実力者が背後にいて、男爵はその手先として動いていると考えるのが妥当だろう。
(となると、黒幕はあの仮面男か……)
幸いにしてそれらしい男がそこにいる。仮面で顔は見えないが、男爵の話す態度と「閣下」という呼称から、相応の地位にいる貴族だと察しが付く。
「フフフッ、そういうことなら今日は多少乱暴なことをしても理由が立ちそうだな」
「そうですな。お楽しみいただけましょう」
(考えたくはないが、そういうことなんだろうな……)
表情を測ることはできない。だが仮面男の声は下卑た色に塗られており、これから何が起こるのかを容易に想像できる。
「あの……今日も、ですか……?」
「当然だ。そのためにお客人が大勢お待ちかねなのだよ」
「ユリアーナ、
「……はい」
◆
「という次第だ」
「それって……」
「酷いわね……」
アンツォはその後見たことを全て語ったわけではない。だが状況的に何らかの理由でユリアーナが身内を人質に取られ、仕方なく男たちの命令に従って酷い目に遭っているであろうことは、サイゾやシルヴィアはおろか、脳筋のサスークでも理解した。
「お頭はそのまま覗いていたと」
「女の裸を見て楽しくなかったのは久しぶりだな」
本当ならすぐに助けてやりたかった。だが任務を考えれば、男たちの企みの真意が全て明らかでない以上、ここで手を出すわけにはいかないと、アンツォは心を鬼にしてその様子を覗っていたのだ。
「だが、おかげで仮面野郎の正体は分かった。さすがにお楽しみタイムには邪魔だったんだろうな。鼻息荒く面を外していたぜ」
「で、正体は?」
「ウィロー・ハウエヴァー伯爵だ」
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