第五章 真実─2
失われていた記憶がよみがえったのか、パットは今までに見せたことのない重苦しい表情を浮かべクッションを抱きしめている。
フォースの告白はさらに続いた。
「そのまま私は跳び続け、翼が動かなくなるまで……。そのうちに意識が薄れて、完全に途切れる前に最後に思ったことは……」
一瞬のためらいの後、黒髪の堕天使はパットから視線を逸らしながら締めくくった。
「あなたにもう一度会って、それですむことではないとわかっていますが謝らなければならないと……」
「で、気がついたらあたしに拾われていたの?」
その間、それこそ十年以上どこで何をしていたのか全く覚えてないの? と言いたげなパットに、フォースは例のごとくうなずく。
いつもと変わらぬその様子にパットは思わず吹き出していた。
「あ、あの……」
あわてて立ち上がろうとするフォースにひらひらと手を振って、パットは顔を上げた。
その顔にはわずかに苦笑にも似た笑みが浮かんでいる。
「ちょっと待って。とりあえずあんたが何者で、どうしてこんなことになったのかは何となくわかったから。今度はあたしにも話をさせてよ。前にも言ったでしょ? 親父は三年前、病気で死んだって。あんたは親父を殺していないのよ」
話が見えずにフォースは首をかしげる。
一方パットは、固い岩石の底から封じ込められた記憶の鉱脈を掘り進むかのような口調で『あの時』のことをぽつりぽつりと語り始めた。
✳
床に倒れたなりぴくりとも動かない父を目の前にして、パトリシアは開け放たれた窓と風にはためくカーテンを見つめるだけで何もできず座り込んでいた。
「……どうやら遅かったようだ」
「彼は行ってしまったようだな」
不意に耳慣れない声……いや、声と言うよりはむしろ響きあう音の集合体といった方が正しいかもしれない……がして、彼女はおそるおそる振り向いた。
戸口にはいつの間にかこちらを見やる人影が二つあった。
それを『ヒト』というには語弊があった。
何故なら彼らの容姿は金髪碧眼とそれこそ絵に描かれたように非の打ち所がなく、その背には純白の翼があったからである。
立て続けに信じがたい光景を目の当たりにして言葉も出せずにいるパトリシアに、そのうちの一人が歩み寄る。
そして彼女と倒れ伏すジョンとを交互に見やりながら静かに告げた。
「我々はどうやら間に合ったようだ」
「どういう意味だ? 彼はもう……」
「確かに彼は飛び去った。けれど……」
深い青色の瞳をパトリシアに向けながら、ミリオンは宣誓するような口調で続けた。
「この御仁にはまだ息がある」
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「もちろんミリオンの力でも五体満足とまではいかなくて。少し足に麻痺が残っちゃったんだけど、親父は運良く一命を取り留めたの。軍に反発しようとしたってことで、関係者なのにおとがめ無しで……結局親父の読みは当たったのね。それからよ。ちまちまと直し屋を始めたのは」
けれど、とパットは吐息をついた。
近所から持ち込まれる物を黙々と修理している父親の背を見つめるのが何故か怖かった。
薄気味の悪い物が家の中にいるような気がして嫌だったと言いながら。
「今にして思えば、あたしもミリオンに記憶をどうかされていたのかもしれない。親父が最期に、彼を恨んじゃいけないって言ったんだけど……」
恥ずかしいことだけれど何のことを言っているのかまったくわからなかった、と、パットはぺろりと舌を出した。
そして緊張が途切れたかのように笑う。
「あんたのことを言えないわね。結局あたしも、あんたのことを綺麗さっぱり今の今まで忘れていたんだから……ちょっと、どうしたのよ?」
あわててパットは腰を浮かす。
先ほどから凍り付いたように彼女の言葉に耳を傾けていたフォースの頬を、一筋の涙が伝い落ちていた。
「わかりません……その、ただ、うれしいのかどうなのか……」
それを拭おうともしないフォースの肩をパットは掴み、少々乱暴に揺さぶる。
「男が何泣いてるのよ。情けないと思わないの?」
「そう言うあなたも……」
そう。
笑みを浮かべているパットの瞳にも、わずかに光る物がある。
互いに泣き笑いで見つめ合いながら、先に声を立てて笑ったのはパットの方だった。
「……とりあえず顔洗ってらっしゃいよ。安心したら、お腹がすいちゃった……」
✳
しばらくして、テーブルの上は無数の缶詰で埋め尽くされていた。
ようやく空腹を収めてから、おもむろにパットは切り出した。
「これから、あんた一体どうするの?」
「これから、ですか?」
いつものごとくの返答に、パットは手にしていた空き缶をテーブルの上に置きながら続ける。
「とりあえずこんなこともあったし、あたしはこれ以上ここに長居はしたくないの。預かり物もほとんどお返しできたし、後は鉱床を少し漁ってからから出発しようと思っているんだけれど」
困ったように首をかしげるフォースに視線を向けてから、パットは少し照れくさそうに言葉をついだ。
「その、一緒に来る? 最近ほとんど帰っていないから……。久しぶりに親父の墓参りしようと思ったの。あんたが来れば……親父もたぶん喜ぶと思うし……」
「ジョンのお墓参り、ですか?」
瞬きしてから戸惑ったように言い返すフォースに、パットは少々乱暴に首を縦に振った。
「でも、良いんですか? たどり着くまでにまたハンドレットに会うとも限りませんし……そのたびに迷惑をかけてしまうとも……」
「そんなのは簡単よ。ここに入った時みたいに『なかったこと』にしてもらえばいいんだから」
「……はあ」
どこか気のない返事を返すフォースに、パットはびっと人差し指を突き立てる。
反射的にフォースは姿勢を正した。
「うだうだ言ってないでよ。あんた男でしょ? それともあたしと一緒に来たくはないの? 」
「ご一緒したいのはやまやまなのですが、本当に良いんですか? 私はジョンを……」
さらに続きそうなフォースの言い訳を、パットは鋭い視線を突き刺して遮った。そしてにっこりと笑う。
「大丈夫。さっきも言ったでしょ? 親父はあんたを恨むなって言い残して逝ったんだし。それにきっと待っていると思う」
「……ありがとう……ございます」
「じゃあ決まりね。片づけ当番、今日は確かあんただったよね?」
「……はい?」
あいかわらず間が抜けたフォースの返事に、パットは思わず爆笑した。
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