第四章 過去─2
「行かないで!」
自らが発した叫び声に、パットは目を覚ました。
注意深く起きあがると、周囲をゆっくりと見回す。
と、そこは紛れもなくトレーラーハウス内の自分の部屋だった。
ベッドから滑り降り、おそるおそる部屋の外へと足を踏み出す。
真っ暗な廊下の突き当たり、食堂兼居間の扉の隙間からわずかに光が漏れている。
意を決して歩み寄り、扉を押し開く。
が、予想に反して部屋には誰もいなかった。
張りつめていた緊張の糸が途切れ、パットはそのままソファに座り込んだ。
一人になってみると今まで忘れていた静けさが四方八方から襲ってくるような気がする。
そんな気持ちにとらわれて、彼女は耳をふさいだ。
と、ばさり、と大きな羽音がした。息を殺し身を固め、パットは扉を見つめる。
しばらくして扉は音もなく開き、どこか間の抜けた表情を浮かべた黒ずくめの男が姿を現した。
その背にはもう翼はない。
こちらを見つめる視線に気がつくと、彼は困ったような笑みを浮かべる。
「……あの子を、家に送って来ました。遅くなってしまって……」
「……どういうことなの? 突然いなくなったり、帰ってきたり……今まで一体、どこでどうしていたの?」
気まずそうにしているフォースに向かい、パットは一気に言った。
とまどい、瞬きを返すフォースを見つめるパットの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「何が、何も覚えていない、よ……!」
泣きじゃくるパットに歩み寄るフォース。
相変わらずの表情を浮かべるその彼の胸に、パットは思わず飛び込んでいた。
「……やっと思い出してくれたんですね、パトリシア……」
静かな声にパットは顔を上げる。
目の前にあったのは、やはりどこか抜けたような優しい微笑みを浮かべるフォースの顔だった。
✳
「嘘をついていたというわけではなくて……今でも何故あの時、自分があそこにいたのか、あなたが何故目の前にいたのかがわからなかったので……」
ようやくパットが落ち着いたところでフォースは静かに切り出した。
当のパットはクッションを抱え込み、その言葉を一言たりとも聞き逃すまいとしていた。
「ただ記憶の最後にあったのは、私は何をしてしまったのかということと、それを償わなければならないということ、その二つでした。あの時ジョンが……」
深淵の闇のような瞳を向けられて今度はパットが瞬きを返す。
「あの時……あの夜親父は一体、何を言ってたの?」
その問いかけにフォースは目を閉じ首をゆっくりと左右に振った。
その時のことを思い出し反芻しているようでもあった。
そんなフォースの姿を見つめながら、パットは記憶の断片とたどる。
「おぼろげだけど覚えてる。あの後すぐミリオンの反乱があって……親父の上司達軍人はもれなくハンドレットに粛正されて。何故かうちは、おとがめなしだったんだけど」
「当時、軍は開発したミリオンの力を制御しきれなくなっていたんです。それでミリオンと同じ力を持つ私を再び接収しようとしていて……。ジョンはどうしてもそれだけは避けたいと……」
「ミリオンと同じ? あんた一体……」
何物なの、とでも言わんばかりにまじまじと見つめてくるパットに、フォースは寂しげに笑った。
「私は、管理登録番号一〇〇四。ミリオンの製造過程で生まれた欠陥品の一つです」
言い終えてからわずかにうつむくフォースを穴のあくほどに見つめ、パットは驚いたように言う。
「ミリオンの欠陥品って……。それより接収って、一体何?」
「簡単に言えば、一度用済みとして処分した物を再利用しようとした、と言ったところだと思います」
殺伐とした話であるにも関わらず、フォースの口から出てくるとやはりどこか間が抜けたように感じられるのがおかしい。
けれどそのおかげでいやな思い出を突きつけられても、重苦しさに押しつぶされずにすんでいるのかもしれない。
パットはぼんやりとそんなことを思った。そんな彼女の頭上をフォースの声が通りすぎていく。
「覚えてはいないですか? あの日のこと……」
言いながらフォースは首を傾げる。
どこか儚げな顔を見やってから、パットは『あの夜』のことを必死に思い出そうとした。
✳
その日、珍しく早い時間に戻ったジョンはいつになく無口でどことなく落ち着かない様子だった。
出迎えたパットに話しかけるのもそこそこに、半ば上の空で食事をとると逃げるかのように二階の自室へと引き上げた。
……まずいことになりそうだ……
すれ違いざまに発されたその言葉に、パットは思わずその後ろ姿をじっと見つめた。
「何があったのかな?」
不安を紛らわせようとして、彼女はテレビのスイッチを入れてみる。
だが、どのチャンネルを回してみても別段大きな事件や事故が起きたような気配はない。
それが逆に不気味でもある。
「後で様子を見てみましょうか?」
遠慮がちに切り出すフォースに、彼女は笑顔を浮かべてみせるのが精一杯だった。
✳
「そうよ……確かそんなことを言っていたのかも。まずいことになるって」
行儀悪くソファの上にあぐらをかきながらパットは記憶をたどる。
その言葉を裏付けるようにフォースの言葉が続く。
「ちょうどあのころ、完成品……登録番号一万番台の一部が工場を脱出し、試作品……一〇〇番台をほぼその管理下においたそうなんです」
あたし達の言うところのミリオンが一万番台で、ハンドレットが一〇〇番台ね。
そう確認するパットにフォースはこくこくとうなずいた。
「でも、それとあんたと何の関係があるの? だってあんたは欠陥品だって自分で言っているじゃない」
聞きようによっては相手を傷つけるであろう一言を、ややあってパットは口にした。
言われる側はそれに気付いているか定かではないが、ゆっくりと頭を振った。
「確かに私はミリオンの欠陥品です。けれど欠陥はあくまでも私の容姿というか、見た目……外見だけであって」
不意に黒曜石のようなフォースの双眸に鋭い光が宿る。
パットはそれに魅入られたように身動きができず聞き入っていた。
「能力そのものは完成品……ミリオンと全く同じなんです。なので、開発者である軍は完成品に対抗するために同じ力を持つ私たちで……」
「ちょっと待って!」
その時パットはフォースの言葉を遮る。いつになく真剣な面差しのパットに、フォースはどうしたんですかとでも言うように首を傾げる。
抱え込んだクッションに視線を落としながらパットはつぶやくように続けた。
「じゃあ何? 親父の上役達はあんたは黒い髪に黒い目だからなんてくだらない理由であんたにひどいことを……?」
「彼らはいにしえの絵画に描かれたような『天の使い』を完璧に再現しようとしたんです。あなたが以前あったミリオン達はどんな姿をしていたか、思い出していただければわかっていただけると思うのですが」
その言葉にパットはあっと息を飲む。確かにおぼろげながらミリオンの姿形は作られたかのようにそろいもそろって金髪碧眼で、そしてひびのない白磁のような肌の色をしていた。
そんなパットの姿を見やり、フォースは私のような姿をした天使の絵など見たことはないでしょう、と言いながら寂しげに笑った。
「私のように髪や目や翼の色が開発者の望むそれとは違った物は、欠陥品として容赦なく実験の材料になっていたんですよ。……たまたまジョンはその現場に居合わせて私の保護を訴えてくれたのですが……」
もし彼がいなければ、様々な実験を施されて最終的には細胞のレベルまでばらばらにされていただろう。
寂しげな笑みを浮かべたまま、フォースはパットに告げた。
「いわばジョンは私の恩人です。その恩人を、私は……彼自身の望みだったとはいえ、この手にかけてしまった……」
「親父が……? あんたに自分を殺してくれって頼んだの?」
かすれた声で問いかけるパットの唇は、わずかに青ざめていた。フォースは一つうなずくと、両の拳を膝の上で握りしめ目を固くつぶった。
そして、あの時告げられた言葉を震える声で口にした。
「もうすぐ軍がやってくる。いや、もしかするとミリオンの方が先かもしれない。どちらにせよ君の運命は決まっている。だが、私はそれを望まない。君とパトリシアを救う方法は、一つしかない。……私を殺して、ここを立ち去りなさい」
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