第三章 混乱─1

 少なくなってきたとはいえ、あいかわらずお子さまの群に取り囲まれながらパットは仕事を続けていた。

 

 滞在期間もそろそろ切れる。

 預かった物の修理も七割方終わったが、そろそろラストスパートをかけなければ。

 そうすれば面倒な延長申請もしなくてすむだろう。

 額に光る汗を拭いながらふとパットはそんなことを思った。

 

 正直、早くこの街から出たい。

 そういえば、もうかなり長いこと故郷に帰っていない。

 あの天然ボケにあの風景を見せてもいいかもしれない。

 

 手を止めることなくそんなことをぼんやりと考えながら、ふと彼女は顔を上げた。

 

 何かが違う。いや、正確に言うと何かが足りない。

 

 ぐるりと周囲を見回して、それが何であるか気がついた。

 

 いつも遠くからこちらを眺めているはずの、あの少年の姿がない。

 

 オレは誰も裏切らないから……。

 

 最後にその姿を見たとき彼が発した言葉が、鮮やかによみがえる。

 

「ねえ、いつも遠くから見てるあの子、知らない?」

 

 思わずパットが尋ねると、それまでのざわめきが水を打ったように静まり返る。

 

「……あいつは、ハンドレットのパシリだから……」

 

 顔を見合わせる子ども達。どこからかそんな言葉が聞こえてくる。

 少年の言葉と、昨日のハンドレット達とがパットの脳裏で一つにつながった。

 

 そして彼女は、あることを決意していた。

 

       ✳

 

 ようやく配達を終え戻ってきたフォースは、薄暗い中現住所となっているパットのトレーラーを認め、数度瞬きをした。

 もうだいぶ太陽も傾き、夜の帳が降りかけているにも関わらず明かりがついていない。

 この時間なら、パットはまだ細かい作業をしているはずだ。

 にもかかわらず明かりがついていないのは、かなり不自然である。

 

 しばらく立ちつくしていたフォースは、不意に自分が子ども達に取り囲まれていることに気がついた。

 

「……みなさんおそろいで……。どうかしたんですか?」

 

 問いかけると、子ども達はどこか気まずそうに視線を合わせようとはしない。

 

「お兄ちゃん、お姉ちゃんが行っちゃった」

 

「もし明日まで帰って来なかったら、お兄ちゃん一人でこの街を出てって言ってた」

 

 口々に言いながら、中には涙ぐむ子どももいる。

 その顔を一通り見やってから、戸惑ったようにフォースは口を開く。

 

「あの……パットは、何をしにどこへ行ったのですか?」

 

 フォースのどこか抜けた問いかけに、子ども達は互いに顔を見合わせる。

 そして気まずそうに誰からともなく話し始める。

 

「だって、誰も止めなかったじゃん……」

 

「あんなパシリ、助けなくたっていいって言ったのに……」

 

「黒いトレーラーに、怖い顔して……」

 

「パットは、ハンドレットの所へ行ったんですか? 」

 

 いつもとは異なり、丁寧だがやや強い語調で問いかけるフォースに、子ども達は驚いてうなずく。

 

「だめだよ! お姉ちゃんが絶対来るなって! 」

 

「お兄ちゃんまで帰って来なかったらやだよ! 」

 

 口々に叫ぶ子ども達に、フォースはわずかに笑いかける。

 

「大丈夫です。パットを迎えに行くだけですから」

 

 そして彼は、その場を後にした。


     ✳

 

 問答無用で腕をつかまれ引きずられるように連れてこられた小さな部屋で、床にうずくまる少年の姿を認めたパットは思わず声を上げた。

 その様子に、常ならば無表情なはずのハンドレットはサディスティックな笑みを浮かべたようだった。

 

「馬鹿なやつだ。自分の置かれた立場を忘れて勝手なことをするから……」

 

「この街で起きた出来事を可能な限り我々に報告する義務を怠った。当然の報いだ」

 

 わずかな隙をついてハンドレットの腕を振り払うと、パットはぴくりとも動かない少年にかけよった。

 目に見える部分には、等しくひどい痣や傷が生々しく残っている。

 

 自分を不安げに見つめる視線に気がついたのだろうか。少年はうっすらと目を開けた。

 

「姉ちゃん……兄ちゃんは? 心配してるよ、たぶん。早く帰らなくちゃ……」

 

「あの天然なら一人でもどうにかなるって。それよりも自分の心配をしなさいよ」

 

 言いながらパットは血泥に汚れた少年の顔をぬぐう。

 その様子を見つめていたハンドレットの一人が、思い出したようにつぶやいた。

 

「パット……パトリシアか。通りで……」

 

 意味ありげなその言葉に、パットは顔を上げぎっとハンドレット達をにらみつけた。

 

「だったら何だって言うのよ? それがどうかした? 」

 

「お前といい、お前の親父といい、よほど我々に楯突くのがお好きなようだな」

 

「どういうことよ? 」

 

 体内の血が一気に頭へ上っていくような錯覚にとらわれ、パットは声高に叫ぶ。

 だが戻ってきたのは嘲笑混じりの言葉だった。

 

「お前は知らないか。無理もない。あのときはまだガキだったからな」

 

「だから一体どういうこと? 」

 

 さらに叫ぶパットを前にして、ハンドレット達は互いに笑いあった。

 そして、さげすむような視線を向けながらその問いに答えた。

 

「お前の家に押しつけた『欠陥品』。覚えているか? あの逃亡に、お前の親父は一枚かんでいたようだ」

 

「慈悲深い我らが主のお目こぼしで、おとがめは無しということになったがな」

 

「お前は泳がされていたのさ。いつか必ず、あの逃亡者が接触するはずだと」

 

 自分の耳に飛び込んでくる言葉を、パットは理解できなかった。

 いや、正確に言うと、理解しようとすると感覚の一部が急に麻痺する、そんな感じだった。

 頭の片隅に、鈍い痛みが走る。

 

 親父はあの時、確かに黒い羽根を持った男に首を締め上げられていた。

 

 あの男は、夏に入る直前に親父の勤め先を統括する軍人が連れてきて……。

 

 私は親父がいない間、あいつと一緒に……。私はあいつを……と呼んで……。

 

 どうしても核心にたどり着くことができない。そんなパットの思考を、雑音混じりの声が遮った。

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