第二章 疑問─2

「お兄ちゃんはどこから来たの?」

 

「お兄ちゃんはどうしてお姉ちゃんと来たの?」

 

「お兄ちゃんはこれからどこへ行くの?」

 

 子ども達に取り囲まれて、フォースはいつものどこか抜けた微笑みを浮かべている。

 

 正直パットにとってこれは大きな収穫だった。

 一人で大陸を回っていた頃は、お子さま達の相手をしながら仕事をしなければならなかったからである。

 今回は幸い、それをすべてフォースに任せてしまっている分、作業に集中することができる。

 

 思考回路が近いのか、単に子どもが好きなのか。

 

 首を傾げながらも、ふとパットは視線を巡らせる。

 

 彼らを取り囲む子ども達の群から少し離れたところに、輪の中に入ってこない少年がいた。

 おそらく彼が昨日フォースが気にしていた子なのだろう。

 でも……。

 

 ふと、パットは不安に駆られた。

 こちらをうかがう少年の視線は、羨望のそれはもちろんだがそれだけではない、何かを射抜くような鋭さがあった。

 

 それが何であるかと言うところまで考えが及んだ時、それまでフォースにまとわりついていた子ども達がこちらに向かって走ってくる。

 

「何、何? どうしたのよ? 」

 

 驚いたように声を上げるパットに、子ども達は口々にさえずる。

 

「お姉ちゃん、今、お兄ちゃんから聞いたんだけど」

 

「お兄ちゃん、あっちの方から空飛んできたって本当? 」

 

「はい? 」

 

 あまりにも突飛な子ども達の言葉に、パットは手にしていたドライバーを取り落とした。

 しばらくの間彼女は言葉もなく地面に転がったそれを見つめていたが、おもむろに顔を上げるとつかつかとフォースに向かい歩み寄る。

 

「ちょっと、あんたねえ、何突拍子もないことを言ってるの? 」

 

「……は? 」

 

「は? じゃないでしょう! ったく、空飛んできたなんて、背中に羽根でもはやして……」

 

 そこまで言って、パットは急に口をつぐんだ。

 先日見たいやな夢……父親の首を絞めあげる黒い翼を持った男の姿が、何故かフォースと重なったためだ。

 

 あわててそれを振り落とすかのように、パットは勢いよく首を左右に振る。

 しかし当のフォースはといえば、あいかわらずどこか牧歌的な表情を浮かべて首を傾げていた。

 

「……一体どうしたんです? 」

 

「……いや、もういいわ」

 

 気を取り直してパットはドライバーを拾い上げ、再び仕事に戻る。

 

『仲間はずれ』の少年の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。

 

       ✳

 

 その日の夜、昨日と同じように預かった修理品の山を整理している時のことだった。

 

 激しく扉を叩く音に、パットはいぶかしげな表情を浮かべながら歩み寄り、一声かけた。

 

「何かご用ですか? 本日の営業は終わったんですけど」

 

 けれども、外からの返事はない。しびれを切らした彼女は、おそるおそる扉を開く。

 

「あれ、君は昼間……」

 

 そこに立っていたのは、子ども達の輪に入れずにこちらを見つめていたあの少年だった。

 ハンドレッドによる急なガサ入れでなかったことに安堵の息をついてから、パットは一体どうしたの、と問いかける。

 すると、少年は泣きそうな声で切り出した。

 

「あの……薬を持っていたら、少し分けて。妹が急に高い熱を出して……」

 

 ようやくそれだけを言うと、彼は堰を切ったように泣き出した。

 手のひらで涙を拭う少年をとりあえず室内に招き入れてから、パットは手持ちの薬を確認する。

 解熱剤は見つかったが、子どもに渡すには効き目が少し強すぎるような気がする。

 それに人の体は専門家ではないので、万一合わない薬を飲んだ場合どのような副作用が出るかわからない。

 

 そうすると、残された手段はただ一つ。

 

「しょうがないな。君、家まで案内してくれる?」

 

 有無を言わさないパットの迫力に、少年は二、三うなずいた。

 それを確認したパットは、少年とフォースの手を引き、夜の闇の中へと足を踏み出した。

 

 歩くこと数分。

 目前にぼんやりと明かりが見える。

 少年に導かれやってきたのは、町はずれのかなり古びた小さな家だった。

 事前に何も説明を受けずに、引きずられるままついてきたフォースは、瞬きをしながらその家を眺めている。

 

 ここなの? との問いかけに少年がうなずくのを確認してから、パットは再び立ちつくすフォースの腕を取った。

 

「ほら、入った入った」

 

「……はい?」

 

 戸惑うフォースだったが、足を踏み入れぐるりと室内を一瞥するなりその表情は目に見えて変わる。

 外見同様こぢんまりとした部屋にはベッドが置かれ、小さな女の子が寝かしつけられていた。

 そしてその傍らに立つ女性は、泣きはらした目で突然の来訪者を迎え入れる。

 

「どんな具合なんです?」

 

 軽くお辞儀をしてからパットは少女の額に手を置く。

 そしてその熱さに驚いた表情を浮かべ、母親の方に向き直った。

 

「お医者は? なんて言ってるの?」

 

 パットの言葉に、母親はだが力無く首を左右に振る。

 訳がわからず両者のやりとりを見つめていたフォースの背後から少年は言った。

 

「……どうせ医者なんか来てくれるはずないよ」

 

 深刻な現実を前にしてもなお、きょとんとした表情を浮かべるフォース。

 そんな彼をパットはぎっとにらみつけた。

 

「わかった? だから今は、あんただけが頼りなの。あたしのケガを直したときみたいに」

 

「頼り……ですか?」

 

 まだ当を得ないようなフォースを、パットは引きずるようにベッドのわきへと座らせた。

 高熱にうなされる幼い少女をフォースはしばらく見つめていたが、やがて意を決したかのようにその手を取った。

 

「わかりました」

 

 ようやく自分に何が期待されているのかを理解したフォースが低くつぶやく。

 それを確認してから、パットは不安げに見つめてくる少年と母親に釘を刺した。

 

「いい? これから目の前で起こることを誰にも言っちゃだめよ。ただでさえサービス残業なんだから」

 

 その言葉とほぼ同時に、室内は暖かい光で包まれる。

 

 それが消えると、それまでぐったりと横たわっていたはずの少女はまるで何事もなかったかのように起きあがり、傍観者達に向かい明るい笑顔を見せる。

 感動のあまり泣き崩れる母親と、唖然とする少年。

 

「すげぇ……こんなこと……」

 

「ありがとうございます……。なんとお礼を……」

 

 そんな両者に、パットはもう一度念を押す。

 

「だから、少しでもありがたいと思ってくれるなら、絶対に口外しないで。……色々と面倒なことになるから」


        ✳

 

 それからしばらくの間、何事もなくあわただしくも平和な日々が続いた。

 

 心配していたあの一件に関しても、表面上は全く人の口に上っている気配はない。

 

「うちは他から全然相手にされていないから、大丈夫だよ。何せ話しかけても無視されるくらいだから」

 

 少し日をおいてからその後の様子をうかがいに少年を訪ねると、彼は歳に不似合いな大人びた笑みを浮かべながらこう言った。

 内心ほっとしつつも、残酷な現実にパットはわずかに表情を曇らせる。けれど、戻ってきたのは屈託のない笑い声だった。

 

「安心しろって。……オレは誰も裏切らないからさ」

 

 飛び込んできた少年の言葉に、パットははっとして顔を上げた。

 だがすでにその時彼の姿は遠くにあり、パットに向かってにこやかに手を振っていた。

 

      ✳

 

 その日の夕方のことだった。

 

 大量の預かり物を抱え歩いていたフォースが、前触れもなく足を止めた。

 

「何してるのよ」

 

 勢い余ってその背中にぶつかったパットは、少々不機嫌な口調で尋ねた。

 しかし、無反応に立ちつくすフォースの視線を追い、その先に何があるのかを理解して思わず口をつぐんだ。

 

 そこに停まっていたのは、黒塗りのトレーラーだった。

 大きさはパットのそれの比ではない。そしてその周囲には、どこか尋常ではない空気を漂わせた男達がいる。

 

「……見てないの。早く行きましょ」

 

 それが何であるか理解したパットは、あわててフォースの袖を引っ張る。

 少しでも早くそこを立ち去りたいとでも言うように。

 

「あれは、一体何ですか?」

 

「軍の……ハンドレットの移動基地よ。関わらない方がいい」

 

 忌々しいとでも言うようにぶっきらぼうな口調で言い捨ててから、再び彼女はフォースの袖を引っ張った。

 

 ……やばい。

 

 本能がパットにそう告げている。

 とにかく、何かが起こる前にここを離れた方が良さそうだ。

 

 そんなパットの内心とは裏腹に、フォースはいつもの間の抜けた表情を浮かべたままパットとハンドレットを見比べている。

 思いあまってパットはフォースの襟首をつかむと、引きずるかのようにしてその場を立ち去った。

 

 けれど、確実に事態は望まれない方向に動き始めていた。

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