第二章 疑問─1

 遙か前方に、『南の聖母の街』に入るための検問所が見える。

 検問所と言っても木でこしらえただけのお手軽な物だ。

 しかし、そこに常駐しているモノの表情を見ると、通過するのはそう簡単ではなさそうだ。

 

「あれがハンドレット。早い話がミリオンの腰巾着」

 

 行為の欠片も感じられないパットの言葉に、助手席に座っていたフォースは目を凝らして前方を見つめる。

 遠目に見てもハンドレットの様子は尋常ではなかった。

 外見こそ普通の人間と同じなのだが、目つきやその雰囲気が明らかにおかしい。

 

「あの……、あれは人間、なんですよね?」

 

「さあ、どうだか」

 

 天使に魂を売った悪魔なんじゃないの、と、冗談とも本気ともつかない言葉を吐き出しながらパットはブレーキを踏み、車を減速させた。

 フリーパスを持っているとはいえ、色々と粗を探して、ネチネチつついてくるのがハンドレットだ。

 絶対に余計なことを言わないでね、と隣に座るフォースに釘を刺してから、窓を開けて通行証と営業許可証を胡散臭そうに見つめてくるハンドレットに示す。

 

「滞在期間は規定通り十日で。業務上生じた事情で延びるようだったら延長手続きをお願いします」

 

 大陸を縦横無尽に移動してきたことを示すスタンプで埋め尽くされた通行許可証とその持ち主を交互に見つめ、一度重々しくうなずいてから検問官のハンドレットはふと助手席の方に視線を移す。

 

「……拾った助手です。確か二年以上の実績がある直し屋なら、一人は無届けで同行させて良かったですよね?」

 

 パットの言葉にもう一度うなずいてから、ハンドレットは改めて通行許可証に視線を移す。

 

「確かに一人ならこちらの許可を仰がずとも可能だが……」

 

 射抜くような視線をハンドレットはパットに向ける。

 だが、ここで萎縮する訳にはいかない。

 パットはどうにかそれを真正面から受け止めた。

 それをよそに、ハンドレットは告げる。

 

「あんたが前に滞在していた『聖母の街』からは、街を出た住人がいるとの報告は受けていない。この通行証を見る限り、あんたは『聖母の街』に一人で入ったようだが」

 

 初めてパットは返答に窮した。

 

 そう。

 確かに直し屋はその実績に応じて助手を同行させることができる。

 けれど街を出るときは入るときと同様、検問所を通り許可を得なければならない。

 そして、通行許可証にはそれまでの移動の履歴と、通過時の人数が記入される。

 

 パットがここにくる直前に滞在していたのは、『聖母の街』。

 フォースを拾ったのは二つの街の中間点。

 むろん『聖母の街』からの記録があるはずもない。

 その記録がないと言うことは、不法脱出の放浪者、もしくは住民台帳未登録の不正市民ということになる。

 どちらにしても見つかれば厳罰は免れない。

 

「ほら、そっちの。IDはどうした?」

 

 ……マジでやばい。

 

 内心冷や汗をかきながら、パットは膝の上で両手を堅く握りしめる。

 居丈高に迫るハンドレットに対し、だがフォースは動じる様子はない。

 

「黙ってないで何か言ったらどうだ?」

 

 怒気をあらわにして、ハンドレットは車窓から身を乗り出さんばかりに言い寄る。

 

 万事休す。

 パットがあきらめかけた時だった。

 

「……? 」

 

 それまで聞いたことのない、感情の含まれないフォースの声がパットの耳朶を打つ。

 わけのわからぬ空恐ろしさを感じ、彼女は思わず身震いした。

 

 

 再びフォースの声が流れる。

 同時にあの淡い光が、フォースの体を包んだような気がした。

 その姿は、まるで……。

 

「……通行を、許可……する」

 

 うつろな声にパットは我に返った。

 ハンドレッドを見ると今までの威勢の良さはどこへ行ったのか、焦点の合わない瞳で呆然と立ちつくしている。

 そのあまりの変わり様に彼女は言葉を失う。

 

「通ってもかまわないそうですよ? 」

 

 今度はやや牧歌的なフォースの声が聞こえる。

 パットはあわててうなずくと、ハンドレットの気が変わらぬうちに車を発進させた。

 

 

「あんた、一体何者? 」

 

 無事検問所を抜けたにも関わらず、パットの第一声は不機嫌さを隠そうともしないぶっきらぼうなものだった。

 

「何、とは……どういう事でしょうか? 」

 

 あいかわらずどこか抜けたような返答に、パットは力強くブレーキを踏む。

 そのかなり乱暴な運転に、車はけたたましい抗議の声を上げた。

 

「……危ないですよ? 」

 

「そうじゃなくて! 」

 

 ぎっとにらみつけられているにも関わらず、フォースは全く動じる気配はない。

 完全に天然ボケなのかよほど根性が座っているのかのどちらかだ。

 

「あのね、あたしの怪我を治すくらいなら、神様の起こしたありがたい奇跡で済む話なの。……いや、済まないか。いやいや、そうじゃなくて」

 

 大きくため息をついてから、パットはキャップを脱いだ。

 そして頭を冷やすように顔面をぱたぱたとあおぐ。

 続きを待つフォースにちらと視線を向けてから、パットはあきれたようにつぶやいた。

 

「……ハンドレットは、主人であるミリオンの命令しか聞かないの。それなのに……」

 

 今度も通してくれるように祈っただけなの、と聞くパットに、フォースはこくこくとうなずいた。

 

 悪い奴ではない。

 それは確かなのだが、でも……。

 

 昨日から幾度となく浮かんだ疑問と、何ともつかないもやもやしたものとを強引に頭から振り落とすと、パットは再びアクセルを踏んだ。

 

 ようやく二人の前方に、『西の聖母の街』が姿を現した。

 

    ✳

 

 西の地平線は早くも見事な紅に染まっている。

 紫がかった複雑な色合いを経て漆黒へと移り変わるのは、時間の問題だろう。

 

 街へたどり着いてから約半日。

 パットの手伝いにかり出され、居並ぶ人々の交通整理からギャラリーのお子さまの相手、はたまた完成品の配達をこなしたフォースは、ややぐったりとソファに腰を下ろしていた。

 

『直し屋』は本来の物品修理という仕事だけではなく、離ればなれに生活する人々の間をつなぐメッセンジャーのような役割も果たしている。

 街に着くまでそれなりにはパットから聞いていたものの、実際やるのとでは大違いである。

 

 しかし、彼をあごで使った張本人は珍しく親切に冷えた水を差しだした。

 

「大丈夫? ま、ここまで忙しいのは初日だけだから。明日からはもう少し落ち着くと思うけれど」

 

 屈託なく笑ってその正面に座ると、パットはそこに転がしてあったなにがしかの機械を熱心にのぞき込む。

 おそらく今日預かってきた道具の一つなのだろう。

 

「『写真機』っていうの。中にフィルムを入れて風景とかを焼き付けて、それを薬に浸けて紙に写し取るんだよね。ま、本体を直してもフィルムが作れないんじゃ使い物にならないけど」

 

 けれどそれを言っちゃったら商売にならないから黙っていてね、とパットは再び笑う。

 

「それより、お子さまの相手、上手じゃない。とても助かった。とても慣れていたけど、前に何かしてたの?」

 

「……さあ」

 

「さあ……って。自分のことぐらい覚えていなさいよ」

 

 まだ思い出せないの、と問いかけてくるパットに、フォースはこくこくとうなずいた。

 だがそんなフォースに、パットは疑惑の目を向ける。

 

「っつーか、あんた、都合が悪いところだけ忘れてるんじゃないの?」

 

 すると今度は、勢いよく首をぶんぶんと横に振る。

 

 子どもに好かれるくらいだから、悪い奴ではないと思うけれど。

 

 そんなことを考えながらやれやれとでも言うように、パットは深々とため息をつく。

 しかし、自分がいろいろと詮索しても本人が思い出さなければどうしようもない。

 そう思い直して、パットは改めて口を開いた。

 

「じゃ、気長に思い出してよ。明日も見物のお子さまの相手、よろしくね」

 

 けれど、その言葉にフォースはどこか煮え切らないような表情を浮かべ、じっとパットの顔を眺めやる。

 

「何? それとも配達の方がいい?」

 

「いえ、そうではなくて」

 

 珍しく深刻な響きのその言葉に、パットはいったん浮かしかけた腰を再びソファに落ち着けた。

 それを待ってからフォースは静かに切り出す。

 

「その……仲間はずれというか、遠巻きに見ているだけで近寄ってこない子がいて。少し気になるんですが」

 

 自分に何か原因があるのだろうか。

 そう言ってうなだれるフォースを、パットは神妙な面もちで見つめる。

 わずかにためらった後、パットは沈黙を破った。

 

「たぶん、近い親戚……親だと思うんだけれど、収容所送りになってるんじゃないかな。あんたのせいじゃないって」

 

「収容所……ですか?」

 

 驚いたように顔を上げるフォースに、パットは不承不承うなずいた。

 

「昔の軍関係とか、政府の要人とか。後は今のミリオン支配体制に歯向かった人とかをね、ハンドレットが手当たり次第にぶち込んでるの。周りの人間はハンドレットの目が怖いから、家族は結局村八分にされちゃうの」

 

 今時、どこの街でもあることだから。

 そういうパットにフォースは目を丸くした。

 が、パットは努めて明るい声で続ける。

 

「ま、あたし達はよそ者だからそんなに気にしなくても大丈夫だと思うけど……、あ、こっちは片づけるから、もう休んでもいいよ」

 

 食事の支度ができたらまた声をかけるから、とでも言うようにひらひらと手を振るパットに従い、フォースは立ち上がる。

 そして戸口で立ち止まり、何かをつぶやいた。

 

「……え?」

 

 聞きとがめて思わず立ち上がるパットに、フォースはいつものどこか抜けた笑顔を向け暗がりに消えた。

 

──まだ、思い出さないんですね……

 

 かろうじて耳に届いたその声は、そういっていた。

 そんな気がした。

 けれど、一体何を思い出していないのだろうか。

 そして、何か忘れているのだろうか。

 

 わずかに頭をもたげた疑問を包み込むように、静かに夜が訪れていた。

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