第一章 拾いモノ─2
「……じゃあ、それが終わったらあっちのを上の棚にのせといて」
自慢ではないが、パットは自分が持つ順応力の高さと臨機応変さには自信があった。
加えて、与えられた状況下で生き残る術を見つけることにも長けていると思っていた。
そうでもなければ、このだだっ広い大陸で今まで一人で生きてこられた説明が付かない。
運良く(?)そんな彼女に拾われ、路上でのたれ死にするのを免れたフォースと名乗る男は、先ほどから黙々と彼女の指示(命令?)に従っている。
おかげでかなり荒れ放題になっていたコンテナの内部は見違えるほど綺麗になっていた。
「ほんと、助かったわ。あたし一人じゃ持ち上がらない物もあったし。……なんだかいつの間にか、ずいぶんと物が増えちゃったなあ」
久しぶりに視界の開けたその中で、パットはしみじみとつぶやく。
何やら得体の知れない物が詰まった箱を棚の上に収納し終わったフォースは、その言葉にゆっくりと首を傾げた。
「これは、一体どうするんですか? 見たところ、全部何かの部品みたいですが……」
遠慮がちに言うフォースに、パットは笑いながら答えた。
「そう。これだけじゃただのゴミよ。部品どころか、部品を作る欠片でしかない物もあるし。でも仕事には必要だから、捨てていい物は一つもないの」
「仕事……ですか?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ? あたし、『直し屋』なの。結構腕はいいんだよ」
『直し屋』とは、ミリオンと呼ばれる存在による支配体制が確立し、文明がヒトの手から奪われてから発達した職業の一つである。
文明そのものが奪われても、奪われる以前にもたらされた物は存在する。
武器とそれに類する危険性のある物以外は、ミリオンはヒトの手からそれを奪おうとはしなかった。
だが、新しくそれらを造り出す技術は奪われている。
結果としてヒトに残された道は、すでにある物を使える限界まで使っていくことである。
そこで現れたのが直し屋と呼ばれる職業だった。
彼らは大陸を渡り歩き、請われるままに文明の利器の修理を行う。
時には『鉱床』と呼ばれるかつての埋め立て地やゴミ捨て場からそれに必要な道具や部品を収集していた。
指先の器用さなどの才能を必要とするため誰でもなれるというわけではないが、腕が良ければほぼ無条件に大陸を移動できるフリーパスが与えられるため、一種あこがれの職業でもあった。
同時に彼らは広大な大陸に点々と生息するヒトにとって重要な情報源でもある。
「『西の聖母の街』に行くのもそれなのよ。あの近くにいい鉱床が出たらしいって、この間同業者から聞いたんで……でも……」
数日前、その話を持ってきた同業者はこの道を逆走していたのだが、途中に黒づくめの男が落ちているという話はしていなかった。
すると、彼はどこから来たのだろう。
パットは疑惑の瞳をフォースに向ける。
「けれど……これだけあれば、もう大丈夫なのではないですか?」
だが、当の本人はまったくそれに気付く様子はない。
計りかねながらもパットは答えた。
「そうでもないの。代用品がきかない物もあるし……っ痛! 」
「どうかしましたか? 」
首をかしげながらフォースは歩み寄る。
見ると、パットの右手のひらからわずかに赤い物が流れ落ちていた。
「片付けてる時に、どっかで切ったみたい。大丈夫、そのうち治るから」
「見せてください」
今までの天然ぶりはどこへやら、有無を言わさぬ口調でフォースはその手を取る。
そして、傷ついたその手を自らの両の手で優しく包み込む。
次の瞬間、目の前で起きたことに、パットは目を疑った。
いや、それは気のせいと言われればそれまでかもしれない。
だが、手が包まれた瞬間、黒づくめの男を暖かな光が包み込んだ、そんな気がした。
「……え?」
そして再び手を見ると、そこにあったはずの切り傷は、綺麗さっぱり消えていた。
これ以上ないくらい目を大きく見開いてて、パットはフォースをまじまじと見つめる。
「あんた……『能力者』だったの?」
問われたフォースは、訳がわからないとでも言うように首を左右に振る。
「『能力者』? ……私はただ、傷が治ればいいと、願っただけです」
『文明』を失ってから、一部のヒトには明らかな変化があらわれた。
彼らの総称が『能力者』である。
そのほとんどが与太話のたぐいなのだが、触れただけで病気を治しただとか、未来を正確に言い当てたなどという噂話は後を絶たない。
支配者ミリオン達も野放ししておくはずもなく、厳しい監視を付けているだとか、『危険分子』と判断された者は密かに捕獲し懐柔もしくは処分をしているなどと、様々な噂がまことしやかに囁かれている。
話半分に聞いていたのだが、目の前で事実を見せつけられてしまっては疑いようもない。
そうすると……。
「もう一度聞くけど、あんた一体どこから来たの?」
けれど、フォースは悲しげに首を横に振るだけだった。
「……そんな顔しないでよ。あたしがいじめてるみたいじゃない……」
溜め息をつきながらパットは困ったようにフォースから手を引く。
その時視界に入ってきたのは、彼の手首に残る古い傷跡だった。
いや、傷跡というのは正確ではない。
茶褐色に変色してしまった皮膚から察するに、それは火傷の跡だろう。
しかしどうしてそんなところに……いや、でも前にどこかで……。
けれど、脳裏の奥底にあるはずの記憶は、またしても掘り起こされることを拒否した。
どうもおかしい。
苛立ちながらもパットは頭をかき回す。
改めて彼女は、ここ数日の出来事を反芻する。
ハイウェイに設置されている指名手配犯のポスターには、この間抜け面はなかったはずだ。
いや、そもそもお尋ね者がこんな怪しい格好をしているはずがない。
ならば、自ずと結論は導き出される。
「まあ、機械の直し屋がヒトの直し屋を連れていても、文句は言われないよね」
「……はい? 」
「検問所通る時は、知らぬ存ぜぬを通してね。街に入ったら、色々手伝ってもらうから」
「……はあ」
「さ、そこが終わったらこっちをお願い。止まったら止まったで、やることはいっぱいあるんだから」
はるかな地平線の彼方に太陽はすでに沈み、広大な空には夜の帷が落ちていた。
✳
そして、とっぷりと日は暮れた。
元々人も住まないような場所を貫く大陸横断道路である。
街灯などという洒落た物があるはずもない。
二人の乗る車の周囲は、完全な暗闇に閉ざされていた。
食べられない物はないよね、という言葉を残して簡易キッチンにしばらくの間こもっていたパットは、やがて大量の缶詰を手にして姿を現した。
唖然として言葉を失うフォースの前に、彼女は次々と食器を並べていく。
「あり合わせの物しかないけれど、ごめんね。大陸をふらふらしてると、どうしても保存食ばかりになっちゃって」
「はあ……」
が、あいかわらず戻ってくるのは、どことなく間の抜けた返事である。
先ほど不思議な力を見せた人物と同じとは、どうしても思えない。
内心首を傾げため息をつきつつも、気を取り直してパットは話を切りだした。
「今日はここで泊まって、夜が明けるのを待つから。明日明るくなってから出発して、うまくいけば昼前には目的地に着くと思う」
スプーンを手にしたままフォースはうなずく。
脱力感を感じながらもパットは辛抱強く続けた。
「あんたは一応、あたしの助手ってことで街の入り口を突破する。……とりあえずその格好じゃやばいかもしれないな。後で着替えてくれる?」
神妙な顔でもう一度フォースはうなずく。
うなずく以外の反応を期待したほうが馬鹿だったと、どこかあきらめの境地に到達したパットは、フォークを口元に運びながら続けた。
「それと、もしハンドレットに何か聞かれたら無理に答えなくていいからね。話がややこしくなるだけだから。……聞いてる?」
「……はい」
ハンドレット。
それは支配者階級ミリオン直属の部隊の総称である。
ミリオンの手足となって権力を振るう彼らを、人々は快く思うはずがない。
忌み嫌いながらも、だがその背後にいるミリオンの力に恐れおののいている。
これが今の時代の実状だった。
「せこいよね、奴ら」
「せこいって……バンドレットが、ですか?」
微妙に観点がずれているフォースの答えに、パットは大きく首を横に振り行儀悪く手にしていたフォークを振り回しながら力説した。
「あいつらはどこまで行ってもミリオンの駒でしかない。元々はあたし達と変わらないんだから。せこいのは上にいる奴らのほう。奴らは自分たちの手を汚すことは絶対にしない。粛正とかの血なまぐさいことはハンドレットに丸投げして……いがみ合いをさせて、共倒れになるのを待ってるのよ」
一気に言ってしまうと、彼女はコーヒーを飲み干すと大きく息をついた。
そして身じろぎもせずに聞き入っているフォースにちらりと目をやってから、ぽつりとつぶやいた。
「あいつら……自分たちを聖人君子とでも思ってるのよ。天使様よろしく羽根なんて生やしちゃって……顔だって絵に描いたみたいに綺麗で……」
「……失礼ですが、あなたはミリオンに会ったことがあるんですか?」
予想外の質問に、パットは思わず食事の手を止める。
しばらくの間まじまじとフォースの顔を見つめていたが、なぜか彼女は姿勢を正し座り直す。
「昔ね。本当に小さい頃。死んだ親父が軍需工場に勤めていたから、その関係で……って、何でまた泣きそうな顔してんのよ」
「いえ……いやなことを思い出させてしまったのかと……」
生真面目に答えるフォースに、パットは吹き出さずにはいられなかった。
ひとしきり声を立てて笑い、そしてようやく笑いの発作が収まってから、目尻ににじんだ涙を拭いながら言った。
「大丈夫。親父が死んだのは、あいつらと無関係だし。第一、三年も前よ。なにもあんたが気にしなくても……」
「三年前、ですか……」
そう繰り返すフォースの瞳に、一瞬とまどいにも似た光が浮かんで消えた。
だが、当の本人はそのことに全く気がついてはいないようだ。
ふとそれを目にしたパットの脳裏に、何とも言えない違和感が霞のように広がっていく。
そう。
親父は三年前、病気で死んだ。
葬儀の日は一日泣きはらしたし、第一肉親の死を忘れるはずがない。
いや、間違いはないのだが、その前に何か……。
けれど、違和感という断片は掘り起こすことができるのだが、肝心な本質をどうしても思い出すことができない……。
「……どうか、しましたか?」
声をかけられ、パットはあわてて顔を上げる。
どうやらパンを手にしたまま硬直していたらしい。
照れ隠しに笑いを浮かべるパットを、フォースはどことなく間の抜けた面もちで見つめていた。
✳
何気なくのぞいた父の部屋。
そこには確かに父がいた。
だが、その様子は尋常ではなかった。
父親はこちらに背を向けた男に、両手で首を絞められている。
むき出しになっているその男の二の腕には、何やら文字のような物が浮き上がっているのだが、定かではない。
父親の足は、都合十五センチほど浮き上がっている。
硬直していた父親の体から力が抜けると同時に、男は手を離した。
それこそゴム人形のように、父の体は落下する。
わずかに垣間見えたその顔は、赤紫色に変色していた。
「と……父様……」
かすれた声が、パットの口から漏れる。
それに気付いた男が、ゆっくりと振り返る。
逆光に浮かび上がるその背に、次第に大きな黒い翼が現れる。そして……。
「……───っ!」
思わず叫び声を上げ、パットは跳ね起きた。
パジャマはぐっしょりと濡れ、前髪は汗で額に張り付いていた。
いやな夢。
いや、夢にしてははっきりしすぎている。
ならば、あれは一体……。
無理矢理わき上がってきた疑問を振り落とすためぶんぶんと勢いよく頭を降ると、パットは簡易ベッドから滑り降り、いつもの作業着に着替え外に出た。
が……。
「……何してんのよ?」
扉を開いた途端、至近距離に突っ立っていたフォースに少々機嫌の悪い声でパットは尋ねる。
そしてまじまじとその姿を見つめた。
どこか間の抜けた顔はそのままなのだが、着ている物は昨日の黒ずくめではなくて、彼女が用意した作業着だった。
もちろん似合っているという表現からはほど遠い。
「いえ……悲鳴が聞こえたので……」
心配になったので、と気弱そうにうつむくその様子に、パットは素直に反省した。
そして彼の肩をぽんぽんと叩きながらある物を手渡す。
「……これは何ですか?」
「リストバンド。手首にはめといて。その火傷のあと、見ていて痛々しいんだもの」
朝ご飯食べたらすぐに出発するからね、そう明るく告げながらも、先ほどの夢はパットの脳裏に引っかかり、離れることはなかった。
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