07

 そこに広がっているのは、暴力的なまでの緑色がまぶしい世界だった。


「森」と名前に付く迷宮に相応ふさわしく、見渡す限り背の高い樹々が生えている。その種類は様々で、丸っこい赤色の実を付けているものがあれば、触れば皮膚が切れてしまいそうなとがった葉を持つものもあった。

 地面には丈の短い草原が広がっており、歩くと小気味のいい音がする。

 弱い風が吹いており、草木が揺られるさらさらという音が響いていた。


「……綺麗」


 ジレの言葉に、リーズロッテは嬉しそうに微笑んだ。


「わたしもそう思います」

「うん。……それに、何だか不思議な感じがする。普段住んでいる世界とは少し、空気感とか匂いとか、そういう色々なものが異なってるみたいだ」

「わかりますよ。迷宮はどうしてか、別世界のようですよね。魔獣は迷宮にしか存在しないし、そうした様々な『奇跡』が迷宮には眠っている……」


 リーズロッテは微かに目を細めながら、呟くように言った。

 ソリアも興味深そうに、〈ユクシアの森〉を見渡していた。表情は微かではあったけれど楽しげで、その反応はどこか年相応に見えた。


 リーズロッテは「さて」と言って、柔らかく微笑む。


「お二人は初めての迷宮探索ということで、今日の目的は二つです。一つ目は、魔獣と効率的に戦う流れを知っていただくこと。二つ目は、〈ユクシアの森〉地下一階の構造を把握はあくしていただくこと。

 今回選んでくださった契約けいやく期間は七日間なので、明日以降は別の同行魔術師と一緒に、また新しい目的を持って探索していただく形になります。それでは、張り切っていきましょう」


 温かな口調で言い終えたリーズロッテに、ジレは「はい!」と笑顔を浮かべ、ソリアはほのかに頷いた。そんな兄弟の反応を見届けてから、リーズロッテは再び歩き出す。

 美しい緑色の情景が、彼女の視界をゆっくりと流れていく。


「そういえばお二人は、どちらの魔術学院の卒業生なんですか?」


 リーズロッテの問いに、ジレが口を開いた。


「俺もソリアも、国立魔術学院オルシェーンというところを卒業したんだよね」

「ええっ、本当ですか!?」

「うん、本当。どうしてそんなに驚いてるの?」


 ジレは不思議そうに尋ねる。リーズロッテは彼の方を向くと、微笑んだ。


「実はわたしも、オルシェーンの卒業生なんです」

「えっ! そうなの!」

「そうなんです。二年前に卒業したので、貴方たちより二年先輩ですね」

「ということはもしかすると、魔術学院ですれ違ったことがあるかもしれないってこと?」


「そうなりますね。学生時代のわたしは今より髪が長かったですし、眼鏡も掛けていたので、外見が幾らか異なっているんですけれど」

「へえ、そうなんだ! 俺は今とあんまり変わんないかもなあ……ソリアもしかり」

「兄さんたちと違って、僕は三年間しか在籍していなかったんだ。そりゃ変わらないだろ」


 ぼそぼそと言うソリアに、リーズロッテは一つの質問を投げ掛ける。


「ソリアさんは、どういった学生生活を送られたんですか?」

「僕?」

「そう、貴方」


 少しだけ、リーズロッテとソリアの視線が交差する。


「余り、楽しくはなかった。ずっと勉強していたし。周りの人間も、馬鹿な奴らばかりだったし」

「ソリアさんは、その方たちのどのような点を踏まえて、馬鹿だと認識しているんですか?」

「……お前に話す気はない」


 ぷいと顔を逸らしたソリアに、リーズロッテは「そうですか」と寂しげに笑う。


 ――そのとき、だった。


 ほよよん、という音がした。何か柔らかな物体が跳ねるときに響くような、そんな音。リーズロッテは足を止める。


「ジレさん、ソリアさん。魔獣のお出ましですよ」


 言葉が終わるのとほぼ同時に、三体の魔獣――スライムが姿を現した。


 黄緑色をしていて丸っこく、つぶらな黒い瞳が可愛らしい。ほよよん、ほよよんという柔らかな音を零しながら、上下運動を繰り返している。リーズロッテたちに気付くと、スライムの一行はゆっくりと三人に近付いてきた。


「さて、それでは今から魔獣と戦う流れを説明しますね。まずは……」


 リーズロッテが言い終える前に、ソリアが数歩前に出る。驚いたように目を見張るリーズロッテを一瞥してから、ソリアは右手を掲げて口を開いた。


「〈氷雪の地獄ヘレヴェラン〉」


 唱え終えた瞬間、スライムの下の地面に水色の魔法陣が生まれる。その魔法陣が光り輝いたのと同時に、三体のスライムは突如として発生した巨大な氷の中に閉じ込められた。


 ジレは目の前に生まれた小さな氷山のような光景を、呆然ぼうぜんと見つめていた。それから思い出したように言葉を発する。


「ちょ、ちょっとやりすぎじゃない!? ソリア!?」

「別にやりすぎてない」

「というか、リーズロッテさんが説明してくれそうな流れだったじゃん!」

「説明なんか聞かなくても倒せる」


「それに今の、上級の結氷けっぴょう魔術だよね!? どう考えてもスライムに使う魔術じゃないと思うんだけど!」

「僕は雑魚にも手を抜かないんだ」

「あああもう、俺の弟がハイスペックだけど色々間違えてる件について!」


 がくりと項垂れたジレを、ソリアは「兄さんは一々うるさい」と追撃する。

 リーズロッテは困ったように微笑みながら、ソリアを見た。


「すごいですね、ソリアさん。上級魔術をあんなに簡単に起動できるなんて」

「別にすごくない。お前はできないのか?」

「ええ、できませんよ。残念ながらわたしは、生まれ持った体内魔力量がそこまで多くないんです。そのため、中級魔術を使いこなすので手一杯ですね」


 寂しそうに言うリーズロッテに、ソリアの視線に憐憫れんびんが入り混じる。


「ですが」


 彼女はそう言うと、ソリアの金色の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「ここからは少し、苦言をていさせていただきます。今のような戦い方をしていては、そう遠くないうちに迷宮探索で失敗が生じると思います」


 ソリアは目を見張る。それからリーズロッテを睨んだ。


「どうしてだ」

「何故なら迷宮探索の際には、使用する魔術の強度を選択する必要があるからです。ここには、主に二つの理由があります。

 一つは、体内魔力量を温存しなければならないためです。上級魔術は魔力を過度に消費します。わたしたち魔術師は、魔力が尽きてしまえば非力な人間なんです。迷宮の奥で魔力を回復する術をなくした迷宮探索者の末路は、容易に想像できるかと思います」


 リーズロッテは、珍しく温度の低い声音で告げる。


「もう一つは、魔獣は魔力の動きに敏感なので、わたしたちの存在を悟られてしまうためです。〈ユクシアの森〉の地下一階に特段強力な魔獣は存在していませんが、さらに下っていけば簡単に出会でくわします。強い魔獣に囲まれてしまえば、その状況を切り抜けるのは大変です。

 従って、敵を倒す際には『最低限強い魔術』を使うべきなんです」


 そこまで言って、リーズロッテは柔らかく微笑んだ。


「うるさいことを言ってすみません。でもこれは、迷宮探索において本当に大事なことなんです。よかったら、覚えておいてください」


 ソリアは何も言わずに、リーズロッテから顔を背ける。


「ほら、ソリア。リーズロッテさんは」

「黙れ兄さん」

「ま、まだ話し途中なんだけど!?」


 愕然としているジレに、むくれた様子を見せるソリア。


 そんな兄弟の様子を交互に見てから、「取り敢えず、先に進みましょうか」とリーズロッテは曖昧あいまいに笑った。

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