08

 二時間ほど掛けて、リーズロッテたちは〈ユクシアの森〉の地下一階を巡った。


 魔獣や罠に遭遇そうぐうすることもなく、迷宮探索というよりは大自然の中の散歩のようだったが、これはこれでありだろうとリーズロッテは思う。


「……さて、今日の迷宮探索はこのくらいにしておきましょうか」


 水分補給に〈星屑の湧水〉を飲んだ後で、リーズロッテは言う。地図を片手に持っているジレが、不思議そうに口を開いた。


「そういえば、あれから全く魔獣と遭遇しなかったけど、地下一階ってそもそも敵の母数が少ないの?」


「いえ、そんなことはありませんよ。それこそスイーティスライムは数が少ないですが、スライムの場合はかなりの数が存在しています。

 ただ、最初の戦闘の際にお話ししたように、魔獣は魔力の動きに敏感なんです。スライムは特にその傾向が強く、加えて臆病なので、その……ソリアさんのことを怖がってしまったみたいですね」


「ああ、確かに氷漬けにはされたくないもんね……」


 困ったように笑うジレを見て、ソリアが不貞腐ふてくされたような表情をする。

 それを見たリーズロッテは、言葉を紡いだ。


「まあまあ、しょうがないです。当初の目的の一つだった地下一階の案内は達成できましたし、全く問題ありません。魔獣と戦う流れは、明日探索同行する同行魔術師に教わってくださいね。それでは、入り口の方に戻りましょうか」

「そうだね! 今日はどうもありがとう、リーズロッテさん」

「ふふ、お礼は町に戻ってからで大丈夫ですよ」


 話しながら、リーズロッテとジレは歩き出す。

 ふとリーズロッテは、ソリアの足音が聞こえないことに気付いた。怪訝けげんに思って振り返ると、ソリアが俯いたまま立ち尽くしている。


「………? どうしましたか、ソリアさん」


 リーズロッテの言葉に、ソリアはようやく顔を上げた。

 その表情は不満げだった。ジレも弟の様子に気付いたようで、声を掛ける。


「どうしたの、ソリア? 早く戻ろうよ」

「……戻りたくない」

「ええっ? 迷宮の中で何か落とした?」

「僕はそんな兄さんみたいな真似しない!」

「ああっ、弟が地味にひどい!」


「そうすると、お腹が空いたりしましたか? キャンディを携帯しているので、よければお裾分すそわけしますよ」

「お前は甘いもののことしか頭にないのか!」

「がーんです」


 ダメージを受けるジレとリーズロッテに、ソリアは一瞬表情を緩ませてから、すぐに険しい顔付きに戻った。


「……僕は今日、全然役に立つことができていない。だからもっと下の階層まで行って、強い魔獣と戦いたい。こんなのが最初の迷宮探索なんて、耐えられないんだ」


 ソリアの声は、微かに震えていた。

 ジレは心配そうに、弟の姿を見つめている。


「役に立つ、って……ソリアは最初、スライムを倒してくれたじゃん!」

「強力な魔術を使いすぎて、それ以降出てこなかったじゃないか! 授業で習っただろう、戦闘経験を積まないと強くならないって。僕はもっと強くなりたいんだよ……」


 ソリアは自身の手を握り締めながら、呟くように言う。

 リーズロッテが口を開いた。


「焦らなくて大丈夫です。ソリアさんは十五歳で、これから沢山の時間があります。だから、少しずつ経験を重ねていけばいいんですよ。焦って迷宮探索を進めて、肝心の命を落としてしまえば、元も子もありませんから」


 その言葉に、ソリアの金色の瞳が揺らいだ。

 でもそれは一瞬で、すぐに動揺は隠されてしまう。


「それでも僕は、強くなりたいんだ!」


 言い終えるや否や、ソリアはばっと駆け出した。


「ちょ、ちょっとソリア! 待ってよ!」


 その後を追おうとしたジレに向けて、ソリアは右手を掲げる。


「〈手足の強い麻痺ラールヴァネン〉!」

「エッ」


 驚きの言葉を漏らしたジレの下に黄金の魔法陣が生まれ、魔術が起動される。

 ジレは手足の自由を失い、地面に突っ伏した。


「ああっジレさん! ちょっとソリアさん、一度止まってくださ……」

「〈手足の強い麻痺ラールヴァネン〉」


 リーズロッテは目を丸くする。すぐさま、桜色の唇を開いた。


「〈魔術の打消タクフィルート〉」


 リーズロッテの唱えた魔術によって、足元に生まれた魔法陣が灰色となり無効化された。


 そうしている間に、ソリアの姿が見えなくなってしまう。

 リーズロッテは逡巡しゅんじゅんしてから、倒れているジレに歩み寄った。


「俺のことはいいから、ソリアを」

「幾ら地下一階とはいえ、動けない人間を放っておく方が危険です。ソリアさんは魔獣に警戒されていますし、この場所から地下二階への階段までは走っても十五分ほど掛かるので、まずは貴方の回復から行わせていただきます」

「ご、合理的だ……」


 リーズロッテは身に付けているフーデッドコートから、一つの小瓶を取り出す。それから屈んで、ジレの頭を軽く持った。


「口、開けてくれますか?」


 ジレは言われた通り、口を開く。

 リーズロッテは小瓶のふたを取ると、中に入っている液体をゆっくりと流し込んだ。


麻痺まひを治す薬です。少し酸っぱいので、せないようにしてくださいね」


 ジレは頷くと、薬を少しずつ飲み込んでいく。


「どうもありがとう……」

「いえ。数分もすれば、動けるようになるはずですよ」


 優しく微笑んだリーズロッテに、ジレは笑い返した。

 けれど彼の笑顔は、段々と悲しそうになっていく。


「……ごめん、リーズロッテさん」

「どうして謝るんですか?」

「今日は俺の弟が、沢山迷惑掛けたから」


 リーズロッテは、藍色の目を見開いた。

 ジレはゆっくりと瞬きしながら、言葉を続ける。


「でも、ソリアのことを嫌いにならないでやってほしい。あいつは口が悪いし、周りの人を見下しがちだし……色々足りてないところがあると思う。けれど、ソリアがそうなった大きな原因は、周囲の環境なんだ」

「周囲の環境?」


 聞き返したリーズロッテに、ジレは「そう」と首肯しゅこうする。


「あいつ、本当はもっと明るくて、自分から喋る奴だったんだ。魔術学院に入るまでは、少なくともそうだった。……ソリアは魔術学院で、いじめられたんだ」

「虐め、ですか」


「そう。ソリアは凡人の俺と違って、昔から魔術の才能があってさ。魔術学院でも抜きん出ていたんだよ。それが気に入らない輩が結構いたみたいで、ソリアは孤立していたんだ。俺と同学年になるまでは、酷い扱いを受けていたらしい」


「……そうですか。母校のそういう話を聞くと、悲しくなりますね」

「ごめんね。……やっぱり君は、ソリアのことが嫌い?」


 その問いに、リーズロッテは「いいえ」と首を横に振った。


「そもそもソリアさんは、現在十五歳でしょう? 色々な悩みがあって辛い時期だと思います。わたしも、そうでしたから。

〈ユクシアの森〉に入る前にも言ったように、わたしはソリアさんともっと話してみたいなって思っているんですよ。勿論もちろん、ジレさんともね」


 ジレはその言葉を聞いて、安堵あんどしたように白銀の目を細める。


「よかった。俺はやっぱりソリアのことが大切だから、そう言ってもらえると嬉しい」

「大切なんですね」

「勿論だよ。迷宮探索者になるって言い出した弟が心配で、一緒に付いてきちゃうくらいにはね」


 ジレはそう言うと、思い出したように手足を動かす。

 麻痺はほとんど抜けていて、問題なく動作を行えた。


「治ったみたい……ありがとう、リーズロッテさん」

「それはよかったです。どういたしまして」

「それにしてもあいつ、実の兄と同行魔術師さんに魔術放つのすごいよなあ……恐れ知らずというか。とにかく、探しに行こう」

「そうですね、そうしましょう」


 リーズロッテは目を閉じると、口を開く。


「〈かの者の位置ヨクナーセマ〉」


 探索魔術を起動し、リーズロッテは少しの時間無言でいる。

 目を開いた彼女は、確かな焦りを表情ににじませた。


「ジレさん。急がなくてはいけません」

「え、どうしたの? ソリア、どの辺りにいた?」


 ジレの疑問に、リーズロッテは答える。



「――ソリアさんは現在、〈ユクシアの森〉の地下七階にいます」

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