06

 購入したコートを羽織ったジレとソリアと共に、リーズロッテは舗装ほそうされた道を歩いていた。


〈ユクシアの森〉は、始まりの町アリスを出てから徒歩十分ほどの場所に存在する迷宮だ。何度も訪れたことがあるので、リーズロッテは正確な位置を把握はあくしていた。


 やがてリーズロッテ、ジレ、ソリアの三人は、〈ユクシアの森〉の入り口に到着する。

 幾つもの樹々が組み合わさって荘厳そうごんなオブジェのような形になっており、扉に似た形状をした淡い緑色のまくが根元の辺りに存在していた。


「……これが〈ユクシアの森〉かあ」


 瞬きを繰り返しながら呟くジレを、ソリアはちらりと見た。


「授業に出てきた教科書に、散々絵が載っていただろ。今更そんな感動することがあるか?」

「だって実物を見たのは初めてじゃん! ソリアはびっくりしないの?」

「僕は兄さんと違って大人なんだ」

「まだ君十五歳じゃん……」


 ジレは呆れたように笑いながら、ふと何も話さないでいるリーズロッテの姿を見る。そうして彼は、目を見開いた。


 リーズロッテは藍色の双眸そうぼうに〈ユクシアの森〉の始まりを映しながら、ほのかに桜色の唇を開いていた。

 その瞳には憧憬しょうけい、探究心、微かな緊張――そんな様々な感情が溶け込んでいた。例えるとすれば、夢を見る少年が持っているような目のきらめきが、彼女にも存在していた。


「リーズロッテさん?」


 ジレの言葉に、リーズロッテははっとしたような表情になって、彼の方を向いて微笑んだ。


「どうかしましたか、ジレさん?」

「いや。リーズロッテさんが、その……すごく、わくわくしているように見えたから」


 リーズロッテは目を丸くする。それから、ふふっと笑った。


「ばれてしまいましたか。実はわたし、ここ一ヶ月ほどは〈メルコローテの湖〉――いわゆる第三迷宮の探索同行をしていて、〈ユクシアの森〉に来たのは若干久しぶりなんです。だからジレさんの言う通り、わくわくしてしまいました」


 ジレは頷いてから、口を開く。


「リーズロッテさんは本当に、迷宮探索が好きなんだね」


 その言葉に、リーズロッテは柔らかく微笑んだ。その微笑みはどことなく寂しそうで、理由がわからずジレは不思議に思う。リーズロッテはその疑問に答えることはせずに、目の前の兄弟に向けてそっと手を差し出した。


「改めて、これからよろしくお願いしますね。ジレさん、ソリアさん」

「うん、こちらこそ!」


 ジレは彼女の右手を取って、握手を交わした。少し経って二人の手が離れる。

 ソリアは手を出すことはせずに、そのやり取りを見ていた。

 リーズロッテは、そんな彼に向けて笑顔を浮かべる。


「わたし、ソリアさんとも握手したいです」

「……僕は別に、お前と握手したくない」

「ええっ、そんなことおっしゃらないでください。握手してくださったら、今日の帰りにケーキをご馳走ちそうしますよ」

「いや、僕甘いもの苦手なんだが」


「…………? そんな人、この世界に存在しませんよ?」

「いや怖いんだが! 普通にいるだろ、そういう奴だって……」

「えいっ」


 リーズロッテは、ソリアの左手を両手で掴む。ソリアは驚いたように瞬きを繰り返した。彼女は悪戯いたずらっぽく微笑んでみせる。


「人は驚くことを言われると、判断能力がにぶるんです。その性質を利用させていただきました」


 ソリアは何も言わずに聞いていたが、少ししてリーズロッテの手を払い除ける。


「言っておくが、僕はお前と仲良くする気なんてないからな」

「そうなんですか?」


 寂しそうな表情を見せたリーズロッテから、ソリアは目を逸らした。

 一部始終を見守っていたジレが、口を開く。


「ソリア。そういうことを言ったら、リーズロッテさんが悲しむと思うな」

「…………」


 ソリアはいつものように言い返すこともせず、地面と目を合わせている。


「大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございますね、ジレさん」


 リーズロッテはジレに向けてそう言うと、ソリアの方を見た。


「ソリアさん。勿論もちろん、わたしと無理して仲良くしていただく必要はありません。でも、わたしはソリアさんとも色々お話しできたら嬉しいなって思っています。それを覚えていてくだされば幸いです」


 ソリアは顔を上げて、ちらりとリーズロッテのことを見る。

 彼の金色の瞳には、どこか怯えのような感情が含まれているように見えた。

 リーズロッテはそれに気付いたものの、特に追及することはしなかった。


「それではいきましょうか、〈ユクシアの森〉へ。お二人ともついてきてくださいね」


 彼女はそう口にすると、フーデッドコートをさらりと揺らしながら、淡い緑色の膜へと足を踏み入れた。

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