03

 リーズロッテが同行魔術師紹介所・エシテラシアに到着すると、一人の女性が彼女に向けて大きく手を振った。


「ああっリズちゃん、ちょうどいいところに! ちょっと来てほしい!」

「おはようございます、マールさん。今行きますね」


 女性――マール=アーシャスに、リーズロッテは小さく手を振り返す。そのまま、早足でマールの机の近くへ歩み寄った。


 マールはリーズロッテの二歳年上で、職場の先輩だ。暗赤色あんせきしょくの髪をバレッタでまとめており、橙色の瞳は大きくくりっとしている。


「どうかしたんですか?」

「それがね、計算書の数字が上手く合わないの! カエデ商店とのやり取りなんだけど」

「本当ですか? 見せてください」

「うう、ありがとうリズちゃん……!」


 マールから一枚の紙を受け取って、リーズロッテは項目と数字を照らし合わせる。


「ああ、ここの計算が合っていませんよ。掛け算を間違えています」

「ええっ、どこどこ?」

「〈星屑の湧水〉のところです」

「ええと、どれどれ……」


 マールは顔をしかめながら、紙を覗き込む。それから「あー、ほんとだあ! ミスってる!」と頭を抱えた。


「修正液、修正液……というかリズちゃん、よくぱっと見ただけでわかるよねえ。尊敬しちゃうー」

「まあ、計算は割と得意なので。それと、〈苞葉ほうよう傷薬きずぐすり〉が一昨日辺りから値下げして八ラハになっていましたよ。幾らか経費を抑えられるかもしれませんね」

「ほんと? 耳寄り情報ありがとうー」


 にこっと笑ったマールに、リーズロッテは「お気になさらず」と言って伸びをする。


「あれっ、リズちゃんまたケーキ買ったの?」

「はい、そうですよ。明日の朝ご飯にする予定です」

「……前からずっと思ってたんだけど、リズちゃんって野菜とか食べてる?」


「ええ。この前、〈ユクシアの森〉に生えている野草の色合いをしたケーキを食べました」

「なるほど、それなら安心……って色合い!? 野草を使ったとかではなく?」


 目を丸くしているマールに、リーズロッテはふふっと笑う。


「冗談です。野菜も週一くらいで食べていますよ」

「週一だと、栄養素が圧倒的に足りないと思うんだけど……」

「しょうがないじゃないですか、砂糖菓子が美味しすぎるのが悪いんです」


 そう言いながら、リーズロッテは胸を張る。マールは「頭のいい子って、やっぱり糖分が必要なのかなあ……」と零しながら、計算書の修正を終えた。


「ふう、できたできた。あれ、リズちゃん今日は探索同行?」

「そうですよ。ジレ=サンスヴェレさんと、ソリア=サンスヴェレさんという方です。プランBの一日目ですね」


 同行魔術師紹介所・エシテラシアには、幾つかの契約コースがある。


 プランBは一週間の契約けいやくであり、一日ごとに異なる同行魔術師が迷宮探索に同行する。

 契約終了後は、気に入った同行魔術師がいれば指名して新たな契約を結んでもよいし、今後特に同行魔術師が必要ないと判断すれば終わりにすることもできる。


 リーズロッテの言葉に、マールは自身の両手を合わせて笑った。


「そうなんだ、その二人なんだね!」


 リーズロッテは小首を傾げる。


「もしかして契約の際の対応、マールさんがやられましたか?」

「そうだよー」

「やはり。どんな方々でした?」


「ええとね、兄弟だよ! 二人とも、すっごく瞳の色が綺麗だった。お兄さんが銀色で、弟くんが金色なの。そういえば契約のときは、お兄さんとばかり喋っちゃったなあ。弟くんは、もしかしたら人見知りなのかも」


「なるほどです。そういうときは、砂糖菓子の話をすればいいんですよ。そうすれば、大体の人とは仲良くなれますから」

「……リズちゃんってさ」

「ん?」


 不思議そうな顔をしているリーズロッテを、マールは笑いながら見つめた。


「ちょっと変わってるよねえ」

「え? 本当ですか?」


 その返答に、マールは可笑おかしそうに吹き出した。


 ◇


 二階の一室にて、リーズロッテは一冊の本とノートを開きながら、筆記用具を走らせていた。魔獣に関する図鑑のようで、姿のイラストと詳細しょうさいな解説が書かれている。


「移動速度が素早いので注意が必要、白光はっこう魔術と黒闇こくあん魔術に弱い、と……」


 情報を音読しながら、本に載っている情報をノートに写してゆく。

 そのとき、こんこん、と部屋の扉が叩かれた。リーズロッテは顔を上げると、本とノートを閉じて机の脇に置く。


「どうぞ、お入りくださいー!」


 その言葉に呼応するかのように、がちゃりと音を立てて扉が開いた。

 現れたのはマールだった。扉が閉まらないように支えながら、「こちらですよー」と告げている。そうして、二人の少年が現れた。


 リーズロッテは椅子から腰を上げると、彼等に柔らかく微笑みかける。


「こんにちは、初めまして。よろしければ、向かい側の椅子にお座りください」


 二人は言われた通り、彼女に対面する形で座った。リーズロッテはそれを見届けてから、再び腰を落とす。マールはリーズロッテに目配せすると、部屋から出ていく。がちゃん、と扉を閉める音が響いた。


 ――ああ、確かに美しい瞳の色だ。


 リーズロッテは二人を見ながら、そう思う。兄の瞳は、降り落ちる雪を閉じ込めたような銀色。弟の瞳は、夜空で輝く星々を溶かしたような金色。どちらも随分ずいぶんと珍しい色合いだな、という感想を抱く。


 髪の色は二人とも同じで、夜の海を想わせる紺色だった。兄の方は長めの前髪を流しており、弟の方は横髪に真紅しんくのヘアピンを一つ付けている。


 ――というか、二人ともイケメンだな。兄はあっさりした顔立ち、弟は中性的な感じだから、若干系統は違うけど……


 そんなことを考えながら、リーズロッテは姿勢を正して言葉を紡いだ。


「改めまして、お二人の迷宮探索に同行させていただきます、同行魔術師のリーズロッテ=グレイムーンと申します。本日はどうぞよろしくお願いしますね」


 小さく頭を下げたリーズロッテに、兄の方が口を開く。


「こ、こちらこそよろしくお願いします。俺はジレ=サンスヴェレです、十七歳です!」

「ジレさんですね、ありがとうございます。ああ、それと、別に敬語でなくていいですよ? わたしは十九歳なのでお二人と歳も近いですし、よければ気楽に喋ってください。わたしは基本的に誰に対しても敬語なので、このままいきますが」


「ええと、そうなの……? じゃあ、砕けた口調で話させてもらうね」

「はい、是非。……貴方のお名前も、伺っていいですか?」


 リーズロッテは弟の方に向けて、そう問い掛ける。俯いていた彼は顔を上げて、警戒心のにじんだ視線でリーズロッテを見た。


「……ソリア=サンスヴェレ。十五歳だ」

「ソリアさんですね。十五歳で迷宮探索者になられたなんて、すごいですね」


 リーズロッテは、素直な思いでそう口にした。


 迷宮には魔獣や罠といった危険が含まれるため、誰でも迷宮探索者になれる訳ではない。国の様々なところにある魔術学院を卒業し、魔術師と認められた者だけが、迷宮探索を行うことを許可される。


 魔術学院には十二歳の者から入学することができ、卒業には基本的に五年の年数を要する。飛び級のシステムも存在するが、認可されるのは相当優秀な学生だけなので、十五歳の段階で魔術師となるのは随分とレアケースだ。


 ソリアは腕を組みながら、リーズロッテをにらむように見つめる。


「僕は別にすごくなんてない。周りの人間が馬鹿なだけだ」

「ちょっと、ソリア。そういう言い方は……」

「卒業要件ギリギリで卒業した上に、『弟さんと一緒に卒業なんだ(笑)』と散々言われてきた兄さんは静かにしてろ」

「あ、はい、すみません……」


 しゅんとするジレをよそに、ソリアはまた俯いた。


 ――おお、弟くん結構とがってるな……


 心の中でつぶやきながら、リーズロッテは机の上で自身の手を組み合わせる。

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