第10話 ボスモンスター

 目の前に現れたのは、全身緑色のバケモノ。


 スライムの時と同じだ。ゲームや漫画で見たことある。人間の子供くらいの背丈に、棍棒持った緑色のモンスターなんてアイツしかいない。


 パッとポチの頭から手を離して、その名を呟く。


「……ゴブリン、か?」


 すると、目の前のモンスターは僕の疑問に合わせて呻き声を漏らす。


「ギィ……ギギ!」


 言語は人間のそれではなかった。ガラガラかつ低音な声を口元から飛ばし、痩せ細った手で棍棒を構える。まるで威嚇するように、徐々にこちらとの距離を縮めていった。


 逆に僕は、じりじりと後退しながらポチを連れて離れる。


 脳裏に逃亡の二文字が浮かんだ。


 ——逃げ切れるか? 相手の足は、見たとこあまり早そうには見えない。そもそも強そうにも見えない。だが、勝てるか? ポチならあんなモンスター倒せそうな気はする。……いや、ダメだ。確証がない以上は危険すぎる。


 最終的に、撤退の二文字を選ぶ。


 足元にいるであろうポチへ向けて僕は叫んだ。


「ポチ! 急いで逃げ————……あれ?」


 ちらりと自分の足元を見た。


 足元にいたはずのポチが、——そこにはいなかった。


 思わず出かけた言葉が喉元で詰まる。驚愕に目を見開くと、次いで、前方で汚い低音が聞こえた。


「——ギエッ!?」


 ゴブリンの声だ。


 半ば反射的にそちらへ視線を滑らせると、さらなる驚愕に見舞われる。


 先ほどまで殺意丸出しでこちらににじり寄っていたはずのゴブリン。そのゴブリンを、僕のそばから離れていたポチが、恐らく前足の爪で。そうとしか思えない光景が、視界に飛び込んできた。


 なぜポチがゴブリンを切り裂いたと思ったのか。それは、ゴブリンの肩口から腰までを斜めに刻む数本の爪跡と、飛び散る鮮血を見たから。しかも倒れるゴブリンのそばには、ポチの姿まであった。


 ここまで情報が揃っておいて、ポチ以外の犯人を探す必要はない。現行犯だ。


 加えて、ポチがちらりと僕を見上げ、いかにも「この気持ち悪いモンスターを倒したよ? ほめてほめて~!」みたいな表情を浮かべている。


 犯人は君だね……。グロいよ、ポチ……。


 倒されたモンスターが消えるまで、若干のタイムラグがある。それゆえに、飛び散ったゴブリンの赤い血を浴びたポチが、元気よく僕のほうへと駆けてくるのを避ける。


 今度は違う意味で血の気が引いた。ゴブリンと遭遇した時より切迫した空気が流れる。


「ま、待って待ってポチ! その血まみれの状態でこっちに来ないで! すごく汚れるから! 消えるとしても感触が嫌すぎる!」


 慌てて激しく待ったをかける。


 それを聞いたポチが、わかりやすく「がーん!?」という表情を見せた。


 それはそれでものすごく可愛い。が、血まみれなことと相まって良心がものすごく痛んだ。


 すると、タイミングよくゴブリンの血肉が、紫色の霧となって消える。ポチの全身をホラーチックに染めた血も、同じように蒸発した。


 今度こそポチを抱擁して迎え入れる。


 ひと悶着こそあったが、結果的に言えばウチのポチは最強かもしれない。


 その確証がより強まった。


 だってスライムもゴブリンっぽいモンスターも一撃だよ? これは普通に強いと言っても過言じゃないのでは⁉︎


 そんな親バカを発揮しつつ、ポチの頭を激しく撫でまくる。片や恐ろしい力を秘めるポチは、とろけきった表情でそれを受け入れる。


 可愛さ二倍で写真を撮った。パシャパシャパシャ!


「……それにしても、ポチはすごいなあ。テイマーっていうのがモンスターを使役して戦うものだとしても、僕より絶対にポチのほうが強いよね……。探索者に憧れてた健全な少年からすると、それも自分の力だと思いたい半分、足手まとい半分でちょっと気まずいよ……」


 撫でるのをやめた僕の顔を、しきりにポチがぺろぺろと舐める。


 そんなポチを見下ろして、素直な感想が漏れた。


 これがかつて、僕が憧れていた探索者としての姿なのか? 


 否。絶対に違うと言える。


 だが、探索者になれたのはそもそもポチのおかげだ。文句を言う資格は僕にはない。


 人の顔を唾液まみれにするポチを止めて、僕たちのダンジョン探索は再開される。この様子ならまだまだ余裕があるし、ポチも遊び足りないと言っている。


 ポチの戦闘力をたしかめるという意味でも、僕たちはダンジョンのさらに奥へ進むことを決めた。




 ▼




 ダンジョン第一層を歩くこと一時間。


 ほぼ直線を歩き続けた僕とポチは、とうとう目的のものを発見した。


 それは、目の前にそびえる石造りの扉だ。


 これはダンジョンの各層に配置されている、ボスモンスターのエリアへ繋がる扉だ。ボスモンスターとは、通常の個体よりはるかに強いモンスターのこと。


 それゆえにボスモンスターは、下層へ続くエリアを守護するためにそこから一歩も外へ出ることができないらしい。


 ダンジョンのさらに下へおりたくば、そのボスモンスターを倒さなきゃいけない。


 しかし……。


「……さすがに、初日からボスモンスターに挑むのは無謀だよね。残念だけど、そろそろ地上に戻ろうか。わりと結構な数のスライムとゴブリン、それに変な犬みたいなモンスターは倒したから十分でしょ?」


 そう視線を下げて言うと、ポチは納得がいかないのか目の前の扉をガリガリと爪で引っかく。


 「イヤッ! たおすっ!」と抗議の声をあげていた。


「わんわんっ! わふ!」


「えー……いくらなんでも危険だよ。ボスはこれまで倒したどのモンスターより強いんだよ? それでも戦いたいの?」


「わふっ」


 ……マジかよ。どんだけ殺意高いのこの子。


 無理やり命令すれば引き下がるだろうが、僕だってボスを前に帰りたくない。その気持ちは一緒だ。


 それに、不思議とポチなら勝てる——という予感があった。これもテイムスキルによる影響だろうか?


 最初は強さが欠片もわからなかったのに、道中で見たポチの活躍を見て、ポチならいけるのでは……? と思いたがってる。


 ——やるか? いや、でも……。


 煮え切らない僕の態度に、「はやくはやく~!」とポチが大きな声をあげる。




 先に折れたのは、僕のほうだった。




 最悪、危険だとわかれば逃げればいいか、と考えながら扉に手をかける。


 扉は外見の厳つさに比べ、簡単に開いた。




 扉の先には、やたらひらけたエリアと……やたらデカいゴブリンが立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る