10.5 吾輩はマロンであるー1ー
吾輩はマロンである。名前は真世がつけてくれたのである。名前の元は母君が栗のすぃーつが好きだから、らしい。
ちなみに栗は旨いので好きである。焼いた栗の実しか食べたことがないが、いつか、立派な長寿犬となり、もんぶらんを食べるのが吾輩の夢である。
最近、真世はす○っちなるものを買って、いろいろいじっている。
なんでも、ぐのー○あ、なるゲームにはまっているらしい。
人狼を模したゲームらしいが、人相手でもないのに、まあ、よくはまり込んだものである。
ゆうち○ーぶの実況動画なども観たり、攻略さいとなども覗いている。
でんじは、なるものが実在するかどうかは吾輩には存じ上げぬが、もし、あるならば、真世はでんじはで茹で上げられてしまうかもしれぬ、と少し心配しておる。
まあ、げぇむしたさに朝起きられるようになったので、朝さんぽ、略して朝んぽをしてくれるようになったのは喜ばしいかぎりである。そうそう、より、吾輩に尽くせよ。
まあ、この記事を書いているのは、9月の初旬であるからして、吾輩の言葉が皆様に届くころにはすでに真世はぐのー○あなるものに飽いているか、もしくは、攻略してしまっているかもしれぬ。こればっかりは未来のことなのでわからぬが、遅筆な吾輩の主人と、吾輩をどうか許してほしい。
さて、三年後の自分へ、という壮大なタイトルを真世はつけたらしいが、吾輩には三年後の未来という概念はしっくりとはこぬ。
吾輩は『今』が一番、大事だと感じる。
たとえば、母君に寄り添って寝ているときはその体温を感じている「今」
ご飯を食べているときは、そのご飯を味わっている「今」
散歩をしているときは、道みちにある様々な匂いを感じながら足裏に心地よい感触を得ている「今」
真世はいつも、自分は役立たずの、なんの得にもならない存在だと不幸そうな顔をしている。
あれでは、飯もまずかろう。
ご飯を食べるときに自分で稼いだお金で食べているわけではないから……などと涙をこぼしはじめたこともある。
人間というのは、そのようにものを考えるのかと吾輩は驚いて、ぽろぽろ泣いている真世を仕方なく慰めに行った。
真世の過去を少しは知っているが、あまりよく覚えていない。
びょういん、というところに入ったから数か月会えぬ時もあったな、ぐらい。
真世の未来はどうなるかは吾輩にはわからぬ。知らぬ。
真世は書けぬ、どうしても書けぬのだ、と苦しそうに言うから、では、書かなければいいではないか、馬鹿なのか、と、その目をのぞき込むと、
「でも 書きたいの」
と、やはり苦しそうに言う。
書かなくても苦しい。
書いても苦しい。
仕方ないので、吾輩は少し力を貸してやることにしたのである。
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