第23話:灰魔熊

 ローグが自分の不利を誤魔化そうとして口にした嘘かと一瞬思った。

 だがそうではなかった。

 本当に危険な存在が近づいて来ていた。


 (急げ)


 ローグが声に出すことなく、素早い手ぶりだけで移動を指示する。

 俺もローグの反応を見て周囲を探ったが、確かに脅威が近づいている。

 その恐ろしさは、馬達の怯えからも察せされた。


 ローグが近づいてくる脅威の風下を取ろうとする。

 できる事ならやり過ごしたいと思っているのだ。


 ローグほど自分の欲望に忠実な人間が、狩るのではなく避けようとする相手。

 俺も出来る事なら避けたいのだが……


「ドラゴン、馬を犠牲にするか、命懸けで戦うを選べ。

 俺様は馬を犠牲にする方を選ぶ」


 ローグらしい判断だ。

 ローグも馬を可愛がっていなかった訳じゃない。

 それでも、馬を犠牲にしなければいけないくらいの脅威なのだ。


 俺だって、究極の選択を迫られたら愛馬よりも自分の命を選ぶ。

 陛下と愛馬の命ならば、当然陛下の御命を優先する。


 だが、だがだ、できる事なら馬達は犠牲にしたくない。

 少なくともローグよりは馬の方が大切だ。

 

 隠していた攻撃魔術を表に出す事で、さっき口にした事を嘘だと罵られる事になるだろうが、それでも馬達は助けたい。


「ローグは先に行ってくれ」


「そうか、好きにしろ」


 ローグもできるだけ馬達を助けようとした。

 もう風下に逃げられない、少なくとも馬の脚では行けないドン突きまでは、馬の手綱を持って一緒に逃げた。


 ローグは自分の割り当てになっている馬の一頭を木に繋いだ。

 残る二頭は木に繋がず、逃げられるようにした。

 そして自分は、金銀財宝の詰まった麻袋を担いで崖を下りた。


 木に繋がれた犠牲担当の馬は落ち着いている。

 馬はとても賢いので、自分が生贄にされた事を知っている。


 それでも騒がないのは、俺が見捨てないと信じてくれているからだ。

 その期待には応えたい、応えなければいけない!


 徐々に気配が近づいてくる。

 ここで出し惜しみして、馬だけでなく自分まで死ぬわけにはいかない。

 何としても日本に戻って、陛下の安否を確認するまでは、死んでも死にきれない!


「俺を殺そうとする連中から守ってくれ。

 戦って打ち勝てる強さを与えてくれ。

 最悪の場合に逃げられるだけの魔力を残しておいてくれ

 必要最低限の魔力で目的を達成させてくれ。

 マジック・プロテクション。

 マジック・フィジカル・エンハンスメント。

 ソール・コンプレッション・ランス」


 俺は身体全体を包む無色透明の魔力鎧を思い浮かべた。

 同じく、身体を巡る気と血脈に魔力が混じり、常人では出せない、荒唐無稽な力が出せると思い込んだ。


 強制召喚されてから三カ月、この世界を放浪してきたのだ。

 魔力や魔術についても見聞きしてきた。

 ようやく魔力も魔術も現実にある物だと納得できた。


 今はそれを自分の身体に宿らせるだけだ。

 外に放出するのではなく、自分の身体に宿らせたらローグに見られる事もない。

 実際に表に出すには、一度はローグに見られてしまった魔術だけだ。


 ギャアアアアアン

 

 断末魔だろうか、敵の気配が途絶えた。

 あれだけ恐ろしい気配を撒き散らしていた敵が、一瞬で気配を消した。

 自分が敵城で放った岩盤製の槍が思い浮かんだ。


 ローグが戻って来ないうちに敵の様子を見に行く。

 素早く木に繋がれた馬のいましめを解いてやる。

 もうローグに馬達を委ねたくない思いが強い。


 敵が下って来ようとしていた獣道だ。

 馬達が登れない訳ではない。

 俺が剣鉈を振るってやれば、馬でも登りやすくなる。


 この剣鉈はここに来るまでの村で買った物だ。

 俺が日本で見た事のある剣鉈よりも刀身が長い。

 それこそ中剣と言っていいくらいの刀身長がある。


 片刃で、フォルシオンやカットラスほどの身幅がある。

 身幅だけでなく重ねも厚い。

 金太郎の担いでいた鉞ほどではないが、日本刀とは比較にならない厚みだ。


 その剣鉈を縦横無尽に振るって藪を払い、道を切り開く。

 その後を六頭の馬が続く。

 それほど歩くことなく、俺達襲おうとしていた敵に遭遇した。


 でかい、信じられないくらい、どでかい熊だった。

 日本に住む蝦夷ヒグマなど子供だった。

 アラスカヒグマやハイイロヒグマでも半分以下だ。


 背中だけが灰色で、それ以外は濃い茶色の毛色だった。

 何物をも引き裂けるような鋭く長い牙が見える。

 血の滴る爪は硬い木々も圧し折り薙倒せるだろう。


 だが、そんな強大な存在も、今は命尽きている。

 俺が創り出した、圧縮された岩盤製の岩槍に、全身を刺し貫かれている。

 ひと目で素材としての価値がとても下がっているのが分かる。


 猟師や冒険者として熊を狩るのなら、毛皮はもちろんだが、なにより熊胆を傷つけないようにしなければいけない。


 肉を食べるのなら、臭みが血液に流れないように、内臓を傷つけないようにしなければいけない。


 熊胆や肉を利用しようと思えば、絶対に内臓を傷つけてはいけないのだ。

 それなのに、目の前に巨大熊に腹に岩槍が突き刺さっている。


「俺の役に立つ獲物を時間を止めて保管しろ。

 パントリー」


 それでも、食料にも使える熊だから、時間を止めた状態で保管する。

 ローグに隠れて色々と試したが、保管する魔術にも幾種類かあった。


 一つ目は、時間を止めた状態で保管する方法。

 二つ目は、時間を止めることなく保管だけする方法。

 三つ目は、時間は止めないが、冷凍状態で保管する方法。

 三つ目の亜種だが、冷蔵状態で保管する方法もあった。


 このままローグを置いて行くか?

 馬を見捨てて逃げるような奴と一緒に行動するのは嫌だ。

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