最終話 拙き少女のヴェンジェンス(5)
いまだ安全が保たれているあの会議室、拠点長以下幹部連中の前に、私とタンノは舞い戻っていた。
「それで丹野監察官、話とは。わざわざ呼び出したという事は、何か進展があったと、そう思って構いませんね?」
不審げに私達を見回しているが、しょうがないだろう。
なんて言ったって、私達は目立った怪我をしてはいないもののおびただしい返り血で服も髪もぼろぼろだ。
部屋に入った瞬間、顔をしかめた幹部もいたから、匂いも酷いのかもしれない。
「群れのルールに関しては、もうお聞きしているかと思いますが」
「はい。一人一噛みのルールが群れに適応されている事は検証済みです」
「そうでしたか。であれば拠点の崩壊にまでは至らないかと」
「とはいえ、既に死傷者は数百名に及んでいます。……その子を連れてきたからには、交渉の結果が出たという事ですか」
全員が私達の中のとある一人に注目した。この災禍の実行犯にしてエタニティ、アズサである。
アズサはルカの勧めでフルフェイスヘルメットを被っており、あの頭部を隠している。これで目のやり場に困る事はなくなった。
ただバランスが悪いらしく、しきりに両手でヘルメットを支えたり、角度を調節したりを繰り返していた。
「いえ、交渉はこれからです」
タンノがそう言うと、アズサが前に出た。会議室に緊張が走る。
「拠点長さん。あの群れ、引き下げてあげますよ。これから言ういくつかの条件を飲めるなら」
「その条件とは?」
「あ、その前に、この建物の職員とか、そこの警備とか、下っ端の人達はこの部屋を出て行ってもらえるかな。これから大事な話をするから」
「問題ありません。では、主要幹部だけ残るように。警備も出て行って下さい」
拠点長の指示に従い、ぞろぞろと出ていく大幹部未満と警備達。
「それと、丹野さんも。私は戸棚原に話をしにきた。阿僧祇は出て行って。それと常用者とか住民の管理を一任されている人っている?」
「……わ、私ですね」
恐る恐る手を挙げたのはイルマ氏である。久しぶりに見た。
「あなたも出て行って。これからする交渉にあなたは不要」
拠点長に黙って頷かれたイルマ氏が、タンノと共に退室。
「彼女は残っていてもいいのかね」
拠点長が言っているのは私の事だ。
「真千子ちゃんはいいの」
「……分かりました。それで、条件とは」
アズサは理由になっていない言い訳をしたが、拠点長らは私の存在は無視する事にしたようだ。ここで交渉相手の機嫌を損ねる必要もないし、賢明な判断だろう。
部屋に残されたのは拠点長含め六人の幹部達。それに、アズサと私。
そして、遂に提示される一つ目の条件。
「まずはこの拠点の常用者に自由を。丹野さんから聞きました、徹底管理の実態を。もちろん、管理は必要ですが、通行不可や入場できない施設はやり過ぎじゃない?」
「分かりました。お約束します」
あっさりと快諾。常用者として部屋に閉じ籠もっていたアズサらしい提案。
「次に、外の小規模拠点等の生活者に十分な支援を。人口抑制なんてするくらいなら、あんな壁取っ払って土地を広げて、彼らに快適な生活を与えるように」
「……善処します」
「歯切れが悪いな。……まあいいか。次が最後の一つ――」
静まり返った会議室に、その通達が為される。
「――この場にいる全員。今、ここで、ロングタイム2000を飲んで」
「……そ、それは」
流石に狼狽する拠点長。どよめく幹部達。
「それができないなら交渉は決裂。群れはそのまま。なんならあなた達の態度が気に食わなくてルール変更するかも。本来の服用者みたいに自由な食事が許可されたら、この拠点はどうなると思う?」
これは交渉ではなく半ば脅迫だ。条件を飲まなければ、拠点陥落の可能性は高まる。そうでなくても致命傷足りうる。
それに今のアズサならルール変更によって、常用者をも襲う服用者すら生み出せるのだ。
「真千子ちゃん」
アズサの一言で、私は準備していたロングタイム2000を各幹部に配った。
それぞれ、自分には関係ないと思っていた代物だったのだろう。受け取るその手は震えていた。
「……江藤梓さん、これを飲んだら、約束は守られるのですか」
「もちろん。むしろそっちこそ、ちゃんと守れるの? 手の届く範囲以上の人を幸せにするって」
アズサが改めて条件を突きつけた。
「ええ、守りますとも。内も外も小規模拠点まで、しっかりとしたケアを行います」
そう答えた拠点長に、異を唱えたのは幹部らだった。
「ちょっと待って下さい! こんな口約束で我々が薬を飲むなど、そんな必要あるんですか?!」
「そもそも、このエタニティが襲撃を仕掛けてきたのに……、一方的が過ぎるのでは」
一様にそんな事を言っている。
「みなさん落ち着いて下さい。いずれにせよ、飲み続ければ問題ないのです。常用者になっても人間です。すぐに服用者になる訳ではない」
拠点長が場を鎮めると、アズサが口を挟んだ。
「よく分かってるじゃん。常用者だって人間。そうでしょ?」
その言葉に、全員が押し黙る。何か後ろめたい事でもあるのか。こいつらは。
「……い、入間管理官はどうして退室させたんだ。彼は服用者の管理担当。その条件ならこの場にいてしかるべきではないのか」
幹部の一人が、なんの意味もない道連れまでしようとする始末。往生際が悪い。
「だからこそだよ。彼は常用者じゃないけど、常用者に寄り添ってた。物資とか管理体制とか、権力に物を言わせて締め付けをしてたのは、あなた達みたいな現場に出ないでふんぞり返ってるだけの人達でしょ?」
「知った風な口を……」
「阿僧祇中枢拠点の丹野遊菜監察官、彼女の一年間以上に及ぶ調査の結果だそうです。異論があるなら中枢にどーぞ」
「あ、あの女……。やっぱり入間贔屓か……」
「あんまりそういう事言わない方がいいよ。丹野さんは命懸けで私と殴り合ったんだから。この交渉は、その気概に応えての事。そういう一面もあるのを忘れないで」
「…………」
おお、どいつもこいつも刺さってる刺さってる。
大の大人が全員、ヘルメットをつけた変な女の子に言葉でボコボコにされている。爽快まであるな、これ。
「分かりました」
そう一言、拠点長はアズサを真っ直ぐ見て、掌に乗せた薬をこちらに向けてから、口に放り込んだ。
「荒田拠点長……?!」
その行動に幹部らが慄いている。
手元の水で薬を腹に流し込んだ拠点長はさらに一言、「みなさんも覚悟を決めるように」そう告げた。
「やるじゃん。流石、私の頭ぶち抜いただけの事はあるね。他の腰抜けとは大違い」
アズサが、素直にその行動を讃えた。
その後、幹部達も、観念したように、震える手で、一人、また一人と薬を服用していった。
そして最後の一人が涙目になりながら、それを終えた所で、拠点長が口を開いた。
「交渉成立、で宜しいですか」
「一応ね。でも念押しはさせてもらう」
その一言を合図に、私は背中に隠し持っていたナイフを取り出し、自分の首筋に当てた。
「な、何を」
狼狽する幹部達。
「彼女が常用者だって事は知ってるよね。私が服用者だけでなく常用者にも影響を与えられる事も報告されてるはず」
「承知しています。ですがこれは……」
「あなた達が私との約束を破ったり、少しでもその『善処』とかいうのを怠ったら、全員即座に死んでもらう事になる」
「は……?」
「そういう暗示をあなた達にかけた。彼女も私が指示すればいつでもこの場で喉を裂いて死ぬ。流石に分かるでしょ。この言ってる意味が」
徐々に押し込まれるナイフ、流れ出る血が鎖骨に伝わるのを感じる。
あの拠点長すら、瞳に恐怖に宿っている。
彼らは初めて肌で感じている。目の前の脅威の影響下にある事を。
気持ち悪くなるくらい甘ったるい香りが会議室に充満しているのを実感し、自分達が常用者となった事実を突きつけられている。
かくして支配者達の心は折られ、街は守られる事となった。
「おかえりー」
ホテルの一室で、私とアズサを出迎えたのはカガミ、シルビアの居残り組。
「ただいま。ルカは?」
「イルマさんのとこ。そっちこそタンノユウナは?」
「めっちゃ忙しそうにしてたし置いてきた」
「という事は交渉成立?」
「ばっちりだったよー。真千子ちゃん、意外に演技派?」
「マチちゃんは劇団タンノの一員だもんね」
「その話はやめて」
アズサが拠点長らにかけたと豪語した暗示。結論から言うとそんなものはないのだった。
彼女は服用者にルールを課したり、操ったりできる。その効果範囲は絶大だが、常用者に関してはそうでもないらしく、あの香りで身体を極度に脱力させたり、意識を曖昧にする事ができるくらいらしい。それでも大したものなのだが。
という訳で、私は、操られて今にも自殺しそうな常用者を演じさせられたのだった。
私の演技力だけでは心許ないが、香りも相まって信じ切っただろう。こうなれば一種の暗示である事には変わりない。
「アズサが酷い事したのには変わりないけど、イルマ氏を見逃してくれたのだけは、ルカの代わりにお礼言っとくよ」
「丹野さんに免じてっていうのは本当だし、瑠夏ちゃんのためでもあるからね」
ヘルメットを両手で支えながら言う。
「そういえば、二人で帰ってきたの?」
「まあ……、そうだよ」
「車?」
「まあ、ね」
「ルカちゃん。マチちゃん滅茶苦茶運転下手だったでしょ」
「うん。十回壁に擦ったくらいから数えるのやめた」
改めて言うな。だから、運転は全部カガミに任せてたのに。
「久しぶりにシルビア、触ってもいーい?」
「今はダメ。シャワー浴びてきて。服も凄い事になってるから」
「はーい」
カガミに注意されて、浴室に向かったアズサだったが、
「真千子ちゃん。一緒に入ろー」
と戻ってきた。
「なんで一緒に」
「この頭、ヘルメット外せないし。手伝ってくれないと浴室、私の断面からの血で真っ赤になるよ」
「……しょうがないな」
ほんの数時間前まで生き死にのやり取りをしていた相手とシャワーも浴びられる。
突然降って湧いた親友と人前でハグもしたし、自分の適応能力には惚れ惚れする。
その後、アズサは、ホテルにやって来たタンノに、挨拶もそこそこに連れ出された。共に街中を駆け巡り、群れに撤退指示を出して回るらしい。
今回の件で一番難儀な立場になったのはタンノだろう。
戸棚原第四基地と阿僧祇中枢拠点の間に挟まれ、しかも一時的にエタニティのお守りまでする事になった。
当分は目が回るような忙しさだろう。多忙が極まって過労で倒れなければいい。
そうして次の日の朝、街はまだ慌ただしさを残しているが、群れは着実に街の外に引いていっている。いずれ人々も元の生活を取り戻すだろう。
元の通りにいかないのは上層部の方だ。
アズサとの約束を守るならば、その管理体制を一から見直す事となる。
タンノの報告によって中枢からも釘を刺されるかもしれない。その中枢がまともであればだが。
私達は早速、街を出ていく事にした。ここまで関わっておいてあれだが、愛着もないし、長居して色々ややこしい事になっても困る。
特に私のこの街での肩書きが、タンノの親友だの、中枢の捜査員だの、エタニティに操られた常用者だの、意味不明な事になっていて私自身も混乱している。
であれば、さっさと関係ない場所に逃げるが勝ちと判断したのだった。
「ルカ、見送りありがとう」
「いえ、遊菜さんも梓さんも当分は忙しいようなので、せめて私だけでもと」
私達はいつかのスーパーマーケットの裏手、ルカと初めて会ったあの場所に集まっていた。
「駐車場の方に車ありますから、それを使って下さいとの事です。あとこれが出場票と車のキーです」
カガミがそれを受け取った。
「ルカは大丈夫?」
「はい、入間さんも元気でした。梓さんのおかげです。て言っても彼女、完全に悪者ですけどね。人もたくさん死んでいるので……」
目を伏せるルカに、完全解決とまではいっていない事を改めて思い知らされる。
「そういえば、アズサの事。どうやって説得したの? 二人で何話したのさ」
「大した事は話していません。私の事を話して、彼女の事を聞きました。それで一つだけ提案したんです」
「提案?」
「はい。拠点長に常用者になってもらおうって。一番偉い人が常用者になれば、ここも変わるかと。ただ結局、遊菜さんから聞いた感じだと、トップ一人をどうにかして変わる問題ではなかったらしく、何人かになってしまいましたが……」
「とんでもない事考えるね」
「梓さんを撃った人間ですからね。それに死ぬわけじゃない」
そう、常用者になるだけ。死ぬわけじゃない。
「――あ、あと誘ったんです」
「誘った?」
「はい、ここの役目が終わったら、一緒に外に出ようって。小規模拠点を巡って、色んな人の力になれたらと」
「それは……、大変だよ、外は」
「真千子さん達と過ごして骨身に染みました。それでも、というより、だからこそなんです。お二人を見てて良いなって思ったんです」
「私達を見て、ねぇ」
カガミがニコニコしながら肩に手を置いてきた。いちいち鼻につくな。
「それに、旅のついでに人助けをすれば、梓さんの罪滅ぼしにもなるかな、と」
「人助けはついでなんだ」
「人助けはついでですね」
あのマンションで出会って以来、アズサはルカに一目置いていて、ルカもまたアズサを気に入っているようだった。
お互いの親は殺し合ったが、その娘達はどうも馬が合ったらしい。
「私、そろそろ行きますね。入間さんが家にいろってうるさいんです。それに梓さんとの計画の事も話さなきゃ」
アズサが指を差した先には、スーツの男が立っている。イルマ氏ではないが、彼がつけた護衛だろう。まだ服用者がうろついている可能性があるから念のために、といったところか。
「イルマ氏、慌てるだろうね」
「そうですね。私を拠点に留めるっていう作戦も完全に失敗ですしね」
そういえば、最初はそんな話だったか。
「というわけでお別れ前に失礼して……、シルビアは本当に凄かったねえ」
そう言って屈み、我らが守護神を撫で回すルカ。
「――あ、あと遊菜さんから『ご迷惑おかけしました。それとありがとうございました』とだけ」
「本当、いい迷惑だった」
「でもおかげで、私生きてます。梓さんとも仲良くやれそうです」
壮大な寄り道だったが、二人の終わりが良ければなんでもいい。
「じゃあ今度こそ行きますね。また戸棚原で、もしくは旅先で会いましょう」
「うん、会うなら旅先かな」
駆け出し手を振るルカを見届けて、私達は表の駐車場に向かった。
「凄い! 前乗ってたやつっぽい!」
タンノが寄越した車は、この拠点に入る前に失った白いバンによく似ていた。
「後ろにも色々積んである。タンノ忙しいだろうによく手が回ったなあ」
「もう行こう! タンノユウナとはおさらばだよ!」
早速運転席に乗り込みながらカガミが息巻いている。
シルビアを後ろに乗せてから、私も助手席に座った。
「なんでそんなにタンノの事、目の敵にしてるのさ」
「別にいいでしょ。ほら行くよ!」
エンジンを掛けるカガミの横顔を見ながらようやく分かった。
「あ、妬いてるのか」
「今、気付いたの?!」
「悪かったって。でもなあ、カガミも薬飲んでたら一緒に来れたのに」
「嫌な冗談」
「アズサのが移ったかな」
ボロボロで山積みの死体の処理も全く終わっていない検問所に着き、一人の衛兵に出場票を見せると、大慌てでバリケードの一部をどかして通してくれた。
出場票には『荒田』の印が押されてあったし、封鎖状態でもすぐ出られるようにタンノが根回してくれたのだろう。
そして、危険だが自由な外に、いつものメンバーで無事に出る事が叶った。
怪我はしたが、タンノに切られた左手と、殴られて欠けた奥歯、自分でちょっとだけ切った首の皮くらい。
まあ、こんなもんで済んだのなら御の字だ。
道路を走っていると、拠点から抜けてきたのだろうか、服用者が何人かのそのそと歩いているのが見えた。
「マチちゃん。外に出た服用者って、一人一噛みのルールってどうなったのかな」
「それ私も気になってアズサに聞いたら『ないしょー』だって」
「性格悪いなー」
「普通に襲ってくるもんだと思ってれば、なんにも変わらないよ」
「常用者は気楽だねー」
「なにそれ」
「さっきの仕返し」
お互い、真面目な顔をしていたが、堪えきれなくなって笑ってしまったのは私の方だった。
「あはは、どっち向かう? マチちゃんの好きな方でいいよ」
「ハルタホテル」
「即答だね」
「結局、あそこが一番落ち着く。そうしたらしばらくそこで過ごそう。もう疲れた。しかも体中筋肉痛……」
「今回は本当にお疲れ様。……なに、じっと見て。運転中だから、なんにもしないよ」
「車、止めれば」
「……それは名案」
根は真面目だとか、面倒見が良いとか、そういう事を言われる事もある。
だけど、本当に真面目なら、あの拠点で出た死傷者達に思いを馳せるし、アズサももっと叱る。
でも私はそんな事はしなかった。
知らない誰かが何人死のうが、私達には関係ないし、そんな事を考えていたら切りがない。
ルカもタンノもその辺は割り切った。だからアズサの譲歩で手を打った。
私は、私の手の届く範囲、目に見える、私達に利のある人間だけを助ければ良い。
そうする事で私達は、この世界を楽しく過ごせる。
まあ、なんだかんだ人助けは気持ちいいし、嫌な出来事だって思い出さずに済む。
だから、全てはこの時のため。
カガミと一緒に次にどこに向かうか決めて、一緒に起きて、一緒に食べて、一緒に寝て。それから――。
本当に最高、今この瞬間が一番楽しい。
そんな当たり前の事を確かめ合うように、私達は――、
「シルビア、あっち向いてて」
空気の読めないお犬様に文句を言って、私達は、二人揃って笑った。
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