最終話 拙き少女のヴェンジェンス(4)
私は異変に気付き、周りを見回した。
街の中心に向かっていたはずの群れの一部が戻ってきている。
その数、百人程だろうか。あの群れに比べれば大した事ない数だが、たった一人を仕留めるには十分過ぎる物量。
「もういいよ。そういうなんにもならない問答は」
アズサが呟く。
「江藤梓。覚悟はいいですか」
「それ、こっちのセリフ。流石に私だって死にたくない。死に方は分からないけど万が一もある。だから私はルールを破る、これが私の最善」
群れが、検問所を囲い始める。
まだ距離はあるが、同時に来られたら一溜まりもないだろう。
「アズサ、こいつらを止めて。タンノも落ち着いて――」
「丹野遊菜が武器を離したら、私も私の武器を下ろす」
「先程も言いました。私は、退けないんです」
「残念」
思い切り、無心で突っ込むタンノ。
それを立ったまま、抵抗せず受け入れるアズサ。
両手で構えたマチェーテが、アズサの胸を貫いていた。
体重がかかり倒れ込む二人。
緩慢ながら確実に標的の元へと向かう服用者達。
私は、その内の一人の腕を引っ張って、進行を妨害したが、そんなのでは足りない。
武器を持った隊員達も必死で、一人また一人と撃退していくが、それでも足りない。
一方で、タンノがアズサに馬乗りになりながら、その胸からマチェーテを引き抜いていた。
それをもう一度振り下ろそうと、腕を上げたその瞬間、服用者の一人がその腕を掴んだ。
間に合わなかった。
掴んだ腕に、がら空きな腹に、無防備な背中に、三人の服用者が噛みつこうと顔を近付けている。
襲ってきたのが一人なら、噛みつかれた後も生き残り、常用者として生きていく道もあるだろう。
だが、飛びかかっているのは複数人。失血なりショックなりで、まず死ぬ。
だからタンノだって、そのセオリー通り、ここで終わりのはずだった。
――だが、そうはならなかった。
タンノを襲った三人、全員の首が、一瞬で綺麗に刎ねられている。
そして、それをやったのは誰か。
タンノではない。彼女のマチェーテは振り上げたまま動いていない。
武器のない私でも、武器を持っている隊員隊ですらない。
そもそも人間業か、今の出来事は。
であれば、人ではない何かの所業か。
そして実際にそれは、本当に、『人』ではなかった。
私達の切羽詰まっていた状況に、突如飛び込んできた救世主。
黄金の毛並みの良き友は、背中どころか顔面まで真っ二つにばっくりと開け、そこから繰り出す多種多様な生命体の腕でもって、迫り来る服用者を退けていた。
巨大な鎌で五体を斬り落とし、二本の腕で千切っては投げ、しなやかな触手で壁に投げ飛ばし、地面に叩きつけるなどしている。
「シルビア……、どうしてここに……」
タンノとアズサを守るように、側に立ち、次から次へと群れを薙ぎ倒す姿は神々しくさえあった。神は神でも邪神だが。
いつの間にか、得物を落としタンノは項垂れていた。
アズサはタンノの拘束から抜けていたが、そのまま一緒になってぺたんと地面に座ったまま、シルビアの姿を眺めていた。
私は落とされたマチェーテを取り返すと、シルビアが取りこぼした服用者らの首を刎ねながら、タンノらを守った。
常用者部隊の隊員達も、新たに参戦してきた異形に戸惑いつつも、その行動から味方と判断し、それぞれの武器で群れとの交戦を再開した。
やがて、私達はなんとか、群れを一人残らず撃退する事に成功した。
辺り一面は血の海。そしておびただしい数の死体。特にシルビアのは豪快すぎて笑えてくる。綺麗に殺せてるのは大鎌で一刀両断した奴くらいで、他は潰されてたり、引き千切られていたりで散々だ。
それに私達自身も、返り血で頭から爪先までぐちゃぐちゃ。
「丹野監察官から離れろ!」
隊員の一人が、アズサに向かって大声で警告し、武器を持ってにじり寄る。
その間に、シルビアが四足で立ち、こちらも隊員らに下がるように一声吠えた。
「その犬は大丈夫。私の仲間。ひとまず、タンノを連れて行ってあげて」
私の言葉に、シルビアとアズサを警戒しつつ、タンノに近付こうとする隊員。
しかし――。
「全員、私に近づかないで!」
戦意喪失したと思われていたタンノが叫び、顔を上げると、その瞬間、目の前のアズサの首を両手で掴んだ。
「ぐ、……っく――」
アズサが呻く。なかなか死ねない分、苦しんでいるように見える。
「タンノ!!」
私は二人の元に駆け出して、タンノを後ろから羽交い締めにして、アズサから引き剥がそうとした。
「――全員、手伝って! タンノをこの子から離して!」
どちらの味方をすればいいか分からなくなっていた隊員達だったが、この場の並々ならぬ雰囲気に押されたか、鬼気迫るタンノの姿を危険と判断したか、素直に従ってくれた。
隊員らがそれぞれ、タンノの右腕、左腕をアズサの首から無理やり離していき、そのまま全員でアズサから遠ざける。
「監察官、落ち着いて下さい――」
「うるさい。私がやらなければ、私が――」
宥める隊員らに抵抗しながら恨み言のように呟き続けるタンノ。
私はそれを背に、放心状態のアズサの元に向かった。
「アズサ」
「――あ、ごめんね。なんか色んな事が一度に起きて、訳分かんなくなっちゃって……」
「まずは落ち着こう」
「……うん」
アズサはここまでの余裕な態度から一変し、しおらしくなってしまっていた。
そしてしきりに、タンノに締められた首をさすっている。
突然、「ワン」と大人しくしていたシルビアが道路に向かって吠えた。
すると、一台の見慣れた車がやってきた。黒の普通車……、というよりも赤黒い。
とにかく道中、血の雨を抜けてきたのは確実で、車体もぼこぼこである。
車は、戦場さながらの検問場手前で止まると、片側だけ点いているライトをパチパチと点滅させた。
それに、私が手を振って合図をする。
しばらく様子を見てから、車の窓からカガミが顔を出した。
「マチちゃーん! ぶじー?!」
大声を出すのは危険なはずだが、この辺りの服用者は一掃したから大丈夫だろう。
「だいじょうぶー! とりあえず、こっち来てー!」
「……え、ここ足の踏み場あるー?!」
「なんとか避けてー!」
運転席と後部座席のドアが開き、中からカガミとルカが出てきた。
それぞれ服が血まみれ、あの様子だと、怪我はしていなさそうだから返り血だろうか。
というか二人共あれ持ってる、人権度外視自然派武器ことアサルト二号。
そういえば、アンザイの一件で学校に置いていってたのを、ハルタさんへの挨拶の際に回収したんだった。
そんな事よりも、ルカ、使ったのか。あれ……。
二人は散乱している死体を踏まないよう避けながら、こちらに向かい、そして到着した。
「なんでここ来たの。遠くに行ってって言ったのに」
「なんなのこの状況。しかも、その見るからにエタニティでございはアズサちゃん?」
「ご無沙汰です。香々美さん」
アズサは口元だけで笑って、ピースをしていた。
「ゆ、遊菜さんっ!」
変わり果てたアズサの姿に驚いていたルカだったが、タンノに気づくと、すぐにそちらに飛び出していた。
「遊菜さん!」
「瑠夏ちゃん……」
落ち着きを取り戻したタンノだったが、その目は虚ろで、先程までの覇気は完全に失われていた。
「怪我は……」
「検査は必要ですが、ひとまずは大丈夫なはずです」
隊員が答える。
「遊菜さん。もう休みましょう。何があったかは知らないですけど、どうせ何か無理したに決まってます」
そう言って、ルカは正面からタンノを抱き締めていた。
「で、でも街が……」
「それも大事ですけど、……どうして遊菜さんがそこまで思い詰めるんですか」
「今度こそ、守らないといけなかったのに……」
どうもタンノは、先の織辺第二防衛圏崩壊に関わっていたようである。
彼女がこの街に執着する理由は、それに起因していそうだが、かといって戸棚原の責任まで彼女が一人で背負う必要などない。
「はあ、疲れた」
アズサがぐったりとそんな事を言い始めた。
「疲れたって……。いい加減諦めたら?」
もうここまで、それでいいのではないか。
「なんかもういいかなって気分。お母さんの気持ちもなんとなく分かったし」
「お母さんの気持ち?」
カガミがそっくりそのまま返して訊いた。
「丹野遊菜。お母さんみたい」
「どういう事?」
「命を懸けて拠点を守ろうとするなんてさ。拠点長でもないのに。――拠点長と言えば、そうだよ。私の頭、これ戻らないの?!」
何の事やらなカガミに、戸棚原の拠点長が散弾銃でアズサの頭をふっ飛ばした事を伝えると「さすが、エタニティ」と当時の私と全く同じ反応をしていた。
「アズサ、やる気なくなったなら、全員引き上げさせて」
もうこんなのは終わり、エタニティは折れたと、この場の全員がそう思っていた。
「それはしないよ」
だがあっさりと提案は却下された。
「どうして」
「どうしても何も、多少のケジメはつけてもらうよ。忘れた? こっちは拠点が丸ごと壊滅。お母さんまで死んで、私は頭がこんな風に……」
ならば、どうしたらこれは終わる。
「――そもそも、街が崩壊するとか言って大騒ぎしてたのはそっちだけだよ。私はそこまでする気なかったんだから」
「ど、どういう事ですか」
ルカから離れ、這うようにアズサに寄り、聞きただすタンノ。
「だから言った通りだよ。多少の死人は大目に見てもらう事になるけど、街が崩壊にまではならない。なったら、いよいよ拠点自体がガタガタだったって事だね」
「だから、どういう事なんですか」
アズサの両肩を持って揺さぶる。
「群れ全員に、秘密のルールを設けてたんだ」
「ルール……?」
「そう。服用者一人あたり一噛み限定にしてたの。一回齧ったらおしまい。後は動くものを追いかけるだけになる。だから襲われた方も常用者にはなるけど、死ぬまではない。まあ噛まれどころが悪かったり、複数人に襲われたりしたら死んじゃうかもだけど、それは運が悪かったって事で」
その新事実に、全員が硬直。
「それはつまり、えっと……」
混乱のあまり、状況を把握できていないタンノに代わり、カガミが確認する。
「じゃあ群れが三十万人いたとしたら三十万回噛むだけで終わりって事? 多いのか少ないのかわからん」
「実際はもっと少ないはずだよ。一度も噛まずにトドメを刺されるのも大量にいるはずだしね。それに一度噛んだ奴もどんどん弱っていくだけになるし、そう遠くない内、確実に群れは一掃される」
アズサの言うルールが本当なら、確かに街の壊滅なんて事にまではならないと思われた。
だが、もしも、それでも街が死に至る事があるなら――。
「――それでも街が崩壊するなら、それは、私の群れ以外の服用者で溢れた時。当たり前だけど、そっちには『一人一噛みルール』は適用されないからね」
「……街が滅ぶ時は、私達自身が失敗した時という事ですか……」
お、元のタンノが戻ってきたな。
「そういう事なのです。悪い話じゃないでしょ?」
タンノは立ち上がり、アズサを見下ろしながら呟いた。
「あなたの言い分は分かりました。その復讐の落とし所も。……それでも、あなたは人を傷つけている。今この瞬間にも」
「それは自覚してる。でもこれ以上は譲れない」
アズサはタンノを見上げ、その顔を真っ直ぐ見つめている。顎の向きからしてそんな気がする。
「あ、あの、梓さん」
膠着状態になった両者の間に割って入ったのはルカだった。
「瑠夏ちゃん……、なに?」
「少し、お話できませんか。二人きりで」
「……いいよ」
「じゃ、じゃあ、あっち行きましょう。香々美さん、車借りますね」
「いいけど、話すだけだよ。動かしちゃダメだからね」
「大丈夫です。私運転できませんので」
それからルカは、アズサの手を引きながらボロボロの車に向かい、二人揃って後部座席に乗り込んでしまった。
「タンノ、ルカの事、よく黙って行かせたね」
「心配なのには変わりませんが、止めるのはやめておきました。あの二人の関係は特殊です。親同士が半ば殺し合っている。私程度が口を出せる領域ではありません」
タンノはそう言って、隊員らに「ここはもういいです」と各位に指示を出し始めた。
「マチちゃんマチちゃん」
「何?」
「結局何がどうなって、こうなったわけ?」
いつの間にか風景の一部と化していたが、周りは百を超える死体がぐちゃぐちゃに巻き散らかされているのだった。
しかも一人残らず血まみれ。
「タンノがアズサ殺そうとして、服用者が来たから、みんなで返り討ちにした」
「いや、そうなる経緯というかさあ……」
「また今度ね。それよりも、そっちこそなんで来たの」
「ルカちゃんはタンノユウナを心配してたし、私もマチちゃんの事心配だったし、それで」
「どうやって入ってきたのさ」
「そりゃ信頼と実績のお犬様だよ。シルビアに車の上に乗ってもらって、そのまま群れに突っ込んだ。その後はなんだかよく分からないグロい触手が全部薙ぎ払ってくれたんだよね。私もめっちゃ轢いたけど」
「あと、それ、ルカに使わせたの?」
「アサルト二号? もちろん! 流石に数が多すぎて進めなくなった時にね。ルカちゃんも最初は『無理ですよ……』って言ってたけど、最終的には車の中からバンバン撃ってた。ちなみに弾の補充は、シルビアがぶった切った腕をぽいぽい放り込んできてたから問題なし。おかげで、車の中までぐちゃぐちゃだけど」
「まあ、助かったよ。シルビアいなかったらタンノ死んでたし」
「タンノユウナ……、ああ、そうだ」
そう言って、こちらに向かって両腕を広げて待ち構えるカガミ。
「え」
「心臓が動いてるか、確認」
「……今?」
「今」
「お互い、服もびちゃびちゃだしやめとこうよ」
「いや、今」
「……はあ」
どうしても譲らないので、仕方なく従う事にした。仕方なく。
私は足元に気を付けながら、カガミと抱き合った。
「マチコが生きてるって、やっと実感できた」
「服が気持ち悪い。これほとんど知らない服用者の血だよ。最悪」
「ほとんど?」
「タンノに左手ザックリやられた」
「本当、何があったんだか」
「後でゆっくり話すから」
囁くように言葉を交わし、しばらくそのままでいると、
「今、宜しいですか」
タンノが遠慮がちに声をかけてきた。
身を寄せ合ったまま、二人でタンノの方を向くと、そこにはルカとアズサの姿もある。
「話し合い終わった?」
私が訊くと、タンノが訊き返してきた。
「そちらこそ、終わりそうですか?」
「いや、まだ。あともうちょっと」
カガミが代わりに答えると、
「分かりました。そのままでいいです」
タンノは話を続けた。
「――これからの事が決まりました。まずはその報告に向かいます」
「向かうってどこへ?」
「荒田拠点長の所です」
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