最終話 拙き少女のヴェンジェンス(3)

 突然、車が止まった。

「タンノ、どうしたの。下手に止まると囲まれるよ!」

「いや、あれでは、進めません……」

 その言葉に前方を凝視すると、道路いっぱいの軍勢。外で見たのと遜色ない物量の群れがそこにいた。

「しょうがないなあ。じゃあ降りようか」

 アズサがそんな事を言い始めた。

「降りるって三人全員? タンノは降ろせない。かと言って置いてもいけない。いくらアズサの言う事でも今回は聞けないよ」

「いやいや、大丈夫だって。ここまで私が何をしてきたと思ってるの。改めて言うけど丹野さんを傷つける気は一切ない」

「……信じてもいいの?」

 私は、アズサの目、のあるであろう部分を真っ直ぐ見た。

「もちろん。だから丹野さん、最初に降りてもらっていい?」

「そ、それは……」

 思わず振り返るタンノだったが、すぐに「やります」と切り替えた。

 車外では、車の左右を服用者が何人も通り過ぎていっている。続々と新たに前からやって来ているのもいるから、いなくなったのを見計らってというのは不可能だった。

 外に出れば服用者と確実にすれ違う事になる。そしてその距離は、奴らが獲物の匂いを嗅ぎ取るには十分。

 だがそれを、アズサは大丈夫だと言うのだ。


 タンノは意を決して、ドアに手をかけた。

 そしてゆっくりと音を立てないよう開く。

「真千子ちゃん。ダメだよ」

 おもむろにアズサに注意された。

 タンノを見ながら体が勝手に動いていたらしい。

 そうしている間にも、タンノは地面に足を下ろし、遂に屋外へと、その身を晒した。

 それと同時に、車の前方から、群れを離れた一人がのろのろと近づいてくる。

 タンノは身動き一つ取らずに立ったまま、それをやり過ごそうとしている。

 服用者とタンノの距離はわずか二メートル。本来であればとっくに襲いかかられていてもおかしくない。

 だが、まだそんな事にはなっていない。

 徐々にその距離は縮み、遂に目の前を横切るその時、乾き切りひび割れた皮膚を有したその顔面が、タンノの鼻先まで近づいてきた。

 ほぼゼロ距離のまま数秒の後、服用者は、ふらふらと車の後方へと歩き去って行った。

 その場でお尻を着いてへたり込むタンノ。

 

「よし、降りよう」

 アズサの一言を聞いて、飛ぶように外に出た私は、タンノの元に駆け寄って肩を貸した。

「大丈夫?」

「問題ありません。お恥ずかしいところをお見せしました……」

 言いつつも胸に手を当てて深呼吸を繰り返している。

「だから大丈夫って言ったじゃん。さあ行こう」

 口元だけで笑いながら、群れに向かって先導するアズサ。

 私の支えから離れたタンノが「行きましょう」とアズサに付いていく意志を見せ、歩き始めた。

 念のため、タンノの周りに警戒しながら進んでいく。

 すれ違う服用者達は、こちらを一瞥する程度で向かっては来ない。それは、普段、私が経験している外の世界の光景と相違なかった。

 アズサの言った通り、現在の戸棚原は外との境界が失われている。

 

「どうしてわざわざゲートに向かうの?」

 アズサに聞いてみた。

「特別な理由はないよ。単純にどうなってるかなって」

 

 遂に、車での通行を断念した肉の壁に到達。

 それでも進み続けるアズサを前に、目の前の群れが割れていく。

 同時に、鼻孔をくすぐる芳香が強まるのを感じた。

 服用者達は、押し合うように、壁際や道路端に寄っていき、私達に道を空けている。

 通り抜けている最中、タンノは私の服の裾を掴んでいた。

 そうするのも無理はない。こんなの、正気で通れるような道ではない。


 少しずつ群れもまばらになってきたところで、開けた場所に出た。

 検問所、つまりゲート手前。目的地に到着した。

 検問部隊員らがバリケードを内側から組み直している。住民から服用者まで、全員を閉じ込めるためだ。

 それ以外には、斧や刀身の長めのナイフなど、近接戦闘向きの武器を携帯しているのがちらほらいる程度。

 銃などの遠距離から牽制できる武器を持っている者はいない。つまりここにいるのは接近戦のできる常用者部隊という事なのだろう。

 時折、近場にいる服用者の首を落としては端に寄せており、そこにはうず高く積まれた死体の山があった。

 

「た、丹野監察官?! どうしてここに……。そ、そいつは?!」

 突如現れた三人組に気づき、現場は騒然とした。

 群れを通り抜けられるなんて考えられない普通人のタンノ、そのお供の私。何より、頭の上半分が吹き飛んでいる少女と思しき姿のエタニティ。

 四人の衛兵に武器を構えた状態で囲まれる。それぞれ得物は、ナイフ、鎌、斧、斧。

「止まれ! さもなければ――」

「さもなければ、何?」

 アズサが背伸びをしつつ、タンノと肩を組み、顔を寄せる。

「か、監察官。お怪我はありませんか?!」

 動揺する衛兵達。私達自身はそんなつもりはなかったが、向こうから見たら立派な人質に見えている事だろう。

 

「大丈夫です。常用者になってもいません。皆さんの状況は?」

「……我々は封じ込めを最優先とし、別働隊が救助班と服用者の処理班に分かれて出動しています。監査官の方の状況は……」

「問題ありません。見た目は少々奇っ怪ですが、話は通じています。皆さんは作業に集中して下さい」

「そ、そう言われましても……」

 この異常な状況で、見るからに化け物な奴を放っておいて、作戦に集中などできるはずがない。

 武器を構えたまま動かない隊員達に、アズサが話しかけた。

 

「上司が仕事しなさいって言ってるんだから、ちゃんとしなよ」

 

 その瞬間、囲んでいた四人が、一斉に武器を落とした。

 というよりも、武器を持っていた腕がだらんと脱力しきっており、得物を握っていられなくなった、といった様子だ。

「え? あ、な、何が……」

 武器を拾い上げようとするが、腕が言う事を聞かないらしく、なかなか掴めない。

 とうとう逆の手で持ち上げたが、直後そちらも脱力。またもや落としてしまう。

「ちゃんと偉い人の言う事は聞きな」

 アズサの言葉と共に、全員の腕に神経が戻った。

 隊員達は各々武器を拾い上げると、後ずさるように散り散りになっていった。

 あの力が抜ける感覚は、きっと私が会議室で味わったものと同じだ。

 

 実際問題、アズサの能力、洒落にならないのではないか。

 彼女に直接対抗できるのは、薬の影響の一切ない真人間か、その真逆に突き抜けたエタニティのどちらか。

 常用者や服用者のような半端者は、彼女がその気になれば、近付く事すら叶わない。

 

「なーんか、普通だね」

「普通って何が」

「もっと戦争みたいになってるかと思ったら、意外に静かだなって」

「……アズサも見たでしょ。集団が街の中心に向かってて、もう住民が襲われ始めてる。まだ被害が少ない内にあいつらを引き下げて」

「ダメ。ここの人達が自分達で解決しなきゃ意味ない」

 アズサの口調はふざけていない。真面目に戸棚原を試しているように感じられる。

「他の検問所はここのようにはいっていないようです」

 隊員に話を聞きに行っていたタンノが戻ってきて告げた。

「何? どうなってるの?」

 食いつくアズサに癪だという顔をしながらもタンノは答えた。

「ここのような部隊員の数が少ないゲートは群れを通していますが、他では検問所内で押し留めている所もあるようです。ただそちらも時間の問題ですが……」

「本部はどうするって?」

「群れが検問所を突破するようならば住民の避難を最優先にと。彼らの安全もそうですが、群れが増えては敵いませんから」

「それもこれも、アズサの一声で解決するのに」

「そうだね。どうしたもんかね」

 おどけた口調のアズサ。流石の私も、その掴めない態度に若干イラッとしてきた。

 

 行進の実行以来、タンノも含めて車から降りた時のあれ以外、群れに特別な指示は出していないようだが、この後、どう転ぶかは全く分からない。

 ただ、とにかく彼女は危険だ。それは確か。

 彼女は、群れに対して、私達に不利な指示を新たに出す事が可能で、常用者すらある程度影響下に置ける。

 私達がアズサに大人しく同行しているのは、彼女が改心するなり気まぐれなりを起こして、あの大群を街の外に連れ出してくれるのを期待しているからだ。

 だが、彼女にその気はないようで、こんな風に観光気分で街をうろうろしている始末。

 むしろ、いつ何時、どんな癇癪を起こすかを警戒した方がいいのではないか。

 

 ならば、これ以上に街が悲惨な事にならないよう、『最善を尽くす』という選択肢もある。

 その選択肢を私は取る気はないが、それは私がそれなりにアズサと交流があって、街への愛着が薄いからだ。

 

 逆ならばどうか。

 アズサと面識が浅く、街の保全を使命とする人間ならば。

 タンノユウナならば――。


 

「タンノ!!」

「――坂崎さん。離して下さい……!」

 

 アズサの首元を狙い振るわれたナイフは、文字通り私の手で止められていた。

 片手で刀身を掴み、血を流す私と、柄を握ったまま動かないタンノが対峙する。


「今そいつを殺さないと、後で何をしでかすか……」

「そうならないよう、私がこうして見張ってる!」

「そのエタニティは常用者さえも操ります。坂崎さんのその行動は自分の意志ですか? それとも江藤梓の命令?」

「私が、私の意志で、あんたを止めてる。滅茶苦茶痛いけど、それでも止めてるんだ。この意味が分かる?」

「申し訳ありませんが、私は、……退けない」


 タンノがナイフを持っている腕を引き、私の掌を切り裂きながら距離を取った。

 

 体勢を整え、構え直すタンノの姿はやけに様になっていた。格闘術の心得があるとか、聞いてない。こっちは独学の喧嘩みたいな事しか出来ないのに。

 同じ得物か素手ならば私の分は悪かっただろう。でも、リーチだけはある。

 背負っていたマチェーテを取り出して、同様に構える。

 ナイフを掴んだのが利き手じゃなくて良かった。


「怪我じゃ済まないよ」

「あなた一人を殺して街を守れるなら、私はやりますよ」

「ルカが悲しむよ。それなりに仲良くなったし」

「あの子は聡明です。きっと分かってくれます。それに、そもそもここには監察のために来ました。あの子との親交はそのついでです」

「ルカが聞いたらどう思うかな」

「関係ありません――」


 タンノは言い切る前に、足を大きく踏み出して私に接近してきた。

 本気でやる気なのか、この女――。

 その片手に煌めくナイフを見て、私は覚悟を決めた。

 

 自身の武器を横薙ぎに振った、が当たらず。

 身を屈めて躱したタンノは、そのまま私の懐に飛び込み、それから――。


 

 ――いつの間にか私は地面に倒れ、空を見上げていた。

 頭がぐわんぐわんと揺れている。脳震盪か何かだろうか。

 

 どうも顎先を思い切り下からぶん殴られたらしい。

 その際、噛み締めた奥歯が砕けており、その欠片を血とともに吐き出した。

 

 無様過ぎる。

 

 服用者は言わずもがな、最近エタニティとも肉薄した事があっただけに自惚れていた。

 中枢のエリートを完全に舐めていた。


 なんとか這いつくばりながら周りを見渡すと、アズサに近づこうと向かうタンノの後ろ姿が見えた。


「今のは結構面白かったな。真千子ちゃんが思ったより弱くてびっくりしたけど」

 私も驚いてる。

 アズサに話して聞かせた冒険譚、嘘だと思われたかもしれない。

 

「江藤梓、一応聞いておきます。あなたはどうしたら死ぬんですか? 教えて頂ければなるべく早めに済ませます」

「さあ? 死んだ事ないから分かんない」

「その残った減らず口を胴から切り離せば死にますか?」

「真千子ちゃん達が、首だけで喋るエタニティがいたって言ってたから無理だと思う」

「……そうですか」


「監察官、我々はどうしたら……?」

 遠巻きに見ていた部隊の面々がタンノに問う。

 ここまで口を出していなかったのは、アズサの命令か、それとも、自分達の自由を奪うエタニティを恐れたからか。

「あなた達は、私達に近づかないようにしつつ、自分の仕事を全うして下さい。彼女の影響を受けないのはここでは私だけです。私が、責任を取ります」

「一体、何を……?」

「……ああ、大きな袋だけ用意してくれますか。人が一人入るくらいあれば十分です」

「丹野遊菜、一体私をどうする気?」

 不敵に笑うアズサ。

 

「まず首を離し、それから動けないよう手足を。その後もなるべく細かく刻んで、拠点の外に運びます。あなたの群れへの命令がどのように行われているかは分かりませんが、とにかく離れるに越した事はないと、そう判断しました」

「怖い事考えるなあ。それに外出るの? 薬飲まなきゃ危ないよ?」

「薬は最期まで飲みません。切り刻んだあなたに操られる可能性もありますので……。坂崎さん、これ借りますね」

 私が落としたマチェーテを拾うタンノ。確かにナイフよりかは人体切断に適している。


 ようやく思考がクリアになってきた私は、よろよろと立ち上がった。

「……タンノ、そんな事しても意味ない」

「意味がないかどうか、試してみなければ」

 タンノは振り返りもせずに答える。

「試さなくていい。そんな事」

「なら、坂崎さんはどうしたらいいと思いますか。街を、人々を守るための最善は、なんだと思いますか」

「そもそも前提が間違ってる。あんたと違ってそこまで街を守りたいだなんて思ってない。私はアズサを守りたいだけ。街はその次」

「ならば、お互いの最善を尽くしましょう。私は私のやるべき事をやります」

 タンノは揺るがない。

 アズサを殺す事がどれだけ困難でも、不可能に思えても、その達成のために命を賭せる。

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