最終話 拙き少女のヴェンジェンス(2)

「それ、見えてるの?」

 私は、ふらふらと壁に手を付きながら歩くアズサに聞いた。

「全然見えてない。見えてないけど、なんとなく分かる。音とか、匂いとか、色々で」

 いまだに上顎より上が無くなった状態である。

「エタニティって本当に死なないんですね……」

 驚きつつもアズサをまじまじと見るタンノ。

「なに? エタニティ見た事ないの?」

 アズサがおどけた調子で聞く。

「いえ、そういうわけではないんですが。私の知ってるエタニティはきっちり死んだので……」

「多分治ると思うんだけど、時間かかりそう。今私の見た目どんな感じ?」

「だいぶグロいよ」

「うう……、何か頭隠すもの必要かも……。あ、あと匂いがどうって言ってたよね? そんなに臭いの私?」

「血の匂いと甘い香りが混ざってて結構しんどい。血だけだった方がマシなくらい」

「自分じゃ全然分からない……」

 現状、意思疎通に不備はない。なんなら会話が弾んでいるくらいだ。

 今のアズサなら話を聞いてくれるかもしれない。


「丹野監察官! 坂崎さん! 大丈夫ですか?!」

 本部棟職員の声とともに、銃を持った何人かの警備員が、ばたばたと部屋に入ってきた。

「ふふ、そんなんで殺せるって?」

 笑って言うアズサにたじろぐ警備員達。

「銃を降ろして下さい!」

 そう指示を飛ばしたのはタンノだった。

「で、ですが……」

「現在交渉中です! 誰も部屋に近付けないで下さい!」

「……わ、分かりました」

 まだその状況は把握できていないが、今頃、十六箇所の検問が群れによって突破されているはずなのだ。

 そして、その手引きをした、殺しても死なない怪物と、会話によって対峙している本人に、下がれと言われればそうせざるをえまい。

 ドアは閉められ、またも部屋は三人きりの密室となった。

 

「交渉ねえ」

「何か要求があるのならば教えてください」

「要求って言われてもなあ」

「アズサはこの拠点をどうしたいの?」

 囲い、襲わせる、その行き着く先は一体なんなのか。

「うーん、じゃあ、散歩行こっか」



 こんな状況、どう考えてもイカれている。

 本部棟の廊下を、私とタンノが挟む形で、頭が半分無いアズサとそれぞれ手を繋ぎ、正面玄関に向かって歩いている。

 すれ違う職員、警備が、度肝を抜かれたように硬直し、こちらを凝視している。

「梓さん。階下には何も知らない一般人が……」

「関係ない」

 タンノのお願いも虚しく、私達は押しかけた住民達が集まる正面エントランスに、今、降り立った。

 だが、混乱は起きなかった。

 

 住民らは全員、頭を下げてうずくまり、何も見ないよう、音を立てないようにしている。

 人数に対して、似つかわしくない程の静寂。

 おそらく事前に誰かが指示を出したのだろう。危険だから、頭を上げるな、何も喋るな、と。

 それはそれで不安を煽りそうだが、今のアズサの姿を目撃した方がパニックになりそうだから、正しい判断だろう。

「なんだ、もっと騒ぎになるかと思ったのに」

 静かなロビーにアズサの声が響く。

 

「これからどうするの」

「外に出よう。散歩って言ったでしょ」

「出られる場所はありますか」

 タンノが職員の一人に聞く。

「ここはシャッターを下ろしてしまっているので、裏手からなら……」

「よし、そこ行こう」

 代わりにアズサが答えた。

「――その後は歩きじゃ遠いし、車で、どこかのゲートを見に行こう」

 私は構わないが、タンノは……。

「分かりました。行きましょう」

 一切臆すことなく承諾していた。

「それじゃあ、せっかくだから、ここにいる誰か連れて行こうかなあ――」

 その言葉に、顔は見えないものの、住民達が息を飲むのが伝わった。

「じゃあ……、そこの屈んでる人」

 うずくまっている全員の体が震えた。

「ねえ、もうその辺にしたら」

「はいはい。冗談だよお。誰も連れてかないってば。あはは」

 本当に意地が悪い。

 

 

 本部の公用車を借り、アズサの指名で運転はタンノが行う事となった。

「安全運転でよろしくね」

 と言っていたが、安全じゃなくなっているのは彼女のせいだ、と見送った全員が思った事だろう。

 後部座席にアズサと一緒に乗り込み、出発。

 街の中心部であるここには、まだ群れの気配はなく、服用者の一人も見受けられない。

 それにしても、徒歩で街の端まで行こうなどと提案されなくて良かった。

 屋外ではもう先程のような職員の機転は利かない。このあからさまにエタニティな少女を、不特定多数に目撃される事になってしまう。

 

「アズサ、タンノは常用者じゃないから、この先では襲われる。だから――」

「分かってるって。真千子ちゃんの友達に酷い事なんてしないよ」

「どうして来る気になったんですか」

 前を向いたまま、タンノがアズサに訊いた。

「最初から行く気だったよ。それなのに、そもそも拠点の中に入れないんだもん」

「確かに……、どうしたの?」

 よく考えてみれば、群れ関係なく、検問は常に機能している。単独のアズサがどうやって入ったのか。

「外をうろうろしてた常用者の兵隊に頼んで入れてもらったよ」

「な……、そんな報告はなかったはずですが……」

「困ってるんです。お願いしますぅ、って言ったら今回だけだよって」

「……アズサ、色目使った?」

「そんな事しないよ。ただ、おねがーいって言っただけ」

「あなたくらいの女の子がいたら、報告するように言ってあったのに……」

「じゃあ、秘密にしてって言ったのも守ってくれてたんだ。やっさしー」

 服用者だけでなく、常用者にすら言う事を聞かせている。

 常用者と服用者にしか、嗅ぐことが出来ない甘い香り。これが作用しているのは明らかだ。

 であれば、私にも何か命令や指示が出されれば、従ってしまうのだろうか。

 そもそも、香りが強まったのを感じるとともに一度体が動かなくなった。いずれにせよ良い効能は無いように思える。

 

「初めて上層拠点に入ったから見て回ってたんだ。それと、ギリギリになったのは単純にあそこが遠かったから。こっちは徒歩だよ。なんだかんだ三時間くらい歩いた気がする。もっとかも」

「アズサ、実際これからどうする気なの? このまま街が壊滅するまで服用者に襲わせる気?」

「私、もうなんにも指示出してないよ。ただタイマーをセットしただけ。最後の前進が終わってからはみんな自由行動。それに、壊滅するかはあなた達次第でしょ?」

「そんな勝手な……」

 その顔が見えなくてもタンノの怒りが伝わる。

「多少の勝手くらい許してほしいな。私は人生で初めて、自分の判断で、何かを選んで、行動できてる気がするんだ」

「それでも、こんな横暴は――」

「丹野さん、出身は?」

「…………阿僧祇ですが」

「それって中枢拠点でしょ? 凄いね。私は外で生まれた。そんな大層な名前も付いてない小さな拠点。たったそれだけの違い。内か、外か。それだけで、どうしようもない差が生まれる」

「……それでも、こんな事はするべきではなかった」

「私だって、これが悪い事だって分かってる。正義感とか義憤に駆られてとか、そんなでもない。ただみんなに知ってほしかっただけ。外がどんな所なのか、どういう生活を強いられるのか」

 

 アズサの言葉は重かった。

 彼女の仲間達が死んだ事実。そして何よりも今の彼女の姿が、上層拠点が蔑ろにしてきた弱小拠点の顛末を具現している。

 かといって、アズサは怒っている訳ではなかった。仲間の死を悲しんでも、この状況を楽しんでいる訳でもない。

 ただ、憐れんでいた。

 この拠点の、外の世界に始めて触れる人々を。


 タンノの走らせる車が、目的地であるゲートに近づくにつれて、街の様子が変わっていく。

 始めは静まり返っていたのが、段々と人通りが増えていき、やがて、大声で何かを喚きながら街の中心、ゲートとは真逆の方向に走っていく人々が散見され、その数も多くなっている。

 何かに追い立てられるように逃げ出す人の群れ。しかし、まだ服用者の姿は見かけていない。

 未知の脅威に出会う前から、パニックを起こしている。

 どう考えても、こんな騒ぎながら逃げ出すより、施錠できる建物に、そっと静かに身を潜めた方が良い。

 だがそれは、アズサや私の知るような『外』の常識だ。

 そんな事も『内』の人々は知らないのだ。知っていたとしても、身体に染み付いていない知識を、咄嗟に引き出し行動に移すのは困難だろう。

 

 タンノは、向かいから走ってくる住民を轢かないよう気を付けつつ、ゲートに車を走らせている。

 終始、口元をピクリともさせずに、外に顔を向け続けているアズサ。

 そんな淡白な彼女とは対象的に、タンノは複雑な胸中だろう。

 逃げ惑う人々の姿から、町の崩壊を予感しているかもしれない。

 もしくは、これから向かう先の連中にとって、自分が格好の餌である事実に、恐怖を感じているかもしれない。

 それとも、後ろに座る人外のテロリスト、そしてその愚行に怒りを覚えているのか。


 そうして目的地まで二十分を切ったところで、そいつが姿を現した。

 ふらふらとおぼつかない足取りで、当てもなく歩く、清潔に保たれた街に不似合いな異形。

 服用者がゲートを抜け、衛兵の防衛ラインすらも超えている。

 最初は一人だったそれが、二人、数人とまとまった数になっていく。

 危険性を甘く見て物見遊山をしに来たと思しき住民が、血を流しながら倒れている。

 傷口を押さえながら、逃げようともがいている者もいる。

 死傷者の発生は、町の陥落の始まりとなる。

 死んだ者はそれまでだが、襲われたうえで生き延びた者こそが厄介なのだ。

 彼らはロングタイム2000が必要な体に変貌した。薬がなければ、二十四時間後に群れの仲間入りである。

 拠点本部が把握していない潜在的常用者の増加は、薬の配分管理を滞らせる。

 そしてやはり、街は崩壊の一途を辿ることになる。

 本部が、常用者や薬が必要になる者を躍起になって徹底管理しようとしていた理由である。

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