第九話 堕ち往く我らがバスティオン(3)

『急いで、屋内へ避難して下さい! 服用者の侵攻が始まります! 拠点出入り口は全て包囲されています! 繰り返します――』


 アナウンスとは別に、職員達が拡声器を使いながら車で街中を駆けているのが、ここからでも聞こえてくる。

 臨時で招集された会議は、拠点長以下一部の主要幹部のみとなり、大幅にその数を減らしていた。検問部隊に警備部隊、イルマ氏のような、現場に関わる人間は軒並み不在だった。

 

「現在時刻午後六時、残りはおおよそ一時間。ここからは一時間後、群れの侵入が始まった後について指示します」

 ある程度の人数が集まった所で拠点長が口を開いた。

「――まずは住民の徹底的な屋内退避、これはここにいる私も含めて例外はなし。とにかく、これ以上、群れの数をいたずらに増やさない事が肝要です。次に、常用者及び警備と検問部から屋外行動部隊を編成し、バリケードの再設置をしつつ、街中の服用者を一人残らず排除。戦闘行為ができない者は、屋内避難をしている住民達への支援活動に従事してもらいます」

「先程、検問部より、現在、おおよそ半分ほどの人員が屋外部隊に志願したと……」

 タンノが苦々しく補足した。

 

「彼らの薬の確保はどうなってますか?」

「入間の代理です。現状、彼らに引き渡せる分は一週間分くらいになります」

 志願とはつまり、ロングタイムを服用しあえて常用者になる事で、外での活動を選んだ者達。

 そして、最終的に群れに加わらないよう、薬が切れる前に自ら命を断つ。

「薬は屋外部隊優先で配給、一般常用者の動向は徹底管理するように」

「それでは住民を見捨てる事に――」

「私の役目は街を守る事です。街と人さえ残ればいくらでも立て直せる。外部から来る群れは駆逐すればいいだけですが、内部発生はそうもいきません。屋外部隊に服用者が出たら街をうろつく人数が増えますが、屋内にいる住民なら居所が明確で対処もしやすい。とにかく、中枢や他拠点の支援が安定するまで、住民の状態を把握し続けたうえで、服用者の数をコントロールします。それすらも失敗したら――」

 全員が、拠点長の次の句を待った。何を言うかなんて分かり切っているのに。

 

「――失敗したら、街ごと焼き払ってもらうしかありません。そのために我々は全員閉じこもっているのですから」

 実際、街ごと消滅させるなんていう手段が取られる事はないだろう。よほど支援が数カ月後だとかにならない限り、常用者や指示を守って引きこもり続けた住民が少なからず生き残っているはずだ。

 がしかし、支援や次の方針が確定するまでは、食料がなくなろうと何があろうと何人たりとも街の外に出る事は許されない。

 この場の誰しもが服用者になる可能性がある以上、外に出す理由はない。ここが終わったら、群れに混ざりまた別の拠点を襲いに行きかねないのだから。

 

「それで、問題のエタニティはいまだに姿を見せないようですが」

「は、はい。アナウンスは続けており、捜索隊も走らせてはいるのですが……」

 タンノの口ぶりは重い。

「まあ、相手は論理が不可解なエタニティ。そこまで期待はしていませんでした。では坂崎さん」

 急に話を振られた。

「――あなたはそのエタニティと面識があると伺っていますが、実際どんな子でしたか。意思の疎通はできそうですか」

「会話は可能なはずです。私の知っている彼女は、とてもこんな事をするとは思えな――」

 ここで、外から響くカウントダウンの咆哮。もう足音まで聞こえてきそうだ。時刻は六時十分頃、あと五回。

 そしてざわつく室内。

 迫る刻限にもそうだが、それを仕掛けている犯人を庇うような私の口ぶりに、不審な態度を隠そうともしない。

 

「坂崎捜査員は、丹野監察官と違い阿僧祇中枢の証明がないが、本当に我々の味方なのかね」

 一人の幹部から上がった声、極めて真っ当な疑いである。

「身元は私が保証します。彼女が身を挺して私達と共にいる事をお忘れですか」

 タンノが庇ってくれたが、それで連中の気が収まるわけがない。

「丹野監察官も含めて、騙されているという事はありませんかな」

 別の幹部が、さらに踏み入る。

「それはありえません。彼女は本来隠密です。それがゆえ特別なのです。……それとも、先の小規模拠点の管理不足といい、何かやましい事があるから、彼女に疑いの目を向けている。そう中枢の方は考えますがいかがでしょう」

「それとこれとは話が別だろう。そもそもそんなにそのエタニティと仲が良いなら、本人が直接呼びかければいいだろう、それをどうしてあんな風に回りくどく……」

「過度な混乱が起きないよう、私が命令しました。誰かが誰かを名指しで呼びつけるような事は、後々、益のない戦犯探しに繋がりかねません。街が復興した時の事も鑑みて避けたい」

 拠点長の言葉によって、場は諌められたが、事態は悪くなっていく一方である。

 しかし今、この場にいる人間に出来る事はない。

 現場から続々と伝えられる混乱の様子を、指を咥えて聞く事しかできない。

 とにかく、事態が好転する事を、支援の目処が立つ事を、アズサがやって来る事を待つ以外なかった。


 

 行進を告げる大群の、割れんばかりの叫びが響く。

 現在時刻は午後六時四十分。残り時間は二十分、あと二回の前進で、服用者達がバリケードに到達する。

 そこから先がどうなるのかは誰にも分からない。

 日も落ち、人気のない街を眺めた。

 街灯が煌々と点いている。家々には何も知らない住民達が、怯えながら戸を閉め切っているのだろう。

 退避命令はまだ続いている。アズサへの呼びかけはもうやめた。音沙汰のない一人よりも、今生きている人々を優先したのだった。

 

 そもそも、この一連の事態を、どうしてアズサの仕業だと断定したのだったか。

 この状況が、あのマンションで起きた惨劇と酷似していたからだったか。

 それとも、あの群れの出処であるパレードと彼女に縁があったからか。

 もしや、全部私の勘違いで、アズサはこの件に関係ないのではないか。

 そうだったら、私がタンノも含めて全員騙しているというのも、あながち間違っていない。

 

 

 静寂に包まれた会議兼作戦室のドアが開かれ、本部棟職員が飛び込んできた。

「し、失礼します。あ、あの。受付なんですけども……」

 この混乱で、突然不慣れな業務を任されたのであろう新人らしき若い男。

「またかね。押しかけてきた住民は追い返すよう、先程伝えたはずでは」

「そ、それが……」

「いや、もう時間もありません。残り十分を切ったら正面を締め切り、既にいる方々には、一時的にここにいてもらって、後々、常用者部隊と共にそれぞれ自宅に帰しましょう」

「あ、あのですね……」

「今、荒田拠点長の指示が出ただろう。早く下に戻りたまえ」

「ち、違うんです。……あ、現れたんです」

 

 その言葉に、悪態をついた幹部すらも口をつぐんだ。

 今、この建物にやって来て、『現れた』なんて言い回しで迎え入れられる人物は、一人しかいない。

「一体、誰が」

 拠点長に促され、ようやく落ち着いた職員が告げる。

「十代半ばくらいの女の子です。江藤梓と、そう名乗りました――」

 室内の全員に緊張が走る。

「本人なのか……?」

「聞いたのですが、行けば分かる……と」

「いずれにせよ、坂崎さんが見れば分かる。そうですよね?」

 拠点長に聞かれたが、見るまでもない。

 

 何故この一件が、アズサの仕業だと確信したのか、ようやく思い出した。

 アズサとマンションで再会した時、群れを通り抜けた時に嗅いだあの甘い香り。

 そしてまさしく今、この瞬間。

 

「それと、下で待機するよう言ったのですが……、実は、今この部屋の外に……」

 

 全員が固唾を飲んで見守る中、ドアが開かれ、入室したのは一人の少女。

 落ち着いた雰囲気で、私達を見回してから溜め息とともに一言。


「本当、性格悪い呼び出し方。誰の案?」


 残り時間は十五分という所。侵攻の瀬戸際。

 遂にエタニティ、エトウアズサが現れた。


 

「アズサ……」

「やっぱり真千子ちゃんもいた。聞き間違いかと思ったけど、念のため来てみて良かった」

 飄々と言う彼女に、始めに質問をしたのはここの拠点長だった。

「あなたが江藤梓さん、ですか」

「そう」

「……単刀直入に聞きます。この服用者の群れによる包囲、指揮しているのはあなたで間違いないですか」

「そうだけど、なんで分かったの?」

 目の前の少女がこの街を支配している。にわかには信じがたいが、とはいえ下手な事はできない。

 そんな中、続いて発言したのはタンノだった。

「匂いです」

「匂い?」

「群れから特有の甘い匂いがすると、常用者から報告が上がっています」

「それがどうして私に繋がるの?」

 アズサが私の方を見た。私が何らかの手がかりでもって告げ口をしたと、そう確信している。

 

「あのマンションで会った時、アズサからも同じ香りがしたんだ。それに今も」

「え、そうなの?」

 自分の二の腕を顔に当てたり、両手で口を覆い、吐く息を確認するアズサ。

 タンノや他の幹部達も、全くそんな香りがしていないらしく、顔を見合わせている。

「自分じゃ全然わかんない」

 どうやら常用者以外どころか、本人すら認知できていないようだ。

 

「アズサ、どうしてこんな事を……」

「真千子ちゃんはどうしてだと思う?」

 そんなの、答えられない。

 まず始めに思いつくのは彼女の母親の事。けれど、ここまでの事をした彼女の真意を突いているとは思えない。

「……もうこんな事はやめてほしい。それだけなの」

「そう言われてもなあ……」


 緊迫とした室内に、群れの猛りが轟いた。

 残り十分。次が最後。


「こんな事やめて私と行こう、アズサ。カガミもいるし、同じエタニティのシルビアも。それにルカだっている、次会ったら話そうって言ってたでしょ?」

「あー……、香々美さん、シルビア、瑠夏ちゃん……。元気だったら良いねえ……」

 含みのある言い方。

 その言葉に、一歩踏み出して反応したのは、タンノだった。

「それ、どういう意味?」

 静かな怒りと焦燥が滲み出ている。

「どういう意味だと思う?」

 アズサによる挑発。

「こいつ……」

 

「落ち着いて、タンノ。どうせ悪い冗談。アズサ、そうでしょ?」

「まあね。そんなに怒らなくってもいいじゃん。そもそも悪い冗談はそっちが先だよ。あんな『お母さんが待っています』だなんて。分かっててやったんでしょ。当てつけ?」

「あなたを呼び出すためです、江藤梓。ここに住む人間に、あなたの家族や仲間に危害を加えた者はもういません。それに大勢が住んでいます。子供も。だからこんな事はもうやめていただきたい」

 駄目だ、タンノ。そんな言い方は火に油を注ぐだけ――。

「私の拠点は子供は私だけだったし、人も三十人くらいしかいなかった。やっぱり少なかったからダメだったの? ならそっちは何人? 百万人くらい?」

「アズサ、お願いだからこんな事はやめて」

「真千子ちゃんはどうして、こいつらのためにそこまでするの? 常用者なんだから安全だし関係ないでしょ?」

「関係なくなんかない。私やカガミが生きるためにはここが必要なの」

「私もそのはずだったけど、なぜかお母さんもみんなも死んじゃったよ?」

 その問いに答えられる者は、この場には一人としていない。

 ここにいるのは多くが上層拠点の恩恵を一身に浴びている者ばかり。その中で何人が、人口抑制の犠牲となって外で暮らす者達の生活を心から案じていたか。

 

「アズサ、難しい事なのは分かってる。こっちが無理を言っている事も。でもよく考えてほしい。ここを潰したからといって、それだけじゃ終わらない。ここが無くなる事で、アズサがいたような小規模拠点が、いくつも困難な状況になる」

「そんな事、言われなくても分かってる」

 香りが、強まった。

 甘い香りで、脳が蕩ける感覚。

 身体が、快と不快の境界を揺れている。

「私はお母さんと違って親切だったでしょ? 時間をあげた。計画する時間を、準備する時間を、避難する時間を、決断する時間を――」

 両膝に手を付き、肩で呼吸する。

 気持ち良いのに、気持ち悪い。

 私に一体何が起きてる。

「坂崎さん? どうしました?!」

 タンノが肩を持ち、背を擦ってくれている。

「あと三十秒」

 アズサが母の腕時計を見ながら告げる。

 それを聞き、怯え、慌てふためく会議室の幹部達。

「二十秒」

 警備はいないのか、と叫ぶ者。ただでさえ人手不足なのに、正面玄関の住民の対処で手一杯なのだろう。

 私は、遂に床に前のめりになって倒れた。

「十秒」

 もっと何か、アズサにかけるべき言葉も、してあげられた事もあったはずなのに。

 こんな、体が言う事を聞かないなんて――。

 なんとか少しでも顔を上げると、アズサの前に歩み寄る拠点長の姿が見えた。

 それから――。


 

 床の上で、アズサと目が合っている、気がした。

 アズサもまた倒れたらしく、私の目の前に顔があるのに、どうしてか目が合わない。

 

 脳が事態を処理できていない。

 あの甘い香りが、血生臭さに徐々に変化している。

 もう動くはずの体も、動かす気が起きない。

 

 そうして、私はようやく認識した。


 目の前に倒れたのは、頭の上半分を吹き飛ばされたアズサだった。

 鼻の部分から上が完全になくなり、どぼどぼと血を流している。

 目が合わなかったのではなく、目がなかったのだ。

 

 どこか遠くで、泣き叫ぶような、人だった者達の慟哭が耳をつんざいた。


「やはり、止まらないか……」

 アズサを撃った男が呟いた。

 

 幹部達は廊下へと逃げ出し、拠点長も「坂崎さんをお願いします。処理班の手配はこちらでします」そう告げて、指示のために部屋を出た。

 

 私と私に寄り添うタンノだけが残された。

 そして、アズサの死体。


 タンノに起こされ、床に座ったまま肩を抱かれ「大丈夫ですか?」と聞かれた。

「うん、大丈夫、意外と」

 うつ伏せに倒れたアズサの体を見ながら、そう答えた。

 

 本当に意外だ。

 もっと悲しいかと、もっと辛いかと、もっと怒りが湧くのかと思っていたが、そんな事はなかった。

 どこかこうなる事を予見していたのかもしれない。

 覚悟を決めていたのかもしれない。


 

「ふっ、ふふふ。あはは」

 不意に、誰かが笑った。


「あいつら、間抜けばっかりだ」

 そう言いながら、それは立ち上がった。


 目の前の、頭が上半分無くなったはずの少女が、よろよろと立ち上がり、こちらを向いた。


「ひひひ、驚いた?」

 口元だけで笑う彼女に、タンノは硬直していたが、私はそこまで動揺していなかった。


 私がアズサの凄惨な姿を見ても、あまり悲しくならなかった理由。

 そして、どこかこうなる事を予見していたそのわけ。

 私は、死んでも死なない連中に付き合い過ぎた。


「さすが、エタニティ……」

「真千子ちゃん、ラウンドツー、スタートだよ」


 まだ、戸棚原は堕ちていない。

 まだ、アズサを取り戻せる。

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