第九話 堕ち往く我らがバスティオン(1)

 現在時刻は午前九時前、戸棚原第四基地本部棟、その一室。

 拠点長を含んだ、拠点内を取り仕切る主要幹部達とその側近、ゲート前の現場を統括する検問部隊長に加え、外部のタンノ、私も出席しているこの集い。

 

 ようやく始まった作戦会議は、著しく混迷を極めていた。


「十六ヶ所の入退場ゲート、各群れの移動距離を基に算出した結果、あと二十一回、群れが移動を行うと、全勢力がバリケードに到達します」

「酒井隊長。バリケードに着くとはどういう事かね……?」

「言葉通りの意味です。あの量が押し寄せたらひとたまりもないでしょう」

「バリケードの強化は?」

「群れが音に反応しない事が発覚したため、重機も用いつつ進行していますが、十六ヶ所に同時かつ同様の措置はできていません。正直申し上げて付け焼き刃かと」

「酒井くん。あと二十一回、時間にしてどれくらいですか」

「少々お待ちを……、そろそろですかね」


 その直後、建物が揺れたような錯覚さえ起こす、低く長い唸りとも叫びともつかない声が、街全体に木霊した。


「これであと二十回。一時間おきに一度、群れは前進しているようです」

「何度聞いても慣れんな……、これは」

「あと二十時間、最後の一回は明け方か……」

「攻撃はできないのかね。攻撃は」

「正式に命令して頂ければ喜んでそうしますが、全ての群れが同期して動いている状況、一つが反撃してきたら、他も動き出すと考えていいかと」

「そうしたら、終わりだな」

「街は完全に奴らに囲われている。逃げても中心に追い込まれるだけというわけか……」

「ですので検問部隊として今出来る事は、防衛ラインを内と外から守る事、その一点です」

「外の連中もそうだが、内側も問題だな……」

 

「そちらについては私の方からご報告致します」

「入間くん。住民の様子は」

「外出が不可能である事とゲートの封鎖は周知しましたが、服用者の声が街全体に響いており、住民の不安を煽り続けています。各商業施設には開店前から人が押し寄せ、一部ではドアを破って侵入、物資の奪い合いにまで発展した所も確認されています。警備部隊が出動し続けていますが、それも追いついていない状況です。怪我人も続出しており、医療機関の逼迫も近いかと」

「このままだと群れが来る前に内部崩壊するぞ。入間管理官」

「……はい。現在も管理部で対応策を検討中でして……」

「あと二十時間切っているんだぞ!」

「まあまあ、二十時間で到達するのはバリケードまでですから、そこからもゆっくり一時間毎に進んでくる、なんて事はありませんか……?」

「流石にそれは楽観的かと。群れと相対している私の部隊員達の報告を信じるならば、連中は二十時間後、きっかりバリケード前で足並みが揃います。それをもって臨戦態勢に入ったと考えるべきです」

「君はどっちの味方なんだ?!」

「だから落ち着いて下さい。話を戻しましょう。入間くん、常用者の方は」

「はい。常用者の方達に関しては、比較的平静を保っています。しかし、それでも比較的、というだけです。いざ服用者が侵攻してきても襲われない彼らですが、食料がなければ飢えますし、薬がなければ明日は我が身です。結局ここが崩壊すれば、彼らも含めて全滅する事には変わりません」

「入間くんは、拠点内の常用者全員に薬を与えるように。そうすれば、外の群れが来るより先に、内側に服用者が現れるなんて事態は避けられる」

 

「それともう一つ、新たな問題が発生しつつありまして……」

「今度は何だって言うんだ……」

「薬の処方が不要な一般住民から、ロングタイム2000を配布してほしいという問い合わせが増え始めていまして……」

「一体どうしてそんな……」

「万が一に備えたいのでしょう。服用者の襲撃を避けるために。入間くん、その要望には絶対に応じないように。それと全ての常用者の住居棟への退避を徹底して下さい。警備は最大限にお願いします。薬を求めた住民が押し寄せる可能性があります」

「攻撃もできない。籠城も困難。挙句の果てに住民が暴動を起こしかけているだなんて……」

「……万事休したか」


「ここで、皆さんに朗報、とまでは言えませんが対抗策となり得る情報を。丹野さん、宜しくお願いします」

「荒田拠点長、有難う御座います。阿僧祇あそうぎ中枢拠点の派遣監察官、丹野と申します」

「ああ、入間の所によく出入りしてた」

「てっきり愛人か何かかと……」

「失礼ですが、入間管理官の名誉に誓ってそのような事はありませんので、以後そのような発言は控えて頂けますか。……はい、ではお伝えします。今回の服用者による包囲網が、エタニティの特殊技能によるものである事は明白です。そして、推定ではありますが、そのエタニティの、対象の特定ができています」

「な……、本当かね?!」

「江藤梓。十六歳の少女です。先日の外泊者襲撃現場の生き残りとなります」

「……外泊者っていうと、まさかあの……」

「はい、管理下だった小規模拠点、マンション屋上にて、複数の焼かれた死体が発見されたあれです。あそこの唯一の生存者になります」

「という事は、それもそいつがやったのか」

「いえ、事件の真相ですが、当該拠点住民らが、外泊者が全員集まったタイミングで服用者に変貌するように、ロングタイム2000を事前に服薬していたようです。そして半ば心中の如き襲撃に至ったと」

「それで生き残った少女が、その後で死体を焼いたのか……」

「そもそもどうして襲撃なんか……」

 

「それは皆さんの小規模拠点、ひいては配給担当者への管理不行き届きかと。彼らは随分と各担当拠点に対して横暴であった、そう耳にしています。ですが、その責任追及に関してはまた後日。それよりも、事態は急を要しています。まずは件の江藤梓を見つけ出さなくてはなりません」

「見つけてどうするんだね、……殺すのか?」

「群れはエタニティの影響下にあるおかげで統率されています。指揮者がいなくなり、本能を取り戻した服用者はどうなると思いますか?」

「タイムリミットを待たずに、戸棚原は織辺おりべの二の舞いだな」

「ですので、江藤梓には、説得、という手段を試みます」

「話が通じるのかね。相手はエタニティ、しかも今も我々の命を握っているような奴だぞ」

「交渉人として、こちらの、坂崎真千子捜査員を向かわせます」

「信頼できるのか? やけに若いが」

「相手は十五歳の少女です。年が近いに越したことはありません。坂崎は、私と同じ阿僧祇から派遣された特殊捜査員です。私の古い友人でもありますので、信頼、という点については問題ないかと。何より、彼女は、先の小規模拠点捜査の過程で、江藤梓と接触しており、一時友人関係にまで至っています」

 

「そもそも、どうしてその江藤梓が今回の件の首謀者だと?」

「対象と接触した坂崎が、彼女から匂いがしたと、そしてそれが群れのものと一致しているとの事です。特有の匂いは、外の常用者部隊からも報告が上がっています」

「では、その江藤梓さえ見つけ出せれば、望みはあると」

「むしろ、これしかないかと。一応、阿僧祇、波田淵はたふち第三から支援が予定されていますが、残り二十時間では到底間に合いません。ですので、皆さんには戸棚原内部の治安維持に専念してもらい、我々、中枢捜査員の方で対象の捜索に努めます」

「たった二人でかね」

「いえ、人員をお借りします。まずは外の常用者部隊を、群れのいない所を重点的に捜索させて下さい。それから、拠点内部にも捜索部隊を編成し、こちらも常用者で構成します」

「外だけではなく、内でも常用者を編成する理由は?」

「江藤梓と群れの匂いが、常用者によってしか確認されていないからです。普通の人間に認知できる匂いなのか確認するためには、誰か一人、あの群れの中に放り込む必要がありますが、……そんな事をしたがる人間はいないでしょう。だから常用者が必要なのです」

「なるほどな。そのエタニティを発見したとして、交渉に応じるのか?」

「最初の移動が本日午前五時。先程のを含めて累計五回、群れは移動しています。一時間毎の移動、その法則が守られるならば、拠点に到達する最後の一回は明日の午前五時頃。つまり、その気になれば一瞬で落とせたこの街に、ちょうど二十四時間の猶予が与えられているのです。しかも、それをわざわざ音と行進で周知している。江藤梓は、決して適当に脅かしているわけではない。私達を試しているとさえ言える。であれば、話し合う余地がある、そう考えています」

「……では、酒井くんは、外の部隊を丹野さんに引き渡し、警備部の方でも常用者部隊を編成して街を巡回させて下さい。残りは各所治安維持に専念、という事でよろしいですかな。……服用者でさえ、大人しく順番待ちをしているというのに、我々が冷静さを失い、取り乱すなど言語道断です。では、始めて下さい――」

 


「私が、阿僧祇の派遣捜査員?」

「それっぽいでしょう?」

「それに『古い友人』って」

「もう友人みたいなものだと思っていますが、古いかどうかは主観に過ぎませんし」

 私とタンノは、車の後部座席に乗り込んで、私が入ってきたあのゲートに向かっていた。

 

「坂崎さん。瑠夏ちゃん達と合流したら、逃げてもいいんですよ」

「……逃げないよ。でもルカ達は遠くに行かせる」

「あなたの事は、あそこにいた人間しか知りません。もしもここが壊滅したら、あなたに責任を問う者なんて誰一人いなくなります。ですから、気兼ねなく逃げ出せます」

「それ、もしも戸棚原が無事だったら、私追い回されない?」

「その時は、何もしていなくても、あなたの手柄になりますよ」

「逃げないし、戻ってくるよ」

「頼んだ身であえて訊きますが、こんな所のためにどうして」

「ルカのため、そして私とカガミのため。それに、アズサのため」

「……身内や知り合いが服用者になれば、誰だって一縷の望みに賭けます。その結果、どれだけ人間離れになろうが、愛着は湧くものです――」

 その言葉に、樹木のエタニティを連れていたあの男を思い出した。

「――ですが、そうなる事は誰にも予想できません。ましてや、管理移送を丸ごと操って上層拠点を襲うだなんて。坂崎さんが江藤梓に負い目を感じる必要なんて無いんですよ」

 

「あんた、私に手伝ってほしいの? それとも追い出したいの?」

「もちろん、手伝ってほしいですよ。ですが、私はあなたに負い目があるので、こうして出来る限り遠ざけるような事を言っているわけです。それでも、坂崎さんがここに戻ってくれるなら、私のその負い目は消え去ります」

「勝手な事ばっか言って」

「申し訳ないです」

「大丈夫。戻ってくるから」


 

 車は再度ゲート近くの検問所に着いた。

 私はまた、あの壁側に設置されたドアの前にいる。今度は内側から外へ。衛兵の銃ではなく、タンノが見送る。

「群れは一時間おきに動いてはいますが、行きと同様、常用者が通り抜ける分には問題ない事を確認済みです」

「了解。というかこのバッグ通れるかな」

 タンノの部屋で貰ったボストンバッグを両手で抱える。

「大丈夫そうですか?」

「ダメそうだったら薬だけ取り出して向こうに行くよ」

「坂崎さん」

「大丈夫、戻るって。早ければ二時間くらいで」

「分かりました。お待ちしています」


 タンノが開けてくれたドアを抜け、今度こそ拠点の外に出た。

 後ろのドアは閉められたが、何かあった時に逃げ込めるようにまだ施錠まではされていない。

 大事を取るなら中で待機するべきだが、アズサの所業をこの目で見ておきたかったのだ。

 そして、現在時刻は午前十一時。もうすぐ、始まる。


 

 ぅううううぅぅううぅぅぅうう――――

 ――低く地を揺らすような唸り声。

 

 ぁああああぁあぁああああぁあ――――

 ――高く空を切り裂くような嘆き。


 

 それらが渾然一体となって、空気を、街を、人々を追い立てる。

 一歩、また一歩と奴らが、着実にその距離を詰めている。

 やがて群れの進行は止まり、叫び声も止んだ。

 一帯は、先程のけたたましさなど存在しなかったように、静まり返っていた。

 

 私は思わず塞いだ耳から両手を離し、バッグを拾い上げると、橋の正面へと向かった。

 最初に見た時は、橋上にいなかった服用者達が、既に橋の三分の一を埋めるくらいにまで侵食している。

 視覚化されたタイムリミットは、ただでさえ短い残り十八時間をさらに短縮して感じさせている。

 

 これがアズサの力。

 規格外のエタニティを、私は生み出してしまった。

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