第八話 並び叫ぶセンチピード(3)
目と鼻の先に群れがいる所まで来たが、当然ながら常用者の私を襲おうとするものは誰もいなかった。
それどころか、普段だったら、動いている私に寄ってきて、その後で獲物でないと気付いて引き返す。
そんな行動をする奴らが、そもそも最初から眼中にないようで、群衆の間を縫うように進む私に見向きもしない。
たまに肩や腕が、群れの一人に当たってしまっていたが、それでも反応はなかった。
つまり、パレードは完全待機状態なのだ。
指示があるまで、ここでゆらゆらとしながらも立ち止まり続ける。
逆に言えば、指示さえあれば一斉に動き出し始める。
服用者達の身体と服から漂う腐敗臭を上回ってなお、有り余る程の甘い香りが鼻を刺し続けている。
渦中にいる時には、こんなに明確に意識するのに、一度止むと、夢のように朧げになってしまう。
だからこの香りの事は、カガミ達に説明できていない。
だが問題はない。これがアズサの仕業だと、それが理解できていればそれでいい。
道路を抜けて、検問所に続く橋に到達した。
意外にも橋自体はがらんどうで、その手前ギリギリで群れは立ち止まっている。
立体駐車場から見た時と同じ、物理的障壁は一切ない。見えない線が引かれているように服用者達は待機を続けているのだ。
私は、橋に一歩踏み出してみた。それからもう片足も差し出して、完全に群れを逸脱した。
恐る恐る振り返ってみたが、群れに動きはない。
通常であれば、付いてきかねないが、完全待機状態が功を奏している。
最悪、川を泳いで渡るつもりだったから助かった。
今度は検問所を背に、群れを見ながら、後ろ向きに一歩下がる。大丈夫。
またもう一歩。問題なし。
今度は、思い切って五歩ほど一気に進んだが、群れはそれでも動かない。
私は、検問所の方に向き直り、今度は歩みを止めず、橋を進み続けた。
たまに振り返って群れの様子を窺ってみたが、連中は一歩たりとも動いていなかった。
距離にして百メートルないくらいの橋上を歩き続け、半分を過ぎた。ゲートから私の姿はとっくに確認できているはずである。
足元のアスファルト上に、何かを引きずったような跡が現れた。これはあの樹木騒ぎの痕跡だ。
拠点内へのゲートには、簡素だがバリケードが組まれたうえでシャッターが閉じられている。
そして遂に、その目の前まで辿り着いた。微塵も苦戦せず、あっという間だった。
だがしかし、ここからが問題と言える。どうやって入れてもらおうか。
この出入口以外は、街を囲うように垂直に壁が高く築かれており、それを登るのは現実的ではない。
おそらくのぞき穴なり何なりから、私の姿を誰かしらが確認しているはずだが、いまだに反応はない。
動きを見せたり、音を出したりしたら、あの大群が大挙して押し寄せてくる可能性があったのだから、それをしないのも無理もないが、もうそろそろ接触してくれても良いように思える。
私は、ゲート横の壁にドアがあるのを見つけ、その前に立ち止まると、二度、三度とノックしてみた。しかし反応はない。
おそらく緊急用の出入り口なのだが、今使わずして、いつ使うのか。
根気よく待ってみたものの一向に応答がない。誰も近くにいないのだろうか。そんな訳はないのだが。
「すみませーん」
小声でドアに向かって声をかけてみた。
「もしもーし」
今度は通常程度の声量で。
「……次、大声出しますよ」
そう言って、わざとらしく大きく息を吸ったところで、
「待った! いるからやめてくれ!」
と若い男の声が、ドア越しに話しかけてきた。
「いるなら開けて下さいよ」
不満げに言うと、
「こんな状況で、そんな簡単に開けられるわけないだろ……!」
つれない返しである。しかし、こっちも緊急だ。
「私の事見てたなら、大丈夫って分かりますよね。意思疎通も出来てる。服用者なんかでもないです」
「……でも常用者だろ」
「何か問題でも?」
「あるだろ」
「ないでしょ。たくさん住んでるんだから」
「……エタニティかも」
「それ確認する術あります?」
「ないが、入れなければ問題ない」
「入れてくれなきゃ、未知のパワーで暴れるって言ったらどうします?」
「……それでも駄目だ」
「はあ、嘘です。エタニティでも何でもないです。ただのしがない常用者です。だからお願いします」
「……中で服用者になられたら困る」
「薬飲んでるんで大丈夫ですって。それにほら、ちゃんと今日の分も持ってる」
私はポケットから薬の箱を取り出して、適当に掲げた。どうせどこかから見てるだろうし。
「上に相談する」
「あ、じゃあ、あの、イルマ氏を呼んで下さい。イルマ、入間、えーっと」
「入間恭平管理官の事か?」
「そう、そうです、その人。あと、丹野遊菜って人が知り合いっていうのも伝えてもらって」
「君の名前は?」
「坂崎です。坂崎真千子と言います」
そのやり取りから数分後、ドアは開かれ、ようやく戸棚原第四基地に入る事ができた。
だが入った瞬間、三人の衛兵に銃を構えられたのには心底驚いたが、撃てるわけがなかった。そんなもの撃ったら、その音で群れが目覚めかねない。
「さっきの箱から薬を取り出せ」
言われるまま取り出す。
「渡せ」
渡した。
「今ここで一錠飲め」
確認後返された薬を、その場で一錠飲み込んだ。もったいないけど仕方がない。
「口を開けて舌を出せ」
そこまでする?
一通り安全が確認された後、背負っていたマチェーテも没収されて、検問所の詰所に待機となった。
見張っている兵士は誰も話しかけてこないし、いつまで待機し続けるのかも教えてもらえていない。
その内に、一人のスーツ姿の男が現れて「坂崎様どうぞこちらへ」と連れ出された。
先程までとは打って変わってこの扱い。
得物も返してもらい、送迎であるらしい黒塗りの車、その後部座席に乗り込むと、そこには軍服姿のタンノユウナが先に座っていた。
隣に座ると、ドアが閉じられ、車は間もなく発進した。
「瑠夏ちゃんはどうしてますか」
タンノの第一声がそれで良かった。ルカを気にかけていなかったらぶん殴っていた。
「あの子は賢いよ」
「そう思います」
「元気だよ。あんたの想像以上に。ちなみに目標は達成した。両親も諦めたし、ここにも帰ってくるつもりだった。ちょっと思ってたのと違う形にはなったけど」
「ありがとうございます、……と言いたい所ですが状況が状況ですので」
「ルカの場所、聞かないの?」
「優秀なドライバーに忠実なエタニティと外にいるなら、ここよりも安全でしょう。その点は信頼しています」
「……シルビア、バレてんのかよ」
「追加でロングタイム2000を含めて物資をお渡しします。ただし、これは報酬ではなく経費です。それで瑠夏ちゃんを守って下さい」
「あの子、あんたとイルマ氏に会いたがってるよ」
「現状、それは難しいです。入間さんは拠点内の秩序維持で忙殺されています。私の方でも各所に支援を要請していますがあまり芳しくありません」
「まあどこもわざわざ助けには来ないでしょ」
「持ちつ持たれつの関係は、本当の緊急時には機能しないようです。戸棚原を管轄としない他の中枢拠点は、要請に応じませんでした」
「じゃあここの親玉は?」
「
「同じ上層の兄弟分達は?」
「
「薄情者ばっか」
「いまだに織辺の傷が癒えていないとも言えます。立ち向かうよりも一旦静観を選ぶ程度には」
「あんた達自身はどうする気なの」
「二日前から、十六ヶ所全ての拠点出入り口に、元管理移送の分隊が待ち構えています。通常の人間の脱出は極めて困難。常用者ならば、坂崎さんのように通り抜ける事も可能でしょうが、その後で彼らを受け入れる先がありません。人間にせよ常用者にせよ、現状、外に出てもあの群れの一部に取り込まれるだけです」
「じゃあ住民全員をこのまま街に閉じ込めておくって事?」
「結果的にそうなります。そして最悪の事態が起こった際には、住民もろとも外からバリケードを閉じて、他の地域への移動の一切を封じます」
それでは心中と変わらない。
「そもそも、あいつら一掃出来ないの?」
「一度刺激をした瞬間、一斉に動き出しかねないので迂闊な事ができないのです。それに今回管理移送されるはずだった服用者の人数は、推定でも三十万人を超えています。それが全員、この拠点に集結していたとしたら、例え殲滅出来たとしても、その頃に戸棚原の住民がどれほど生き残れているか、想像もできません」
これ、もう無理なのでは。戸棚原が痛みを伴わず生き残れるとは到底思えない。
私は言葉が出なかった。ルカになんて伝えればいい。今度は両親どころか街一つを諦めさせろというのか。
「ですが一つだけ、この状況だからこそ突破口になり得る要素があります」
それはつまり――。
「――エタニティ」
「そうです。この特異な状況を生み出している元凶は、意思の疎通が出来る可能性があり、私達がいまだに生きているのは、その元凶の采配のおかげとも言えます。ですから、私達がすべきは、即刻標的を見つけ出して交渉し、できる限り被害を最小限に留める、これに尽きます」
アズサ。彼女を見つけ出して説得。事態を好転させる唯一の手段。
「随分べらべら喋ったね」
「瑠夏ちゃんと仲良く出来ているとお見受けしたからです。それに、流石に私も焼きが回ってきました。藁をも縋る思いとはこの事です」
「そのエタニティは見つかりそうなの?」
「昨日から少人数の常用者部隊を編成し外を探らせていますが痕跡も見当たりません。ですが、気になる事はあります。あの群れに近づくと甘い匂いがすると、一部の隊員から報告が上がっています。坂崎さんはどうでしたか。あの群衆を抜けてきたんでしょう?」
「匂い……、したような、しなかったような……」
「それです。一度、報告をした隊員もしばらくすると、具体的には群れから離れると、その感覚が曖昧になってしまうようです。さながら夢を見ていたように」
「夢……」
「匂いがエタニティの能力の一端である事は、火を見るより明らかです。それを辿る事も試してみましたが、いずれも群れを離れると消えてしまうので意味はありませんでした」
それが何かは分からないが、アズサが今回の件の首謀者である事は分かっている。それさえ分かっていれば良い、ひとまずは。
そして、この提案は一応しておかなければなるまい。ルカのためにも。
「タンノ、イルマ氏も連れて、私とこの街を脱出する気はない? ルカが待ってる」
「魅力的なお誘いですが、お断りします」
「……どうして?」
「私も入間さんもここを最後まで守ると決めました。次、瑠夏ちゃんに会うのは、この件が何らかの形で終結し、それでも生き残っていた場合のみです」
「……私だったら逃げるよ」
「どうぞ逃げて下さい。そして瑠夏ちゃんを守って下さい。……ちなみに、もしもここに彼女を連れて来ていたらぶん殴ってました」
「外に出したのあんたでしょうが」
「比較的外の方が安全になった今、私の計画の正しさが証明されました」
「詭弁だよ」
「詭弁ですよ。……着きました」
車を降りると、そこは、あのタンノと出会った団地だった。
そのまま人の目も介さずに、敷地内に入っていく。
「お忍びなんじゃないの?」
「既に素性は開示しました。薬が要らない事はまだ黙ってますが」
団地のとある一室に入ると、必要最低限の家具だけが取り揃えられた簡素な部屋が現れた。
「ここがあんたの部屋?」
「そうです。あいにく無趣味なもので」
そう言いながら押し入れを開くと、中から巨大なボストンバッグを取り出した。
「それは?」
「中には追加の薬、食料、衛生用品、その他諸々が入っています。少し重いですが、これを持って外に出て瑠夏ちゃんを連れて遠くに行って下さい。申し訳ありませんがゲートは開けられないので、行きと同様、徒歩でお願いします」
「……あんた忙しいんでしょ。どうしてそこまでしてくれるの」
「瑠夏ちゃんのためです。それに、私と真千子は『親友』でしょう?」
「それ、ルカに言われた時、マジかって思ったよ」
「記憶喪失のフリは出来ました?」
「もう観念して白状したよ」
「それならそれで結構です」
バッグを持ち上げる。確かにまあまあ重いが、持ち運べないほどではない。
だが、このまま戻っていいものなのだろうか。
カガミやルカの安全を考えるなら、さっさと逃げ出すべきだが、タンノにも生き残ってもらわないと目覚めが悪いのは事実。
それに、私は敵の正体を知っている。
アズサの事を伝えるべきか、なんなら面識のある私が協力してタンノ達と共に探すべきではないのか。
この街を救う。
そんな大それた行いに、準じるべき時が来たのではないか。
いずれにせよ、一度戻ってカガミ達に状況を伝えた方がいい。
その後で、ここに戻ってくる事も、私なら容易に出来る。
その時、ウウウウゥゥゥ――と、外で低く唸るようなサイレンの音が響いた。
「これ、何の警報?」
「……いや、こんなのは予定には……」
ザッ、とノイズの音がして、タンノの胸の無線が応答を呼びかける。
「はい、丹野です。どうしましたか」
『こちら、第十三番ゲートです。群れが、……動きました』
タンノが目を見開いた。きっと私も同じ顔をしている。
「詳細をお願いします」
『群れが突然、一斉に発声しながら、横並びに二歩、こちらに向かって前進しました――』
ハッセイ、発声。あのサイレンだと思ったあれは――。
『第四番ゲート。群れが威嚇と思しき唸り声と共に一歩前進』
『こちら第八番ゲート。服用者が集団行動、叫び声と共に二メートルほど距離短縮』
『第十一番ゲートより報告。他ゲートと同様です。こちらは三歩前進』
次から次へと発覚する、異常事態の進展。
全ての群れが、同時に動き始めた。
「丹野です。ひとまず状況確認しつつ現状維持でお願いします。外の捜索隊にも群れに近づかないよう連絡して下さい」
深く息を吸い、それを吐いてから、タンノユウナは私に告げた。
「……申し訳ありませんが坂崎さん。外に出るの、待ってもらってもいいですか」
これで、踏ん切りがついた。
「分かった。それと、あんたに教えたい事がある」
アズサを止める、そのついでに街も救ってやる。
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