第八話 並び叫ぶセンチピード(2)
遂に戸棚原第四基地へのゲートの一つ、そこまで二十分程というところまで来た。
そこでようやく、周りに異変が起き始めた。
まばらだが、行きはいなかったはずの服用者を道路上に見かける事が増えてきている。
そいつらは、事故を起こさないようのろのろと進む車など意に介さないように、ふらふらとその辺をうろつき、立ち止まったりを繰り返していた。
「なんか変だね、こいつら」
「何が変なんですか……?」
呟いたカガミにルカが訊いた。
「大概、生きた人間とか動物の次は、動いてるものに寄ってくる。それなのに全然近付いてこない。そういう奴もいるにはいるけど、全員は流石に変」
「私がいるからとか」
服用者は、常用者やエタニティを襲わない。
「マチちゃんにだって近付くくらいはしてくるでしょ。見向きもしないなんておかしいよ」
「ど、どうしたのシルビア」
ルカの不安げな声を聞いて振り返ると、シルビアが窓の外を睨みながら静かに唸っている。
「マチちゃん、これ、ヤバいかもね」
「だね……」
緊張で手汗が酷い。カガミもそれは同じらしく、適度にハンドルから両手を離しては擦り合わせている。
「ヤバいってなんですか……」
ルカの不安を煽るような事を言ってしまったが、そんな配慮に至れない程、私達の余裕は消えていた。
「ルカ」
なるべく優しく声をかけようと思ったが、出来ていたかは定かではない。
「は、はい」
「多分この先、大変な事になってるか、少なくともヤバい奴がいる可能性が高い」
「ど、どうして分かるんですか」
「敵意のあるエタニティと対面しても、私達が指示するか死にかけるまで知らぬ存ぜぬのシルビアがもう警戒心マックス。これまで一回しか見たことない」
「……そ、その一回って、何が起きたんですか」
しらばっくれたり隠したりしても、ルカは察してしまうだろう。むしろ言わない方が想像力を働かせてしまい、不安を助長するかもしれない。
「一人のエタニティが上層拠点を丸々一つ壊滅させた」
「……え、それって織辺の……」
「シルビアがそいつを殺してくれたおかげで、私とカガミはこうして生きてる」
「シルビアが……?」
「だからルカは、絶対にシルビアから離れないで」
「あ、あのそれってどういう――」
「これが私達の最後の隠し事、シルビアはエタニティ。それも超強いやつ」
ルカは、シルビアをしばらく見つめてから「……よろしくね」と声をかけた。
ただの犬だと思っていた頃の方が怖がっていて、エタニティと聞いた今、より信頼を寄せている。
なんとも奇妙な光景だった。
だがそれを微笑ましく思っている場合ではない。私達はそれを否応にでも思い知らされた。
拠点内への入退場ゲート、そこに至る大通りで、それは姿を現した。
正面のゲートまでの、一キロメートル程だろうか、道を埋め尽くす服用者の群れ。
さながら管理移送の渦中。パレードの一派がそこにいた。
前方のおびただしい数の服用者に、車を一旦停止させるカガミ。
車の左右を、何人かの服用者が通り過ぎていったが、先程と同様、私達を気にも留めずに、大群の方へと向かっていった。
「検問、どうなってるんだろう」
カガミが体を動かしながら前を道の先を見ようとするが、何も窺うことが出来ないらしい。
片側二車線あるはずの車道の先は、所狭しと服用者がいっぱいで、そこから先が全く見えないのだ。
「でも、動いてる感じもしない。門の前で持ち堪えてるのかも」
しかし大群は前進している様子もない。とにかく検問前で滞留しているような状況と思われた。
後ろのルカは、固唾を飲んで群れの方を見続けていて、シルビアも警戒状態のままだ。
「私、見てくる」
「……気を付けて」
「大丈夫だよ。変な感じがしたらすぐ戻る」
セオリー通りなら、常用者の私なら外に出ても襲われないはずだ。
「よし、まずは高い所から見てみる」
足元に置いてあった得物を持ち、音を立てないよう静かにドアを開け、車外に出た。
群衆から距離はあるが、用心に越したことはない。万は超えてそうなあの量が一斉に押し寄せてきたら、追いつかれた時点で終わりだ。
私は、ちらほらといる服用者を横目に、歩道側にあった立体駐車場を上がっていき、その高さ三階相当の屋上に辿り着いた。
車道側の縁から、ゲートの方に目を凝らす。
検問所入口には、服用者らを押し止めるためのバリケードが設置されており、周りに生きた人間は見当たらない。
不思議なのは、バリケードより手前に見えない壁でもあるかのように、ある一線から先に服用者が進んでいない事だった。少なくともここからでは物理的な障害を置いているようには見えない。
まるで、このラインを超えてはいけないと、そんなルールが存在し、それを遵守するかのように、一律に待機しているようにも見える。
そして人が見当たらない。これは当たり前だ。もしも人間の存在がバレたら、あの量を一斉に相手することになってしまう。
バリケードとか生存者とか、そんなのよりも、まずは連中のその量である。
上から見てみて分かったが、その物量は、あのマンションから見たそれと遜色がない。
実際にはこの何十倍か何百倍もの数なのが本来のパレードではある。だが今回は距離が近い分、その少なさにも関わらず、脅威の実感が段違いだった。
というか、そもそも全然少なくない。
こんなに大量に密集した服用者を、ここまで近くで見たのは初めてだった。
それ以前に、これだけの人数が集まっているのは、生きた人間にしても見た事がない。
私はまた静かに車に戻った。
「どうだった?」
私はバリケードの手前で止まる服用者達とその異常な量を報告した。
「じゃあ、まだ中には入ってないんですね?」
「うん、それはなさそう。入口も塞ぎっぱなしだったし」
身を乗り出していたルカが、安心したように深く息を吐いて背もたれに寄りかかった。
「別のゲートも見に行きたい。そっちが通れれば、それに越したことないし」
「うん、分かった」
カガミがゆっくりと車を動かし始めたが、服用者は誰一人として注目せず、大通りから横道へと難なく抜ける事に成功した。
「いやあ、流石にびびったぁ」
カガミがハンドルを握りつつ、強張っていた身体をほぐしながら一息ついた。
シルビアもあの大群から距離が離れてからは、また大人しくなっており、ルカはしきりにその背中を擦ったり、頭を撫でたりし続けていた。
だが、この場の誰もがその予想をしていたと思うし、目的地に着くと、実際にその予想通りの光景が広がっていた。
今回向かったのは、一番最初に私達が通ろうとして、樹木のエタニティと遭遇した、あの川向こうの検問所だった。
だが川沿いの道を走っていく内に、みるみる徘徊する服用者の数が増えていき、またもや前方には、壁のように立ち塞がる服用者の群れが姿を現した。
例によって奥の方は見えないが、先程の大通りよりはゲートまでの距離は近いし、道も狭いからその量は少なめと思われた。
……この異常事態で感覚が麻痺している。これで『少ない』とは笑わせる。
そしてこれはもう、そういう事なのだと思わざるをえない。三つ目のゲートを確認しに行く必要はないだろう。
戸棚原第四基地は、服用者の大群によって完全に包囲された。
しかもご丁寧に、各検問所、ゲートの手前でぴったりと、いつでも雪崩のように踏み込める距離で待機している。
「マチちゃん、どうする?」
「参ったな……」
私とカガミ、シルビアだけだったら、こんなのは無視して、どこか遠くに向かってしまうだろう。
幸いにもハルタさんの所で補給も済ませてある。
だが、今回はルカもいる。
「ルカちゃん……」
明らかに顔色の悪いルカ。その震える手をカガミが握った。
「ほ、本当に中は大丈夫なんでしょうか。遊菜さんに、入間のおじさんだって街にいるんです……」
絞り出したような悲痛な声。
シルビアは外を警戒しつつも、ルカにその頭を寄せている。
その様子をしばらく見て、ルカの手を握った左手はそのままに、カガミが前を向いて言った。
「マチコに頼みたい事がある」
「分かった。行ってくる」
「その二つ返事、流石っす」
内容なんて聞く必要ない。
ルカが顔を上げて、私とカガミのやり取りを解読しようとしていたが、諦めたらしい。
「……すみません。どういう事ですか……?」
「私があの群れを抜けて中まで行ってくる」
「……そ、そんな。この状況ってお二人も経験した事ないんですよね? いくら常用者でも何があるか……」
「そうだね。でも大丈夫なんじゃないかな。さっきも平気だったし」
「他の拠点の助けが来るのを待ってみてもいいんじゃ……」
「じゃあルカはそれを待てる?」
ルカは目を伏せて「それは」と口ごもった。
いつ来るかも分からないそれを待っていても埒が明かないし、大挙して、少なくとも集団でやってくる支援部隊より、私単独の方があの連中をすり抜けられる可能性はある。
「別にルカのためだけじゃない。上層拠点が一つ無くなるとその分、傘下の小規模拠点の首が回らなくなるし、私達も食べていけなくなる。お世話になったハルタさんだってそう。だからこれは私達のためでもある。それに、もしも街のピンチを救ったら、もう困る事なんてなくなる」
「車ももっと大きいの貰える」
「タンノにも文句言わなきゃ」
私とカガミが明るく掛け合うとルカも一言。
「わ、私も……、おじさんと遊菜さんに外であった事を話したい……」
これでもうやるべき事は決まった。
「カガミ達はもう少し離れた所、シルビアの警戒が切れる川沿いで待機してて。もしも危険を感じたら迷わず車出してハルタさんのところへ」
「マチコも、ゲート着くまでに危ないと思ったらすぐ戻ってきて」
「うん、あとこれ」
私はポケットに入れていたそれの一部を、二人にそれぞれ手渡した。
「ロングタイム……ですか」
ルカが受け取ったそれを見ながら言った。
「トランクにあるのも含めて一人当たり一ヶ月分ある。いざとなったら使って。交渉材料にも、もちろん自分が飲むのにも」
「それだとマチコ、二週間分くらいしか持ってないでしょ」
「拠点に入れなきゃどうせ死ぬだけだし、入れたらタンノ呼び出して追加を要求するから問題ない。それに、いざ薬のあてがなくなったら車に戻ってくるよ。でも、それを気にして待機し続けるのはやめて。危ないと思ったら迷わず移動して」
「真千子さん、本当に――」
「気にしないで、謝らないで、それとお礼も言わないで」
私はルカの言葉を遮って、
「――こんなのは、全部打算なんだからさ。ルカは気にしなくていいんだよ」
なるべく笑顔で、そう言った。
「分かりました」
真っ直ぐ私の顔を見て、ルカは毅然とそう返した。
「だからさ、ルカ、ちょっとだけ目を閉じててくれる?」
「……? あ、ああ、はい。閉じました。なんなら伏せました」
私のお願いに一度疑問を浮かべつつも、理解してくれたようだった。
この子に隠し事は難しいが、だからといって隠さない理由にはならない。
あの高速道路の晩、それは十分思い知った。
車内でのあんな今生の別れみたいなやり取りを、大袈裟だったと笑い飛ばせるくらいの結果を出さなければならない。
ルカには大口を叩いたが、何も街を丸ごと救おうとか、そんな事が出来るとは思っていない。
私の目標は、ただ拠点に入って、タンノとイルマ氏を探し出し、ルカの元まで連れていく。
それが私のできるベストである、そう考えた。
縁起でもないが、例え戸棚原が壊滅しても、タンノは別の拠点から来たと言っていたから、最悪そちらに融通を利かせてもらえるだろう。
それにあいつらは、私達、ましてやルカを、理由はどうであれ外に放り出したのだ。
今度はそっちが外に出てもらう。責任を取ってもらうのだ。
それとこの状況、各検問をロックオンしている服用者達という不可思議。
シルビアの警戒も合わせて、どう考えても、エタニティの何らかの特殊技能が働いている。
そしてそれが何者なのか。車外に出て、群れに近づく程に、思い知らされる。
それは、一歩、また一歩進むごとに強まっている。
強烈に甘ったるい、糖分を直に脳に流し込まれているような、それでいて不快感をスレスレで回避している、そんな香りが。
パレードを指揮し、戸棚原の運命を握っているエタニティの残滓。
これが、アズサの『やりたい事』だったのだ。
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