第七話 怖るるべきインフィニット(2)

「お待たせしました」

「ルカちゃん大丈夫?」

「平気です。ご心配おかけしました」

 へたり込んだルカを一度、車の後部座席で休ませてる間、私達はマンション内を物色。

 見つけてきたカセットコンロと鍋でお湯を沸かし、インスタントコーヒーを飲みながら、管を巻いていた。

「あの、私も頂いていいですか」

「どうぞー」

 用意していたカップにお湯を注いで渡すカガミ。

 ルカも地面に座り込み、三人でコンロを囲う形となった。

「私、エタニティ初めて見ました」

 ぽつりとルカが呟いた。実はそこにいるお犬様もそうなのだが黙っておく。

 

「どうだった?」

 私は、ルカの率直な感想が気になった。

 人間だった頃のアズサを知っているせいで、私達はあの変化に戸惑った。ならばこれが初対面のルカならどうか。

「正直、もっと怖い存在なんだと思ってました」

「ちなみに私は滅茶苦茶怖かったよ」

 カガミが感想を述べたが、私も同意見。

「ルカは怖くなかったの?」

「いや、そんな事はないんですが、なんというかエタニティって、もっと話が通じないタイプの怖さだと思ってました」

「実際そういう奴もいるからなあ」

 カガミは腕を組みながら、過去に出会ったろくでもない連中の事を思い出しているようだ。

「もしも次会ったら、ちゃんと話してみたいです」

「良かった」

 自然とそう口にしていた。

 

 ベストとまではいかなかったが、ルカがアズサに、極度に負い目を感じているような様子ではないのは救いだった。

 アズサが最後に残していった言葉が、ルカをしがらみから解放したように思える。

 だが、それでも油断はできない。アズサの真意が掴めないのだ。

 先程カガミには、階段であった出来事を伝えたが、それをルカに話すのはやめようと決めた。

『全員殺す』

 そんな台詞をアズサの口から聞いたとは、信じたくなかった。

 それに、彼女がしきりに言っていた『やりたい事』の詳細も分かっていない。


「両親が死んだ事も分かって、その後の顛末も知ることができました。それに、梓さんにも会えた。まさかここまで色んな事が一遍に起きるとは思いませんでしたけど……」

「それで、ルカは今後どうしてくの。街に戻ったらさ」

「入間のおじさんを責めるような事はやめようと思います。それに遊菜さんに出ようって言うのも」

「おせっかいかもしれないけど、それが良いと思う。なんだかんだ拠点は安全だよ」

 ルカの言葉に、カガミが安心したように言う。

「はい、……身に沁みました。今回はお二人がいてくれましたけど、もしも一人で梓さんに会っていたら、こんな風に落ち着いていられなかったと思います。それに服用者にだって、いざ対面しても、きっと私一人では何もできないです」

「じゃあイルマ氏からの依頼は達成かな。『両親を諦めて、拠点に住む事を選ぶ』っていう。なんか違った形になっちゃったけど」

「そうなりますね。ありがとうございました。わざわざ私のために」

「いいんだよー。打算だからさー。これで車も貰えるしー」

 カガミの機嫌がすこぶる良い。

 

「これからどうしようか。一週間経たないと入場票使えないらしいけど」

「お二人にお任せします」

「じゃあ私に考えがあります」

 カガミが手を挙げながら立ち上がる。いちいち大袈裟だな。

「何?」

「ルカちゃんには外の過酷さを教えてあげるはずだったわけだけど、それに関してはまだ全然です。というか本格的に出発してから、まだ半日も経っていません」

「意外に短かったね」

「そうですね」

「一週間は超えるかもだけど、ちょっとだけ遠出をしましょう。そしてきちんと外について知ってもらおう。本当にヤバい所は避けるけども」

「もったいぶるなあ」

「つまり、ハルタさんとこ行こう」

「まあ、元々その予定も考えてたしね」

 当然だが、何も知らないルカはきょとんとしている。

「ここからゆっくり向かって三日くらいの所にハルタさんっていう人が仕切る小規模拠点があるから、そこ行こうだって」

 いまだ状況を飲み込めていないルカだったが、それがネガティブな計画では無い事は伝わったらしい。

「……はい!」

 これまで聞いた中で、一番明るい返事が無人の町に響いた。



 それから私達はゆっくりとハルタさんの拠点へと向かった。

 アンザイの小学校を明け渡した直後以来の訪問である。そこそこの期間が経っているし、引っ越しも落ち着いて、その様相も変わっているだろう。

 戸棚原から持ってきた食料に、マンションで見つけた保存食で、食事を賄いつつ、道中の空き家のいくつかに侵入して目ぼしいものを探したりした。

 付いてきたルカは「悪い事してるみたい」と言っていたが、全然普通に悪い事である。しかし生きるためには仕方がないのだ。

 それよりも、ルカが一番戸惑っていた件がある。

 

「茂みに隠れてしろって言うんですか?」

「大丈夫だよ。誰も見てないから」

 高速道路沿いの小さなパーキングエリアでの出来事である。

 ルカが『私も用を足したい』と言ったから、そこの茂みを推奨したのだ。

「だって、あるじゃないですか公衆トイレ、そこに」

「まともに水が流れないから酷い事になってるよ。だから衛生的にも終わってる」

「ちょっと見てきます」

「構わないけど、多分無理だよ。私達もその辺でするの慣れちゃったし」

「聞きたくなかったです。そんな話……」

「外は過酷なんだよ。ルカちゃん」

 神妙な面持ちでカガミが言う。大事な事ではあるが、たかがこんな事で貴重な表情を使うな。

 

 公衆トイレの目の前まで行って、中にも入らず戻ってくるルカ。

「……どこがおすすめって言ってましたっけ」

 やっぱり無理だったらしい。

「あっち。シルビアつけるから、行っておいで」

 ついてくるシルビアをちらちら見ながら、私が指差した方向に向かうルカ。

 しばらくして戻ってきたルカは「どうだった?」とカガミが茶化したのを「そんな事聞かないで下さい」と一蹴していた。

 その様子を見て、なんとなくカガミは年下に好かれるのかもしれないな、と思った。

 ……私も年下だったか。


「ルカちゃん、前に服用犬に襲われて犬嫌いになったって言ってたよね。よく無事だったね」

 高速を流しながらカガミが聞いた。確かにその件は当時聞き流していたが気になる。

「すみません。襲われた、っていうのはちょっと大袈裟に言ってしまっただけで……。小さい頃、父に抱っこされながら檻に入った服用犬に、近付けられた事があったんです。その時に服を引っ張られて、それ以来苦手で。……今まで気にしてなかったんですけど、このエピソードの父、相変わらず最悪ですね」

「正直、本当そう」

 カガミが臆面もなく返す。

「シルビアには少し慣れてきました。まだちょっとおっかなびっくりですけど。……そういえば、お二人はどこで出会ったんですか。シルビアとも」

 確かに、ルカについては何度か聞いているが、私達自身の素性を話した事はほとんどない。

「マチちゃんが、服用者から私の事を助けてくれたの。それがきっかけ。あれから二年、三年?」

「忘れた」

「三年前だったら、真千子さんって十六歳ですよね。私と同じくらいなのに、すごいですね……」

「すごくないよ。たまたま」

 本当にすごくもなんともない話なのだ。

 

「あんまり気分の良い話じゃないかもしれませんけど、真千子さんって遊菜さんの事ってどれくらい覚えているんですか? 香々美さんの前で聞くのもあれなんですけど……」

 あれってなんだ。何に配慮してるんだ。というかその質問、地味に困るな……。

「ええっと、あんまり昔の事は覚えてないっていうか……」

「す、すみません。変な事聞いちゃって……」

 バツが悪そうにするルカだったが、彼女はなんにも悪くない。この期に及んで歯切れの悪い私が悪いのだ。

 というか全部、適当にぶん投げてきたタンノが悪い。

「……ルカはさ。タンノが悪い奴だって聞いたらどう思う?」

「た……?、遊菜さんですか?」

「そう」

「……ちょっと分かるかもしれません」

「どうしてどうして?」

 カガミが興味津々だ。もちろん私も。

「遊菜さんって、実は神出鬼没なんですよね。恥ずかしい話ですけど、戸棚原は常用者の移動が制限されています。行動範囲や融通の利く時間が普通の住民よりも少ないわけです。それなのに、妙に色々な所に出入りしてるし、一年前に来たばかりなのに、やけに顔が広いしで不思議だとは思ってたんです。単にそれは遊菜さんが凄い人なんだって納得してたんですけど。でも、今考えてみると……」

 

「私、タンノユウナと会ったの、公聴会の日が初めて」

 とうとう白状した。

「……? 記憶が曖昧だから、そう思い込んでる、とかではなくて、ですか……?」

 その設定、雑な割に辻褄合わせに便利過ぎる。

「違う。正真正銘、あの日が初めて。タンノの大嘘。微妙に迷惑してる」

「……ま、マジ、ですか……」

 この旅がイルマ氏の策謀であると知った時よりも驚いてやいないか。

 

「じゃ、じゃあ。私が昔聞いた、親友と生き別れたって話も嘘……?」

「それは知らない。私と会うよりも前に話してたなら、本当なのかもしれない。ただ少なくともその親友は私じゃない」

「な、なんというか……。遊菜さん、悪い人ですね……」

「ほら、私の言った通りだ」

 得意げに言っているが、別にカガミはタンノの正体を見抜いていた訳じゃない。手当たり次第に悪そうな奴に認定していただけだ。

 半ば放心状態のルカ、……流石にちょっと心配になってきた。

「ルカ? 大丈夫?」

「……遊菜さん、やっぱり凄い人だったんだ……」

 そう来たか。

 この子、意外というか、その行動力からしたら当然というか、ぶっ飛んでるかもしれない。



 夜、高速道路の途中で車中泊をすることにした。

「下道より安全。人っ子一人いないからね」

 カガミが運転席をリクライニングさせながら呟いた。

「あんまり車ないですよね。その、通らないというより、そもそも捨てられてるのも端に寄せてあって綺麗っていうか。ここまで塞がれたりもしてなかったですし」

 ルカの疑問に、カガミが続けて静かに答えた。

「ここを通りたがった誰かが、みんなで少しずつどかしていったんだよ。今私達がスムーズに移動できるのもそのおかげ」

「そうなんですね」

「ちなみに一時間前くらいに通ったところにあった赤い奴は私達が壁に寄せた。通れたけど、真ん中にあって邪魔だったんだよね。他のまばらなのも全部どかしてやろうかと思ったけど、面倒でやめた。でもまあ、せめて一台くらいはね。みんなの道だから」

「……立派ですね。でもどうやって二人で動かしたんですか? 車一台なんて」

「…………気合い?」

 当然ながら嘘である。シルビアのエタニティパワーに任せた。私達は何もしていない。

 

「カガミ、後ろ使って横になりな。明日がラストなんだから。私は、ちょっと風に当たってくる」

「じゃあお言葉に甘えようかな」

 後部座席に移動しにきたカガミと入れ替わるように、私は外に出た。

 車中泊の際、いつもシルビアは外にいる。エタニティに睡眠が必要なのかは分からないが、車中泊に限らず、拠点の外で私達が安心して眠る事が出来ているのはシルビアのおかげだ。

 思えば、私達が軽率に外出できるのはこの優秀な番犬がいるからに他ならない。本来、それくらい外は危険なのだ。

 だから道中滅多に人と会う事がないのは当然。

 他の旅人らには、シルビアのような、見張ってよし、戦ってよしの存在はいないのだから、その範囲も時間も、行動限界が違い過ぎる。

 

 夜風に当たりながら、水筒に入れておいた真水を飲んだ。

 不意に車のドアが開く音がして、振り返るとルカが出てきていた。

 それから、意を決したように伏せているシルビアに近づき、恐る恐るその頭を撫でながら「ずっと守ってくれて、ありがとう」そう話しかけていた。

 私の視線に気づくと、気恥ずかしそうに笑った。

 

「真千子さん。遊菜さんの事とか色々、教えてくれてありがとうございます」

 私の隣まで来て、ルカが言った。

「別にいいよ、お礼なんて。騙してたのはこっち。それに、隠し事が面倒だっただけ」

「それでも、です。だって真千子さん達がその気になれば、全部隠したまま私を送り返す事だってできたはずです。もしくは、私をどこかに置いていって、そのまま走り去る事だってできました」

「そんな事しないよ」

「でも、思いつかなかったわけじゃないですよね」

「……まあね」

「それにこれから向かう先も、きっと安全な場所です。騙したりなんてしてない、そう信じられます」

「私達も含めて、外に関わるような連中の事はあんまり信じすぎない方がいいよ」

「はい、遊菜さんにも騙されてましたし」

「言えてる」

 単純に聡明な子だと思えた。

 

 道中、ルカは私の事をすごいと言っていたが、彼女と同じ年、当時の私ならこんな風に物事を大局的に見ることは出来なかっただろう。

 そしてその術は、カガミから学んだ。カガミが私に何かと判断を委ねてきて、間違っていれば修正してくれて……。

 その内に、私の判断を二つ返事で信じてくれるようになっていた。


「あと、さっき隠し事が面倒って言ってましたけど、真千子さん達は隠し事多すぎです」

「そりゃあね」

「水」

 ルカが私の持っている水筒を見ながら言う。

「水?」

「外出たの。薬飲むためですよね」

「……ばれた?」

「常用者だったんですね。真千子さん」

「そうだね」

「聞いてもいいですか。どうして薬を飲み始めたのか」

「……よくある話。服用者の襲撃回避のためだよ」

 本当、よくある話。

「すみません。私、なんだかデリカシーのない質問ばっかりしちゃってますね……」

「別にそんな事ないけど……、他に何かされたっけ」

「……香々美さんの前で、遊菜さんとの事聞いたりして」

「それが何か問題あるの……?」

 私がそう言うと、ルカは目を丸くしてから、思わずといった風に吹き出していた。

 

「あっはは、真千子さん、それは隠し通すんですね」

「だから何さ」

「私が二人を信じてみようと思ったの、脱出初日のあの夜、車庫で夜明けを待っていた時なんです」

「ルカ、助手席で寝てたよね」

「すぐに寝たわけじゃないんです。香々美さんがそっと出ていった時、まだ起きてたんです」

 ルカは、シルビアの背中を軽く撫でてから、助手席のドアに手をかけながら悪戯っぽく言った。

「お二人、私が見てない所でベタベタし過ぎです。それを見て、良い人達そうだなって、漠然とそう思ったんです」

「……えっと」

「隠し事多すぎです。じゃあ、私も寝ますね、おやすみなさい。シルビアもおやすみ」

 月明かりの中、一人取り残される私。シルビアもいるけど、気分的には一人。

 

「……やられた」

 

 別に何をどうやられたというわけでもないが、自然とその言葉が口から出てきていた。

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