第七話 怖るるべきインフィニット(1)

「ひさしぶりぃ」


 もしもアズサを探すなら、当然このマンションが挙げられる。というかここ以外、彼女に縁の土地を知らない。


「用事済ませて一旦戻ってきたら、なんか車停まっててびっくり。また防護服着た人達が勝手に掃除しに来たのかと思ったら、シルビアの匂いがして二度びっくり」


 びっくり、とは言うが、目を丸くして驚いているのは私の方だ。

 随分垢抜けた印象を受けるものの、ひとまず外見に関しては変わった点は見受けられない。


「おーい、聞いてる?」

「う、うん。聞いてる。久しぶり、アズサ」

 動転している場合ではない。見極めなければ、彼女がどんな人間、……エタニティとなったのか。

「一ヶ月? 半年? 一年? どれくらい経ったかな」

「一ヶ月は経ってないね」

「そんなもんかあ」

 底抜けに明るいのは元来の彼女の性格によるものなのか。それとも、蘇ってから獲得した形質なのか。

「……アズサはどうしてた?」

 何故か一瞬、声が震えた。それでようやく気付いた。私は、彼女を怖がっていた。

 これまで様々なエタニティと会ってきたし、敵対した事も、実際に襲われた事もある。それでも平静を保ってきた自分が、アズサを恐れていた。

 

 既にこれは、自分だけの問題ではないからだろう。

 いつものような勝手気ままな二人と一匹旅という訳ではない。ルカがいるのだ。

 発言内容に気を付けなければ一触即発、そんな危うさを感じる。

「私はちょっとやりたい事が見つかって、その準備に忙しくしてたところ。それも一段落したから帰ってきたんだ」

「やりたい事って?」

「内緒ー。でも後で教えてあげるね。真千子ちゃんはどうしてここに?」

 真千子ちゃん、なんて呼ばれ方をされていただろうか。思い出せない。

「ちょっと寄ったんだよ。アズサの様子を見に」

 おかしな事は言っていない、はず。

 

「ふーん。じゃああの子は? 新メンバー?」

 流石に増えた一人には、気付いてたか。シルビアを匂いで気付いたと言っていたから、鼻が利くのだろうか。

「あの子はちょっと頼まれ事をされてて、一緒に行動してるの」

「どこの子? 戸棚原?」

 下手な嘘を吐かない方が良い。

「そうだよ」

「あの子がここに来たいって言ったの?」

「私達の知ってる拠点で、一番近いのがここだったから来たんだよ。それに二人共、年が近いから仲良くできるかもって」

 最後の一言は余計だったかもしれない。

「ふーん」

 手すりに肘をついて、頬杖でこちらを見るアズサ。一体、何を考えている。

 それとこのままだと不味い。いつの間にか質問攻めになっている。ボロを出してしまう前にこっちが主導権を握った方が良い。

 

「結局、遠出はしなかったんだ」

「そのつもりだったんだけど、やりたい事できたからさー」

 その『やりたい事』とは何か。それは、真っ当な何かか、それとも常軌を逸した事なのか。

 話の流れ上、このままルカと会わせないまま、という訳にはいかないだろう。

 もしもアズサが、ルカに直接何のしがらみもないと言ってくれれば、全部解決とまでいかなくとも、ルカの今後には大きく寄与するはずだ。

 さっきまでそう考えていたし、そのチャンスが来たと言える。

「アズサ、ちょっとここで待っててくれる? さっきの子、ルカちゃんって言うんだけど、アズサに会わせたくて」

「いいよー。準備できたら教えて」

「ありがとう。そこで待っててね。いなくなられたら探せないから」

「大丈夫だって」

 私はその場を離れ、急いで駐車場へと向かった。アズサに動かないよう言ったのは、探せなくなるからではない。彼女が勝手に動き回るのを恐れたからだった。


「ルカはどう?」

 車に寄りかかって待っていたカガミに問う。

「落ち着いてるよ。思ってたよりも全然冷静。それよりも落ち着かないのはシルビアの方、さっきからずっと車の周りうろうろしてる」

 普段だったら大人しく、お座りなり伏せの体勢で、周りを警戒するシルビアがぐるぐると車の周りを歩き続けており、時折視線をマンションの上階部分に向けている。

 その行動の理由は明白。同胞の存在に気付いているからだ。

 助手席に座るルカは、目を瞑って、何か考え事をしているようだった。カガミの言う通り、取り乱したりしている様子はない。

 

「今、上にアズサがいる」

 その一言だけで、状況の危うさがカガミには伝わったらしい。

「何か話した?」

「まだ全然。見た目は普通だけど、なんか変かも。ルカには気付いてて、会わせるからって言って待たせてある」

「そんな事言ったの?」

「しょうがないでしょ。挨拶もせずに出るなんて不自然だし。それに一旦、アズサ抜きで話したかったから、抜け出すためにそう言った」

「どうするの。今なら、車出せるけど」

「やめておいた方がいいと思う。どんなエタニティか分からないし」

「ルカちゃん、上に連れて行く?」

「いや、アズサを下に呼び出す。カガミはエンジンかけていつでも出られるようにしておいて。それとルカに説明してあげて」

「多分、ルカちゃんならアズサちゃんと直接話したがると思うよ」

「任せる」

「了解。じゃあ、アズサちゃんの方はよろしく」


 私は再度マンション内に戻り、階段を上がって、アズサの元へ。

 彼女は、動かずにそこで待っていてくれていた。

「準備完了?」

「うん。付いてきて」

 私はアズサの前をゆっくりと歩いた。ルカのためにもなるべく時間を稼ぐように。

「……ごめん、アズサ。まだ言ってなかった事があるんだ」

「なに?」

「これから会う子なんだけどさ。アズサに会いたがってたんだ。黙ってたのは私の判断、その子は悪くないから、それは覚えておいて」

「ふーん、わかった」

「それと、その子が何か気に障る事を言ったとしても冷静でいてほしい」

「私の気に障るような事を言うの?」

「……結果的にそうなるかもしれないっていうだけ」

 階段を降りながら、背後の声を聞く。

 

「るかちゃん、だっけ。いくつ?」

「十五歳」

「じゃあ私の一コ下かあ」

「真千子ちゃんはいくつだっけ?」

「十九」

「香々美さんは?」

「二十一」

「四姉妹って言っても通りそうだねえ」

「……そうかもね」

 他愛もない話だ。

 

「るかちゃんはさ、どうして私なんかに会いたいの?」

「それは、……本人の口から聞いて」

「私も会ってみたくなってきちゃった。るかちゃん。るか、ルカ、瑠夏。根室瑠夏ちゃん」

 

 振り返る事ができない。でも動揺を悟らせてはならない。

 足を止めず、ただ階段を下っていくしかない。

 どうしてその名前を既に知っているのか、聞く事ができない。

「ずっと、ずっといたよ。屋上の、ドアの裏。ずっと、全部聞いてた」

 心臓が跳ね上がったのが分かる。

「――根室瑠夏。わざわざ謝りに来たんだっけ」

 アズサ、今何を考えている。

「律儀だねえ。可愛いねえ」

 背後の気配は、見知った少女のそれから変わりつつある。

「どうしよっかなあ。こうしようかなあ」

 もうすぐ地上階。変貌は続いている。

「ねえ、そんなに怖がらないでよ」

 耳元で囁かれる。吐息がかかり、心地よくも甘ったるい香りが鼻孔を刺した。

「私、真千子ちゃんの事好きだよ。格好良くて、愛嬌もあって、大好き」

 このエタニティは、一体何を企んでいる。

「だから真千子ちゃんだけは許してあげる」

 禍々しくも甘美な、赦しの言葉。

 

「けど、他の連中は全員殺す」

 

 私は跳ねるように前に飛びつつ、背中のマチェーテを引き抜きながら振り返った。

 しかし、そこには誰もいない。

 

「冗談だよ」

 後ろから声がする。

 いつの間にか回り込まれていて、そこにいたのは私の知っているアズサだった。エタニティの気配は感じられない。

「冗談きつい」

「真千子ちゃんを気に入ってるのは本当だよ。ほら行こう。もう一階だよ」

 マンションロビー、開け放された出入り口を指差しながら、アズサは笑った。

 

 

「アズサちゃん元気してたー?」

「おかげさまでなんとかやってますー。シルビアちゃんも久しぶりい」

 駐車場でカガミと対面したアズサは、至って普通の様子だ。先程の悪意のようなものは感じられない。

 だが明確に、アズサはシルビアに一定の距離を保とうとしているし、シルビアもまたアズサにその視線を向け、付かず離れずで警戒を続けている。

 階段を下りながら聞いたアズサの言葉。

 冗談とはぐらかしたが、そもそもあんな冗談を言う事自体が常軌を逸している。

 

『他の連中は全員殺す』

 

 その気になればやれるという意思表示とも捉えられる。

 そしてきっとシルビアは分かっている。そんなアズサの底知れなさを。

 何か起きたら、私とシルビアでアズサを止める必要が出てくるかもしれない。

 止める、では済まない可能性だってある。命を奪う、もしくはそれに準ずる行動不能状態に追い込む事を視野に入れておく。

 その時、一瞬シルビアと目が合った。おかげで、この優秀な番犬との意思疎通は、完璧であると自信を持てた。

 

 遂に車からルカが降り、アズサと対面した。その距離、三メートル程。

「こ、こんにちは」

 おずおずとまず挨拶から始めたのはルカだった。

「こんにちは」

 アズサが応える。

「あ、あのわ、私。梓さんに、謝らないといけない事があって、来ました……」

「なあに」

 アズサが首を傾げる。

 私の側にカガミが寄ってきて小声で囁いた。

「マチコの言う通り、……なんか変」


「私、瑠夏って言います。根室瑠夏です」

「うん、聞いてる」

「……私の両親が、ここに来てた事があって」

「うん、知ってる」

 

 目を伏せながらも必死に言葉を紡ぐルカに対して、アズサは微笑みつつ真っ直ぐルカを見据えている。

 そしてそれは、ルカの言葉を芯に受け止めている表情にはどうしても見えなかった。

 その瞳の奥に感じるのは、好奇心や興味の類。

 目の前の少女が次どんな事を言うのか。私は次にどう返そうか。その次はどうしてやろうか。

 そんな、相手を値踏むような眼差し。

 

「それで、たくさん酷い事を……」

「例えば?」

「た、たとえ……」

「例えば私はどんな事を言われたと思う?」

「そ、それは……」

「例えばみんなはどんな酷い扱いを受けたと思う?」

「えっと……」

「知らないのにここに来たの?」

「ぐ、具体的には知らない。直接見てもいない。だけど、私が代表して謝らなきゃって……」

 

「じゃあ私も瑠夏ちゃんに謝りたい事あるし、先に済ますね。私のお母さんが、あなたの両親とお友達、十二人を殺してごめんなさい。その後、その死体を焼いてごめんなさい。実は死体を焼く前に、ムカついてあなたのお父さんの頭を蹴っ飛ばした事も、まだ息のあったお友達を殺し直した事も、そんな私がのうのうと生きている事も、全部謝るね」

 上半身ごと、丁寧に頭を下げるアズサ。硬直したままそれを見るルカ。

 どうにかなってしまいそうな状況。誰も責められないうえ、誰に何を指摘すれば、好転するのか。

 

 大体、アズサが正常なのかどうかの判断がいまだにつかない。


 アズサが体を起こすと、その顔は、より一層、作ったような笑顔、虚ろな瞳に拍車がかかっているように錯覚した。

 そしてこの時、ルカはアズサの顔を初めて真っ直ぐ捉えていた。

 

「ねえ」

 アズサが一歩近づく。

 私は、背中の武器に手をかけた。

「瑠夏ちゃんはさ、どうするの?」

 さらに一歩。

 座っていたシルビアが四足で立ち直した。

「私は謝ったよ」

 残り二メートルを切った。

 まただ、また、あの香りがする。

「しかも、こんなになっちゃった」

 一メートル圏内。

 蜂蜜のような甘い香りが強まる。

 それはギリギリ不快感を上回らない絶妙さで鼻孔を刺激している。

「瑠夏ちゃんは、どうやって償ってくれるの?」

 アズサの手がルカに届き、その頬を撫でた瞬間。

 カガミが飛び出し、そのままの勢いでアズサの手を払い除けた。

 それからルカを庇うように前に立って、アズサに向かって言い放った。

 

「アズサちゃん! なんかおかしいよ、さっきから!」

 

 無表情で、一歩二歩と下がるアズサ。しばらく間を置いてから、

「冗談ですよぉ、冗談」

 両手を顔の高さで広げ、おどけてみせた。

 その表情は柔和で、すっかり元の彼女に戻っていた。

 それから、脱力したように座り込んだルカを、カガミが屈んで抱き締めつつ、背中を擦ってあげていた。

 アズサは、私の顔を見ると、ニッコリと微笑んだ。


 アズサがルカに近づいた時、一歩も動けなかった。

 そして何よりもあの香り。まるで夢だったかのように、感覚が朧げになってきている。

 どんな匂いだったか、どんな気分だったか、そもそも本当にそんなものを嗅いだのか。


「あ、私やる事あるからこの辺りで失礼するね」

 アズサがそう言って、車道に出て歩き始める。誰一人、それに声をかける事はできなかった。

 しかし一度、歩みを止め、振り返りながら、

 

「瑠夏ちゃんに最後に一つ。意地悪してごめんね。……やっぱり、あともう一つ。次会った時は教えてよ、あなたの事。親の事じゃなくってさ」

 

 そう言い残して、アズサは去ってしまった。

 その言葉を聞いたルカは顔を上げて、去りゆくアズサを見えなくなるまで、ずっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る