第六話 忌避すべきエンカウント(3)
明朝に出発し、おおよそ六時間程かけて、あのマンションに舞い戻った。
廃車や打ち捨てられた家財道具、瓦礫によって塞がれた道を避けつつ、安全運転で向かったため、思っていたよりも時間がかかってしまった。
朝から神妙な面持ちのルカに釣られるように、道中、私達は必要最低限の事以外はほとんど喋らなかった。
印象的だった事といえば、拠点から持ち出した保存食用のクッキーをみんなで分けた際に「シルビアちゃんのご飯は大丈夫なんですか?」と聞かれて咄嗟に「朝食べさせたから」と誤魔化した事。
歩道を彷徨う服用者を見かけた時に、ルカが「久しぶりに見た……」と呟いて、熱心に外を見ていたが、十人目を超えたあたりでやがてそれもしなくなった事の二つくらい。
以前と同じ駐車場に車を止めて、念のため武器も準備してから、エントランスに向かうと、相変わらず正面の自動ドアは機能しておらず、開放されっぱなしである。
前回との違いといえば、門番が立っていないこと。とにかく人の気配がしない。
「エレベーターは動かないから階段で」
とカガミが口を滑らせたが、ルカは、単純にこういった建物の電気系統は動いていないのが常であるという旅の知見だと、勘違いしてくれたようだった。
それからはとにかく先頭を進むルカに付いていくことにした。
念のため、曲がり角や死角の多い階段では私が前を歩く事もあったが、基本的に彼女の好きなようにさせた。
ルカはいくつかの部屋を見て回ったが、どこも施錠されていないもののもぬけの殻で、ほとんど何も残されていなかった。
おそらくいずれかは、アズサが住んでいた場所のように、生活感を感じられる部屋もあるのだろうが、たまたまルカが入った部屋は物色済みの所ばかりだった。
そして、あの屋上へと続くドアの前に到達した。
三十一人の服用者が十二人の人間を喰い殺し、焼き払われ、最終的には上層拠点の手によって一切の痕跡を消された、あの現場の目の前。
ルカがドアノブに手をかけて捻り、ドアを開いた。
外に出る私達。頭上には澄み渡った青空。戸棚原のホテルもそれなりの高さがあったはずだが、それ以上に空が高く、広く感じる。
屋上には何一つ残されていなかった。あのバーベキュー道具から死体まで。
ただ、詰めが甘いのか、そこまで片付けるのが面倒だったのか、床には血痕と思しき黒い染みのような汚れと、煤けたような跡がところどころに残されていた。
ルカはフェンスに近づいて、眼下に広がる人のいない町並みを眺めていた。
「香々美さんと真千子さん、私に何か隠し事してませんか」
「そりゃ一つや二つあるよ。何でも話す訳じゃない」
カガミがさらりと返す。
「私も隠してた、っていうか言ってなかった事があるんです――」
ルカは振り返ると、フェンスを背にして、穏やかな表情で続けた。
「私の両親、殺されたらしいんです」
行方不明ないし死んだ、とルカには伝えられているはずである。それが殺された、とは。
外で服用者に襲われて死ぬ事を『殺された』と形容する事は少ない。意志のあるエタニティにならいざ知らず、思考もあやふやで単純な服用者によって命を落とすのは、一般的に事故に等しい。
「今一緒に住んでるおじさんは、私のために完璧に隠してくれてたんですけど、噂って嫌でも耳に入るらしくて、一人で脱走しようとした時に門番の人達が話してるのを聞いちゃったんです。このマンションに向かった住民が帰ってこないのは、そこで殺されたからなんじゃないかって」
人の出入りに敏感なのは、人口を維持している拠点本部だけではない。実際に見送り、記録する検問所の衛兵達。
「両親が向かったのがこのマンションという事は知っていました。最初は何か事故に巻き込まれたのだろうと考えていたんです。良くて車が動かなくなったとか、悪くて服用者に襲われた、とか。でも『殺された』っていう言葉を聞いた時、腑に落ちたんです。私の両親、特に父は殺されても仕方がなかったと思います」
ルカはそんな事を言いつつも、取り乱したり、緊張したりもしていないように見受けられた。
「どうしてそう思うの」
わざわざ聞く必要などなかった。私達は知っている。
どうして彼女の口から『仕方なかった』という言葉が出てくるのかを。
「常用者なんてのは心の弱い人間がなるものだと、父はよくそう言っていました。昔からそうだったんです。そんな父の元で育った私も罵倒まではしなくとも、薬に関わる人達に対して、特に関心はありませんでした。ですが一年前、実際に常用者の遊菜さんと仲良くなってみると、明らかに父の言動はおかしいと思い始めたんです。決定的だったのは一ヶ月くらい前の晩、父にこう言われたんです『今度行く拠点に瑠夏と同じくらいの常用者の女の子がいる。そうなったのは親の頭がおかしいからだ。娘を実験台にしてるんだ』って」
まさかそこまで、というかそんな事を実の娘に言うだなんて神経を疑う。しかし憎むべき相手はもうこの世にはいない。
「やむにやまれず薬を飲んで常用者になってしまう方がいる事は、遊菜さんがそうだったので知っていました。だから元々距離を置いていた父ですが、これからは遊菜さんのような善い人をお手本にして生きていこうと思いました。それに、父の態度を黙って見ている母の事も嫌いになりました」
「それなのに、どうして脱走してまでここに来ようとしたの?」
そんな両親を探しに行こうだなんて普通は思わない。それとも、それでも肉親であると、育ててくれた恩に報いようとしたのか。
「別に両親がどこにいるか、実際に殺されたかどうかなんてどうでもよかったんです。もしもここに誰か残っていたなら、謝ろうと思ったんです。うちの両親が酷い事を言ってごめんなさいって。父の事ですから、どうせここでの態度も相当なものだったと思います」
ルカは父親の事がよく分かっている。
「特にその常用者の女の子とご両親には、面と向かって謝罪したかった。でしたがここには誰もいない、跡形もなく。偉い人達がここの事を隠したがる理由が分かりました。きっと戸棚原本部がここの人を消してしまったんです」
それは半分正しいが、半分は間違っている。
きっとルカは、両親を殺した拠点住民達を、本部の手の者が、報復か証拠隠滅のために殺したと考えているのだろう。
しかし実際は違う。小規模拠点側が牙を向いた、ここまでは正しい。しかし、その身もろとも全滅した。本部はその後始末をしただけ。
何も知らない一般人には関係ない事だが、本部を中心に、お偉いにはショッキング過ぎるのだ。格下だと思っていた連中に反撃を許した事、それがまんまと成功した事。
だから全ての痕跡を消した。消してしまえば、みんな服用者にやられたのだと思うだけ。だから死体も見つからない。
しかし、本部の対策が完了するよりも、噂が巡る方が早かった。
検問の衛兵達はそれとなく気付いたのだ。同じ場所に向かった人間が一様に帰って来ない事に。
ルカの思考は不味い方向に傾きつつある。
今回の依頼の目的は、ルカが両親の死を認めて、外に出る事を諦めさせる事だ。
前者は成功した。というより端からルカは両親の生存に特段の興味がなかった。では後者はどうだ。
外に出ないという事は、内側、つまり拠点が安全であると思えているのが前提に他ならない。
今の彼女は、拠点本部に対して疑心暗鬼の絶頂にいる。
自分達の保身と選ばれた人々の安全のために、小さな拠点一つ潰してしまうような、そんな存在が仕切る場に帰りたいと思うのだろうか。
「ルカはこれからどうするの」
「帰ります。帰って、入間のおじさんを問い詰めます――」
まあ、そうなるか。でも帰ってくれるだけでも充分。
「それから、遊菜さんにもこの事を話して、一緒に戸棚原を出ようと伝えます」
そう来たか。
「外はそんな生半可な気持ちで過ごせるような場所じゃないよ」
「でも、あの中にいても危険です。特に常用者の人達にとっては。それに、この前の小規模拠点に居住者を募るっていう話も、口減らしに違いありません。みんなをどこかに押し込めて、それこそどんな扱いを受けるか……」
イルマ氏とタンノの拠点内平和のための一芝居が、思わぬ形で裏目に出ている。
「ルカちゃん、そもそも本部の人達がここの住民を殺したって決まったわけじゃないでしょ?」
「じゃあここにいた人達はどこに行ったんですか」
「引っ越し?」
「香々美さん、それで納得するほど、私は子供じゃないです」
宥めるカガミの言う事も聞かず、自らが導き出した答えに傾倒しつつある。
このまま帰って、彼女にイルマ氏が真実を語ったとしても、今の心境でそれを素直に聞けるとは思えない。
ならば最終手段。
「ルカ、さっき隠してる事あるかって聞いたよね」
「はい」
「話してあげる。ここであった事とか色々」
ルカに語って聞かせたのは、全てではない。大体八割くらいである。
このマンションで起きた惨劇とそれに立ち会った事。エタニティとして生き返った女の子の事。
実体のない公聴会。拠点本部による死体処理。何よりも、この外出がイルマ氏から頼まれたルカ説得の旅である事。
話さなかったのは、私達がネムロ夫妻、ルカの両親を認知していた事と、タンノユウナについてである。
彼女は本当は常用者でもなんでもない、どこぞの拠点からやって来たスパイである、なんて事は隠しておいた。
おかげで私はいまだにタンノユウナの元親友である体裁を保たなければいけないが良しとしよう。きっとその方がルカも話を聞いてくれる。
イルマ氏はともかく、タンノには多少なりとも恩を売っておきたいという打算もあったが、ルカからしてみれば、タンノまで完全な本部側だったと知ったらショックでどうなるか分からないという配慮もあった。
証拠隠滅にこの旅と、拠点本部が何かしらの暗躍をしている事実には変わりないが、ルカが思うほど、極端な手段を取っているわけではない事は伝えた。
「車、戻ってもいいですか」
ルカは顔を伏せたまま、それだけ言って私達を通り過ぎ、階下へと向かった。
「マチちゃんありがと。私見てくるね。心配だし、あの子キー持ってない」
カガミがルカを追いかけていってしばらくしてから「ルカに見えない所で、二人を見守ってあげて」とシルビアも行かせた。
一人になった私もまた屋上を出たものの、今はルカの事はカガミに任せようと思ったので、なんとなくアズサのいた部屋の、その玄関前まで来ていた。
きっとドアは開くだろうし中に入る事もできるが、そんな気にはなれず、ドア前の手すりに体を預け、町を眺めた。
今更ながら、咄嗟の判断で、多くを話した事を、私は若干後悔し始めていた。
ルカは、両親の起こした事で、わざわざここまで来て面識のない相手に謝罪までしようとした。
その過剰過ぎるともいえる責任感に向けて、両親の行いがこの拠点を自決するに至らしめる一端を担ったと聞いたら、彼女はどんな風に報いようとするのか。
それとも、両親の行方不明は、殺害された事が原因だと判明した時から、気が動転し続けているだけなのかもしれない。
嫌っていたとはいえ肉親、それが藪から棒に殺された。しかも自分は寄り添うと決めた常用者が関わっている可能性がある。
その事実は、きっと重たくのしかかる。それこそ、もうタンノユウナに顔向けできない。そんな風に考えているかもしれない。
いずれにせよ、これらの事はルカが落ち着いた時、何を語るかに委ねる他ない。
しかし一つだけ、伝えるべきだったか、その答えを得られない件がある。
生存者の存在。アズサを教えた事だった。
まさしく、ルカが慮っていた常用者の女の子であり、後に服用者に、それからエタニティとして再誕、たった一人で火葬までやってのけた彼女。
ルカはアズサをどう思ったのだろうか。
そして、全てを知った今、それでも彼女と会いたいと思うのだろうか。
相手は、両親が原因となって自決したリーダーの娘。結果、天涯孤独の人外に成り果てる事となった。
ルカはそんなアズサを恐れるかもしれない。
逆にアズサは、ルカの事をどう思うだろうか。これが答えを得られない未知なる要素。
そもそもエタニティになってからの彼女がどう変貌を遂げたのか、メンタル、フィジカル共に確認できていない。
アズサからすれば、ルカは憎むべき相手の娘である。
当然ながらルカには一切罪はないが、アズサからしたら関係ない事だ。
復讐、あり得ない話ではない。
一番良いのは、アズサがルカに面と向かって『両親は関係ない』と言ってくれる事だ。
そして、孤独な者同士、親のしがらみを断って、二人が仲睦まじく親友となってくれれば、これ以上の事はない。
そうなれば少なくとも、ルカが今後の人生で、親の罪を背負うような事にはならないだろう。
……けれど、そんなのは希望、というより妄想に過ぎない。
そんな状況が達成されるには、まずアズサが人間的な精神を保っている事、その後でルカに一切の恨みを持っていない事。それ以前に彼女を探し出さないといけない。
やはり、ルカには一人で立ち直り、向き合ってもらうしかない。
それに、ただでさえ過酷な思いをしたアズサを、この期に及んで頼るだなんて虫が良すぎる。
「やっぱり話さなきゃよかったかも……」
「なにを?」
ひとりでに景色に向かって零した愚痴に、何故か返事があった。
いつからいたのか、隣には見覚えがある姿。
小綺麗な身なりのおかげで、以前会った時よりもいくらか大人びて見える。
不在を前提としていたはずの少女。
……いるじゃん、アズサ。
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