第六話 忌避すべきエンカウント(2)

 さらに三十分くらいしただろうか。

 またもトラックは停車し、荷室に新鮮な空気が流れ込む。

「着いた。お前たちが降りたら、すぐ出発する」

 扉を開けたドライバーの声だった。

 私達は立ち上がり、箱を避けつつ、地上に降りた。

 およそ一時間ぶりの車外、外はまだ暗く、夜明けまで数時間はあるだろう。

 帽子にサングラス、マスクまでした素顔を隠したドライバーは、挨拶も無しに荷室を施錠し、運転席に戻るとそのまま走り去ってしまった。

 取り残される三人と一匹。

 沈黙を破ったのはカガミだった。

 

「いやあ、ドキドキしたねえ」

 ルカは周りをきょろきょろと見回している。拠点外に出ることなど滅多にないだろうし、物珍しいのかもしれない。

 ところどころゴミが散らばっていたり、道路に不穏な黒いシミなどがあるが、それらを除けば、閑静な住宅街といった様子。除いたそれらによる荒廃感への寄与は大きいのだが。

 検問でのシルビアと私の挙動については、二人は気づかなかったようである。今はそれでいい。

 カガミはともかくルカには、なんとか検問を突破できたという風に受け取ってもらいたいのだから。


 私が荷室で目が合ったと思った衛兵は、私達の拠点入場に一役買ってくれたあのエタニティだった。

 シルビアはそれを匂いか何かで分かって、先に顔を出して挨拶をしに行ったらしい。

 衛兵が私を認知したかは定かではないが、少なくとも訳有りそうなゴールデンレトリーバーなど、何度も見るものではない。

 シルビアを見て、何かを察して見逃されたのは確実だった。

 これもいわゆるタンノの言う所の『アドリブ』と『リアリティ』だと思われた。

 次頼み事を聞く機会があったら、絶対に計画の全てを聞き出してから請け負おう。


「この中かな、閉まってるけど」

 カガミがすぐ近くにあった車庫の前でシャッターの鍵穴を指差した。

「私、遊菜さんから鍵貰ってるんですけど。これ、どうですか」

 ルカがズボンのポケットの一つから、鍵の束を取り出した。

 カガミが受けとって、その内の一つを試すと、鍵穴にすっぽり収まり、難なく回すことができた。

 シャッターを開けると、車カバーに覆われた自動車が一台ある。

 カバーを取り払うと、四人乗りの真っ黒な普通車が姿を現した。

「なかなかいいんじゃない、前のよりは狭そうだけど。ちなみに鍵はルカちゃんから貰ったやつの中にあったよ」

 カガミがまず運転席に乗り込んで、それから助手席に私……、と普段の定位置を選びかけてやめた。

「ルカはカガミの隣」

「は、はい」

 トランクを確認すると予備のガソリンの入ったタンクが積まれていた。一週間走り通すには足りないが、帰りの分さえ残しておけば、節約しながらなら問題ない。

 それから私が後部座席に乗り込むのを見計らって、エンジンがかけられた。

「大丈夫そう。エネルギーも満タン。至れり尽くせりって感じ」

「後ろにタンク積んであったから、カガミも確認しておいて」

 カガミがトランクを確認しに行ったのと入れ替わるように、見張りに立てていたシルビアが戻ってきて、後部座席に飛び乗った。

 ルカを助手席に乗せたのはこれが理由だった。苦手だと言っていたシルビアと隣同士にさせる事もない。

 運転席に戻ったカガミが、一度エンジンを切ったところでようやく落ち着くことができた。


 ここまでずっと気を張っていたし、主賓であるルカとも、いまだにまともに話していない。

 彼女は重要人物ではあるが、正直、この依頼自体は気楽なものだ。

 ネムロルカが五体満足でさえあれば、これからの旅でどうなろうが、一週間後には帰るつもりだし、その暁にはこの車は私達のものになる。

 タンノらの要望通り、ルカが両親を諦めて、外の怖さを知りもう脱獄の真似をしないような心境にまでなれば、さらに追加の報酬も望めるだろうが、多くは求めまい。

 

 ちなみに、私とカガミのスタンスは決まっている。

 彼女には何も伝えない。聞かれればそれとなく答える事もあろうが、基本的には知らないで済ます予定だ。

 私達はエトウマンションの事も、そこで何が起きたかも知らない。

 ただただ、あまりよろしくない方法で拠点に潜り込んだ不良二人が、報酬と引き替えに気まぐれで頼みを引き受けただけ。

 あとはルカ次第。

 彼女がどれだけの事を知っていて、どれくらいのモチベーションでもってこの旅を決心したのかは、これから推し量っていくほかないのだ。


「出発は夜明けからにしよう」

 あと三時間ほどで空も白みだすだろう。何事も明るくなってからの方がいい。

「シャッターは閉めないんですか?」

 ルカが訊くとカガミが答えた。

「シルビアが戻って来たから当分は大丈夫。それにいつでも車が通れるようにしておきたいから、なんか来たら轢けるし」

 返答を聞いて納得したのか「そうですか」とだけ言って、黙ったままのルカだったが、意を決したのか遂に本題を切り出した。

 

「あの、これからの事について、話してもいいですか」

 彼女は、後部座席の私からもその顔が見えるように体を捻り、そう口にした。

「どうぞ、そのためにここにいるんだから」

 私が続きを促すと、ルカは前に抱えていたリュックサックから一枚の地図を取り出し、ある一点を指し示して言った。

「まずは、ここに行きたいんです。というより本命なんですけど」

 カガミと一緒に覗き込むと、ここから車で三時間ほどの場所のようだ。そしてなんとなくその地形に見覚えがあった。おそらく行ったことがある。

 私とカガミは顔を上げて視線を交わした。お互いに気付いた事を無言で確認し合った。

 

 ここ、問題のあのマンションじゃないか?

 

「ここにご両親が?」

 カガミが訊く。

「はい、多分。今回の件の事、香々美さん達はどれくらい聞いてますか」

「いなくなったご両親を探しに行くルカちゃんを手伝えって言われた。そしてその代わりに私達はこの車が貰える」

「そうですか。話を戻すと、とりあえずこの場所に向かってもらって、それからの事はその時に考えようと思っています。ざっくりした計画なんですが……」

「いいよ、別に。だけど私達の事、そんな簡単に信用していいの?」

 この子は私達の事が気にならないのだろうか。こんな怪しげな二人と一匹の素性が。

「遊菜さんの紹介ですし、大丈夫かなと。それに真千子さんは、遊菜さんの親友だったと聞いていますし」

 その設定、生きてるのかよ。

「え、まあ、ね」

 こればっかりは適当にはぐらかすしかない。子供時代の事とか聞かれても答えられないぞ。

「……すみません。旅の途中の事故で、記憶が曖昧になっているとも聞きました」

 私の知らない私の素性が継ぎ足されている。

 タンノめ、さてはあんまり考えて設定組んでないな。

 そしてそこのカガミ、笑うの我慢してるの分かってるからな。

 

「あ、でも一つ聞きたい事、あります」

「なになに?」

 初めてのルカからの質問、カガミが身を乗り出すように聞く。

「どうして危ない目に遭ってまで、外に出るんですか?」

 どう言おうか考え込んだカガミに代わり、私が答える事にした。

「出るっていうか、上層拠点の居住権が取れないんだよ。戸棚原だって安易に人増やせないでしょ。それに小規模拠点はなおさら資源カツカツだし……」

「もう十日近く滞在してるんですよね。遊菜さんにも会えましたし、その気になれば永住できるんじゃないんですか?」

「まあ、私達、一応不法侵入だからさ。いつかバレたら困るし。それに、……ユウナにも迷惑かけられない」

 危ない。一瞬、タンノの下の名前が出てこなかった。

 

 だが、ルカの言う事にも一理ある。

 今回の仕事を完遂した報酬に永住権を要求する事もできる。

 戸棚原では彼女の親友という設定になってしまったが、タンノは別の拠点から派遣されたと言っていた。そちらに移れば、そんなのも関係なくなる。

 それでも、私達は車を貰ったら、程なくしてまた旅に出るのだろう。それが当然と言わんばかりに。


「人助けのためだよ。私達、上層拠点に居座る事なんて滅多にないんだ。むしろ小規模拠点に配給を運び回ってるくらい。あと服用者追い払ったり。そういうのって誰かがやらなくちゃいけないでしょ? その誰かが私達って事」

 カガミ、ナイス。私達の活動の善い部分だけを抽出した見事な説明。

 服用者を細断して射出する武器とか、滅茶苦茶にグロい犬とか、拠点長殺して物資全部別の拠点に明け渡した話とかしてない。

 

「そうだったんですね。お父さんも度々外に出てたので、そのお話は分かります」

 その言葉を聞いて、私とカガミは黙り込んでしまった。

 ルカには申し訳ないが、彼女の父親、あの男の物資配給は十全とは言えなかったし、特に住民らを下に見るあの態度は度を超えていた。

 それらへの不満が積もりに積もった結果、あの惨状が仕上がり、娘は危険な外出を決行してしまっている。

 彼女にとって父親がどんな存在なのかは不明だが、一般人には常用者で通っているタンノと仲良くしている点からも、その辺りの感覚は父親の影響が薄そうだ。

 

 夜明けまで数時間とはいえ深夜。ルカは口元を手で隠しつつも大きく欠伸をしていた。

「眠いなら寝てていいよ。見張ってるから」

「香々美さん達は寝ないんですか?」

「私達は待ち合わせまでぐっすりだったから。ルカちゃんは起きっぱなし?」

「今はお父さんの友達の、入間さんの家にお世話になってるんですけど、見つからないように早めに抜け出しておいたんです。外で寝るわけにもいかないのでずっと街をうろうろしてました」

 わざわざ引き取るとは、イルマ氏は本当にルカの事を気にかけているらしい。

 

「シルビア、出るよ」

 私はシルビアを連れて、車外に出る事にした。

 犬が苦手だと言うなら外に出しておこうと考えた。私も外の空気が吸いたい。それに、ルカはカガミの方が、一緒にいて安心するようだ。

 車庫を出て、車には背を向ける形でシルビアを隣に置き胡座をかいて座った。

 振り返り車内の様子を窺うと、カガミとルカは何かを話しているようで、時折笑みも零れている。

 私は前に向き直ると、この依頼の終わりについて考えた。

 

 ルカに両親を諦めさせるのが最終目標ではあるが、それは一体どういう状況なのか。

 その死を認めて拠点に帰る事を選んでくれるのがベストだが、あの調子だと、本人の死体を見つけるまで同行が続きかねないように思える。

 もしくは、ここからは一人で探しますとか言って車を降りるかもしれない。それは困る。傷ひとつなく連れて帰るのがタンノ達との約束なのだ。

 これは非常に性格の悪い考え方だが、体よく押し付けられたという可能性はなくないか。

 一週間後、検問を通ろうとしても、入場票が使えなくて立ち往生からの門前払い。

 流石にイルマ氏とタンノのあの様子からして、その線はなさそうだが、念のため、時間はかかるが一度ハルタさんの所に寄って色々と調達してから戸棚原に戻ってもいいかもしれない。

 もしもガソリンが枯渇した状態で拠点に入れなかったら、死あるのみ。


 背後で車のドアが開き、静かに閉める音がした。

 振り返ると、外に出たカガミがこっちに向かってきていて、助手席ではルカが抱えたリュックに顎を乗せて眠っているようだ。

「寝ちゃった」

「どう? あの子は」

「めっちゃ良い子、しっかりしてるし」

 カガミが隣に、膝を抱えて座った。

「十五歳でしょ。あのくらい普通じゃない?」

「そりゃあマチちゃんは昔からあんな感じだったかもしれないけどさ」

「外出てれば、嫌でもこうなるよ」

「そう考えると、アズサちゃんは十六歳だったけど、もう少し子供っぽかったね」

「アズサは……、私達どころかルカよりも世間を知らなかっただろうし……、だけど、なんというか達観してる所あったよ」

「……アズサちゃん元気かなあ」

「それよりどうするの。あのマンション行くんでしょ」

「初見のフリできるかなあ」

「そもそもアズサいたらどうするの」

「発つって言ってたし、一度本部が調査に入ってたんでしょ。いるとは思えないけど。でもまあ、いたらどうしようか」

 そう言って夜空を見上げるカガミに、私の考えを伝えてみる事にした。

 

「……私、ルカには本当の事教えてあげた方が良い気がする」

「お父さんの性格、悪かったって?」

「言い方は違うけど、概ねはそう。あまりあのマンションの人達に良く思われてなかったって事」

「それで無理心中に巻き込まれて、生き残った女の子に燃やされたって?」

「それは、……考える」

「タンノユウナに内緒にしといてって言われてるやつでしょ、それ。というか秘密の対象はルカちゃんだけじゃないし。車、没収されるかも」

「どうしたらいいんだろう……」

「どうしたらもこうしたらもないよ。全部黙ったうえで『私達の経験上、ここまで消息が掴めないなら死んでるとしか思えない』とかなんとか言って、送り帰せばいいだけの話じゃなかったっけ」

「そうなんだけど……、というかあんなに仲良くしてたのに薄情だな」

「一番楽な方法、というより、そもそも計画してた事を改めて言っただけ」

「じゃあカガミ自身はどうしたい?」

「全部伝えて、それでもルカちゃんは元気にお家に帰って、私達の話した事を聞かなかったフリしてくれるのが一番良い」

「簡単に言うなあ」

「私はマチコの考えた通りにするのが良いと思うよ。きっとそれが一番良い」

「そんなそれっぽく真面目な顔しても騙されないから。それ結局、全部私に丸投げじゃん」

「そんな事ないよ。マチちゃんがそれでミスって死ぬなら、私も一緒だよ。一蓮托生」

 筋が通ってるかもよく分からない事をのたまうカガミだったが、不思議と安心した。

 

 なるようになれ。これまでそれでやってきた。

 全てはマンションに着いた時、ルカがどう思うか次第なのだ。

 それに彼女は、あのマンションの事を『本命』と言っていた。何か思う所があるのは確実。

 真実を話すかどうかを決めるのはそれからでもいい。

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