第五話 黙ってくれよアジテート(1)
平和。
上層拠点、
今歩いている住宅地の家屋ぞれぞれに人の営みがあり、廃墟と化しているものは一つとしてない。
道路は全て舗装されて清潔、放棄された車やら散乱するゴミ、いつ誰のものとも知れない血痕や腐肉の残骸もない。
駅前まで出ていけば、各種店舗はつつがなく運営されており活気づいているし、流石に電車は動いていないもののバスくらいならばスケジュール通りに運行している。
なにより、神出鬼没の服用者やら凶暴なエタニティもいない。
至極、平和。
ここに滞在を始めてから、かれこれ一週間が過ぎている。
ホテルの一部屋を確保できていて、食事も出るおかげで食いっぱぐれてもいない。
持ち物は全部、樹木の怪物に持っていかれてしまったものの、必要最低限の生活用品も支給されている。もしかしたらあの脅した衛兵の賜物かも。
つまり、衣食住への懸念は全く無くなっている。とはいえ、長く暮らすには働き口を探さなければならないが、それも簡単に見つかりそうではある。
であれば、定住する事も可能――。
実際、ここの住人は誰も彼も温厚で人当たりが良くおせっかいだ。
だがそれは、ここが安全の保証されたセーフゾーンであるからに過ぎない。
一体どうして、良くしてくれる市井の人々に、こんな意地の悪い言い方をしてしまうのか。
というのも、彼らはエタニティや服用者以上に、常用者への当たりが強かった。
人知を超えたエタニティは恐ろしいが、珍しいうえに、ここでは大人しくしていて見分けもつかないから気にするだけ無駄。
服用者は一見して判別できるし、万が一出現したとて通報して終わり。そもそもその万が一もほとんど起きない。
対して常用者は、この拠点においてもっとも管理が徹底された存在である。
常に監視の目が光らされ、ひと目見て分かるように首から『常用者カード』をぶら下げるよう義務付けられている。
その行動範囲も著しく制限され、過度な人混みや市民が密集するような建物内への入場は基本的に許可されていない。
そもそも常用者の一日は、ロングタイム2000の服用を、巡回する衛生員の目の前で行う事から始まる。そうしなければ部屋から出る事も許されない。
そんな常用者が多く住まう、というより収容されている団地を、いわゆる普通の人々は、忌避し近づかなかった。
ここの住民の一般的なスタンス。その最たる例こそ、あのエトウマンションに来た観光客達だろう。
あそこまでとは言わずとも、住民と会話をしていると薄い膜を一枚隔てたような居心地の悪さを感じる。
常用者の私には、それが気持ち悪くて仕方がなかった。
とはいえ、それくらいなら我慢すればいいだけの事。安全には代えられない。だが一つ問題があった。
それは、私が、自身を常用者である事を隠してしまっているのである。
つまり薬が、ロングタイム2000が手に入らない。
戸棚原第四基地において、ロングタイム2000は徹底的にその供給が管理されている。
店先に無造作に並んでいるような事はあり得ない。
野放図に薬が手に入る事はないものの、逆に言えば、常用者である旨を申請さえすれば、確実に手にする事ができるとも言える。
だからこそ、この拠点内で服用者が発生する事はまずあり得ない。
変貌の前に役所に向かえば確実に保護してもらえるし、往々にして切羽詰まっている常用者からすれば、そうしない理由がない。
手持ちの薬は残り七錠、一週間分。
車を失って長距離移動が困難な今、外に出ての探索は現実的ではない。
確実に薬があって貰える場所といえば、ハルタさんの所があるが、やはり車がない事には始まらない。
だから少なくとも残り一週間の内に、この拠点内で、ある程度の薬を調達しつつ、足も工面しなくてはならないのだった。
「え、あんな訳分からない申請なんてしないでよ」
「そうは言ってもさあ……」
役所に自身が常用者である事を白状して、ひとまず来週以降の延命をしようと提案してみたが、それを聞いたカガミは悩む事なく突っぱねた。
「もちろん住むのも無し」
「そこまでする気はないよ」
「良かった。ここ、気持ち悪いから」
「それは分かるけど。どうして常用者の私よりカガミの方が嫌がってるのさ」
「マチちゃんが常用者って分かったらきっと掌返すよ、みんな。それが気に食わないだけ」
「起きてない事を想像して文句言っても意味ないよ」
「そんな事は分かってる。だけどマチちゃんこそなんで申請しよう、なんか。お上に迎合するタイプじゃないでしょ」
「なんでも何も、あと一週間で死ぬからだよ」
「服用者になるんでしょ」
「同じ事だよ。そっちこそどうしてそんなに頑固なのさ。とりあえず薬確保しないとだし」
「一週間黙ってのらりくらりとしてきたんだよ。何も貰えず追い出されるかも。あと私はいいけど、シルビア調べられたらどうするのさ」
「それは困るけど……」
大人しくベッド脇に伏せているシルビアを見て、改めて思案した。
どさくさに紛れて拠点内に潜り込んだ事で、ここまでろくな検問も受けずに来てしまっている。
書類上は何の変哲もない人間のはずだったのが、実は常用者だったと発覚すれば、薬渡してはい終わり、という訳にもいかないかもしれない。
結果、念入りな再検査と調査の果てに、犬型のエタニティの侵入が露見……、なんて事になっては堪らない。
「じゃあどうするの。車もないから出るのも大変だし……」
「大体、どこにでも悪さしてる奴っていうのはいるもんだよ」
「具体的には?」
「ここに住んでる常用者に会いに行こう」
カガミの言う『悪さ』
それはつまり、薬の横流しだったり、過剰保管だったり、黙ってそういう事をしている奴が少なからずいるだろう、という意味である。
であれば、それに関わっているであろう常用者に接触するのが手っ取り早い。
あのエタニティの衛兵でも見つけて聞いてみても良かったが、あいにく所在不明である。
駅近くに位置していたホテルを出て三十分程の場所にその一角はあった。
戸棚原第十七番団地は、高いフェンスに囲われた五棟の集合住宅で構成されている。
敷地内に入るためには、衛兵に素性と目的を伝えたうえで入場許可を貰わなければならない。
「収容所?」
端的にそう感じた。
「そこまで厳しくないだろうし、別に閉じ込められてるわけじゃないんだろうけど、まあ居心地は悪そう。マチちゃんもここに入ってたかもしれないよ」
「単身赴任になっちゃうね」
「一応家族は一緒に住めるらしいけど、実際どうなんだろう」
敷地に入るための方便も思いつかなかったから、ひとまず出入りする住民を見つけて声をかけてみる事にした。
「誰も出てこないね」
「入る人もいない」
私達はしばらくの間、衛兵が立つ団地への出入り口を遠巻きに観察していたが、ただでさえ人が寄り付かない一帯なのに、中から出てくる気配もない。
しかし、足元のシルビアが大きく欠伸をしたところで、遂に人影が現れた。
衛兵に常用者証を見せ、一言二言話してから、敷地外に出てきたのは四十代くらいの強面の男。
「カガミどうするの。声かけるの?」
「おっかないからパス。若い女の子が良い」
「でも『悪さ』してそうな人じゃないと声かける意味なくない?」
「女子だって、いけないことの一つや二つしてるよ」
「そういう問題?」
「あ、ほらまた誰か出てきたよ」
今度出てきたのはカガミご所望の女だ。年齢的には私やカガミより上、二十代後半くらいに見える。
「なんて声かけるのさ」
「……お茶しませんか?」
「やっぱりノープランだったか……」
「行き当たりばったりは旅の醍醐味でしょ」
「いいよ。私が話しかける。最悪、常用者ですって白状して同情誘うから」
「宜しくお願いします。マチコさん」
カガミの奔放さには呆れたものだが、私も人の事は言えない。
なんてったってここに来て一週間、カガミと一緒になってだらだらと過ごしていたのだから。
ここまでなんとなくで生き抜いてきた。だから、これからもなんとなく生きていける、そんな風に私達は日々を過ごしている。
それに、ダメだったら、まあそれまでの精神。
焦ったり慌てたりしてもしょうがないし、刹那的に楽しければ、それで良かった。
カガミがお役所への申請を嫌がった気持ちも正直分かる。
例え、延命が約束されても、私達は一緒にいられなければ意味がないのだった。
離れ離れになるくらいなら、死ぬギリギリまで外で一緒の方が遥かに幸せだ。
「あれ、なんかいっぱい出てきた」
私達が、女に近づこうとしたタイミングで、次々と出場許可を貰った住民が現れ始めた。
小さな子どもはいないが、一番若くて十代後半くらい、杖をついている老人も見受けられる。老若男女問わずにざっと二十人くらいか。
それから、そのままぞろぞろとどこかに向かって歩き始めた。
私達は、集団の後ろの方にいた例の女に改めて向かい、声をかけてみた。
「あの……」
「なんでしょう?」
「つかぬことをお聞きしたいのですが、これは何の集まりなんでしょう。私達、最近ここに来たばかりなもので……」
「そうなんですか。……という事は外からいらっしゃったんですか?」
「ええ、まあ」
話しかけたのはこっちなのに、何故か私が質問されている。しかも律儀に答えてるし。
「すみません。名乗りもせずにこんな勝手に……、私、丹野遊菜といいます」
「坂崎真千子です。こっちは七星香々美。この子はシルビア」
「触ってもいいですか?」と聞いてきたタンノさんに「いいですよ」と告げると、彼女は屈んでシルビアの首元や頭を撫で回していた。
私達が無計画でもやっていけているのは、シルビアの存在が大きいと改めて感じる。
それから立ち上がったタンノさんがとある提案をしてきた。
「お時間ありましたら、私と一緒に来て頂けませんか?」
「あの、結局どういう集まりなんです、これ」
「あ、度々すみません。私ったら先走っちゃって。……これから、公聴会なんです」
「公聴会、ですか」
「はい。常用者側から拠点本部への数少ない意見陳述の機会なんです」
会場は小学校の体育館、集まっているのはおおよそ三百人くらいだろうか。他の隔離団地からもやって来た常用者達が、整然と並べられたパイプ椅子に座っている。
タンノさんを含めた私達三人は最後列で、同様に着席している。
私達から一番遠い正面には、常用者達に向かい合うように三人の、いかにもお役所の人間然としたスーツ姿の男達が資料を広げた長机の前に立って、とある説明を続けている。
「――ですから皆さんの中から、希望者を募らせていただきまして、それから拠点移動という形を取らせて頂きたく――」
役所の男が告げるそれに、間髪入れず三百の内の一人が声を上げた。
「そんなの、希望者がいるわけないだろ!」
「希望者がいらっしゃらなければ抽選、という形になります。当然、希望時と同様、ご家族もご一緒に移住できますので――」
「馬鹿にするのも大概にしろ!」
もはや意見でもなんでもない、ただの怒鳴り声によって、堰を切ったように不満が、荒げる声と動きになって噴出し始める。
指を指し大声を張り上げる者、自身の常用者カードを床に叩きつける者、役人に駆け寄ろうとして警備に止められる者。
収拾がつくとは思えない程に、場が混沌としている。
「公聴会って、いつもこんな感じなんですか」
私は右隣に座るタンノさんに聞いた。周りが騒がしいから、小声である必要もない。
「今日は特に荒れてますね。急な話だったので」
「拠点移動の検討の事ですか」
何かと不便を強いられる常用者の希望を聞きつつ、拠点側の言い分も擦り合わせていく、そんな月に一度行われる常用者と拠点本部との意見交換会。
ここ最近の常用者側の主な陳情は、常用者カード公開携帯と移動制限の撤廃。
今日もその件をメインに、本部と意見を交わし会う予定だったのだそうだが、寝耳に水な内容が本部側から飛び出してきて、それどころではなくなってしまったらしい。
常用者の拠点外への集団引っ越し。その実態は、とどのつまり拠点外追放であろう。新参者の私でも分かる。
一応、引越し先となる新規の小規模拠点は、インフラやライフラインも整えられ、各支給も不自由ないようにしっかり行われる。もちろんロングタイム2000もその内の一つだ。
本部側は、拠点内にいる際のような監視や常用者カードの掲示はなくなります、と付け加えていたが、馬鹿でも分かる詭弁だ。
小規模拠点周りのどれほどの範囲が整備されるかは知らないが、街をまるごと囲う上層拠点には、どう考えても到底及ばない。
それに整備されたとて、廃墟が乱立する死の町には変わりない。検問もここほどではないだろうから服用者の侵入だってあるだろう。
結果的に、移住者の活動範囲は小規模拠点付近に押し込められる形になる。上層拠点で暮らすより閉塞感があるのは確定。強いて利点をあげるならば、常用者を忌避する一部の人間の差別する視線からは解放されるが、健康的な行動範囲があった方が遥かに良い。
少なくとも私だったら、引っ越し、断固反対。
タンノさんの言うままに潜り込んだ公聴会ではあるが、意外にもカガミは大人しく本部役員らの話を聞いていた。こういう真面目な場はすぐにでも飽きそうなのに。
「カガミ大丈夫?」
「なんで?」
「なんでっていうか、いつになく真剣だから」
「一応話も聞いてるけど、薬たくさん持ってそうな悪い奴探してるんだよ」
「ああ、そういう……」
むしろ私の方が、真剣に参加していたらしい。急を要しているはずの当の本人は呑気なものである。
それから、声を落として耳打ちするようにカガミが言う。
「マチちゃんの方こそどうなの」
「どうって?」
「タンノユウナだよ。悪い奴っぽい?」
「言い方」
「ちゃんと仲良くならないと。それに、多分何か企んでるよ」
「分かってるって」
実際、考え無しに私達をここに連れてきた訳ではない事は分かっている。
「わざわざ常用者に会いに来るだなんて。お二人、不法侵入ですよね、きっと」
ここまでの道中で、タンノさんからこっそり、そんな事を言われて心臓が跳ね上がった。
続けて「告げ口なんてしません。その代わり、もしも私が何か頼み事をしたら、その時は聞いてもらえませんか」とも言われた。
そんな事を言われてしまったら、見返りの有無に関わらず要求を飲まざるを得ない。
彼女の真意はいまだ掴めないが、今のところ、善いか悪いかで言ったら、悪よりではある。
公聴会が紛糾する中、タンノさんが動いた。右手を高く上げ、椅子から立ち上がったのだ。
すると、それに気づいた近くの人間が、周りにそれを告げ、さらに広がり、あっという間に、公聴会は元の静けさを取り戻していた。
そんな中、タンノさんは三百人近い人間の視線を集めながら、一番遠くの役人に向かって言った。
「ここからでは遠いので、前に出てお話してもよろしいでしょうか」
それは、ただ騒ぐだけと化していた住民達を嗜めるような意図も込められていたと思う。
役人に「どうぞ」と返され、発言の許可を得たタンノさんは、
「坂崎さんも」
そう私に付いてくるよう促した。
「……はい?」
突然の事に戸惑い、座ったまま固まる私の耳元まで顔を近づけて、誰にも聞こえないよう小さく囁いた。
「お願いします。……分かってますよね?」
これは行かなきゃ駄目なやつっぽい。
やっぱり、タンノユウナは悪い女だった。
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