第三話 生まれ直しのパレード(2)

 アズサの部屋でしばらく過ごした後、エトウさんに呼ばれて屋上に向かった。

 既に人々が集まり、食事の準備も進んでいる。屋上はパーティ会場の様相だった。

 アズサを除いた全住民三十一人と、同行した上層夫妻と、後から来ると言っていた十人を合わせた十二人。それに私達、出席者はきっとこれで全員。

 

「どうぞどうぞ、こちらに」

 私達を見つけた男が、席に案内した。

「いやあ、折角の御縁ですから、お話聞かせて下さいよ。若い女の子が二人旅だなんて興味あります。おっと失礼、ペットもいましたね」

 撫でようとした男の手をシルビアが避けた。

「マチちゃん。話してあげれば」

 冷たく突き放すカガミ。

 さっきまでアズサには嬉々として話していた癖に……、カガミもシルビアも相手を選んでいる。まあ、私だって話す気はない。

 

「それより、この拠点にはよく来るんですか」

 椅子に座り、テーブルを囲みながら、私は話題を逸らした。

「まあ、一ヶ月に一度あるかないかかな。今日は特別」

 それだけ? エトウさん達には遠出する足がないのに?

「まあそれくらいの息抜き、私達にも必要ですから」

 小規模拠点の人達は、みんな必死で生きている。そこに足を運ぶのを、息抜き。

「江藤さん達も、もう少しアクセスの良いところに移ってくれれば良いんですけどね」

 それが容易にできないのだ。ここの人達は。

「まあ、彼女達もここが気に入ってるみたいだし」

 そんなわけがない。安定して生活できるなら、別の場所に移りたいに決まっている。

「だから私達としても支援を惜しまないわけです。こんな立派な拠点をお一人で運営しているわけですから」

 こいつ。

「……お、みんな柵の方に行き始めたし、そろそろかな。カメラを持ってきてるんです。パレード、娘に見せてあげたくてね」

「娘さんいるんですか」

「ええ、十五歳の可愛いのが。坂崎さんみたいな美人に育ってくれそうで鼻が高いよ」

「娘さんは連れてこなかったんですね」

「連れてくるわけないよ。こんなところ」

 こんなところ。

 

 立ち上がり、国道が見渡せるフェンス前に向かう男。

 それを見届ける私達。

「カガミ……」

 私が話しかけると、

「ごめん、マチちゃん。今必死でアンザイの顔思い出してるから。あいつの方がクズだったって。じゃないとシルビア発動しちゃう」

「私はその対策無理かも、気持ち悪すぎて。あいつに襲われかけたし。その代わり、娘さんには悪いけどボコボコにする想像してる」

 あの連中には見えていない。この生活の過酷さが。そして、それでも頭を下げ、気丈に振る舞うエトウさん達の覚悟も。


 しかし、サバイバル生活は私達も同じ。頂けるものは頂いていこう精神で、食事に手を付け始める。

 上層の人間は偽善者だが、食べ物は偽物じゃなかった。正直、美味しい。

 とはいえこの食事は、別に私達がもてなされたわけではなく、ピクニック感覚の上層住民達が自分達で食べるために持ってきただけ。私達やここの本来の住民はそのおこぼれに預かっているだけだ。

「カガミ、折角だし私達も見てみよ」

「当たり前。服用者のパレード、普通に気になる」

 私達はシルビアを連れ、遠くで私達から見て斜めに伸びる国道をフェンス越しで見渡した。手前の方は建物に隠れているが、奥から来ればわかりそうだ。

 

 そして国道の果てから、けたたましいサイレンの音が聞こえ始めた。

 次第に大きくなるそれに伴って、黒いゴツゴツとした車両が、果てより小さく見え始める。

 そして、いよいよ本日のメインディッシュが姿を現した。

 ゆっくりと走る装甲車の後ろをその速度に合わせるように、のたりのたりと追いかけるように歩く人の群れ。

 その数、千か、万か。

 あれだけの人数がひしめき合っているのは、人生で見たことがないから、数の目算ができない。

 先頭をぽつんと走る一台の車、そしてその後ろで、国道を埋め尽くすように歩く服用者の群れ。

 パレード。その陽気な通称が似つかわしくない禍々しい行進だが、そんなことはどうでもよくなるくらいの圧倒的な物量に、私は恐れ慄くしかなかった。

 旅路の中でもなかなか見かけない服用者が、あれだけの数、どこかにはいる。その事実。

 あんなのを見たら、拠点の外に出ようだなんて普通は思わない。

 

 周りの上層住民は言わずもがな、拠点住民達も地上の軍勢に目が釘付けになっており、口々に感想を言い合っている。

 隣のカガミも、

「……すごい。あれにアサルト一号ぶっ放したら気持ちよさそう……」

 とか言ってる。あんまり普段と変わらないな。

 

 

「みなさん」

 背後から声がした。

 階下への入り口前に立つエトウ拠点長。アズサの母親。

「お楽しみの最中で申し訳ないのですが、日頃の感謝を込めて、皆さんにこれをお配りしたくて。それと、すみません。坂崎さん達はこちらに」

 エトウさんに呼ばれて屋上の入り口の方に向かう。

 その間に拠点住民達が、今日のゲスト、上層拠点からの来訪者十二人に小さな何かを配っていた。

「これは……、何ですか?」

 私達を招待した男が聞いた。それにエトウさんが答える。

「それは、……ロングタイム2000と言います。みなさんもよく御存知かと思いましたが」

 ……どうして、そんなものを配るんだ。

「は? 全く意味が分からない。私達には必要ない。それに、欲しいと言っていたのはそちらじゃないか。だから今日も一箱与えたのに」

 一箱だけ? 一ヶ月に一回しか来ないのに? それじゃあアズサは、来月まで十二日間分で耐えろと?

「いえ、みなさんには、これから必要になるのです」

 だがエトウさんの言っていることも意味がわからない。

 そして男が至った結論。

「……ま、まさか食事に混ぜたのか?! お前!!」

 どこかで聞いた話だ。

「そんな事してませんよ。大体、食材の準備も調理も、みなさんがしていたじゃないですか」

 それはそう。大体、私達も食事には手を付けた。

 じゃあなんだと言うんだ――。

 

 ――だが、一つだけ思いつくことがある。

 ロングタイム2000を服用していない人間が、ロングタイム2000を必要とするタイミング。

 そんなシチュエーション、私は一つしか知らない。

 服用者の性質、ロングタイムの影響下にある人間を襲わない。だから服用者は、共食いや同族での衝突を起こさず、上位存在であるエタニティにも襲いかからない。

 それは同じくロングタイムを身体に取り込んでいる常用者に対しても同じ。近づかれる事はあっても襲われはしない。

 人間には、服用者の襲撃をしのぐため、仕方なくロングタイムを服用することで、危機を回避するという状況がありうるのだ。

 

 

「坂崎さん達は屋上から出て下さい。勝手なお願いですが、娘を、梓を宜しくお願いします。……あと三十秒」

 腕時計を見て告げるエトウさん。

 分かった。何をする気なのか。

 いや、既に何をしでかしたのか。

「二十秒」

 状況を理解しておらず、おろおろとする上層住民達を、死んだ目で取り囲む拠点住民達。もはや怒りも何も無い、そこにあるのは諦め。

 ヤバい。

「カガミ、急いで出て!!」

「うん! 私もなんとなく分かった!!」

 そう言って屋上から飛び出す私達。呆然とする罠にかかった来訪者。それを囲む覚悟を決めた三十一人の拠点住民達。

「十秒」

 きっと今も虚ろな目で、カウントダウンを続けているエトウさん。

 そして、屋上から退避した私達に、扉越しで、

「あなた達と話していたあの子、……本当に楽しそうだった」

 今にも泣き出しそうな声で、そう言い残した。

 そして、それが拠点長にして、母、そして人間、エトウキミヨの最期の言葉となった。


 

 エトウさん達が実行したのは、ロングタイム2000の集団同時服用。

 そして現時刻は、それからちょうど二十四時間後。

 地獄、としか言いようがない。

 運動機能の全く衰えていない活発な服用者三十一人が一斉に、無防備な十二人の人間を貪っている。

 もはや、こんなの薬の服用による危機回避なんて間に合わない。

 屋上がゆえ逃げ場もない。だが、唯一の出口であるこの扉を、私は開ける訳にはいかない。

 カガミは、このマンション内でたった一人の人間、服用者の標的。

 シルビアと私で守れるかもしれないが、敵は三十一人、しかもさらに増える。

 一度常用者になれば、不可逆。もう人間には戻れない。

「カガミはシルビア連れて車行ってて! アズサは私が見に行く!」

「りょうかーい!」

 階段を駆け下りるカガミ達を見届けつつ、扉を押さえ続ける。

 目の前に餌があるのに、わざわざこの扉を開くような服用者はいないだろうが、念のためだった。しかし、

「マチコ!!」

 下からカガミの叫ぶ声が聞こえた。

 な、次は何が。

 私は飛ぶように階段を降りて、声のした方に向かった。

 

 着いたのは、エトウ親子が住む部屋のあるフロア。その廊下で、尻もちをついているカガミの前でその事態は起こっていた。

 シルビアがその背中を割って人間の腕を伸ばし、アズサの首を掴んでいる。

 そしてそのアズサは、瞳に光が消え「ああぁ、うぅう」だのと唸り声をあげて、手足をバタバタと動かしている。

 典型的服用者。

 常用者だったアズサは、服用者へと変貌していた。

「シルビア、そのまま抑えてて! カガミは、アズサの家に避難!」

「お、おう、了解です!」

 アズサの横を無事にすり抜けて部屋に向かうカガミ。

 私はポケットに常備しているロングタイム2000を一錠取り出し、アズサに近付いた。

 そして、シルビアに首の抑えを緩めるよう指示した。

 それから、壁にもたれかからせたアズサの口の中に、錠剤を突っ込む。

 無理やり顎を下から押さえて、その口を閉じさせる。

「お願い、飲んで……、効いて……、お願い」

 力を緩めると、舌を出して、唾で溶けた錠剤を吐き出してしまうアズサ。

 このままだと、飲まない。


 そして、私はその手段を取ることにした。

 シルビアにアズサを任せ、屋上に再度向かう私。

 そして、その地獄への扉を開いた。

 屋上は、倒れた椅子にテーブル、散乱する食材に、調理機材。それから、床一面が血や食い散らかされた肉片に溢れ、生き残っている者は誰ひとりいない。

 三十一人の元拠点住民は、うろうろと屋上を周遊している者が大半、一部は調理道具の包丁による反撃を受けており倒れ、また一部は、既に遠くなったパレードの、あのサイレンに誘われるように、フェンスにしがみついていた。

 エトウさんは反撃を受けた服用者の一人で、首から血を流し動かなくなっていた。

 だが感傷に浸っている場合ではない。やると決めたからにはやるしかない。

 私は、死んでいる上層拠点からの来訪者の一人、あの男の妻、その手の指を切り落とそうと……、したが手首から先が両方ともなくなっていたので、靴を脱がせ、足の親指を一つ、近くに落ちていた包丁で切り落とした。

 彼女を選んだのは、なんとなく男より女の方がいいと思ったから。意味はない。

 そしてその親指を持って、アズサの元に戻った。

 ぐったりとしているアズサの前に、採取してきた親指を見せると、またじたばたと暴れ始めた。

 よし、これならいける。

 私は、親指の切断面にロングタイムを一錠突っ込み、それをアズサの口の中に押し込み、また顎を押さえて口が開かないように閉じた。

 その内に、動きが止まったアズサの顎から手を離し、口を開けさせて中を見てみたが指は無い。

 飲み込んだ。指を。ロングタイムごと。

 あとは祈るだけ。

 低確率のエタニティとしての覚醒を。

 そうでなければ、彼女はこのまま。服用者としてその一生を終える。


 

「カガミ大丈夫?」

 アズサをシルビアに預けて、部屋に待機させたカガミの元へ向かうと、

「あったよ! ロングタイム2000、二箱!」

 空き巣の真っ最中だった。

「カガミ……」

「何さ、使わない服用者より、使う常用者でしょ、ハルタ語録にもそう書かれてる」

「そうだけど……」

「どうするの、アズサちゃん」

「とりあえず、この部屋でしばらく私が見てるよ。カガミはシルビアと一緒に車の方いて。上の服用者も、後で私が全員トドメ刺しとく」

「分かった。気をつけてね。……シルビア?」

 振り返ると、待機させていたはずのシルビアがテクテクと歩いてこちらにやってくる。

 そしてその後ろ、玄関の前、音もなく侵入してきたアズサが、立ってこちらを見ていた。

 私はカガミを部屋の奥に下げつつ、恐る恐る話しかけてみる。

 

「……アズサ?」

「……さ」

「なに?」

「……真千子さん。私、なんか、変……」

「変、って?」

「……わかんない。でも、真千子さんが、してくれたこと、なんとなく、だけど、分かっちゃった、かも……」

 言葉が喋れている、なにより意思疎通ができていて、思考も正常。

 成功した。

 エタニティとして、アズサは再誕した。

 

 そして、アズサはへなへなとその場に座り込み、ぽつぽつと語り始めた。


「わ、わたし、知ってたんです。……なんか、お母さんが、お母さん達が企んでるって。そしたら、棚の薬が少しずつ毎日減ってて、しかも昨日の私の薬、あれ、ロングタイムじゃなかった。偽物。……でも、私、お母さんにその事言わないで、もういいやって思って……。そうしたら、今日になって、真千子さん達が来て。さっきお母さんに本物の薬渡されて、真千子さん達を頼りなさいって言って、屋上に行ったの。でも、私、飲まなかった、貰った薬。だってお母さん達が、みんなが決めたことに私だけ逆らうなんて、私だけ仲間外れなんて嫌だったから……、だから」


 私は彼女に触れようと近付いたが、

「来ないで!」

 拒絶され、その場で立ち止まってしまった。

「ご、ごめんなさい。まだ、頭の整理ができなくて……、……あ、お母さんは、どうなりましたか……」

「……お母さんは、もう」

 彼女の母親は完全に死んだ。エタニティになるチャンスもない。

「そうですか、……良かった。お母さん生きてたら、みんなを道連れにしたこと、絶対耐えられないから。それなのに、死ねない体になるなんて、可哀想……」

 彼女は、そう言って笑みを零した。

「わ、私、やっぱり変かも。お母さんが、みんなが死んじゃったのに、あんなに苦しそうだったなら、私のためにボロボロになるくらいなら、これで良かったって思ってる。……それに、私、ちょっと嬉しくなっちゃってる。今の、この私の状態が……」

 

「アズサ」

 私は彼女に手を差し伸べた。

 しかし、彼女は自力で立ち上がり、確認するように言った。

「……もう、大丈夫です。これで私、誰にも襲われないし、薬の心配もなくなった、……ですよね」

「そう、だね」

「だから、いいんです。旅の途中で、こんな内輪揉めに巻き込まれて……、お騒がせしました。私は大丈夫です。……屋上も、責任取って私が片付けますから」

「……これからどうするの」

「分かりません。でも自由です。何もかもから、これで。……私も、旅とか、出てみようかな……」

「じゃあ一緒に……」

 私の言葉を遮って彼女は、

「エタニティは悪食。……そう言ったのは真千子さん達です。私もこれからどんな症状なり体質なりが出始めるのか分かりませんから。それに、本当に大丈夫なんです。私はみなさんの思っているよりは強い人間です。……いや、強いエタニティです、……多分」

 彼女は、本当にしたたかだった。


 

「私も、翼とか欲しいな……」

 別れ際、シルビアに抱きつきながら、そう呟いたアズサの表情は、家族を失った悲しみと、自由への希望が入り混じった複雑な表情をしていた。

 でも、少しだけ口元が緩んでいて、きっと、希望が勝っていた。

 彼女が、もう取り返しの付かないことに、迷ったり、悩まされるよりかは、そうであってほしかった。

 そして、もしも悲嘆に暮れているなら、それでもよかった。

 あの死者の行進のように、心まで失っていないのだから。

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