第47話 ドゼ将軍と女性 2


「そういえば、ドゼ将軍、他の男の子どもがどうとかいってたな。上エジプトの遠征に出る前、船を待っていた時に」(*1)

「ああ、間男の子どもを育てたくないとか、そんな話だったっけ?」


 ラサールもモランも酔っていたので、記憶がさだかではない。どちらかというと、ダチョウの肉に執着していたダヴーの顔の方が、鮮明な記憶となって残っている。


「ルイーゼ・モンフォールだ!」

ダヴーが叫んだ。

「彼女はドゼ将軍を裏切ったんだ!」

 ぎりぎりと歯ぎしりをする。

「ドゼ将軍は彼女を、スイス旅行に連れて行ってあげたのに!」


「スイスか。ボナパルト将軍に会いに来る前に寄ったんだっけな。……つか、女性が一緒だったなんて、なんでお前が知ってんの?」

「レイに吐かせた。従僕の」

「……」


「対英戦略でノルマンディーの武器庫を視察に行った時も、こっそり彼女を同行していた」

「な、なんで知ってんだ? 聞くの怖いけど」

とラサール。

「サヴァリを脅した。あいつ、ベルティエ将軍と一緒に先にパリへ帰らされたって白状した。だがその時点でルイーゼ・モンフォールのやつ、他の男の子どもを産んでたんだぜ? しかも、その子どもをドゼ将軍に押し付けようとしやがって」


「いやだって、彼の子だという可能性だってあるだろ。そんだけ一緒にいる女性なら」

モランが公正なところを見せようとする。


「違う! ドゼ将軍にはチャンスがなかった! いや、一晩だけあったけど。ちゃんと俺は計算したんだ。母さんに聞いてな!」


「母さん……」

ラサールとモランは顔を見合わせた。

「仕方ないだろ、ダヴーは妻に逃げられたんだから」

「それはそうだな」

 ぼそぼそ言葉を交わしている。



 ……


 「ねえ、母さん。3月16日生まれの子どもは、いつ、仕込まれたんだろうか」


「仕込まれたって、ニコラ(ダヴーの名前)、お前……。いいのよ。誰が産んでもお前の子はお前の子。きっとかわいいに違いないわ。この家ラヴィエールに引き取りましょう。でも、私が育児するのはいやよ?」


「違うよ。何を言い出すんだ、母さん。俺じゃないよ」

「なんだ。期待しちゃったじゃない。アデレイドと別れてから少しもそんな話がなかったから、てっきり……」

「お願いだよ、母さん。別れた妻の話はしないで!」

「可愛そうに、ニコラ。浮気されて離婚なんて。でも、いつかきっといい人が現れるわ。希望を捨ててはダメ」

「うん、そうだね。だって俺は、こんなにハンサムだもん!」

「額が後退し始めてるけどね。でも、そうよ。お前はいい子だもの」

「ありがとう、母さん。そう言ってくれるのは、世界中で母さんだけだよ」

「世の中の人は、本当に価値のあるものがわからないのよ。そんな人たちは放っておおき」

「その通りだよ! やっぱり母さんはわかってる!」

「そりゃ、お前の母親だもの」

「やっぱり母さんに限るよ。それでね。3月16日生まれの赤ん坊が、母親のお腹に宿った日を知りたいんだ」

「いったい誰の子なの?」

「実は、俺の尊敬する上官が、悪い女にダマされそうなんだ」

「わかった! タネの違う子を押し付けられようとしているのね」

「さすが母さん! 話が早い」

「それにしても、迂闊な上官ね」

「何を言うんだ、母さん。彼は軍神だよ?」

「神さまでも失敗することがあるのね。……3月16日生まれと言ったわね、その赤ちゃん。お腹の中にいるのは200日前後だから、ええと……。前の年の6月20日から23日の間くらいじゃないかしら」(*2)

「なるほど。だから紫陽花オルタンスっていうんだ!」

「オルタンスちゃんっていうの? ボナパルト将軍の奥さんの連れ子さんと同じ名前ね。それにしても、受胎の頃に咲いていた花の名前を子どもにつけるなんて、とてもロマンティックね」


 ……。



 母の推測を披露し、ダヴーは胸を張った。

「ルイーゼはストラスブールに住んでいる。この年(1796年)の6月1日から22日まで、ドゼ将軍はマンハイムにいた。23日にストラスブールの司令部に帰ってきたが、翌日午前2時にドイツ遠征に出発した。そして、10月22日まで帰ってこなかった」


「ドイツ遠征……オーストリアのカール大公と戦ったあれだな」

モランが言うのにラサールが付け加えた。

「同時に、ボナパルト将軍のイタリア遠征が始まった年だ! ……だが、受胎可能などんぴしゃりの期間に、彼はストラスブールにいたじゃないか」


 低い声でダウ―が唸った。


「ドゼ将軍がストラスブールにいたのは、6月23日日中から翌24日午前2時までの、24時間にも満たない時間だけだ!」

「昼間一日分と夜の数時間がある。それだけあれば充分、女を孕ませられるさ」


 なおも食い下がるラサールに、ダヴーは軽蔑の眼を向けた。


「遠征前日の6月23日日中は、モロー将軍やフェリノ将軍との打ち合わせや軍の視察で、ドゼ将軍は忙殺されてた! しかも、その前の晩は、徹夜で馬を走らせてマンハイムから帰って来てるんだぞ」

「それでも俺なら……」


「来なかったんだ!」

 ラサールを遮り、ダヴーが胴間声を張り上げた。

「ドゼ将軍が呼んだのに、彼女は彼のところへ来なかった! 疲れ果てて帰って来て、すぐに命がけの遠征に出かける直前の、貴重な数時間だったっていうのに! その晩、彼女には連絡がつかなかった。他の男のところにいたからだ!」


「そんなプライベートなことまで、どうしてお前が知ってるんだ、ダヴー? まさか……」

 怯えた声はモランだ。


「ルイーゼの男をシめた!」

ダヴーが喚く。

「その上あの女、ドゼ将軍のパリへの交通費まで強奪しやがって!」


「ああ、前に言ってた32ルイか」


 おかげでドゼはすっからかんになり、ボナパルトの対英軍に入る為にパリへ行く旅費を、友人のサン=シルから借りなければならなかった。


のやつ、32ルイは出産費用と赤ん坊のおむつ代だなんてぬかしやがって。しかも、全然足りなかったんだと!」


「……なんだかみみっちい話になって来たな」

「うむ。全然英雄らしくない」


 ラサールとモランがしきりと頭を振っている。

 憤然とダヴーは鼻を鳴らした。


「あいつら、ドゼ将軍に私生児がいるって噂を立てようとしているんだ。それで、養育費をむしりとろうと……ドゼ将軍の子じゃないにもかかわらず! だから、間男をシめたついでに、彼女がこれ以上ドゼ将軍に関する不名誉な噂を垂れ流すようなら、俺らがエジプトから帰った時にどんな目に遭うか覚悟しとけよって、きっちり釘を刺しておいた!」


 はあはあと肩で息をしている。


 「我々軍人は戦場に出るからな。長いこと家を留守にする。ボナパルト将軍も、フランスに残してきた奥方と別れるそうだ」

 ややあってラサールがつぶやいた。カイロの戦友が手紙で教えてくれたという。


「え、あの美人で年上の奥方と別れるの?」

モランが驚いている。


「そう聞いた。彼女、浮気してたらしいぜ。それも、ルクレール将軍(ボナパルトの義弟)の部下と」

「そりゃまた……。じゃ、総司令官殿のアレは浮気じゃないんだな」

「ボナパルト将軍のアレ、って何だ?」


 ラサールが食いつく。


「総司令官殿は、フーレとかいう大尉の妻を身辺に置いてるって噂だぜ? ポーリーヌ? ポーリーン? そんな名前の」

「ぐ」


変な声をラサールが出した。


「……俺、ドゼ将軍に救われたかもしれない」

「何の話だ?」

「言葉通りだよ。危ない所だった」


 自分よりずっと力のある将軍がポーリーヌに言い寄っているとドゼは教えてくれた。ドゼより力のある将軍なんてたくさんいるし、ラサールは一向にかまわなかったけど、でも、彼女を諦めておいてよかったと、この時彼は痛感した。上エジプトからカイロへ行くのは困難で、結果として彼女に袖にされたわけだが。


 総司令官が相手では、うかつに決闘というわけにはいかない。第一、ボナパルト将軍は決闘を禁止している。二重の意味で死刑確定だったところだ。



「女の話はたくさんだ!」

 ダヴーが話の流れをぶった切った。

 すっくと立ちあがる。

「生き残ったマムルークのやつらは、ベニ・アディンBeni-Adinの村で数を増やしている。ムラド・ベイは再び、ベニ・アディンから攻撃をかけるつもりだ。今から叩き潰しに行く」


 モランも立ち上がった。


「俺もダヴーと一緒に行こう。敵はまたここに戻って来る可能性がある。ラサール、君にはここアシュートを任せる」

「わかった」


 まだ茫然とした顔で、ラサールは頷いた。





 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

*1

「ダヴーのダチョウ」より

https://kakuyomu.jp/works/16817330655728167040/episodes/16817330659078805101



*2

オルタンス受胎日は、資料の先生の計算(6月20日)を参考に、「受胎日逆算」(6月23日)から割り出しています。

https://www.xn--0kqu7fiylfvkm9sk1inoz.net/gyakusan.php


この女性、ルイーゼ・モンフォールは、かつてドゼと同じくライン方面にいたモンフォール大尉の妻でした。夫との間には娘が一人いましたが、92年に夫は彼女と幼い娘を残して亡命しました。

なおストラスブールでは、ドゼは、ルイーゼの母が居住していたのと同じホテルを常宿としていました。


97年3月16日に生まれた「オルタンス」の出生証明書に書かれた父親の名は、ルイーゼの夫の名とドゼの名、もう一人、謎の男性の名をくっつけた名前になっています。ドゼの名は、スペルが間違っているところに、彼の悲哀を感じます。



隠し子疑惑については、ドゼのプライバシーを尊重し、フィクションとの境を曖昧にしておきます。ご了承ください。




ところで、ボナパルトの妻ジョゼフィーヌの連れ子の方のオルタンスなんですけど……。

彼女の誕生日は4月10日、先のサイトで受胎日を算出すると、7月18日になります。なおオルタンスは、ジョゼフィーヌの第2子です。


ちなみにオルタンスが生まれた時、夫のアレクサンドル・ボアルネは、自分の子ではないと言い張ったそうです。


「あら、あなたの子よ? だからオルタンスっていうの。紫陽花の咲くころに授かったから。覚えてるでしょ?」

そう言って頬を赤らめるジョゼフィーヌが、私には確かに見えました!!


でも、7月下旬に紫陽花って、咲いて無くない?







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