第39話 ダヴーのダチョウ


 夜になると、諸将はドゼの家に集まり、夕食を楽しむ。食事がすむと、彼らは、ありとあらゆることを話し合った。平和について、そして戦争について。国の制度はどうあるべきか……。


 その日の話題は、人類の起源についてだった。


 「ここに来るまで、私はインドにいました。エジプトの美術は、インドと似ている気がします。文明は、インドから伝わったのではないでしょうか。つまり、人類の発症はインドだと私は考えます」


 モラン戦隊長が言った。ベリアルは首を傾げた。


「インド人のエジプト移住について述べている歴史書って、見たことがないからなあ。逆に、アジアやアラビアの文物は、エジプトに由来するんじゃないか。ほら、ちょうどアレクサンドロス大王の通った路に文明が栄えたろ?」


「それは、卵が先か鶏が先かという問題でしょう? 逆もまた然りです」

 インドに愛着のあるモランは不満そうだった。

「ドゼ将軍、貴方はどう思われますか?」


「そうだなあ……」

 エジプトに来てから生やし始めた髭を、ドゼは撫でた。髭は、頬の傷で現地人を脅えさせない為だという。

「俺は、アジアは、エジプト……というよりむしろエチオピアの植民地だったんじゃないかと思うぞ」


 将軍は自分寄りの考えなのだと思うと、ベリアルはちょっと嬉しかった。


「私もドゼ将軍に賛成ですね」

 新しく遠征に参加したドノンが口を出した。ドゼに頼まれ、ベリアルが連れて来た画家だ。

「シエナ(アスワン)の沼沢地が砂漠化してから、人類はテーベ、メンフィスへとナイルを下り、そこから紅海を渡ってガンジス河まで貿易を広げたと、私は考えますね。つまり、我々がこれから向かう上エジプトは、まさしく人類発祥の地であるというわけです」


 「あっ、俺のダチョウ!」


 その時、焚火の方で叫び声が上がった。ダヴーだ。


「ラサール、お前、俺のダチョウ、食ったろ!」

「みんなの肉だろ、ここで焼いてるのはよ。肉が欲しいなら、ほら、端っこのが焦げかけてんぞ」


 口の中の肉を悠然と飲み込み、ラサールが答える。ダヴーも負けてはいない。


「俺が大事に育ててたんだ! つまり、ここで焼いていたのは、俺の肉だ!」

「あはは、ダヴー、お前、ダチョウを育ててんのか。お前の子どもはダチョウか」

「なんだとぉ!?」

ダヴーは激高した。

「許さん。外へ出ろ、ラサール」

「ここは外だが」

「うるさい! 生意気な口をきくな!」

「お前がわからんちんなんだよ、ダヴー」

「な、な、なにをぉーーーーーっ!」


 今にも二人は取っ組み合わんばかりだ。


「やめないか、二人とも」

 ベリアルが割って入った。少し離れたところにいたので、口論の内容は聞き取れていない。文明の発祥とダチョウは、あまりに違い過ぎた。

「なんだかわからないけど、お前、謝れ、ダヴー」


 カイロでの経験から、ダヴーが突拍子もないことをするのはよくわかっている。この男は、子どもにだって喧嘩を売りかねない。


「なんで俺が謝るんだよ。謝るのはラサールの方だ」

「なぜ俺が、お前なんかに」

「俺のダチョウを返せ!」

「もう食っちゃったし」

「こっ、このぉ~~~っ!」


「どうしたどうした」

 とうとう師団長のドゼまでやってきた。

「ドゼしょう、ぐぅーん」


途端に、ダヴーが涙目になった。ドゼに駆け寄り、すりすりと寄り添っていく。かすかにドゼはのけぞったが、逃げなかった。


「ん? 何か言いたいことがあるのか? 話してみろ、ダヴー」

「はい。ラサールが、俺が後で食べようと思って大事に焼いていたダチョウの肉を、横からかっさらって食っちまったんです」

「ふむ」

「それなのに、ベリアルは俺に謝れと」

「理由も聞かずにそれはいかんな」


 ベリアルは首を竦めた。笑みを含んだ目で彼の方を見てから、ドゼはラサールに向き直った。


「君はダヴーの肉を食ったのか?」

「はい、食いました、将軍」

「ダメじゃないか」

「はい」

ドゼの前でラサールが敬礼する。


 ミルーが砂漠で自殺同様に死んだことは、その一部はドゼの責任であると、ラサールは思っている。ダマンフールの軍議で、ドゼはボナパルトの追求からミルーを守ろうとしなかった。

 もちろん、ドゼにそんな権限はないということもまた、ラサールにはよくわかっている。総司令官に逆らうことは、軍の規律を破ることだ。

 ミルーを、彼の死を否定することは、ラサールにはできそうもない。


 それでも女の話をしてからというもの、ラサールはこの冴えない上官に一目置くようになっていた。


 カイロの人妻ポーリーヌには、こっそり言い寄っていた。フーレ大尉の新妻、しかもエジプトまでこっそりついてきた若い妻を大っぴらに口説くなんてことは、ラサールにはできない。彼としては、ちょっと火遊びできればいいのだ。気の毒な大尉から妻を取り上げるつもりはさらさらない。だから細心の注意を払って秘密裏に言い寄っていた。


 それなのにドゼは、すっかりお見通しだったなんて。色ごとに無関心なようでいて、大した眼力だと思う。

 そのドゼは、大好きな奴隷の少女よりも軍に酒精を供給する方を選んだ。つまり、女より軍を優先したわけだ。

 もしこれが真実なら(あの時のドゼの挙動不審ぶりでは間違いないとラサールは思った)、評価に値する。


 「ラサールは、ダチョウは俺の子だと言いやがるんです!」


 ドゼの脇から顔を出し、ダヴーが言いつける。

 ドゼはぷっと噴き出した。


「ドゼ将軍!」

むっとしたようにダヴーが非難する。


「いや、ごめん。誰かの父親だと急に言われたら、そりゃ、困るよな。気の毒に、ダヴー。君の気持ちはよくわかる」

 にわかにドゼは、急に暗い目になった。

「よその男の子どもを押し付けられるなんて、まっぴらごめんだ。二股はいかん、二股は」


 途端にダヴーの顔が輝いた。

「あ、それ、ルイーゼ・モンフォールのことですね! 思った通りだ! やっぱり彼女は貴方を裏切って浮気してたんですね!」(*)


「ダ、ダヴー」

ドゼがあとずさった。樽にぶつかり、尻もちをついた。

「どうしてその名を?」

「みんな知ってますよ?」

「みんな?」

「だから、ライン軍のみんなです。あと、貴方が泊まっていたホテルのメイドとか。ルイーゼ・モンフォールは、将軍のコレでしょ?」


小指を立てて見せる。


「ちっ、ち、ちがっ、ちがっ、」


 まるで鶏が首を絞められた時のような変な声を連発するドゼを、ダヴーは気の毒そうに見やった。


「いいんですよ、ドゼ将軍。わかってますから。32ルイは手切れ金だったわけでしょ? 全財産をむしり取られた気の毒な貴方は、ボナパルト将軍の待つパリへ行くのに、お金がなかった。当時対英軍の司令部はパリにありましたからね。俺もそうだったけど、旅費が必要だ。すっからかんの貴方は、だから、サン=シル将軍からお金を借りなければならなかったんだ」

「ぐ、」


本当にドゼの喉は締まったようだ。だがダグーは気にしない。慰めるように続けた。


「そもそも彼女がいけないんですよ。貴方がドイツへ遠征に出かけたのをいいことに、浮気なんてするから。手切れ金を貰えただけでも感謝すべきです」


 「ドゼ将軍、何の話を?」


 怪訝そうにラサールが口を出す。話についていけず、ベリアルはきょとんとするばかりだ。


「いや、なんでもない」


ドゼの声は完全に裏返っていた。眼病が治ったばかりの目が、再び涙目になって泳いでいる。ラサールは諦めない。


「手切れ金とか浮気とか聞こえましたが」

「きっ、気のせいだ。そうだな、ダヴー!」

「え?」

は俺とお前、二人だけの秘密だ!」

「はいっ!」


嬉しそうにダヴーは敬礼し、ラサールに向き直った。

「そういうことだよ、ラサール君。俺とドゼ将軍のなのだ」


ふん、とラサールは鼻を鳴らす。


「女のことなら、俺に相談して下さいよ、ドゼ将軍。ダヴーに話しても無駄です」

「なんだと?」


 再びヒートアップしかけたダヴーを、ドゼが制した。


「いや、ラサール。どちらかというと、君は気をつけた方がいい。ベルティエ将軍に知られたら大変だぞ? 彼は年齢の離れた弟を、それはそれは可愛がっているから。その弟の妻に手を出すなんぞ、危険極まりない」


 イタリアにいた頃、ラサールは4つ年上の美しい人妻をものにした。彼女の名前はジョゼフィーヌ。もちろん、イタリア軍総司令官ナポレオン・ボナパルトの愛妻ではない。


 彼女は、ヴィクトル・レオポルド・ベルティエ准将の新妻だった。つまり、ボナパルトの参謀ルイ・アレクサンドル・ベルティエの義理の妹弟の妻にあたる。


 ドゼの言ったように、兄のベルティエボナパルトの参謀は、16歳年の離れた弟をひどく愛していた。


 だが、それが何だというのだ? 彼女は最高だ。子どもを産んでから、特に感度が素晴らしい。この忌々しい砂漠エジプトから帰ったら、真っ先に彼女を訪れる予定だ。


「恋には多少の危険があった方がいいんです」


 てんとして動じないラサールに代わって、ドゼが憂えた。


「ベルティエ将軍はボナパルト将軍お気に入りの参謀だからな。総司令官殿は、きっとベルティエ将軍と彼の弟に肩入れすると思うぞ」

「俺なら大丈夫です。どんなことがあっても、彼女は俺を愛していますし」


 どさくさに紛れてのろける。ますますドゼが顔色を悪くした。


「それだよ。君、彼女に手紙を書き送ってるだろ? 憎むべきイギリス海軍は、海上で我々の手紙を略取しているんだぞ」

「……え?」


 初耳だった。確かにアブキールに停泊していたフランス海軍は全滅させられたが……。


「君の手紙か彼女の手紙か、いずれかがイギリス海軍の手に落ちたら、大変なことになる。やつら、ゴシップには目がないからな! 新聞プレス経由で君たちの不倫は、公開されるだろう。大変なスキャンダルだ。ベルティエ将軍とボナパルト将軍が知るのも時間の問題だろう」


「それでも彼女の俺への愛は永遠です……」

ラサールの声は小さくなって消えた。


 もはや、ダヴーのダチョウどころではない。

 うやむやのうちに、騒ぎは収まった。



 「どうもラサールはダヴーを目の敵にしているようだな」

各自、寝床に向かい、ベリアルもまた寝所へ向かおうとしていると、ドゼが引き留めた。


「同じ騎兵ですからね。何かと敵愾心があるんでしょう」

 あくびを噛み殺し、ベリアルは答えた。

「ですが、ダヴーが言い争うのは、ラサールだけじゃありませんよ。ダヴーのやつ、その辺の将校に、軒並み喧嘩を吹っかけてます。相手が変わっても、喧嘩の主がダヴーであることは、変わりありません」


「困ったやつだ。だがそれが、ダヴーだからな」


 ドゼは何かにつけ、ダヴーの味方をしてやっている。そうしないとダヴーは孤立してしまうからだ。集団生活を続けるには、ダヴーはあまりにも個性的すぎた。ちなみに、ダヴーの味方をするのはドゼだけだ。他の将校らは、ダヴーに喧嘩を吹っかけられないよう、ひたすら彼を避けていた。


 「さっきはすまなかった。君を叱って」

「別に怒ってなかったでしょ」


神妙に謝るドゼへ、ベリアルは応じた。


「まあ、そうだ。さて、俺も寝るとするか。おやすみ、ベリアル」

「おやすみなさい」


 立ち去っていく背中を眺めながら、ドゼ将軍はハーレムへ行くのだな、とベリアルは思った。ああ見えて彼は、ハーレムを囲っているのだ。周辺の族長たちが、続々と女の子(や、なぜか男の子も)連れてきて、ドゼのハーレムは膨れる一方だ。その上彼は、数日前、ダルフール(スーダン)の王子のキャラバン隊から少年を一人、買い取った。ダルフールの王子ブラック・プリンスはドゼと同じくらいの年回りで、ふたりは何やらすっかり意気投合していた。


 一方で、断固として略奪を許さず、賄賂も一切、受け取ろうとしない。


 聖人なのか俗物なのかわからないな、と、ベリアルは思った。







 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

* ルイーゼ・モンフォールにつきましては、「負けないダヴーの作り方」に言及がございます


「あーん」

https://kakuyomu.jp/my/works/16816452218559266837/episodes/16816452219124271726


「セーヌ河の上で」

https://kakuyomu.jp/my/works/16816452218559266837/episodes/16816452219446830624







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