第43話 ダヴーとラサール(@レデシー)
上エジプトの南端シエネ(アスワン)に到着したドゼの軍は、再びナイルを下り始めた。シエネにはベリアルの軍を残し、監視に当たらせた。
ルクソールの手前、河が蛇行するすぐ手前のエスノ(*1)までナイルを下り、この地にドゼは司令部を置いた。
目論見通り、マムルークを急湍(*2)の向こうに追い払うことができたわけではない。そんなことは不可能だ。敗走し分裂しても、マムルークは、砂漠のあちこちで仲間を増やし、戻ってくる。その上シリアからは、ムラドの仇敵、ハッサン・ベイまでが応援に駆け付けた。
マムルークの軍はすでに、充分大きくなっていた。彼らは軍の手慣らしをすることにしたらしい。司令部にほど近い
辺りは土埃で覆われ、襲ってくる敵の騎馬兵は、さながら雲霞のようだ。
マムルーク達は、馬を高速で走らせながら最初にイギリス製のカービン銃を発砲してから鞍の下にしまい、次にピストルを撃ちまくる。その間、馬の手綱は歯で咥えている。弾の尽きたピストルは後ろから走ってついてくる召使に投げて弾を込めさせている間に、やおら
戦隊長が馬から落ちた。
「フォンテット!」
ダヴーが叫ぶ。
あちこちから槍が突き出され、青い空高く鮮血が飛ぶ。。己の軍の戦隊長、フォンテットの命が失われたことを、ダヴーは理解した。
大きな音と近代兵器が勝利の秘訣だというのに、味方の銃弾は尽きかけている。数では圧倒的に勝ち目がない。もう、長くはもたないだろう。
この上は恥のない戦いを、そして蛮族の残虐な拷問の犠牲になる前に、いや、しかし最後までねばって、戦わなければならない。
どうせ自分は、戦場でしか生きられない。ならば、戦場で死ぬことは誉だ。
ダヴーが覚悟を決めた時だった。
向こうから、一層の土煙を上げて駆けてくる一団があった。先頭を、軍服をしゃれた風に気崩した将校が馬を走らせていた。
ラサールの騎馬隊だ。
砂漠を走ってきたにもかかわらず、瑞々しい活力と生気の漲っている竜騎兵たちは、あっという間にマムルークを蹴散らした。
茫然としているダヴーの前で、ラサールが馬を止めた。
「助けてやったぞ。恩に着ろ、ダヴー」
応えはなかった。俯いた顔を、ラサールは覗き見た。
たまげた。
「なんだ、お前。泣いてんのか?」
「泣いてなんか……ない」
「だって、目から水が出てるぞ」
涙を見られ、もう、ダヴーは否定しなかった。
「フォンテットが死んだ。他に何十人も死んだ。怪我人もたくさん出た」
「しょうがないだろ、戦争なんだから」
「俺の部下だ!」
「だが、お前は生きているじゃないか」
「部下をたくさん死なせて、指揮官が無事でどうする!」
それは確かに、ダヴーの八つ当たりだった。行き場のない悲しみをぶつけているのだ。ラサールにはわかった。
「お前の所へ行けというのは、ドゼ将軍の命令だ。恨むなら
「うう……。ドゼ将軍なんか……」
再びダヴーは涙をこぼした。
「それから、」
ついでのようにラサールは付け加えた。
「お前は俺の仲間だからな」
「仲間?」
勢いよく顔を上げる。砂漠の砂が、涙でどろどろになってへばりついている。
泥で汚れた顔を見てラサールは噴き出した。
「なんて顔だ。拭けよ」
彼は胸の隠しからハンカチーフを取り出し、ダヴーに手渡した。
◇
膨れ上がるマムルークの大軍は、見過ごせないものがあった。レデシーの11日後、ドゼは再び、胸甲騎兵と竜騎兵の連隊を送り込んだ。
橋の辺りで、軍はマムルーク軍と対峙した。
フランス側の胸甲騎兵の連隊が右に移動して、マムルークの側面を取ることに成功した。勝利は目前と思われた。
「突撃!」
叫んでラサールは自ら先頭に飛び出した。ドゼの真似ではない。イタリア時代から彼はこうだった。
彼が指揮官であることは、敵の目から見て一目瞭然だった。走り込んできたマムルークが、猛烈な勢いで切り込んでくる。子どものころから彼らは、全速力で走らせる馬の上から敵の首を斬り落とす訓練をしている。
力いっぱい振り下ろされる偃月刀を、ラサールはサーベルで受けた。じいんと手が痺れた。
「あっ!」
信じられないことが起こった。偃月刀の勢いを受けきれず、ラサールのサーベルが折れてしまったのだ。
走り去ったマムルークが後ろを振り返り、馬を急停止させる。ラサールのサーベルが折れたことを見て取ると、馬の向きを変え、凄まじい勢いで戻って来た。
このまま戦場にいたら、間違いなくやられる。あのマムルークは躱せても、次の敵に殺される。ラサールは、後退せざるを得なかった。
「戦隊長がやられたぞ!」
叫び声が上がった。あちこちで戦っていた兵士らが、一瞬、息を止めた。
動揺が広がっていく。ラサールの災難は、戦いの規模を拡大させてしまった。あちこちに砂塵が舞い上がり、戦場は混乱するばかりだ。
「ひるむな! お前らの戦隊長は無事だ!」
誰かが叫んだ。
ダヴーだった。
「たとえラサールがやられても、まだ俺がいる!」
いずれにしろ、戦わなければ自分たちが殺されるだけだ。そして、命はひとつきりしかない。
兵士たちは剣を握り、銃を構えた。
阿鼻叫喚の中、フランス側は粘り、ようやくマムルーク軍が退却を始めた。
「逃がすな! 俺についてこい!」
重量級の騎兵団が逃げるマムルークを追い、砂漠に馬を走らせる。
逃げる敵を追っていったのはもちろん、ダヴーの騎馬隊だった。
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*1 エスノ(エスナ)の地図です
https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330659789668566
*2 急湍
ナイル中部に見られる岩の多い早瀬。
*3
湾曲した片端の刀。シミター(scimitar)とも呼ばれる。
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