汝、救えるものを救え「逃げろーーーっ!」
せりもも
1.イタリアの勝者とラインの英雄
イタリア軍とライン方面軍
第1話 衝突
ボナパルト麾下イタリア軍の兵士達が、新たにライン軍から援軍に来た兵士らとすれ違った。ライン河畔から来た規律正しい新参者たちは、軍服をきっちり着こなして歩いている。
一方で、イタリアにすっかりなじんだ兵士らは、暑さに適応したシャツ姿で、
イタリア軍の兵士の一人が言った。
「こんにちは、ライン軍*の
侮蔑の籠った言い方だった。すかさずライン軍からきた擲弾兵が言い返す。
「こんにちは、山賊の
「山賊だぁ!?」
血の気の多いイタリア軍兵士の声が怒気を孕む。元ライン軍の兵士らも負けてはいない。
「そうだよ。どうせ今日も、どこかの家へ強盗に行ったんだろ?」
図星だった。イタリア軍兵士の一団は、大きな服飾店を襲った帰りだった。商家の主や家族を突き刺した剣の感触が抜けず、彼らは苛立っていた。
「お前達こそ、俺らが血を流して勝ち取った栄光を奪いに来たくせに!」
イタリア軍の兵士らは、遠征の最初からボナパルト将軍の麾下にいた。イタリアでの戦闘、ひいてはヨーロッパにおける革命戦争を勝利に導いたのは、自分たちだという自負があった。
「栄光? そんなもの、どこにあるというんだ。市民から略奪して、それのどこが栄光だ!?」
かたや、ライン河畔からはるばるやってきた兵士らには、彼らなりの矜持があった。自分たちは、自由と友愛の担い手であるという強い誇りだ。
略奪を指摘され、イタリア軍の兵士は激怒した。
「俺たちは勇敢に戦った! それなのに政府は、給料はおろか、糧食の配給さえ寄越しやがらねえ。略奪? それのどこが悪い。ボナパルト総司令官だって、高級将校たちだって、みんなやってる!」
「とうとう本音が出たか」
栄えあるライン軍の歩兵が、腰に手を当て、仁王立ちになった。
「どうせお前ら、祖国で食いっぱぐれてイタリアくんだりまで流されてきたんだろう?」
「自分らだってそうだろうが!」
「違うわ! 俺らは栄光を得る為に戦ってきたのだ」
「栄光だぁ?」
イタリア軍兵士の声に侮蔑が混じった。いくらか羨望を含んだ侮蔑の声だ。既に自分たちが失ってしまった何かに対する……。
「ありえねえ。お前らだって、給料さえろくにもらってねえだろうが」
革命政府からは、補給はおろか、兵士達への給料でさえ、滞りがちだった。だからイタリア軍総司令官ボナパルトは、地元からの略奪を許したのだ。
補給がないのは、ライン軍でも同じだった。ただ、そこに駐屯する兵士ら、自由友愛の革命の担い手を自負する彼らは、略奪に手を染めることを是としなかった。胸をそびやかし、ライン河畔から来た兵士は指摘した。
「俺らの将軍だって貰ってないぞ!」
「ほらみろ! ビンボーはお前らじゃねえか」
すかさず、イタリア軍の兵士が指摘する。元ライン軍の兵士達は逆上した。
「うるさい。やるか?」
「受けて立つ」
音を立てて剣が交わされた。乱闘が始まった。
「ああ、あ。始まっちゃったよ」
少し離れたところで様子を見ていたジャンは、ため息を吐いた。
彼は、イタリア軍の兵士だ。一応、遠征の最初からボナパルト将軍の下にいる。かといって、この司令官殿に心酔しているわけでも、ましてや熱狂しているわけではまったくなかった。彼には、初めて見たボナパルトが忘れられない。顔色の悪い、栄養不良気味の貧相な男だった。
ジャンは、町からパンをくすねてきた帰りだった。今日、仲間たちは服飾店を襲ったが、彼は食えないものに興味はなかった。それで服飾店襲撃のどさくさに紛れて近くのパン屋に侵入、店主が外の騒がしさに気を取られている隙にパンを失敬してきたのだ。
彼の手には、オリーブの油をたっぷり練り込んだ、イタリアのパンが握られていた。これで当分、食べ物を探さなくていい。
その時、ジャンの横を、凄まじい速さで駆け抜けていくやつがいた。ライン軍の軍服を着た、藁色の髪の兵士だ。
「おい、何処へ行く!」
脇をすり抜けた彼の襟を、ジャンは引っ掴んだ。
「仲間に加勢しなくちゃ。彼らは俺の戦友だ。助太刀に行かなくちゃ!」
無我夢中で走り出そうとする後ろ襟を、ジャンはぐいと引いた。
「無駄無駄。あんなのただの喧嘩だ。加勢もくそもあるものか。怪我をするだけだ」
「友を見捨てておけるか。放せ! くそっ!」
「お前、目が見えないのか。今あの中に飛び込んだら、乱闘に巻き込まれるぞ」
喉元が絞まり、兵士は息を詰まらせた。それでもめくらめっぽう手を振り回して暴れる。
「あっ、馬鹿!」
兵士の手が当たり、ジャンの手からパンが落ちた。慌てて相手の首から手を離し、ころころ転がるそれを拾い上げる。後ろで、急に喉を解放された兵士がえずいているのが聞こえた。
「見ろ。パンに泥が……」
「盗んで来たのか」
掠れた声が尋ねた。振り返ると緑色の目が睨んでいた。燃えるような強い光を放っている。
思ったよりずっと若い兵士だった。まだ少年といっていい。
「欲しいのか?」
ジャンは尋ねた。補給がないのは、どこも同じだ。
「……」
兵士の目に険悪な光が宿った。無言で彼はジャンを突き飛ばし、走り去ろうとした。
「待てよ」
なおもジャンは引き留めた。なぜだかわからない。強いて言うなら、弟と同じような年回りだったからだろうか。七つ年下の、どこへ行くにも後についてくる弟だった。彼の髪も色の薄い金色だった。弟と同じ髪の色の少年を、みすみす、危険で無益な乱闘へと行かせるわけにはいかない。
「放せったら! 地元住民から略奪するようなやつと関わり合いになりたくない!」
身を捩って逃れようとする。ジャンはむっとした。
「略奪? 人聞きが悪い。ちょっと失敬してきただけだ。腹が減ってたら、思うように戦えないだろうが」
「それを略奪というんだ! この手を放せ! 俺は仲間の助太刀にいかなくちゃいけない」
「だから、あいつら殴り合いで、イライラを解消しているだけだから……」
ジャンが言いかけた時だった。遠くから馬の嘶きが聞こえ、将校達が走ってくるのが見えた。兵士たちの乱闘騒ぎを聞きつけ、駆けつけて来たのだろう。
馬に乗った将校らは、あっという間に、兵士らを蹴散らし、なおも殴り合いを続けている者たちを捕縛していく。
「ほらみろ。あそこにいたら、お前も同じ穴の貉だ。な、良かったろ。あの中に飛び込んでいかなくて」
暴動に加わっていたら、今頃、この藁色の髪の少年兵も捕まっていただろう。軍の刑罰は過酷だ。
兵士は無言でジャンの手を振りほどき、元来た方に立ち去ろうとする。
「待てよ。お前、ライン軍の兵士だな?」
「デルマ将軍直属だ」
「げっ」
デルマ将軍は、規律が厳しいので有名だ。
「部下の兵士を杖で折檻するっていう、あの将軍のか?」
部下への暴行で、つい先月、ボナパルト総司令官が叱責したばかりの将軍だ。それを指摘され、兵士はいきり立った。
「処罰は当然だ。罰せられた歩兵は、住民から豚を盗んだ!」
「腹が減ってたんだろうよ」
「許されざる悪行だ。規律は守らなければならない」
「……」
呆れて声も出ない。
ライン河畔からのやつらは、どうしてこう、堅苦しいのか。
藁色の髪が逆立った。
「あんたもだ! 俺達は、何百年もの間、領主から搾取され続けている気の毒な民に、彼らの権利を教え、古い体制から解放する為に戦っているんだ。その民から物を盗んでどうする!」
「だって、俺達も生きて行かなきゃならないだろ? 政府は十分な配給をくれないしよ」
「耐えろ!」
一言吠えて、若い兵士は背を向けた。
「待て。お前、名は?」
弟に似た色の髪の、この少年兵の名を知りたかった。
「……アンリ」
一言、言い放つと、今度こそ本当に立ち去っていった。
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フィクションだけを楽しみたい方は、ここからから先は無視して下さい。2話以降の話でも、――― 以下の注記は全無視で大丈夫です。オタク語りですので、ご興味のある方だけ、お目通し下さい。
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*1
本来なら、ライン・モーゼル軍。混乱を避ける為に、ライン軍で統一しました。
なお、東の国境、ライン河方面からは、
・ライン・モーゼル軍(ライン軍)デルマ師団
・サンブル=エ=ムーズ軍 ベルナドット師団
が援軍に来ています。
詳細はこちら
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-264.html
◆史実にご興味のある方へ
ブログで解説しています。何が史実で何がフィクションかは、ブログ(史実)から判断頂けると嬉しいです
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-255.html ~
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