蜂球
私たちはしばしば、自分たちのことを蜜蜂に例える。温厚で、六角形の家に住み、独特の舞踊を持ち、何より帰巣性がある。あちこちを飛び回る彼らが迷いなく自分の棲み処へ戻るように、私たちは必ず元の場所へ帰る。
ある夏の初め、川沿いの土地に家が建つことになった。住人が増えることを私たちは喜んだが、同時にわずかな不安も覚えた。骨組みを見る限り、その家は六角形ではなかったのだ。村の建物は例外なく十二個の角を持っている。新しく建つ家がせっかくのハニカム構造を台無しにしてしまうのではないかと私たちは懸念した。
しかし、建物を六角形にしなければならないという決まりがあるわけではなかった。六角形の方が採光の効率が良く、カーテンを開けばより多くの隣家と会話ができるという利点のために、いつの間にか広まっていっただけのことだった。実際、図書館に所蔵されている昔の文献には四角形や三角形の建物の存在が記されていた。
そのことから、私たちは家の形状について気にしないことにした。家の設計を変えてほしいと頼むことはあまりにも礼儀を欠いていたし、新たな仲間が加わる喜びに比べれば建物の調和など些細な問題だった。
色づいた葉の滴る頃、家は完成した。それは規則正しい立方体をしていた。壁は紅茶に落とす角砂糖のように白く、ざらざらとした表面が細かなおうとつに光の粒を捕らえていた。私たちは用事のついでに、あるいはわざわざ時間を作って、新しい家の様子を見に行った。いつ見ても角は八つで、それは増えることも減ることもなかった。
角砂糖の家に主が越してきたのはその四日後だった。三十歳くらいの小綺麗な女性だった。荷下ろしを手伝った私たちのある部分によると、彼女の夫が農業をやりたいとかで、一度何かの機会で訪れた私たちの村に移住を決めたらしい。彼がそれまでの仕事に区切りをつけこちらに越してくる前に、荷物の整理を済ませるつもりだということだった。
大勢で訪れると迷惑になるので、挨拶には私たちの代表が赴いた。手土産には花びらのジャムを選んだ。ジャムは私たちの村の特産品で、ときどき外からも注文が来る。私たちは誰かが越してくるときだけでなく、ちょっとしたお客様だとか、私たち内部でのお祝いだとか、そういったときにもジャムを贈る。甘く、美しく、きらきらと輝くジャムは、私たちの間で歓迎と祝福を意味する。
私たちの元へ戻ってきた代表は、彼女はジャムを受け取りはしたが、それほど喜んではくれなかったと告げた。きっと知らない土地に来たばかりで不安なのだろう。私たちはそう考え、彼女と、やがて越して来る彼女の夫を支えてゆこうと強く思った。
翌週の末、私たちはグラウンドのフェンス越しに彼女を見かけた。日曜日はどの仕事もお休みで、私たちは必ず共に過ごす。天気の良い日はスポーツやバーベキューを行い、そうでない日は集会所でボードゲームを行う。その日はよく晴れていたので、私たちはグラウンドでテニスをしていた。
彼女はやはり清潔な身なりをし、ヒールのある靴で歩いていた。方角から考えると、どうやら郵便局へ行くつもりのようだった。彼女はこの一週間、午後の二時になると郵便局へ赴き、夫へ電報を打っていた。しかし、その郵便局も今日はお休みだった。私たちは情報がきちんと伝えられていなかったことを申し訳なく思った。
「すみません。郵便局、今日はお休みなんです」
私たちのちょうど休憩していた部分がフェンスに近寄り、彼女に声を掛けた。朗らかで、かつ慎み深い、お手本のような口調だった。しかし彼女は顔をこわばらせ、硬い響きを返した。
「そうなんですか」
「はい。日曜日は全ての仕事がお休みで、みんなで遊ぶことになっています。もしよろしければ、ご一緒にいかがですか」
彼女の後ろには田園が広がっていた。枯れた稲株と雑草に覆われ、褪せた星の色をしていた。畦道は同じ色に染まり紛れていた。風がフェンスを震わせ、そのささめきがボールの跳ねる音と重なった。彼女は視線を逸らし、口早に言った。
「いいえ、結構です。部屋の掃除をしなければなりませんから」
仲良くなる良い機会だと思っていたので、私たちは残念に思った。しかし彼女の用事が最優先なので、休憩していた部分は「それでは、またの機会に」と笑顔で手を振った。彼女は無言で頭を下げ、その場を後にした。
それから何日経っても、彼女は私たちの輪に加わろうとしなかった。郵便局へ出掛けるとき以外は角砂糖の家に引きこもり、畑の収穫や、水路の整備にも参加しなかった。村の一員であるため、食料や、紙や、織物や、私たちの作ったものを分け与えはしたが、彼女はジャムのときと同じように無愛想だった。
何故彼女が心を開いてくれないのか、私たちは不思議だった。まだ環境に慣れていないのだろうかと思ったし、自分たちの心遣いが足りないのだろうかとも思った。しかし、どちらも違っていた。
初雪の止んだ午後、彼女は私たちのある部分に言った。
「あなたたち、気味が悪いわ」
私たちは生活に必要なものの多くを自分たちで賄うが、全てを揃えることはできない。その不足を補うために、毎週水曜日に移動販売のトラックがやって来る。私たちの一部分と彼女が出会ったのは、トラックの荷台、ナンバープレートの前だった。
ちょうど昼から夜に移り変わる時間だった。空の高いところから低いところへ、しっとりとした深い紺に染まりつつあった。太陽は山に隠れ、光の残滓で稜線が輝いていた。遠くに角砂糖の家が見えていた。それは昼間に吸い込んだ光を発散するように、薄闇の中にぼんやりと浮き上がっていた。
彼女はテールランプの辺りに視線を据え、忌々しげに続けた。
「眼球や、鼓膜や、筋線維の一本一本までもがそれぞれ異なる場所から集まって、一つの人間を作り上げようと絡まり合っているみたい。互いの柔らかいところをこすりつけて、ふしだらで、不快だわ」
好意を持っている相手にそんなことを言われてしまって、私たちはひどく落ち込んだ。しかし、彼女の言ったことはあながち間違いではなかった。私たちはあくまでも私たちなのだ。私たちは私たちに過ぎない。そして、私たちである私たちは、容易には破壊されない頑丈さと、衝撃に合わせ形を変える柔軟さと、原形に回復する素直さを持っている。すなわち、私たちは形状記憶的なのだ。私たちが自らをそう形容する蜜蜂のように、私たちは常に同じ形をとる。歪んだとしてもいずれ戻る。それが私たちが私たちたる所以なのだ。
冬が過ぎ去るよりも早く、彼女は村から去って行った。私たちのどの部分もその姿を見なかった。ある朝起きてみると、二本のわだちだけが雪の道に残っていた。春になり花が咲けば、色々な種類のジャムを共に楽しむつもりだったので、私たちはとても寂しく思った。結局、彼女の夫を目にすることはなかった。
角砂糖の家は置き去りにされた。家具は全て持ち出され、家はただの箱になった。しばらく捨て子のようにうずくまっていたが、雪解け水で川が氾濫し、大部分を流されてしまった。どうにか残っていた柱といくらかの壁も、私たちの幼い部分が遊び場にし始めたので安全のために撤去した。川辺はすっきりと何もなくなり、一年前の光景に巻き戻った。
私たちの村は美しいハニカム構造を守っている。
2019.2
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