第11話 檸檬と純金
「えっ、俺らの依頼人死んだって」
「マジ?前金しかもらえないじゃん」
栗色のセミロングヘアをハーフアップにしたどんぐり眼に痩せぎすの男・仇遅保範が事務所からの連絡に目を剥いて驚いている時、短髪黒髪筋肉質三白眼の男・木仕生八は全ての唐揚げに檸檬を掛けていた。二人しかいない個室の居酒屋では、それを止めてくれる隣の席の友人は発生しない。
「アッ!テメェまた唐揚げに全掛けしやがって!俺生の果物アレルギーだって言ってんだろ、いい加減覚えろよ」
「いっけな〜い!忘れてましたぁ!おともだちがしぬとかなし〜ので責任もって全てのカロリーを引き受けます〜」
ふざけた口調だ、意図的な失敗だろう。食い意地の張った愚かで強欲な生八は、時々このような蛮行に及ぶことがあった。死体洗いのためのプール、山の中の不法なゴミ捨て場、緑の肉と白いウジの湧くゴミ屋敷、届出のないマグロ漁船……。これらの過酷な仕事場に対して精神的に鈍感であるという利点が無ければ、自分はこの男を早々に見限っていただろうという自覚が保範にはあった。生八は唐揚げとお通しのたくあんを山盛りの白飯の上に乗せ、ワシワシと掻き込んでいる。
保範は競馬、生八はパチンコで身を崩した多重債務者だ。現在はあれよあれよという間に闇金で借金を一本化してしまい、金利を他の債務者に比べ優しいものにする代わりに代表である喜世世が運営している便利屋の従業員として働いている。詰まる所彼の私腹を肥やす為の便利な手駒として、首にかなり真っ黒で違法で頑丈な縄をつけられている状態だ。深夜の呼び出しはもちろん休みなんてものは殆どない。過酷な職場での仕事がない時は、迷い猫の捜索や浮気調査、家事代行等の細々とした仕事を行なっていた。
この二人の男が今生きているのは喜世世のおかげであり、過酷な労働に苦められているのも喜世世のせいであった。今日はそんな上司が重傷を負ったので、二人は見舞いの帰り道に日頃の苦労に対するささやかな慰労会としてこの店を訪れた。目当てであった酒の締めとしてちょうどいいサイズのどんぶりで提供される店長こだわりの醤油ラーメンは、鶏卵の値上がりの為二日前から品切れになっているらしく、二人はここでも発揮される自分たちの運の無さに苦笑したものだった。
「後金貰えない時ってペナルティあったっけ?」
「ないけど、喜世世さんの機嫌はめっちゃ悪くなるよ」
「……。お前よく飯モリモリ食えるな。あの人機嫌悪い時めちゃくちゃな仕事振ってくるから、俺それ想像して具合悪くなってきたんだけど、ないわけ?そういうの」
「いやあの人入院してんじゃん。一週間前に病院に運ばれて、やっと今朝目を覚ましたから俺らが着替えとか暇つぶしのタブレットとか、いろいろ持って行くように言われてきたわけじゃん。そんで半年は確実に出てこられないって話だろ?身体中バッキバキに折れてんだから。それより、これ食ったら仕掛けてた捕獲機回収しにいくんだろ?お前もさっさと食えよ」
「猫いるといいなぁ。依頼人死んだからさぁ、俺引き取ってもいいかなぁ。絶対幸せにしてあげたいよ…………俺白飯以外食えるもんなくない?」
「はにゃにゃ〜プワプワプワ」
「ぶっ殺すぞ」
メニュー表に手を掛けパラパラとめくりながら、ふと保範はポケットに手を伸ばした。目が覚めた喜世世から手間賃として宝くじを一〇枚貰っていたのだった。どうせ換金しに行けないないのだからと、ゴミ捨てついでにくれたのだろう。生きているのが奇跡と言われたあの人はもう運を使い果たしたようなものだから、どうせ外れているだろうと大した期待もぜずに当選番号を確認する。一等の前後賞、百万円が当たっていた。あまりに驚いたので飲み込み掛けた水の一部が鼻に逆流し、咽せてしまう。「きったねぇ〜、どした?」と生八に聞かれ、咳き込みながらスマートフォンのディスプレイと当たりくじを交互に指差した。メニュー表は机から滑り落ちていった。
「百万当たっ……⁉︎ん、⁉うわ〜〜!生八!流石に、流石にじゃない⁉これ返さなきゃ!」
「何言ってんだ?これは俺んだぞ」
「しれっと独占すんなバカ!渡さないと殺されるよあの人金大好きじゃん!」
懐に入れようとする生八とそれを止めようとする保範は揉み合いになり、数分後に飽きてどちらともなく解散した。百万欲しい〜という情けない悲鳴が同時に口から漏れ、お互い背中から畳に倒れ込んだ。
喜世世の怒りを買わないようにする事が生命維持に直結している二人にとって、当たりくじを返却しない選択肢はどう言い訳しても選べなかった。二人ともそれがよくわかっていたからこそ、情けなくて虚しかった。
「それじゃあ今のバイト全員飛んだの?困るんじゃない?」
「困ってる」
「どうすんの」
「わからん。金だけはある」
「玄関で金燃やしそうな事言ってる……」
「燃やされたのはこっちだ」
「ンハハ!」
生八はそんな会話を聞いた。盗み聞きしようと思ったわけではなく、倒れ込んだ先に隣の部屋と繋がる壁があり、それが隣の部屋の会話を筒抜けにする程度の薄さだったせいで聞こえてしまったのだ。
生八は取らぬ狸の皮算用が大好きで、ただただ、突然大金を得て新台のキラキラピカピカのハンドルをアドレナリンを異常分泌させながらくるくるくるくるしたかった。だから、金を持て余して人手が必要な初対面の人間の懐にも仕事を求めて簡単に飛び込んで行けた。この男には恥も外聞もなかった。恐ろしい事に、アルコールの一滴も入っていない。
「なんか困ってるんスかー⁉俺たち手伝いましょうかー⁉」
「バカおい何やってんだ!」
急に両手で輪を作り、その輪に頬をベッタリつけて隣の部屋に向かって叫んだ仕事仲間を保範は慌てて羽交締めにしてからダブルリストロックに技を移行し、思い切り締め上げた。生八は野太い声で絶叫したがそのまま「雇ってくださいよぉ〜!」と情けない声を垂れ流した。
しんと空気が冷え、一拍置いて隣の部屋から一人分の笑い声が聞こえてきた。カラカラと気持ちの良い、夏の海風のような心地のする笑い声だった。とっとっとっ、と、軽快な足音がして「元気だねぇ」と隣の部屋から見知らぬ男が来訪した。
それはスーツ姿の、鬱陶しく前髪を伸ばした顎髭のある男だった。体こそ薄く見えるが、それは二メートルはあるだろう背の高さによる相対的な錯覚で、緩んだネクタイと開けられたボタンの向こうにはしっかりとした胸筋が見える。彫りが深く、ほのかに林檎とシナモンに似た香水の香りがする。よく見ればスーツには無駄な皺が全くなく、オーダーメイドの高級品に見えた。喜世世によく荷物持ちで連れて行かれる場所で見たことがある。白く鋭い八重歯が覗く唇は身嗜み程度にケアされているのか嫌なヒビがなく、朗らかな笑みには余裕があった。健康的に焼けている明るい褐色の肌を持ち、鼻と頬の辺りが少し赤くなっている。酒で熱って緩めただろう衣服に少しの乱れは見られるものの、全体的に品が良い。こんな居酒屋に来る様な男では無いと、手と目が真っ黒に染まっている保範と生八にはよく分かった。
「何、君たち仕事欲しいの?」
その言葉に保範は顔を真っ青にして正座に座り直して怯え、生八は口角をぐんと持ち上げ胡座をかいた。
「欲しいっすね!金貰えれば貰えるほどやる気出るタイプです!」
「すみませんコイツ酔ってるんです無視してください!」
「俺アレルギーなんで酒飲めねえっす。飲んだら死ぬっす」
「し、死んでくれ……!すみませんほんと帰りますごめんなさいすみません」
「バイトが全員飛ぶくらいヤバい仕事なんですよね⁉俺ら元気だし、口も堅いんで行けます!自分やれます!やらせてくださ〜い!」
「俺を巻き込むなバカ!テメェ帰りにでっかいトラックとかで轢かれてくれ!」
床の上でぐちゃぐちゃと情けない乱闘を始めた男達を見下ろしたまま、男は軽く鴨居に手をかけて首を捻った。
「ほんとに〜?すごいねぇ、なんでもできちゃうの?」
「できます!」
最終的に、保範の口を抑えつつ首に手を掛け馬乗りになって締め上げて勝った生八が応えた。保範は半月の様な見事な弧を描く海老反りになって白目を剥いている。男はその状況に特に言及はせず「僕は緑山、君たちの名前は?」と自己紹介を交わそうとする。生八は「コイツは仇遅保範、俺は木仕生八です」と応えた。
「君たち、ちょっとやかましいぞ」
緑山の隣から、男がひょこっと顔を覗かせた。スキンヘッドの中肉中背の男で、耳朶には大きな拡張ピアスによってぽっかりと穴が開けられていた。緑山とは四〇センチ程の差があるらしいが、扉の向こうから体を傾けてこちらに話しかけているらしく服装等はいまいちわからない。彼の近くに店員がおり、どうやらトラブルかと心配して出て来た店員の相手をしていたらしい。少しばかりイライラしている様な足音が去って行く。それを見送って、男は再びこちらに眉のない顔を向けた。
「これ以上騒がしくするのは良くない」
男の忠告に「そうだね〜」と返して、緑山は小声で保範と生八に仕事の話を始めた。
「こっちの坊主のお兄さんが持ってる土地にさ、鳥居があるんだけど最近誰かのイタズラで壊されちゃって困ってるんだ。鳥居が沼に捨てられちゃって。ねえ君たち何でもできちゃうんだよね?ちょっと沼から鳥居ひろって、元の場所に立ててきてくれない?立ってればいいから、見た目は気にしないで適当にロープでぐるぐる巻いて固定するくらいでいいよ。まぁ重いだろうけど、二人なら大丈夫なくらいの重さだったと思「できます!」
生八は言葉の途中で遮って強い意志と余裕のなさを見せた。タップを続けていた保範はここでようやく解放され、床にべったり潰れていた。緑山は一瞬言葉に詰まって、ヘラヘラ笑って続ける。
「まあ雇うのは僕じゃ無いけど。君たちの新しいボスはこっちだよ」
緑山は男を見た。決定権のない自分にはもうやることは無いとでも言いたげな薄い笑みを浮かべている。男は少し顔を顰めて、二人に「代金は如何程お求めですか?」と尋ねた。
「百万!」
「お支払いしましょう」
スパッと言い切った生八の心の内、半分は本気だがもう半分はジョークのつもりだった。それがすんなり通って保範は肝を潰し、生八は調子に乗った。
「一人百万!」
「すみません俺裁縫教室通って人の口の縫い方覚えてきます」
「承知しました」
保範は軽口を叩きつつ謝罪の意を表したが、その直後に「倍支払っても構わない」と涼やかに即答され、恐怖した。金に困っていないと言うのは過言ではないらしい。もうこれ以上反社会的な黒い上司を増やしたくは無い、関わりを増やしたくはない、だが、金は欲しい。自己保身と欲がはらわたをぐるぐる駆け回り不安な声となって溢れた。
「あの、お二人ってどんな関係……?なんですか?お仕事とか……何をされて……?」
「友達友達!コイツは古物商で、僕は旅行ついでに買った変なお土産をコイツに売りつけてるの。最近はねぇ、なんか小さい木の皿?を売ったよ。まぁお互いに利益なんて殆どないから、商売かどうかは怪しいけどね。会うのは大体季節ごとかな?僕ほとんど日本に居なくって……。今日はコイツの快気祝いで飯食いにきてて、酒も入ってさぁ、仕事の愚痴になったの」
紙ナプキンに何かをさらさらと書きながら男が返してきた答えは思った以上に真っ当で、金持ちの道楽そうな副業らしいと知り少しホッとした。それが口を緩ませた。
「あの、快気祝いって、ご病気とか怪我?されたんですか」
「ああ!一週間前くらいに刺されたんだこいつ」
「おい」
男は渋い顔でそれ以上言うなとばかりに緑山を薄く睨んだ。保範は余計なことを聞いてしまった自分を恥じた。緑山はペロリと舌を出して、ひとかけらも反省していない様子だった。
「じゃあ保範くん、お手」
緑山は長い脚を開いて屈み差し出した手の上に、保範は脊髄反射とも言える速さで躊躇いなくサッと利き手と逆の手を乗せた。保範にはプライドと呼べる様な自尊心がなかった。その手の甲には喜世世の機嫌を損ねた時に押し付けられた煙草の火の跡が密集していた。二人の手の内側には紙ナプキンとマネークリップで留められた万札があった。緑山の手は常人のそれより少し熱い気がした。
「これ神社の地図と前金ね、ロープとか胴付き長靴とか要るもの買ってね。お釣りはあげる」
合わせた手の上下をひっくり返し、手を離してひらひらとさせ、立ち上がる。慌ててポンと渡された金額を確認すると、折り目の綺麗な十万円だった。紙ナプキンには地図と緑山の携帯電話番号が書かれており「この場所に行け、何かあったら電話しろ」と言わんばかりのシンプルな情報が残してある。じゃあよろしく!僕たち二次会行くからバイバ〜イ、と、緑山はあっさり行ってしまう。もう一人の男もくるりと向きを変えて、右足をひょこひょこさせながらゆっくり後に続いた。帰り際、肩にかけていた上着がひらりと翻って、腕があるべき場所の布が不安そうに揺らいでいた。
「あの人腕なかった?」
違和感を覚えたのは保範だけ。
「え?見てなかったな、へぇ、あの人腕ないんだ……!おい!これ、純金じゃねのか?」
「うそ!?うわ!それっぽい!え⁉これ返さなくていいの⁉」
「何言ってんだ?これは俺のマネークリップだぞ」
「だから独占しようとすんのやめろ!もういいよ」
「どうもありがとうございました〜」
「漫才のオチにして誤魔化そうとすな」
無造作につけられていたマネークリップは、確かに純金らしいとろりとした光沢を放っていた。その光にあっという間に目が眩んだ男達の心の中には、百万円と言う字がウキウキと踊り続けている。
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