第9話 そして皆いなくなる予定

「まぁ〜嫌な人でしたよ。お友達を呼んではギャーギャー騒いで、お酒を飲んでは玄関で潰れて、多分ね、夜のお仕事もされてるみたいで。仕事着以外の服なんて派手だし、見る度別の高そうな鞄持ってるし、羽振だけはいいのに家賃も時々滞納するし、八つ当たりに野良猫蹴ったりして。いくら美人でも、俺は生まれ変わったってあんな人には惚れないよ」



 腰の曲がった大家は相当機嫌が悪かった。まあそれはそうだろう、ただでさえ厄介な住民が、迷惑で孤独な死を遂げたのだ。家宅捜査の後に「身寄りが無くって引き取り手がいないから、全部捨てちゃっていいって」と上司が引き受けた仕事だ。



 特殊清掃員の笹留剣真は「俺もそんな人絶対彼女にしたく無いですね〜。俺猫大好きなんで、相当無理っすね」と適当に相槌を打ってやり過ごした。「いや、適当に相槌を打ったが猫を愛していることだけはマジだから、別に言いたくなかったな」と変な後悔もした。




 大家に挨拶が済んだので、依頼のあった部屋にさっさと向かう。野次馬の一人でも出てくるかと思ったが、このボロマンションは耐震に問題があり取り壊しの必要があると半年前に通達していた為、そもそも依頼のあった部屋の主人以外には誰も住んでいないそうだ。ペット禁止、喫煙禁止、夜間の宴会禁止……掲示板にはそんな言葉が太字で書かれたコピー用紙がデカデカと貼られており、長い月日に色褪せていた。古びた階段や廊下を歩く自分の足音だけが響いて寂しかった。



 ここ三日連続で溶けた死体ばかり相手にしたもので、剣真は閉じた扉の前で両手を合わせて「綺麗に死んでくれてありがとうございますランド開国」と心の中で悪女に適当な礼を言った。いつもはここで念仏を唱えたりするのだが、今日のホトケはこの部屋で死んだ訳では無いので気が緩んでいた。



「お邪魔し麻婆豆腐〜いらっシャイン〜」



 一人で扉を開け、一人で扉を閉じる。もう一人来るはずだった年上の部下がいれば、自分のくだらない挨拶に呆れてちょっぴり笑ってくれただろうに。ヘルニアの再発なら急な休みも仕方ない。そんな事を考えながらふふ、と笑みが溢れたが、すぐに口角は下がってしまう。



 臭いのだ、死臭ではないが。香水を三、四本纏めて部屋の真ん中に小さなプールでも作って遊んだのかと思う程にきつい匂いがする。夜の仕事をしていると聞いていたので「ああ、客の匂いが気持ち悪いタイプなのかな」と思った。実際剣真の友人の夜の仕事についている女性も「タバコ吸う子が多いのってそう言う事だよ、香水きつい子もいるね。みんな他人の痕跡を消して自分を守りたいんだ、鎧だよ」と言っていた。この部屋の主人は随分と刺々しい鎧をお持ちだったようで、鼻が一回転しそうなくらい曲がりそうだ。念のため持ってきていたメントールの入った軟膏を、マスクをずらして鼻の下に塗る。死臭や生ゴミ臭はこれで少しマシになるのだが、香水相手ではイマイチらしい、気休めだった。痛みすら覚えながらマスクを戻す。



 部屋はものに溢れて足の踏み場がないものの、生ゴミやカップラーメンの食べ残しなどは全く無く、比較的綺麗だった。それもそうだ、死後最も面倒な汚れを残す死体は部屋の外にあった。その為警察も「変死に関わりのあるものは大して無い」と判断したのか、この部屋は性悪な主人の分だけぽっかりスペースを空ける以外は殆ど生活の色を残したままだ。



 脱ぎ散らかした派手な服、別の人間が泊まって残していったのだろう大ぶりで派手・控え目で品のいい二種類のサイズ違いのブラジャー、クレジットカードの支払いを催促する封筒はこの部屋の主人の生活を示唆していた。部屋の隅に転がっているくしゃくしゃの、大きな沼のある山の地図には赤い印がいくつもつけられていて「〇〇年採集」と記入されていることから、松茸でも違法に取っていたのではないかと推測された。ベッド脇に化粧品が積まれたらしいテーブルがひっくり返っていて、香水の瓶が幾つも割れていた。これが原因だろう。ガラスを袋に入れながらラベルを見てみると知っている有名高級ブランドのものばかりだった。



 部屋の清掃、分別自体は難しくはない。全部捨てていいと言われているのだ。ただ量が多い。一人では今夜中には無理だろうと事前に大家に連絡しておいてよかった。明日の夜あたりに終わると思うので、現状復帰に不満がないかはその時に見にきてくださいと言っていた自分の判断を褒めた。



 さてどこからどう手をつけたものか、と考えながら部屋を見回すと、部屋の隅に妙な空間がある事に気がついた。



 足の踏み場がない様な部屋なのだが、部屋の隅・一箇所だけがイヤに綺麗だ。壁と床には白い板が貼られ、白い円形のカーペットが敷かれ、その上に細長いライトが転がっている。その近くにはダンボールが山ほど積んであり、中身を見てみれば履かれた形跡の無いスニーカー、遊んだ形跡のない同じ柄のきらきらのカード達、何度か使用しただろう状態のブランドバック等がゴロゴロ出てきた。ひとまわり小さな段ボールを開けてみれば、フリーマーケットアプリの箱やクッション付きの封筒がゴロゴロ出てきた。なるほど、ふんだんな生活資金の経路の一つは転売らしい。ここは撮影スポットの様だ。虚栄心と醜悪な物欲の間に立っている様な気分で胸がモヤモヤとした。



 おそらくそのモヤモヤの一番の理由は、自分が欲しくてたまらなかったが数量限定の為早々に売り切れてしまい泣く泣く諦めた人気イラストレーターとコラボしたクッションが幾つもあった事だ。喉から手が出る思いだったのに、今回の仕事の都合上捨てなければならないだなんて。歯科衛生士をしながら怒りっぽくて気まぐれな飼い猫とその猫の好物をモチーフに活動しているイラストレーターは、剣真が現在預かりのボランティアをしている多頭飼育崩壊の現場から救出された保護猫と同じ種の黒猫を愛ていた。ミヌエットと言う種で、個体差の大きく愛くるしい立ち振る舞いが人気であり、それ故劣悪なブリーダーが手を出すなどしている猫だ。



 ああ口惜しい、虚しい。これはリバーシブルのクッションで、カバーをひっくり返せば絵が変わるのだ。中身もビーズ・蕎麦殻と選べる。触ってみた感じこの中身はビーズだろうか、プラスチックとして分別しなければ。そんな事を頭の中でぐるぐる考えながらカバーを剥がし中身のクッションをハサミで切り開き、内容物を透明なゴミ袋に入れる。




 黄色の軽いビーズと白くて細かいものがころころざらざら袋の中に落ちていった。剣真でなければ、この事実には気付かなかっただろう。ブワッと汗腺が開いて手が震える。



「骨……?」



 そんなばかな事があるものかと疑って、剣真はゴミ袋の中に手を入れ、漁る。猫の骨だ、見間違うはずはない。何度も見送って、何度もツボに収め、何度も動物霊園に運んだ記憶がある。大量の涙と共に刻まれた強烈な記憶だ、思い違いな訳がない。



 猫の骨がゾロゾロ出てきたのだ。これは悪夢ではない、何度瞬きしても変わらない現実だ。一匹や二匹だなんてものではない。数十匹分の骨が、ビーズと同じかそれより少し大きい程度の大きさに砕かれている。触るとジャリジャリとした感触がある。そしてこれは火葬されたものではない。



 骨の凹みには土の汚れが付着している。平らな部分は綺麗に磨かれているが、角や磨き辛い箇所には茶色がある。これは猫が死んだ後土に埋め、掘り起こし、骨を取り出し、砕いたのだ。



 埋めたのなら、動物に掘り起こされ荒らされるか食べられるかして回収出来なかった骨もあるだろう。つまり、ここにある骨以上に猫が死んでいる。



 この部屋の住民はまだ二十代だ。そんな人間が大量の猫の死に自然に立ち会えたとは全く思えない。虐待されていた猫達、平穏に愛されず死んでいった猫達、一体何匹ここにいたのか、何匹苦しんだのか、砕かれた骨からは想定出来ない。明らかな虐待の事実が剣真には受け入れ難かった。怒りに心臓が早鐘を打ち、憎しみに血流が全身を猛烈な勢いで駆け巡り、苦しみが胃袋からせりあがって喉を震わせながら口内に渦巻き、悲しみが涙腺を押し広げて飛び出した。



 剣真は気付かなかった。血が滲んで滴るほど、自分が拳を固く握りしめていることに。



「新作欲しいなぁ」


 女の声がした。


「かわいいね、もっと媚びて、みんながいいねをたくさんくれる様に」



 剣真は振り返る。ワンルームの狭いキッチンのシンクから、赤い水が静かに溢れていた。



「こっちみて、ここでじっとして、みろって、言うこときけよ」



 赤い水溜まりが部屋に侵入してくる。



「ここにあるのは全部私のなんだから、私の思い通りにならなきゃダメなんだよ」



 赤い水溜りには元の顔に似合わない派手な化粧の女が一人写っている。しかし顔立ちがぐるぐるぐるぐる入れ替わって、別人になり続けている。



「ねぇ見てよ、どんな子なら見てくれるの、どんなものならハートをくれるの」



 水溜りの中央がゴボゴボと細かく泡立って、細胞分裂を起こす様に盛り上がっていく。



「そろそろ新しいの探そうかなぁ、もっと珍しい種類の、可哀想な子が良いなぁ」



 それはどんどん人型になる。三メートルほど、天井に頭がつくスレスレまで大きくなって、形が次第に明瞭になる。長すぎる腕に長すぎる足、それにぴったりあつらえたスーツ、首を引き伸ばして広げた様な盃状の異形頭。頭があるべきはずのそこにはたっぷりと赤い液体が注がれている。それがポコ、ポコと沸く度ににゃあにゃあにゃあにゃあ聞こえてくる。猫の鳴き声だ、甘えた角のない丸い柔らかな声が怪物の頭の中で渦巻いている。



 それはゆっくりと体を前に傾けた。するすると両の手を前にスライドさせ、お辞儀をする様な動きを見せる。頭の中がゆっくりと傾けられ、重力に押されて溢れた。弱く骨が柔らかい子猫の声と一緒に、硬い床に向かって。



 剣真は優しい男だった。本当にいいやつだった。猫がドブ川に捨てられ流されていれば、たとえ恋人にプロポーズする日に着てきた一張羅でも迷わず飛び込んで猫を救うことを選ぶ、そんな勇敢で美しい魂の持ち主だった。だから、明らかな異常事態の中でも猫に危険が及ぶと思えば体が反射的に動いた。手を伸ばして赤い水に触れる。何か固いものが手の中に落ちて、ベタつく水は床に溢れる。すっかり溢れ切った後で姿を現したそれは、猫ではない何か小さな生き物の、金の骨だった。



 その金の骨が剣真の手のひらの皮膚に食い込む、お辞儀をしていた異形頭はするりと長い腕を伸ばす。赤く長い指が剣真の首を撫でる様に艶やかに掴んで、ぎゅうっと潰した。血が吹き出して部屋の中に新しく、鮮やかな赤い水溜りを作っていく。







「本日午後八時、至道市にあるフィーユ獅子萩で火災が発生しました。この火災によって、マンションの清掃の為に訪れていた特殊清掃スタッフの笹留剣真さん一名が死亡しました。フィーユ獅子萩は耐震性に問題があり取り壊しの必要があると半年前に住民全員に通達していた為、ほとんどの住民はすでに退去していました。笹留剣真さんが特殊清掃を依頼された部屋は、同じく至道市在住の……」



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