第5.5話 「鶴血の沼/鶴と亀と炭焼き」

江戸時代 一八二〇年 文政三年の地方民話




 八尼山やあまさんには腕利の炭焼きがいた。この山の木は太く、詰まっていて、炭にすれば長く持ち香りも良いとたいそう評判だった。ただ炭焼きは商いがうまくなく、生活は苦しかった。次第に炭焼きは弱り、山を降りて里に行く回数も減っていった。これに目をつけた若い商人がいた。



「おれがオメェの炭を売る手伝いをしてやろう。オメェは山で炭を焼き、おれはそれを運んでオメェの代わりに売ってやろう。ああ手間賃の心配はいらねぇ。なに、特にいいもんをちょこっとばかし都で高く売らせてもらって、そこからおれの手間賃をほんのちょっぴり頂戴するさ。手間賃以上に高く売れたんなら、里にはその分安く卸せラァ。そうすりゃオメェ、体の良くねぇ里のみんなに感謝のひとつもされるだろうよ!



 オメェには今まで通りの金が入ることを約束しよう。そうすればオメェは炭を焼く以外は休める、おれもオメェみたいな腕利きを助けられて鼻が高ぇと来たもんだ。どうだい、コイツァいい話だろう!」と申し出ると、心の清い炭焼きは「商人どんはなんていいお人なんだ、ああもうすっかり任せて、おれは休ませてもらうよ」と金絡みの仕事を商人にすっかり任せ、涙を流して喜んだ。



 こうして商人は質の良い炭を都に高く売りつけ、質の落ちるものは里に安く売り、莫大な資産を苦もなく手に入れた。炭焼きは山にこもり、時々里に降りてきてはわずかな酒や油、着物と米を買って帰る慎ましい生活を送った。里のものは炭焼きが降りてくる度に手を震えさせながら涙を流してこれを拝んだ。炭焼きは嬉しそうにしていたが、山を上り下りする度に息を切らして倒れ込んだりしていた。里のものが痩せこけた炭焼きを助け起こすと、炭焼きは「商人どんが炭を売ってくれるから炭を焼ける時間が増え、寝食を忘れてしまうのだ」と血痰を吐きながら笑って言った。



「炭焼きは生活が苦しいのだろうに商人は私服を肥やすばかりだ」と、里のものは不満を覚えたが、商人が里に炭を安く下ろしてくれる為「炭焼きにもっと金を渡してはどうか」など言おうものなら自分たちの生活が苦しくなるだろうと、何も言えなかった。里のものには体の弱いものが多く、また飯もろくに喉を通らなかったため、うさぎの骨を入れたお湯でたっぷり煮た重粥を飲むように食べていた。



 若い商人は、いつしかでっぷりと肥えた大旦那になった。大旦那はすっぽんが好物で、毎日二匹の生き血を飲み、鍋や天ぷらにして食っていたという。肥えたのはこの為だろう。しかし富を手に入れたはいいものの、大旦那は伏せがちになった。それはもう酷い取り乱しようで、奥方にも、妾にも当たり散らし、じゃらじゃらと蛇みたいに繋がった銭を振り回して奉公人達に薬になりそうなものを集めよと命じ、西から東から北から南へ、うんとうーんと走らせた。



 そうして人の背丈ほどの立派な、骨の太い鶴が北から連れてこられた。鶴は千年亀は万年という、大旦那はこれに縋り亀と鶴の鍋を作ろうとした。するとこの鶴、なんと人の言葉を話すではないか。涙を流して大旦那を蔑むではないか。



「おまえほど強欲なものは見たことがない。おまえの病はおまえの暴食によるものだ、鍋で治るはずもなかろう。生簀以外の世界を知らぬ無垢な亀の血肉をただ無駄にするばかりではなく、わたしのような北のヌシを食おうという。ああ、おまえほどの間抜けはおるまいよ」



 この化け物は北のヌシを名乗って命乞いをしているのだと大旦那は思い込み、問答無用とばかりに鶴の首をはねた。鶴の血は畳の上でこんこんと流れ、即座にぶるりと固まった。大旦那はこれを食べた。するとみるみる力がみなぎったので、やはり鶴と亀の鍋をしようと使用人に言いつけ、これをひとりで平らげた。大旦那はすっかり軽くなった足取りで、鶴の骨を八尼山にある大きな底なし沼に打ち捨てた。自分を見下げた化け物の供養などする気はなかった。



 するとその夜、鶴は大旦那の枕元に、大仏の如き輝きを放つ金色の骨の怪物となって化けて出た。深い怨みの籠もった、ゴボゴボとした声で大旦那の耳元でこう囁く。




「ああ大間抜け殿、おまえのせいでわたしは沼の泥ですっかり穢れてしまった。こうなってしまったからには、おまえと同じように他の生き物を食ってやる。ただしそれはおまえのように醜い延命の為に食らうのではない。おまえのように、ほかのものを害するものを間引く為に食うのだ。おまえたち人の様に増えすぎたものものを、ほかのものものの生活を保つために間引くのだ。


 まずはおまえだ、その次におまえの娘や孫から間引いてやる、腐った性根の血筋は絶えねばならない。人は増えすぎたのだ、これから死ぬぞ、うんと死ぬぞ。おまえのせいだ、大間抜け殿。おまえが私を骨にして沼になぞ沈めるからだ」




 大旦那は恐れ慄き、沼に向かった。骨を引き上げてすっかり燃やして粉にしようとしたのだ。しかし沼は鶴の骨から滲み出た怨みの血で真っ赤に染まっており、大旦那はすっかり肝を潰してしまった。骨を燃やす火を焚くために呼びつけた炭焼きはこれを見て「自分が骨の怪物になってしまった鶴に話をつけよう」と申し出た。

 その夜、大旦那の布団に炭焼きが隠れる。誤魔化しきれない痩せた体に布団を巻いて、息を殺して震えて待った。骨の怪物が枕元に立つ音を聞くと、炭焼きはばっと飛び出して布団を放り投げて床に頭を擦り付け恭しく申し上げた。声を張り上げた為炭焼きの喉は無惨に千切れ、黒い血を吐いた。






「申し上げます、申し上げます。さぞかし名のあるヌシ殿とお見受けいたします。空開けた美しき北の地よりこの様に穢れた山々の沼に沈み、たいそうお恨みかと存じます。しかししかし、我が恩人、大旦那様の命をどうかどうか見逃してください。あれは酷い男になったと聞きます、奥方様にもお妾様にも、奉公人にも情のない主人になったと聞きます。


 ですがどうか聞いて頂きたい。この里の囲炉裏の炭や、都の尊い方の火鉢の中の炭を焼いているのは私なのです。私はかつて一度死にかけました、そうしてそれを助けたのが若い商人だった大旦那様でした。大旦那様は私を救うことで、里の皆や都の尊い方をお助け申し上げているのです。あの人は確かに酷い、強欲で好色で嫌味な間抜けです、息をする塵です芥の如き悪人です。大旦那様がそんな酷い男になったのは、私があの男を若い時分に叱ってやらなかったせいなのです。私の炭が身の丈に合わぬ金を産んだせいなのです。あの男の卑しさや卑劣さ強欲さ、恥の父はこの私なのです。


 これからはあの男の生涯をかけて償わせます。あなたのために社を建て、末代まで崇めます。そして私の首をお受け取りください、全ての罪は大旦那様のせいではなく、炭の金を産んだ私のせいなのです。どうかこの命で御鎮まり下さいませ」





 炭焼きは顔を伏せたまま、自分の脇差で首をばつんと刎た。それは都の尊い方から頂いた、褒美の刀だった。部屋の外でこれを聞いていた大旦那は涙を流し、息を殺して啜り泣いた。








 それから大旦那はすぐに鶴と炭焼きを供養するための神社を犬外山の麓に作った。資産の殆どを奥方様や御妾様、奉公人達、貧しい里の民達に分けてしまった為、神社と鳥居は小さく粗末なものになってしまった。「もし鶴がこれを恨んで枕元に立つのであれば、今度こそ自分の命をお返ししよう」と大旦那は祟りを恐れる大工達に真っ直ぐ向き直って言い、残った資産をすっかり渡して身一つになった。



 神社が完成した夜、粗末な馬小屋に眠る見窄らしい商人の夢枕に立ったのは炭焼きだった。



「私は鶴のヌシ様の御使になった。ヌシ様の恨みは深く、私がどうにか宥めている。ヌシ様曰く、神社に建てた赤い鳥居のせいでぴくりとも動けないそうだ。せめて生まれた国のある北に身を捩りたいらしい。山側の鳥居を半分で良い、白く塗ってくれ。そうすればヌシ様は北を向いて動かず、恨みも幾分治るだろう。


 商人どん、どうか末代までこの神社と鳥居を守ってくれ。それが破られた時、ヌシ様は怒りのままにお山も人里も滅ぼすだろう」と言う。年老いた商人は言われたまま鳥居を半分白く塗った。こうして八尼山の半鳥居が出来上がった。




 その後炭焼きは枕に立たなかったとも、商人は雷に打たれて焼け焦げ死んだとも言う。






 とにかく、鶴血つるぢの沼には誰も近づいちゃあいけないよ。

 親の言い付けを聞かない悪い子なんかは特に、沼に間引かれてしまうからね。




 とーんととんと、昔の話。鼠が鳴き鳴き、ふぅふぅのふぅ!


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