第4話   たかが悪童のあそび

 蘇粉そこ駅と獅子萩ししはぎ駅を結ぶ線路の間には踏切がある。遮断機がついているタイプの、日本全国三万三千のうちの一つだ。踏切警報機のカンカンカンカン……という音、交互に点滅する赤色せん光灯の光の後、ためらいのない速度で電車が走り抜ける場所。踏切事故は長期的に見ると減少傾向にあるらしい。



 この踏切に於いて、この五年で起きた事故は九件。全て死亡事故である。



「多いねぇ。近隣の小学校のPTAの皆さんが踏切撤去の署名活動してるらしいよ、ほらここ!」



 性根が終わっている喜世世はこの情報を探り当てた後生き生きとし始めた。それまで延々と文句を言いながらソフトクリームのタワーを何度も作る片手間でダラダラと手がかりを探していたのに、今はもうキラキラと目を輝かせてPTA会長にコンタクトを図っている。鉄寺はそんな彼の様子を心底軽蔑しながら、彼の感情が昂ることで妻の死の真相に近付けるのならと何も言わずに見守った。



「鉄道会社相手に頑張ってるねぇ。集まってる署名もまだ少ないし、学校関係者じゃない周辺住民が事故があっても交通の便のために存続を希望してんのかも。長期戦になりそうだな。PTAへ撤廃活動の資金援助……まあ寄付という体にしておこう、金をちらつかせれば情報くれると思うぜ。



 署名活動する奴なんてしつこいに決まってるんだから、相手を潰せる情報は大いに越したことはないと思って頑張って集めてんだろ。横からまるっと掻っ攫わせていただきましょ」


「寄付は嘘か?」


「?いいやするけど。恨み買いたくないし、十くらいでいいでしょ。情報料だよこんくらい。……ああ!安心して、あんたの財布からは出さなくていいよ。副業して結婚資金稼ぐくらいだ、金なんてないだろ?腐らせてるやつの懐から出てたほうがいいさ」


「……面白いか?人の結婚資金が葬式の費用に回るの」


「え?……あ!んふふ、いや、へへ。気付かなかったな、ごめんごめん。拗ねないでくれよ。


 ほら!会長に「理念に共感しました、子供達のためにぜひ寄付させて欲しい。安全な通学路を守りましょう!そのために今までの事故のことをできるだけ教えてください」ってメール送ったから、返信来るの待つ間に現場行こうぜ」



 もう何か起きてる、かもね。と、喜世世は自分の上着と荷物を引っ掴むとさっさと精算機に向かって歩き出した。鉄寺はため息を吐きながらその背を追う。










「いやどんな状況?」


 ギラギラ光る太陽の真下、踏切の中で女児がうずくまって泣いているのを見て喜世世は片眉を上げた。足元には真っ赤な水溜りがあり、男達はギョッとしたが、どうやらそれは誰かが投げ捨てた中身の入ったままのパックジュースを子供が踏んで飛び出てしまったものらしい。毒々しくクセのあるパッケージから、最近発売され不味すぎると有名になった七日分のカルシウムと赤パプリカ粉末が入ったトマトジュースのものだとわかった。



 カンカンカン……と踏切警報機が鳴り遮断機が降りる。女児はわんわん泣いていて気付いていない。思わず飛び出したのは鉄寺だった。一七〇センチの中肉中背の男だ、小柄な女児を小脇に抱えて反対側に抜けることは造作もない。



 女児は驚き数秒硬直し、お礼を言うよりも早く自分の頭髪を鷲掴んで大声で叫んだ。


「髪切って!切って!」

「は!?」



 突拍子もないその言葉に面食らい、間抜けな声が出た。背後を電車が通り抜ける。轟々と風を切る音の中、女児は叫び続ける。トマトジュースのついた足を振り上げながら、半狂乱で鉄寺の手を蹴り付ける。



「ハサミ作って!切って!」

「ハサ……!?え!?ちょ、チョキチョキ!」



 奇妙な要求に流されるまま鉄寺は手で鋏を作り、女児の髪を切る真似をした。すると女児は「さようなら!」と叫ぶと暴れるのをやめ、安心したのか泣き方を静かなシクシクというものに変えて口をのっぺりと閉ざした。



 どうしたら良いか悩んでいるうち、電話がかかって来た。女児を抱き抱え直しながら応答すれば、相手は喜世世だった。踏切の向こうにいた筈の派手な彼は早々に身の安全を確保しに動いたらしく、現在この場所にいるのは鉄寺と女児のみだった。保身の速さにため息が出るほど呆れ、いっそ感心した。



「俺がそこいると通報されちゃいそうだからさぁ、その子任せるね。PTAの会長さんが午後からなら会ってくれるっていうからちょっと身支度整えて行ってくるわ。ネカフェのシャワーじゃあ、やっぱり気分悪いし。真面目な場所に行く様な格好してないからさ〜」



 と、ヘラヘラしている。じゃあまた午後にね、と勝手に話を終えようとしている身勝手なこの男にいろいろ文句を言ってやりたかったが、約束を取り付けたのは彼自身であり身勝手な撤退の理由も至極真っ当な物であるので特段反対する理由がどこにもなかった。兎に角現状出来る事と言えば、自分も彼に習って身の安全を守ること、つまり不審者として報道されない為に女児を学校か家に送り届けることだ。自分はこの後も愛する妻の為の捜査をしなくてはならない、こんな所で警察に捕まる訳にはいかない、鉄寺はそう思いながら精一杯の笑顔を作って女児に声をかけた。



「これから学校だよね?電車びっくりしたね、だいじょうぶ?送ろうか?」



 女児は返事をしない。鉄寺の肩に顔を埋めて泣いている。鼻水と涙が布を伝って肌を濡らした不快な感触に鳥肌が立った。仕方なしに女児を抱えたまま、少し離れた場所に置いてある可愛いスカイブルーのランドセルを取りに行く。






 ランドセルのかぶせには、大きく不器用な文字で「いけにえ」と書かれていた。



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