第2話

 外に見えている妖怪行列について大した説明もされないまま、私はおきっつぁんに促されて店の中に入れられた。

「いやいや気になりすぎるし呪われたくもないんやが」と思うも、おきっつぁんの押しの強さには勝てない。


「あら~ソラちゃん! 久しぶり~!」

「ヒメねぇ!」


 そうして中に入ると、入口の引き戸側の机を布巾で拭いていたヒメ姉が、振り返って微笑んだ。

 色素の薄い美しい銀髪に、同じ色の長い睫毛。薄桃色のつむぎは上から着ている割烹着で覆われ、足元は白い足袋と赤い鼻緒の草履だ。

 穏やかな顔つきは年数が経っても変わらず目を惹く美貌で輝いており、紫色に近い瞳を嬉しそうに細めるや、ヒメ姉はぎゅっと私を抱きしめた。

 相変わらず胸が、でかい。


「いくつになったの~? 大きくなって~!」

「いくつって……二十四やし、ここにも関西で一人暮らしに旅立つ前に来た気がするけど」

「あ、あらぁ~……」

「ていうかヒメ姉こそ何歳なん? ちっちゃい頃から変わらん気がする」


 おぼろげな記憶では、たぶんヒメ姉やおきっつぁん達と出会ったのは四歳頃だったはずだ。仮に当時ヒメ姉が十八だったとして、二十年経っても顔変わらんって美魔女にも程があらん? と怪訝な表情を浮かべてしまった私に、ヒメ姉は「もうっ! 女性に年を聞くものじゃありませんよ!」とウインクで誤魔化してきた。


「さようで……」

「おやぁ~? ソラじゃん。今日からだっけぇ」

「あ、ほむやんもいたんや」

「いるよぉ」


 レジ側で仕事をしていたのか、しゃがんでいる状態からひょっこりと顔を出したほむやんが赤茶の目を細めて笑った。

 灰色の肩につかない程の長さのさらさらな髪は内側にほんのり赤いグラデーションがかかっており、ぱっと見派手派手しい印象を受ける。が、ほむやんはそういう性格ではなく、大きく丸い黒ぶち眼鏡を好んで顔の大半を隠し、昔っからパソコンやゲームに首ったけの陰キャ寄りの人間だ。目の下の隈は夜遅くまでゲームしているせいだとおきっつぁんがぶつくさ言っていた、気がする。

 定食屋もえぎの従業員はこの三人だ。キッチン担当のおきっつぁん、ホール担当のヒメ姉。会計周り担当のほむやん。

 ――そしてヤエ婆ちゃんの代わりの、私。


「ヤエ婆ちゃんから聞いたかも知れんけど、しばらくお世話になる大黒 空です。宜しく!」


 一応初日の挨拶は大事だろうということで、しっかりお辞儀と共に自己紹介も兼ねて言った私に、おきっつぁん達は「知ってらぁ」とケラケラ笑って受け入れた。


「しばらくなの~? ずっとじゃなくて?」

「店は潰れたけど、パティシエの道は潰えてないもん。婆ちゃんから話いってない?」

「持ち帰りスイーツつけるって話でしょ? 聞いてるよぉ」


 にへらと笑うほむやんに、「そうそう、それそれ」と私は頷く。


「西日本洋菓子コンテストも全国洋菓子技術コンテスト大会も総なめにした、大黒 空の渾身のお菓子をなんと! ワンコインで食べれる! 売れないわけがない!」

「おめーなぁ……。コンテストに出すようなクソでか菓子細工は店には置けねぇからな?」

「そんなん作るか! 五百円じゃ赤字や!」


「まぁクッキーとかチョコくらいだろうねぇ」と微笑むほむやんに、「そうそう」と同意した。婆ちゃんの指示で、持ち帰りスイーツも同じくワンコインになったのだ。

 これは悩むことになるだろうなぁとは思いつつ、ともあれ、とみんなに向き直る。


「今日は無理やけど、明日からどしどし作ってこうと思うので! そこんとこよろしくぅ!」

「はいはい」

「そんで本題に入りたいんやけど」

「あら、なぁに?」


 不思議そうに目を瞬かせたヒメ姉に、私はびしりと扉を指さす。


「外の妖怪行列、何!?」


 久しぶりの再会も相俟ってごく普通の会話の流れにはなっていたものの、さすがに言及せずにはいられなかった。おきっつぁんは在る事が当たり前のような対応をしていたが、私にとっては衝撃映像である。

 さっきの光景を思い出して身を震わせる私の前で、三人はきょとんと互いに顔を見合わせると、ほっこり、といった様子で笑いあった。




「神様ァ!?」

「だからさっきもそう言っただろ?」


 キッチンでおきっつぁんの仕込み作業の手伝いをしながら話を聞いていた私は、あまりの内容にあんぐりと口を開けてしまった。


 創業五十年を誇るこの定食屋『もえぎ』は、開店当初から神様の通う店として在ったらしい。完全に初耳な話だったが、若かりし頃東京大神宮で巫女として勤めていたヤエ婆ちゃんに、神様から神託が下って店を構えるようになったのが事の始まりだったという。


「日本の大きな方針が決められるのは、この東京だろう?」

「う、うん」


 ここは赤坂だが、ほんの徒歩数分の距離に永田町があり、そこには議員の集まる国会議事堂や、ちょっと北にいけば皇居もある。

 確かに国の大きな方針が決められる場所と言われれば納得がいくので頷いたが、それが神様となんの関係があるのかと不思議そうに首を傾げる私に、おきっつぁんは「日本の神々もまぁ、気にしてるわけよ」と肩を竦めた。


「大きな高速道路の工事が決まるとしよう。山を一部切り崩す時にそこに山の神の社があったら、人々は移設しようとするだろう?」

「ふむふむ」

「その前に神々の間でまぁ、『これこれこういう事情でそちらの土地でご厄介になります』的なやり取りが必要になるわけだ。だが地元で待ってちゃあ、ちょっとうたた寝している内に引っ越しされてたなんてこともあるんでな。そこで神々は、自分の分神をこちらに派遣して様子を伺うようになった、ってことだな」

「それとこの定食屋になんの関係が?」

「飯が食いたいんだと」


「なんて?」と鳩が豆鉄砲を食ったように固まった私に、「だから飯が食いたいんだと」と重ねるようにおきっつぁんが言った。


「これ見てみなよソラ」


 話を聞いていたほむやんに招かれ、私はお客さんの座るカウンター席の裏――つまり、キッチン側の木の壁に注目した。

 そこはよく見ると引き戸になっており、ほむやんが横にスライドするように開けると、一対のさかきの入った榊立さかきたてに真白い瓶子、水玉に皿が二枚八足台はっそくだいの上に並んでいた。

 その側には百均の物と思われる写真立てが在り、天照皇大神宮の御札と氏神の日枝神社の御札が重ねるように置かれて――


「神棚やないかい!」

「お、当たり~」


 あはは、と楽しそうに笑うほむやんの前で、私は全ての引き戸を開けて全部で七つの神棚セットが置かれている事を知る。


「いる!? こんなに! 普通一個やろ!」

「ちなみにこっちのテーブルにもあるのよぉ」


 四人席のテーブル側に居たヒメ姉が、テーブルの真ん中にある穴に指を差し入れ、小さな天板を引き上げる。焼肉屋でよくある七輪入れのそれかと思っていた場所には、同じ様に神棚セットが四つ置かれていた。


「な、な、な……!」

「カウンター席はちゃんと神様ごとの御札を飾れるんだけど、四人席は仕方ないから伝票入れの所に差し入れる形で許して頂いてるのぉ」

「待って、話が、見えへん」

「だから神々が飯を食いに来てるんだって」


 おきっつぁんの話によると、東京に様子を見に来ていた分神達は、人の弁当やあらゆる地域から集まる食文化にいたく興味を持ったという。

 とはいえ神に捧げられるのは古今東西、酒、塩、米で、「いい加減飽きるわぁ!」と嘆いた神達は、「神も、あったかい美味しいもの、食べたい」とヤエ婆ちゃんに神託を下した。


「で、婆ちゃんは定食屋を開いて、神棚を席ごとにおいて、日本中の神々からそれぞれの御札を預かったんだよ」

「神棚の前に人は座ることになるでしょう? そこに座った人が頂きますって手を合わせたらほらぁ、供物くもつになるじゃない」

「で、俺達は都度御札を置いて、飯から立ち上る気を食せるように手を貸してる。つまり、人と神が同時に食事を楽しめるようにしている、ってわけだな」

「……神様だからって、人の頭の上で飯食うなよ!」

「なんでぇ、神棚だっていつも頭上にあるだろうが」


「罰当たりな」とじと目を向けるおきっつぁんに、カウンターの裏に「空」の紙を張った所で、「神棚の上には空しかありません」と称しつつ皿を堂々と置いてるのはどうなんじゃい! と内心突っ込んだ。


「じゃあ外の妖怪……じゃなかった。神様達は開店を待ってるわけだ」

「そういうこった。あと、手ごろな人間に『今日食いたい飯』の神託を下している」

「は?」

「この前なんて、丸島さん、『竜田揚げ定食食いたいと思って来てるのに、席に座るといっつもきつねうどん定食頼んじゃうんだよなぁ』って言いながら五日連続食べてたものねぇ」

「ちょっと調整してあげて欲しいよねぇ」


 ほんわか、という風に和んでみせた三人の前で、私は呆然と目を丸くし、やがて渾身の大声で叫んだ。



「人の好きなもんを!! 食わせてやれやぁ!!」

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