神様の台所

佐藤 亘

第1話

 時は西暦二〇二三年一月。満を持してオープンした私のケーキ屋が、潰れた。


 正月早々、アンラッキーな話だった。諸手続きも終えた上でのことだったから勿論覚悟は出来ていたが、重機で看板が下ろされていくしょっぱい光景はさすがに堪えた。

 鼻を啜りながら涙を堪えていた時、そういった事情で正月に実家に帰れなかった私のスマホに、祖母から電話がかかってきた。

 新年の挨拶と近況報告。加えて「ソラちゃんも元気にしてるかい?」という祖母の優しい声に私は号泣。スイーツ店の激戦区である兵庫県は神戸市での駅チカバトルに負けた悔しさも相俟って、電話越しで祖母に今のありったけの悔しさやらやるせなさやらを涙声でぐちぐちと語った。

 しばらく「そうかいそうかい」と聞いてくれていた祖母だったが、私が落ち着いた頃合いをみて「実はばあちゃん、腰を悪くしてねぇ」と告白した。


「え! 大丈夫なん!?」

「急に動かなかったら大丈夫よぉ。でも、お医者さんから『もう仕事はやめておきなさい』ってストップかけられちゃって、定食屋に出れそうになくって」

「あぁ……」


 そういえば、と祖母の店に思いを馳せた。

 東京は赤坂に店を構える祖母の定食屋は、超絶土地代が高いとされる港区に在る。

 赤坂見附駅にほど近く、周囲にはオフィスに勤めるサラリーマン向けの飲み屋や定食屋がずらりと並ぶ。中でも祖母の店は開業してからこの方、ずっと五百円で食べれるワンコインランチに拘っており、今でもそれを貫いていた。

 一年も持たずに店を畳んだ私と違い、祖母の定食屋は創業五十年を迎えている。とんでもない大先輩だ。もっと経営について聞いておくべきだったと再び思い出し泣きしそうなところを堪えつつ、「バイトとか雇ったん?」と尋ねた。


「それが何人かお願いしてみたんだけど、なかなかおきっちゃん達と馬が合わなくてねぇ」

「あー、気難しいもんねおきっつぁん」


 おきっつぁんは、定食屋でキッチンを任されている黒髪短髪の目つきの悪い料理長である。

 幼い頃からおきっつぁんと呼んできたせいで、私は彼の名前を知らない。


「そこで相談なんだけど、ソラちゃん」

「うん?」

「こっち戻って来て、定食屋を手伝ってくれない?」




「断れるわけがねーんだわ」


 同年三月。

 実家へ出戻るという悔しさ滲みまくりの引っ越し経験を経て、私は赤坂の地に立っていた。

 東京で店を構える事を考えなかったわけではない。だが、祖母の店はなんといっても名が知れており、東京で店を構えたら間違いなくそこの店の常連達が「何~? ヤエ婆ちゃんのお孫さんの店~? 行く行く~!」と言って来るのが予見された。

 それがなんというか――傲慢といえばそれまでなのだが――私は嫌だったのだ。

 やるなら腕一本、口コミで広げていきたい。東京と同様にスイーツの激戦区である神戸で挑み、舌の肥えた神戸市民達を唸らせるスイーツを作りたい。その上で名を馳せて東京に出店する、という流れに私は持ち込みたかったのだ。――ま、夢破れたけど。

 久々に訪れた祖母の定食屋『もえぎ』の木の看板は、少し古めかしくなっているけど変わらない優しい雰囲気を醸し出していた。

 飲み屋の入ったビルの一階、奥に向かって長いそこは木目調が目立つ素朴な店構えで、表に出ている看板には『鯖の味噌煮定食』『竜田揚げ定食』『豚の生姜焼き定食』と、ザ・定食屋の定食! なメニューが並んでいる。なおビールや酒は置いてない。そこも祖母の拘りらしい。

 祖母には、ここに持ち帰りスイーツをつけて貰えるように頼んだ。店は潰れたが、だからといって私のパティシエの道が潰えたわけではない。客層はおっちゃん達だらけかもしれないけれど、「三時のおやつ用に買ってくおっちゃんもおるやろ!」と説得して勝ち取ったチャンスだった。

 外から店を眺めながら、持ち帰りスイーツの個数を思案する。記憶に間違いがなければ、カウンター席が七つに四人掛けのボックス席が三つだったはずだ。……え、待てよ?

 十九人の客で五百円ランチで回して酒も出さず、店の営業時間が十一時から十五時までの四時間って……


「よう回ってんな経営」

「おー、久しぶりだなソラ」

「あ、おきっつぁん」


 店の前で経営について茫然としていたら、箒と塵取りを持ったおきっつぁんが外に出てきた。三白眼の怖い目つきに、額には目深に白いタオルが巻かれており、濃い青の作務衣の下は黒い鼻緒の下駄だ。

「昔と変わんねー」とケラケラ笑う私に、「そういうソラは変な方言ついたなー」と苦笑いされた。


「神戸弁やで。お客さんに親しみ持ってもらおおもて身につけたんよ」

「ふーん。それで出戻りか」

「言うなや!」


 キッ! と睨みつける私に、怖い目つきを細めておきっつぁんが笑う。


「ま、入れよ。仕事の説明するからよ」

「うん。ところでおきっつぁん」

「あん?」

「『もえぎ』って、なんか呪われてんの?」


 半笑いになりながら、私は空を指さした。

 変な事を言っている自覚はある。でも、でも!


 ――開店前の店に並ぶように、空に向かって変な和服の妖怪達が列を作ってるんだもん!


 身体を震わせながら問う私の指先を目で追い、おきっつぁんは「あ~……」と気の抜けた声を漏らしてニカッと笑った。


「やーっぱ、ソラで正解だったな婆ちゃん」

「は?」

「見えてるんだろ? 神々がよ」

「へ?」


 何? 神々って何? まったくもって意味が分からんが? と混乱する私をよそに、おきっつぁんが店の扉を大きく開く。


「定食屋『もえぎ』――改め、『神様の台所』へようこそ」



大黒だいこく そら、待ってたぜ?」

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