最終話『おめでとう』

 朝。目が覚めて。

 隣に目を向ければ、いつもと変わらない寝顔を見せる鈴がいる。しかし、鈴に向ける気持ちは大きく変わっていた。

 兄妹だった今までとは違い、俺と鈴は恋人同士になった。それで何かが急に大きく変わることはないだろう。ただ、好きな人に好きだと言えること。それはとても大きなことのように思えた。

 枕元にある時計を見ると、デジタル表示の文字盤は午前9時を示していた。

 普段ならもう起きてもいい時間だが、休みだし少しぐらい長く寝てもいいだろう。昨日は寝るのが少し遅かったし、何より、もう少し鈴の温もりを感じていたかった。


 それから10分ほど経っただろうか。鈴の頭を撫でながらウトウトしていると。


「……んぅ。……にい、さま?」


「おはよう」


 目を覚ました鈴はまだどこか寝惚けたままの顔で、俺の顔を触ってきた。


「……どうした?」


「キス、しても、いい?」


「ど、どうぞ」


 何で? という疑問は過るが拒否する理由もないので承諾する。


 唇が触れ合うだけの軽いキス。

 おお、何だか恋人っぽいんじゃないだろうか。経験がないから知らないけど。


「夢、じゃ、ないよね?」


「昨日のこと? あれが夢だったらちょっと困るな」


「良かった……」


 そう言って再び鈴に求められるままキスをして、俺たちはベッドから起き上がった。



◇◇◇◇◇



「クリスマス、プレゼント?」


「そう。結局渡せてないからさ」


「私は、兄様だけで、十分」


 プレゼントが俺で喜んでくれるのは嬉しいし、俺も鈴がプレゼントは自分、なんて言ってきたら色々と我慢できる自信はないが、それはそれとして。

 俺は鈴からクリスマスプレゼントを貰っているのに、俺だけあげないというのもモヤモヤしたものが残る。形が残るものとして何かをプレゼントしたい。


「それで、珍しく俺からプレゼントしたいものがあるんだ。もちろん鈴の欲しいものがあればそれもプレゼントするんだけど」


「プレゼント、したいもの?」


「まあ、まだ買ってないからこれから買いに行くことにはなるんだけど……」


 少し緊張するが、もう俺と鈴は恋人同士。このプレゼントはその付属品みたいなものだ。


「指輪を、買いに行かないか? 結婚は……まだ先だから、その約束ってことで、お揃いの婚約指輪を……さ」


「…………」


 あれ……もしかして俺だけ先走り過ぎただろうか。


「いやまあもちろん、鈴が要らないって言うなら全然――」


「いつ買いに行く?」


「え」


「いつ買いに行く?」


「まあ、今日色々見てみていいのがあったら買おうかと――」


「すぐ行こ」


 普段の鈴からは想像できない俊敏さで立ち上がった鈴は、


「準備してくる」


 駆け足で自分の部屋へと向かって行った。

 どうやら喜んでくれたらしい。


「指輪かぁ……いいねいいねそういうの。あたしはこういうのが見たかったのよ」


 ダイニングでコーヒーを飲みながら俺たちの様子を見ていた母さんが呟く。


「一応人生の先輩として聞いておくんだけど、どんな指輪が良いとかある?」


「気に入ったものでいいんじゃない? でも、シンプルなデザインにしておいた方が普段から着けられていいかもね」


「なるほど……」


「予算が足りなそうなら言いなさい。出してあげるから」


「いや、気持ちは嬉しいけど、こういうのは自分のお金で買いたいんだ」


「そう。すっかり大人になっちゃって」


「まあ、何かあったら連絡するよ」


 そんな会話をしていると、鈴が駆け足で階段を降りてきた。


「お待たせ」


「随分早かったな」


「時間は有限、だから」


「気を付けていってらっしゃい」


「ん、行ってきます」


「行ってきます」



 ◇◇◇◇◇



「へぇ……そうか。クリスマス会の後にね。何はともあれおめでとう。こっちも背中を押した甲斐があったってもんだ。

 ――ああ、それじゃあまた初詣の時に。じゃあな」


 クリスマス会の翌日。カレンダーの上では今日がクリスマス当日のはずだが、どうしてもクリスマスというと24日の夜から25日にかけての間という感覚がしてしまう。

 何はともあれ、そんなクリスマス当日に律と鈴ちゃんは恋人同士になったらしい。あの二人の関係性を前から知ってる俺からすれば、随分と時間のかかった遠回りな道のりだった気がするが、結果良ければなんとやらだ。


 律とはもう、生まれた時からの付き合いと言っていい。

 真面目で誠実で、月並みな言葉になってしまうが、良い奴だ。

 だというのに神様ってやつは残酷で、律の人生は波乱に満ち溢れていた。

 小学校に上がる前に父親を亡くし、親が再婚したかと思えば、再び義理の父親を亡くす。そしてその出来事がきっかけで義理の妹は精神的な病を患い、律は寝る時間も削って面倒を見なければならなくなった。

 数年前まで赤の他人で、今では家族とは言っても血の繋がっていない妹。そんな相手を自分の時間を全て使って支えられる奴なんて、どれだけいるのだろうか。

 当時の律がその状況をどう思っていたかは分からないが、俺から見た律はどう考えても無理をしていた。

 いつだって目の下にはくまが出来ていたし、中学に入ったばかりの頃は学年トップと言っても過言ではなかった律の成績は、鈴ちゃんが体調を崩してからはみるみる落ちていき、赤点はギリギリで回避している、程度の学力にまでなっていた。

 ただ、そんな状態でも律は休むことなく学校には登校していた。真面目というかなんというか。

 正直あの頃は、鈴ちゃんよりも律のほうが心配になるほどだった。もちろん俺は、当時の鈴ちゃんの状態を詳しくは知らないし、実際に面倒を見ていた律からすれば、自分よりも遥かに優先すべき状況だったのかもしれない。それでも、あれだけ自分のことを捨てて行動するのは、きっと俺には出来ない。

 もしかしたら、彩が似たような状態になれば、俺も同じ選択をするのかもしれないが。こればっかりは、その時になってみないと分からないし、出来ればそんな時は来てほしくない。

 なんにせよ、生まれた時から知っている実の兄妹ならまだしも、知り合って数年の相手に出来ることではないと思う。きっとあの頃にはもう、律は鈴ちゃんのことが好きだったのではないだろうか。本人がそれを自覚するのは、随分と後になってしまった訳だが。

 しかしまあ、それも今回のことでだいぶ報われたと言っていいだろう。律だけでなく鈴ちゃんも大変な思いをしてきた。気持ちを確かめ合ったのがクリスマス当日というのは中々に出来過ぎている気もするが、クリスマスだし奇跡の一つや二つ起きても構わないはずだ。


「あーあ、俺も彼女が欲しいなぁ」


 生憎と俺の恋は実らせてはいけない類のものだった訳で、どうにかしようにもどうにもならない。クリスマスの奇跡でもちょっと力不足感が否めないものだ。

 ……なんだか悲しくなってきたな。

 こんな時は甘いものでも食べて気を紛らせよう。確かクリスマス会用に買ったお菓子がまだ残っていたはずだ。


 そう考えて自室を出ると、丁度廊下には、今リビングから出てきたであろう彩の姿があった。

 手にはスマホが握られている。おそらくは俺が律から電話を貰ったように、彩も鈴ちゃんから電話で報告を受けたのだろう。

 しかし、それにしては表情が暗い。よく見ると、目元は泣き腫らしたように赤くなっていた。


「あ……お兄ちゃん……」


「どうした? 何かあったか?」


「…………」


 少しの間何も答えなかった彩は、手で乱暴に目元を拭うと、


「……何でもない」


 そう言って俺の横を抜けていった。


 普段であれば、それで終わりの話だ。

 俺はいつだって彩の味方のつもりだが、何でもかんでも兄に頼ってくる時期はとうに過ぎている。本人が何でもないというのであれば、その時はそっとしておいてやるのが良いと考えている。

 ただ、何故だか今日はそう出来なかった。無意識の行動。その先のことなど何も考えていない、行き当たりばったりなもの。

 俺の隣を通り過ぎようとした彩の腕を、俺は引き留めるように掴んでいた。

 もしかしたらこれが、クリスマスの奇跡とやらなのかもしれない。しかし奇跡であっても、俺達兄妹の問題を解決するには力不足。

 だからここから先は、俺の努力次第だ。


「なに……?」


「……この前の、告白の返事。取り消させてくれないか」



 ◇◇◇◇◇



 元旦。まだ年が明けて数十分といったところ。俺と鈴は家から比較的近場にある神社へ初詣に来ていた。いや、より正確には、もう二人一緒に来ている人が居るのだが――。


「いやーお待たせ。結構トイレ混んでたわ。こんなとこでも初詣ってなると結構人来るんだな。って、あれ? 彩と鈴ちゃんは?」


「向こうで甘酒配ってるらしくて貰いに行ったよ」


「律は行かねえの?」


「俺まで行ったら誰がお前のこと待つんだよ」


「優しいねぇ、惚れちゃいそうだわ。それにしても甘酒か……俺も飲みたいなぁ……」


「そっか、車で来てるから飲めないのか。悪いな、こっちの都合に合わせてもらって」


「仕方ないって。こんな時間じゃ電車もバスもないし、鈴ちゃんに無理させて車に乗ってもらう訳にもいかないしな」


「悪いな。それで、最近どうなんだよ。彩ちゃんと二人暮らししてるんだろ?」


「まあぼちぼちってところかな。今はまだ彩の通学に便利だからって言い訳が出来るけど、彩が大学卒業したらまた別の言い訳考えなきゃならないし、今からもう憂鬱だわ」


「いっそのこと話してみたらどうだ? 案外受け入れてもらえるかもしれないぞ?」


「いやいやキツイって。律が思ってる以上に血の繋がりってやっぱりデカいんだよ。受け入れてもらえる可能性は限りなくゼロに近いし、駄目だった場合のリスクが大きすぎてな……」


「なるほどな……。まぁ、なんかあったら相談には乗るからさ」


「ありがとな。正直こんなこと相談できる相手とかいなくてさ……。彩のことも色々と気にかけてもらえると助かる」


「その辺は鈴がちょくちょく話聞いてるみたいだから安心してくれ」


「ホント助かるわ。そういえば、律たちは結婚式どうすんの? もう婚姻届けは出したんだろ?」


「まぁ、いつかは挙げたいと思ってるけど……とりあえずは鈴が大学卒業してからかな。まだ色々と忙しそうだし」


「大学って1年目が一番キツイまであるからな……。まぁ、もし予定が立ったら教えてくれ。絶対行くから」


「ありがとう。結婚式って言えば、そっちはどうすんの?」


「挙げられる訳ないだろ? 実の兄妹で。でもまぁ……ウエディングドレスとか白無垢とかさ、どうにかして着る機会は作ってあげたいんだよなぁ……」


「大々的にってのは無理でもさ、俺たちの間だけでやる小規模な結婚式みたいなのは出来るんじゃないか?」


「あー……ありだなそれ。今度彩に話してみるわ」


 こうして面と向かって話すのはほぼ1年ぶりで、近況報告だけで夜明けまで話が出来そうな勢いだが、今日の目的はそれじゃない。


「にしても二人とも結構遅くね? 甘酒そんな並んでんの?」


「そろそろ帰ってくるとは思うけど……あっ、ほら」


 普段着の俺達とは対照的に、着物に身を包んだ鈴と彩ちゃんが両手に甘酒を持って帰ってきた。


「お待たせ~、結構並んでて時間掛かっちゃった」


「はい、これ、兄様の」


「ありがとう」


「はい、お兄ちゃんの分」


「いや、俺車運転しなきゃだから飲めないんだって」


「そんなこと知ってるって。だからノンアルコールのやつ貰ってきたの。4つともそうだから間違いないよ」


「おぉ……結構俺今感動してるかも……」


「それじゃ、ようやく全員揃ったことだし、お参りに行きますか」


「あ……」


「鈴、どうした?」


「忘れてた」


「何が?」


「新年の、挨拶」


「あぁ……そういえば」


「そんじゃまぁ、改めてってことで――」



「「「「明けまして、おめでとう」」」」

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音無家の添い寝事情 塩砂糖 @shiozatou

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