第16話『体調不良』

 自分の眠りが深いのか浅いのかを考えたことはないが、基本的に夜中に目が覚めたりすることはないし、余程疲れているときを除いて寝過ごすこともほとんどない。

 だから大抵の場合、普段と違う時間に目が覚める時というのは、自分以外の何かに原因があることが多い。原因と言っても、そのほとんどは気にする必要もないような些細なことなのだが、今日に限ってはそうではなかった。


「…………う、ん……?」


 不意に目が覚めて、枕元の時計を確認する。時刻は朝5時過ぎ。普段より1時間程早く目が覚めたらしい。


「つか、あっつ……」


 12月に入り、気温はどんどん低下していくばかりで、普段は目を覚まして寒いと思うことはあっても、暑すぎると感じることはまずない。

 まだ寝ぼけた頭でそこまで思い至った時には、考えるより先に体が動いていた。

 確認するのは、隣で眠る鈴の体温。寝起きで手が少し冷えているが、今はそんなことを気遣っている場面ではなかった。

 鈴の首に触れると、温度は普段よりも遥かに高かった。呼吸も心なしか荒く、吐息の温度もかざした手で分かるほどに熱かった。


「昨日から少し、体調悪そうだったしな……」


 学校にも普通に行っていたし、家事も問題なくこなしてはいたが、普段より短い間隔で休憩を挟んだり、寝る時間がいつもより早いなど、兆候のようなものはあった。

 あまり鈴は自分から体調不良を申告したりしないため、気を配っているつもりではあったのだが。


 鈴は別に、病弱という訳ではない。ただ、体が強いとも言えない。季節の変わり目などで気温が急激に変化したりすれば体調を崩すし、流行り病にかかってしまうことも少なくない。

 インフルエンザのワクチンは接種しているので、インフルエンザではないとは思うが、もし悪化するようなら、少し無理をさせてしまうが病院に連れていくしかないだろう。


 そんな鈴に対して俺は、40歳にもなってやけに若々しいどこかの誰かに似たのか、少し心配になるぐらい体は強い。熱を出すほどの体調不良など、片手で数える程度しか経験がない。そんな訳で鈴が体調を崩した際の看病担当は基本的に俺だ。


 この時間ではまだ母さんは起きていないだろうし――鈴の状態を伝えに行けばすぐにでも起きるだろうが――今はとりあえず、鈴が目を覚ますのを待つことにした。



 ◇◇◇◇◇



 体調が悪いときに目覚まし時計の喧しい音で起こされるのも辛いだろうと、普段目覚ましが鳴る時間になったら俺が起こそうと思ったのだが、鈴は普段よりも少し早く目を覚ました。


「んぅ……。あ、つい……」


「おはよう、鈴。体調、大丈夫か?」


「たいちょう……? あつい、かも。あと……すこし、きもちわるい」


「とりあえず、熱測ろうか。横になってな」


「でも……ごはん……」


「今日はダメだ。体調直すのが先」


 こんな状態でも家事をしようとする鈴を半ば無理矢理寝かせて、体温計を取りに行く。薬類が纏めて入っている引き出しから体温計と、恐らく必要になるであろう風邪薬も出しておく。


「飲み物も持っていくか」


 冷蔵庫の中からスポーツドリンクを取り出し、コップも一緒に持っていくことにする。

 部屋に戻ろうとすると、丁度母さんが目を覚まして降りてきた。


「おはよ~りつ。ん? 何してんの?」


「鈴が熱出したみたいでさ。体温計と飲み物取りに来たところ」


「えっ、鈴、大丈夫そう?」


「少なくとも止めなきゃ家事をしようとするぐらいには動けるみたいだけど」


「放っておくと鈴はすぐ無理するからね……。律、今日大学は?」


「あるけど、休むよ。鈴を一人にはしておけないし」


「大丈夫なの?」


「単位はもう足りてるし、一回休んだぐらいじゃ何ともならないよ」


「そ、ならいいけど。高校にはあたしから連絡しておくから」


「分かった」


 部屋に戻ると、鈴はベッドから出てこそいないが、体を起き上がらせていた。


「寝てろって言ったのに」


「すこし……あつくて」


「……まあ、無理して起きてる訳じゃないならいいけど」


 鈴に体温計を渡して体温を測らせる。


「スポーツドリンクで良かったか?」


「ん、だいじょうぶ」


 コップに注いだスポーツドリンクを鈴に渡す。注いだ分の半分ほどを飲み干すと一息ついた。

 ピピピッと体温計が体温を測り終えたことを告げる。鈴から受け取った体温計には『38.1℃』と表示されていた。想像よりは低かったが、十分に発熱していると言える体温だ。


「やっぱり熱あるな。今日は休んでな。俺も家にいるから」


「え……にいさま、がっこう、は?」


「大学生ってのは割と自由なものなんだよ。鈴も大学生になったら分かる」


 まぁ、自由になることが良いことばかりかと言えばそうでもないが、少なくともこういった場合には便利ではある。


「さて、薬を飲むにしても何か食べたほうがいいよな。食欲あるか?」


「すこし、なら」


「果物かお粥か……それとも何か食べたいものとかある?」


「なら……くだもの、で」


「分かった。ちょっと待っててな」


 部屋を出て階段を下りながら、一応自分の体温も測っておく。


「――36.5℃か。少しは体の丈夫さを鈴にも分けてやれたら良いんだけど……」


 どうにもならないことを考えながら、俺は冷蔵庫を開けた。

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