第8話『一人きりの自室』
自分の部屋に戻った私は、特に意味もなくベッドに倒れ込む。
枕元にあるはずのエアコンのリモコンを手探りで見つけ、大して狙いも付けずに赤外線を飛ばす。反射して届いたのか、たまたま狙いが良かったのかは分からないけど、エアコンは電子音を返してくれた。
寝る前には消さなきゃ。
タイマーを仕掛けるのは、少し面倒で諦めた。別に、エアコンをつけたまま寝ても怒られはしない。起きてから乾燥して痛くなった喉の違和感を感じながら後悔するだけだ。
そういえば、まだ歯も磨いてない。
普段なら直ぐにでも歯を磨いて、明日のために出来るだけ早く寝るのだけど、明日が休みということもあって、まだ寝る気にはなれなかった。
枕に顔を押し付ける。
柔軟剤の匂いがする。それともこれは、私の匂いなんだろうか。
自分の匂いはよく分からない。
兄様の部屋もお母さんの部屋も、入れば直ぐにそれぞれの部屋特有の匂いがする。兄様の匂いもお母さんの匂いも私は大好きだ。
自分の部屋よりも余程、安心できる。
顔を横に向けて、目だけで部屋を見回す。
私は、お父さんの再婚がきっかけでこの家に引っ越してきた。
だからこの部屋は、2つ目の自分の部屋になる。
引っ越してきたばかりの頃は、この部屋だけが唯一安心できる空間だった。
自分の物があって、自分だけしか入らない部屋。
環境が何もかも変わってしまった私にとっては、自分の部屋は心の支えのようなものだった。
けど、今では。
お父さんがいなくなってからしばらく、私は自分の部屋に入れなくなった。
思い出深い物が、部屋に残された記憶が、新しい家でも変わらずにあった全てのものが、否応無くお父さんと結び付き、そして、事故の瞬間を思い出させるから。
振り返ってみれば、兄様と一緒に寝るようになったのはこの頃からだ。
1人にしておけばどこかへ行ってしまうような不安定な精神状態でありながら、まるで世界で一番不幸なのは自分だと言わんばかりに他人と距離を取りたがり、そのくせ放っておかれればその場にしゃがみ込んで泣き出すのだから、本当にあの頃の私は面倒な子供だった。
そんな面倒な血の繋がっていない妹を、兄様はずっと支えてくれた。
私に時間のほとんどを割いてくれた。
友達と遊ぶ時間も、勉強の時間も、趣味に使う時間も、睡眠時間さえも、全てを削って私を支え続けてくれた。
だから次は、私の番。
兄様のためなら何でもするし、兄様の役に立てるように勉強も運動も頑張ってる。
だから、今は。
兄様のために、私は何もしない方が、いいんだ。
◇◇◇◇◇
一般的に、人間が集中出来る時間は90分が限界だと言われている。
勉強であれ、ゲームであれ、読書であれ、何かを続けるというのにも限度がある。
俺の場合は勉強でもゲームでも、1時間を一区切りとして10分程度の休憩を挟むことが多い。
休憩と一口に言っても、その内容は人によって様々だ。
仮眠を取る人、音楽を聴く人、ゲームをする人、SNSを見る人。
スマホを使った休憩は脳が休まらないとの理由で意味がないと言われることもあるが、集中して疲れるのは肉体だけではない。
精神的な休憩という意味で、ゲームをしたりSNSを見たりするのは、別に間違ってはいないだろう。
俺が行う休憩にも色々と種類はあるが、その中でも比較的良く使う休憩方法は、誰かと会話をすることだった。
ゲームや読書などの休憩は10分で済まないことがほとんどだし、仮眠なんかしたら起きるのが億劫になるのは目に見えている。
道具を使わず、それでいて仮眠などではない休憩方法。それが人と会話をすることだった。
しかし、その休憩も夜では中々使えない。
母さんは家族の中では就寝時間が早い方だし、鈴にも夜1人になりたい時間ぐらいあるだろう。
そんなわけで、夜間に話し相手が欲しくなった時は、唐突に一樹なんかに電話を掛けたりもするのだが。
今夜は、珍しく鈴が添い寝以外の理由で部屋に来たので、せっかくなら休憩時の話し相手になってもらおうと、少し気合いを入れて課題を終わらせていたのだが、一区切りつく前に鈴は部屋に戻ってしまった。
鈴としては、俺に気を使ったのかもしれない。
しかしまあ、自分が良かれと思ってしたことが、相手にとっては迷惑だった、なんて事は珍しいことじゃない。
もちろん、鈴が部屋に戻ったことは迷惑ではないが、少し残念だったのは事実だった。
「今日で5日目か」
添い寝をしなくなって5日目。これはかなり珍しいことだった。
2日や3日添い寝をしないことは別に珍しくもない。しかし、添い寝を始めてから今までに、一週間以上空白の期間が空いたことはなかった。
実のところ、今までにも添い寝をやめようとしたことはあった。
しかし、そう決めてから一週間もしないうちに、鈴が俺のベッドに潜り込んでくるようになり、結局有耶無耶になってしまう。
そんなことが何度も続けば、自発的に添い寝をやめようとすることが無駄であることにも気付く。
自然にいつかなくなるだろうとは思っていたが……。
「案外……唐突なものだな」
大切なことは失ってから気付く。
添い寝をやめようと言っていた俺は、結局のところ、鈴が我慢できずにまた添い寝を頼んでくるだろうと思っていたから、建前のようにそう言っていただけではないのか。
添い寝することがやめられなくなっているのは、俺の方ではないのか。
そもそもの話、俺が強く拒絶すれば、きっと鈴は添い寝をやめる。
そうしなかったということは、答えはもう出ているようなものだ。
「……今日はもう、寝るか」
5日目になった一人きりの就寝。
ベッドの中は、冷たかった。
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