第6話『我慢、しなくちゃ』
11月に入り、最低気温が10度を下回ることも増えてきたある日のこと。
「すず〜」
二階の自室で学校の宿題を終わらせて、ココアでも飲んで休憩しようと思っていた時、私はお母さんに声を掛けられた。
お母さんといっても、本当のお母さんじゃない。二人目のお義母さん。
まあ、血が繋がっているとか繋がっていないとか、義理だとか義理じゃないとか、そんな感覚はだいぶ昔に無くしてしまったのだけど。
私にとっては、血の繋がっていないお義母さんも、血の繋がっているお母さんも、どちらも等しく『おかあさん』だ。
「なに……?」
お母さんは、ソファーの上で横になりながらテレビを見ていた。
私はお母さんに返事をしながらキッチンへ向かい、棚からココアの粉が入った袋を取り出す。
今日はお湯とミルク、どっちで飲もうかな……。
「最近さ、寒くなってきたよねー」
「ん、そうだね」
キッチンのカウンター越しに会話する。
うん、今日はホットミルクでココアを作ることにしよう。
「だからさー? そろそろ電気ストーブだけでも出そうかなぁって思うんだけど」
「いいと、思う。エアコンだと、乾燥、するし」
牛乳を自分のマグカップに入れて、電子レンジで温める。最近の電子レンジは、温めるものによっては自動で温め時間を設定してくれたりする。前に、自分で設定して牛乳を沸騰させたことがあるから、この機能にはすごく助けられてる。
電子レンジの設定を牛乳にして、温めスタート。1:45というデジタル表示の数字が点灯する。
この間にスプーンを用意しておこうかな。
ふと、お母さんの声が聞こえてこなくなったことを思い出し、リビングに目を向けると、お母さんはこちらをジッと見つめていた。
「……なに?」
「すず、悪いんだけど……押入れから電気ストーブ出してくれない?」
「…………」
お母さんはいつだってそうだ。
家ではゴロゴロしてばかりでほとんど何もしようとしない。
兄様と私が普通に学校へ行けて、何の不自由もなく生活出来ているから、仕事はきちんとしてるんだろうけど……。
こうしただらけた姿は、私たち家族以外の前では絶対に見せないので、そういう意味では、個人的に嬉しくもある。
「……わかった。でも、ココア飲んでからで、いい?」
「ありがと〜! 飲んだ後で全然いいから!」
いつものことだから、もうため息も出ない。
でも、こういう時にお母さんは、決して無理難題は言ってこない。
誰でも出来るけど少し面倒で、今すぐでなければいけないわけではないけど、後回しにするほどのことでもない。そんな些細なこと。
そして何よりお母さんは、どんなことでも感謝を忘れない。
こうした些細なお願いの時も、もはや私が作るのが当たり前になった食事でも、絶対に感謝を忘れない。
当たり前のことに当たり前のように感謝できる。私はお母さんのそんなところが大好きだ。
電子レンジが温め完了の電子音を発する。
程よく温まったミルクにココアの粉をスプーンで3杯入れてかき混ぜる。
少しダマが残ってしまうけれど、私はダマをスプーンで掬って食べるのが結構好きだったりする。
このままキッチンで立って飲んでも良かったんだけど、せっかくだし、お母さんの隣で飲むことにした。
「さっきさぁ、律にも言ったんだよね」
「何、を?」
「電気ストーブ出してって。そしたら律、『やることがあるから、それぐらい自分でやってくれ』って。冷たくない?」
「兄様、課題があるって、一昨日から、忙しくしてたし。仕方、ない」
「まぁた鈴は律の味方するー」
口をとんがらせて文句を言うお母さんは、歳を考えれば子供っぽい仕草にも程があるけど、若々しい見た目のお陰で違和感がないどころか、様にすらなっていた。
今年で40歳だとお母さんは言うが、私はどこかでその言葉を疑っている節がある。まあ、私が疑おうが疑わなかろうが、事実は変わらないのだけど。
若さの秘訣を聞くと、母さんは決まって、
『人間が健康に生きるのに必要なことなんて、よく食べて、よく寝て、よく運動して、そしてよく笑うことぐらいのもんよ』
と口にする。
実際、お母さんが特別美容に気を使っているところは見たことがないので、案外その通りなのかもしれない。
私も実践しようと頑張ってはいるものの、これが意外と難しい。
今のところ出来ているのは、睡眠と運動、ぐらいだ。
笑うのはまだ少し苦手だし、食事もお母さんのようにたくさんは食べられない。というより、朝から茶碗3杯もご飯を食べるお母さんのようには、一生なれないような気がする。
まあ、それはさておき。
実際、ここ数日兄様は忙しそうにしている。
大学から帰ってくるのはいつもより遅めだし、家に帰ってきても、食事の時以外は部屋に籠っていることが多い。
私も気を使って、ここ数日は添い寝をお願いするのは控えている。
兄様は優しいから、きっとお願いすれば応えてくれる。けど、私の我が儘で兄様に迷惑を掛けたくはない。
我慢、しなくちゃ。
「はぁ……」
「どうしたの、鈴。ため息なんか吐いて」
「……何でも、ない」
「ふーん……」
興味のなさそうな返事を返しながら、お母さんはソファーから体を起こす。
そして、ジッと私の顔を見つめてきた。
真っ黒で、大きくて、透き通ったお母さんの目は、綺麗だけど、少しだけ怖い。
何でも、見透かされてしまいそうで。
「鈴」
「……な、なに?」
「遠慮する必要はないのよ。家族なんだから」
どうして。
問いかけの言葉が、形になることはなかった。
「さーって! それじゃ、あたしはお風呂でも入ってこようかな。電気ストーブ、お願いね?」
「あ…………うん」
私が何とか頷き返すと、お母さんは優しく微笑んで、軽やかな足取りでお風呂場まで歩いていった。
「…………」
お母さんの言葉が何を指してるのかは分からない。
だから、私にとって都合良く解釈する。
少しだけ温くなったココアの残りを飲み干して、ソファーから立ち上がる。すると――
――下着姿のお母さんが、お風呂場から駆け足で戻ってきた。
私と目が合うと、お母さんは苦笑いして、
「着替え、持ってくの忘れてたぁ……」
「お母さん……」
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