第4話『幼馴染』

「……もう、大丈夫」


 その声を聞いて、鈴を抱きしめていた腕を解く。もう、体は震えていなかった。


「落ち着いたか?」


「ん。ごめん、兄様」


「だから、鈴は悪くないって」


 まだ若干目が潤んではいるが、もう大丈夫そうだ。

 目尻に残った涙を親指で拭ってやり、空気を切り替えるため、努めて明るい声で言葉をかける。


「それじゃ、顔洗って服を着替えて、買い物に行くか」



 ◇◇◇◇◇



 鈴が車に乗れないため、買い物には必然的に徒歩で行くことになる。

 目的地は近所のホームセンターと併設されたスーパー。大体片道15分ぐらいの道のりだ。

 普段ならば、ただ並んで歩くだけの道なのだが、先ほどのことがあったからか、鈴は手を繋ぐことを要求してきた。

 高校生にもなって、と思わないこともないが、さっきのことは完全に自分に非があるし、なにより、普段から添い寝をしている時点で俺の言葉に説得力など皆無だった。


「兄様、今日の晩ご飯、何が、いい?」


「そうだな……」


 家を出る前に冷蔵庫の中を見てきたが、少しの野菜と冷凍の鶏肉があるぐらいで、3人家族の冷蔵庫の中身としては寂しいものだった。何を作るにしても食材の買い足しは必須だろう。


「最近作ってなかったし、ハンバーグとかは? そろそろ母さんが催促し始める頃だろ」


「……ん。じゃあ、今日は、ハンバーグ」


 母さんの好物の一つであるハンバーグは、我が家では割と頻繁に並ぶ料理だ。

 数ある母さんの好物の中でも、ハンバーグは特にこだわりが強い料理で、作り方は母さん直伝のものだったりする。まあ、作り方を教えたっきり自分で作ろうとはしないので、実際は大したこだわりもないかもしれないが。

 料理は美味しければ何でもいい。が口癖の母さんにとって、些細なメニューの差異は問題じゃないんだろう。きっと、美味しければハンバーグが原型を留めないほどぐちゃぐちゃでも、そもそも肉を使ったものでなくても構わないに違いない。

 見た目や食材が何であれ、本当に、美味しければそれでいい。それが俺たち兄妹の母親だ。

 ちなみに鈴は、見た目、栄養、味の全てそろってこその料理、という考え。鈴が本気で作った料理は、贔屓なしで売り物になるレベルだ。

 それに対して俺の方は、栄養さえ取れれば見た目や味はそこまで気にしないタイプ。なので、家族の中では俺が一番料理の腕前は下なのだが、母さんが作る見た目も栄養も気にせず、ただ美味いだけのアレを料理とは呼びたくないのが正直なところだ。



 ◇◇◇◇◇



 道中特に何事もなくスーパーに着いた俺たちは、歩き慣れた店内をいつも通りのルートで巡っていた。

 俺が買い物カートを押し、横を歩く鈴が商品をカゴに入れていく。これがいつものスタイルだった。

 カートに置いた二つのカゴの片方が埋まりかけた頃、進行方向の少し先に見慣れた後ろ姿を発見した。

 短く髪を切り揃えた背の高い男と、その男より頭一つ分ほど小さいポニーテールの少女だった。


「兄様、あれ」


 俺が気づくとほぼ同時、鈴もその姿を発見したらしかった。


「ああ、一樹いつきあやちゃんだな。声掛けてきたらどうだ?」


「ん、行ってくる」


 軽い駆け足で近寄っていく鈴の後ろ姿に、カートを押しながら俺も続く。


 一樹。本名、佐藤一樹。

 彩ちゃん。本名、佐藤彩花。

 幼少期から家族ぐるみで付き合いのある、所謂幼馴染というやつだ。

 一樹が俺と同級生。彩ちゃんが鈴と同級生ということもあり、今でも頻繁に顔を合わせることのある間柄だ。というか、学校が同じなので一緒に登下校することも珍しくはない。現に今朝は鈴と彩ちゃんは一緒に登校した筈だし、俺と一樹は大学の学部が同じこともあり、一緒に登校こそしなかったが、大学で顔は合わせていた。

 また、苗字からも分かる通り、一樹と彩ちゃんは兄妹だ。俺と鈴のように義理ではなく、血の繋がった実の兄妹である。

 だから、というべきなのか、それでも、というべきなのか分からないが、この二人はかなり仲が良い。それこそ、普通の兄妹ではない俺たちと比べても遜色ないほどに。

 おそらく今日も、仲良く兄妹二人で買い物に来ていたんだろう。

 そんなことを考えていると、鈴が彩ちゃんを伴って、一樹は買い物カートを押しながら、こちらへ近づいてきた。どうやら向こうも、買い物カートを押すのは兄の仕事らしい。


「よう、昼間ぶり」


「こんにちは、律さん」


「こんにちは、彩ちゃん。一樹も」


「なんかおまけみたいな扱いだな」


「事実そうじゃないか」


「おいっ――いやまあ、そうだな」


 どうやらおまけでいいらしい。もっとも、我ら音無兄妹に関しても、どちらがメインでどちらがおまけかといえば、おまけは俺のほうだろう。世の中の兄なんてきっとそんなものだ。


「俺たちが言えたことじゃねえけど、一緒に買い物とか、律たちも兄妹仲良いよな」


「別に私はお兄――兄さんと仲良くなんてないんだけど」


 一樹の言葉に彩ちゃんから抗議が入る。これもいつもの光景だ。


「私たちの、前、なんだから、お兄ちゃんって、呼んでもいいのに」


「ちょ……! すーちゃん!」


「家じゃあ『お兄ちゃ〜ん』って呼んでくれるんだけどなぁ」


「……そんな風に呼んだことはないから兄さんは黙っててくれる?」


「へいへい」


「本当、仲が良いな」


「律さんまで!」


 一般的な兄妹の仲の良さなど全く知らないが、少なくとも、ここまで仲の良い兄妹を、俺は他に見たことがなかった。


 それからしばらくの間、一樹たちと他愛も無い世間話に花を咲かせながら店内を歩いていたのだが、俺たちの方が買う物が多かったこともあり、途中で一樹たちとは別れることになった。


「んじゃ、またな律。鈴ちゃんも、また今度」


「さようなら、律さん。すーちゃんも、また明日ね」


「またな、一樹、彩ちゃん」


「ん、バイバイ」


 レジに向かっていく佐藤兄妹を見送ってから、止めていた足を再び動かす。


「それじゃ、俺たちもさっさと買い物終わらせるか」


「ん」

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