第2話『いつもの朝』
朝。
目覚まし時計が鳴るよりも少し早く目を覚ました俺は、洗面所で顔を洗っていた。
目覚ましよりも早く目を覚ますのは、何も今日に限ったことではない。俺にとって目覚まし時計は、毎朝起こしてくれる物というより、毎朝決まった時間に音が鳴り、文字盤を見ずとも現在時刻を知らせてくれる物、といった意味合いが強い。
ほとんど目覚まし時計としての意義は失っているが、それでも毎日律儀に目覚まし時計を設定しているのは、万が一寝過ごした場合を考えてのことと――。
顔を洗い終えて部屋に戻ると、鈴はまだベッドの上で夢の中にいた。
部屋のカーテンを開けると、朝日が差し込んでくる。
「今日は晴れてるな」
最近は天気が不安定で朝から雨が降っていることも多かったが、今日は晴れていてくれそうだ。
窓から離れ、クローゼットから着替えを取り出していたとき、背後で目覚まし時計の鳴る音がした。
程なくして、目覚まし時計は沈黙する。
俺が、ほとんど使わない目覚まし設定を切らないもう一つの理由。
それは、俺の部屋で寝る鈴が目覚ましを必要としているからだった。
まあ、同じ部屋で寝ているのだから起こしてあげれば済む話ではあるし、事実半年ほど前まではそうしていたのだが、鈴も高校生になったことだし、些細なところから自立を促してみようと、目覚まし時計を使って自力で起きてもらっている。
といっても、仮に目覚まし時計で起きられなかった場合は俺が起こしてしまうので、自立を促せているかは疑問ではある。
「……ん〜……うー、はわぁ……ん」
目覚ましを止めた鈴は、呻き声のようなものを発しながらもぞもぞと起き上がる。
「………………おはよ」
「はい、おはよう。顔洗ってきな」
「んっ……」
ゆったりとした動作でベッドから降りた鈴は、若干ふらふらした足取りで洗面所へと向かっていった。
◇◇◇◇◇
我が家の食事事情は鈴が受け持っており、俺が料理をすることはほとんどない。家に自分しかいなかったり、鈴が体調を崩していたり、そんなイレギュラーが発生した時だけだ。
寝起きの乾いた体に水分を補給すべく、コップに水道水を注いでいると、朝食の準備のため冷蔵庫を覗いていた鈴に声をかけられた。
「兄様、今日、早く帰って、くる?」
「ん、まぁ特に予定もないし、3時前ぐらいには帰ってくると思うけど」
「じゃあ、お買い物、いこ?」
どうやら冷蔵庫の中が大分寂しいことになっているらしい。
「分かった。鈴が帰ってきたら行こうか」
「ん、約束」
そんな訳で今日の午後の予定が決まったところで、2階にある寝室からこの家のもう一人の住人が顔を出した。
「おはよ〜」
そう言ってリビングに降りてくるなり、その人はソファーに倒れ込んだ。
起きてきたのにまた寝る気なのだろうか。
「おはよう、母さん」
このまま溶けてなくなるんじゃないかと思うほどにだらけている、ダメ人間の象徴みたいなこの人が、俺の実の母親、鈴からは義理の母親にあたる、
大食いで、大酒飲みで、お金が大好きで、家事は一つもしないダメ人間だが、仕事場では優秀らしい。実際に見たことはないので、俺は信じていないが。
しかもこの人、普段家ではひたすら飲み食いしては寝ているだけにもかかわらず、今年で40歳にもなったのに、尋常じゃないほど若々しい。体は引き締まっていてスリムだし、背は高くないが、手足が長いので背が低い印象は受けず、3人前ほどの食事をペロリと平らげるくせに、体型は全く変わらない。もしかしたら、食道のすぐ下が四次元ポケットか何かに繋がっているのかもしれない。
街中を鈴と歩けば年の離れた姉妹に見られ、俺と歩けばカップルと間違えられる。
実は吸血鬼とかそういう寿命を持たない種族である可能性も、無きにしも非ず――いや、ない。
「ねぇ〜りつ〜、新聞取って〜」
「目の前のテーブルにあるんだから自分で取ってくれ」
「え〜届かな〜い」
母さんはそう言って机に手を伸ばして――いなかった。肘が曲がり切っていてあからさまに取る気がない。
「はぁ」
放置していてもうるさいだけなので、テーブルの上にある今日の朝刊を取ると、母さんへ向けて割と強く投げる。
「うい、さんきゅー」
しかし母さんはそれを難なく受け止め、寝そべりながら器用に新聞を読み始めた。
よし、次があればもっと強く投げることにしよう。
「ご飯、できたよ」
「待ってましたぁっ!」
そこへ朝食の準備を終えた鈴から声がかかる。
母さんは持っていた新聞をソファーに捨て置き、物凄い速さでダイニングテーブルへ。
毎度思うが、新聞ぐしゃぐしゃで良いのかこれ。ほとんど読んでないだろ。
「兄様?」
「ああ、今行くよ」
軽く新聞を畳んで片付け、テーブルへ向かう。
朝食の準備といっても、大抵の場合は前日の夕飯の残りがおかずとして出るだけだ。
テーブルの上に並んでいたのは、肉じゃが、野菜炒め、味噌汁に白米。白米以外は昨日の残りだが、鈴の料理はどれも美味しいので何も問題はない。
「いただきます!」
「いただきます」
「いただき、ます」
ガツガツと白米をかき込む母さんを尻目に、俺は味噌汁から手をつける。
気のせいかも知れないが、夜に飲む味噌汁よりも、朝に飲む味噌汁の方が美味しく感じるのは何故なんだろう。野菜の旨味が出ていたりするのだろうか。
と、そんなことを考えている間に母さんはご飯をおかわりしていた。
化け物か。この人。
「朝からよくそんなに食えるな」
「あんたたちこそ、育ち盛りなんだからもっと食べな? あたしがよそってあげよっか?」
「断る。母さんに頼むとろくなことにならない」
昔、母さんにご飯のおかわりを頼んだとき、返ってきた茶碗には、隙間なくギチギチに詰められた白い塊が入っていた。極限まで茶碗の中で圧縮された白米は、丼3杯分ぐらいの質量があったんじゃないだろうか。
「鈴は? おかわりいる?」
「大丈夫。朝は、たくさん食べられない、から」
「そお? じゃ、遠慮なく」
そういって母さんは、ただでさえ盛られた白米の山に、更に白米を盛っていく。
ホント、化け物か。この人は。
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